政治・経済

江崎利一氏の半生と松下幸之助との出会い

 昭和10年(1935年)のデビュー以来、大阪・道頓堀のシンボル的な存在であり続けたグリコの電光ネオン塔。両手を広げてゴールインするグリコランナーの姿はあまりにも有名だ。このネオン塔は、今年盆明けにいったん姿を消したが、10月には発光ダイオード照明に切り替わり復活を遂げるという。

 「一粒300メートル」という健康志向を唱え、キャラメルならぬグリコを開発。「江崎グリコ」を一流企業に育て上げた江崎利一は、明治15年12月に佐賀県神崎郡蓮池村で生まれた。干支は午。後年出会う松下幸之助の一回り上の苦労人で、意気投合した2人は〝文なし会〟を作り、仲間を集めて、しばしば知恵と交友の輪を広げていたらしい。

 佐賀県と言えば〝葉隠れ〟の地。鍋島藩は勉学を奨励したが、土地柄はさほど豊かではなかった。江崎は薬種業の家の長男として生まれるが、兄弟は姉2人・弟1人・妹2人と多く、「暮らしは貧しかった」という。 

 ゆえに、少年期の江崎は働き詰め。早朝からの塩売りに始まり、日中は薬の販売、そして登記の代書——。やがて、徴兵検査に合格し、日露戦争勃発により看護卒として小倉師団に召集される。ところが現地野戦病院での看護中に被弾して手を負傷。内地送還・除隊になり、150円もの慰労金をもらったとか。

 その後、家業に専念するが、明治40年の春、念願だった商売の都・大阪見物に出掛け、道修町で大量仕入れの利幅の大きさに魅入られた。以来、旧正月の2月になると必ず大阪に出向き、格安品の仕入れに精を出した。

 また、当時流行していた葡萄酒にも着目。長崎の外国人から樽で葡萄酒を仕入れ、空瓶に詰め替えて販売する一方、量り売りでも大いに稼いだ。この成功を機に、弟を責任者にして大阪に店舗を構えた江崎。進路の一大転機は、大正9年3月に起きた世界大恐慌とともに訪れる。当時を江崎はこう語っている。

 「恐慌の予感から縮小均衡を図っていた僕らはほとんど無傷。恐慌勃発の前年に、有明海近くの筑後川堤防沿いで、輸出用牡蠣の干し身作りの現場と出会い、煮汁を貰い受けてグリコーゲンの栄養価を調べていたんです」

 江崎グリコは、このときを起源とする。

 

江崎グリコ誕生の経緯と松下との縁

 

 産学共同--。現代では常識だが、大正時代にそれがどの程度まで実践されていたかは不明だ。

 ただし、江崎グリコの創始者・江崎利一は、雑誌の論文を通じて産学共同の知識を有していた。だから自前で作り上げた牡蠣の煮汁エキスを九州大学医学部に持ち込み、分析を依頼する。

 結果は、グリコーゲン含有量が36〜43%にも及び、ヘモグロビンの媒介になる銅分まで含まれているというもの。九大教授からは、「国民保健に必要な栄養剤普及に役立つ」との回答を得た。

 以降、江崎は、家業を続けながらグリコーゲンの事業化に没頭。試作・改良・思索のすえに、「飴らしきもの」を作り上げ、新会社の立ち上げを決意する。

 江崎の年齢は41歳。ときは大正10年4月。場所は大阪西区の堀江で、弟に任せた葡萄酒販売店のある千代崎橋とは目と鼻の距離だった。

 千代崎橋付近は、昔から庶民の集まる土地柄で、松下幸之助が妻「むめの」と見合いをした場所でもある。松下創業の地・大開町にもほど近く、その点でも江崎と松下には縁がある。

 

グリコの名称と商品形状はどう決まったのか?

 

 ところで、グリコーゲンの商品化に目鼻を付けた江崎は、商品の名称・形状にもかなりのこだわりを示した。

 友人・知人・専門家の多くが推す「グリコ・キャラメル」の名称を退け、「グリコ」というシンプルなネーミングで商品の独創性をより強く打ち出す道を選んだ。また、グリコの語呂が広告の原則にもかなうとの判断もあったようだ。

 形状もインパクトの強い「ハート型」に決定。この形状・名称ともに、当時の菓子製造の権威から否定されたが、それでも江崎は自らの主張を貫いた。

 次に江崎が決めたのは、グリコのパッケージ・デザインだ。その調査で菓子店を巡る中、江崎は、当時既にキャラメル大手に成長していた森永の黄色い箱がやたらと目立つことに気付く。

 そこで、視覚効果の実験を行い、結果、グリコの入れ物を赤箱に決定。資本金6万円の江崎グリコを創設し、同時に「一粒三百メートル」のランナーをメイン・キャラクターに採用した。

 こうして商品作りを終えた江崎は、販売戦略の策定に乗り出した。決めた戦略は、一流商店へのアタック。無謀にも、いきなり「三越」に照準を合わせたのである。

 

意気投合した江崎利一と松下幸之助

 

 牡蠣の煮汁のグリコーゲンを原料に「グリコ」を開発し、江崎グリコを一流企業に育て上げた江崎利一。筆者が氏と出会ったのは、証券担当の記者時代。ほぼ半世紀前のことだ。

 江崎グリコの社外重役の中に松下幸之助の名を発見して以来、しばしば大阪西淀川区の会社を訪れ、江崎の生きざまを取材した。

 最大の興味は、グリコが大阪・三越に販路を求め、断られ続けても日参し、ついに老舗を根負けさせた粘り腰。三越での販売開始を機に、江崎は朝日新聞・毎日新聞に、「栄養菓子グリコ、三越さんでも売っています」との突き出し広告を展開。これは、当時の松下が2股ソケットや電熱器などの新聞広告を繰り広げていたのと同じパターンだ。

 新聞社らが熱海のホテルに広告スポンサーを招待した際、江崎と松下は偶然にも同室になった。以来、境遇の似た2人は意気投合し、〝文なし会〟を結成。会は、壽屋(サントリー)の鳥井信次郎や中山製鋼所の中山重隆などの参画で有名になった。

 

菓子業界に旋風を起こした江崎利一

 

 昭和8年、江崎は新製品「ビスコ」を開発。「第2の創業」を謳い文句に菓子業界に旋風を巻き起こす。

 「頭の中は常に新機軸。意見を聞きつつ、自ら決断する。僕は創業者だから知恵を絞り、情報集めに百貨店や船場の菓子問屋などを歩き回った」と江崎。同様に松下も知恵を絞った。社内報向けに相撲番付に似た表を作り、アイデアを活字化する。番付の横綱は常に松下自身。その事業化で業容を拡大していった。

 だが、日本は軍国化。第2次世界大戦中、グリコも松下も軍需工場に指定され、米軍の爆撃対象になった。その上、敗戦で日本軍が消滅し、被害補償はゼロ。「戦後復興を叫べど、会社は借金まみれ。まさに前途多難だった」という。

 だが、朝鮮動乱を経た昭和30年代、日本経済は成長期に突入。グリコに追い風が吹き、松下は電化時代の到来で飛躍的な事業拡大の機をつかむ。その波に乗り、江崎・松下は人材育成を加速させ、同時に孫の成長にも期待をかけた。

 ある日、松下は江崎から「孫の勝久をよろしく。神戸大卒後、松下で2年修業して入社しました」と紹介されたが、彼は現江崎グリコ社長。一方、松下が期待をかけた孫の正幸も現パナソニック副会長で関経連副会長。衣鉢を継いでいる。

 

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