政治・経済

医学論文のデータ捏造疑惑で窮地に立つノバルティスファーマ。だが、問題は同社だけでなく、医学界との癒着が疑われる製薬業界全体に波及しそうだ。製薬会社の情報開示の在り方が問われている。 (ジャーナリスト/山下剛平)

医学論文捏造疑惑 関与否定が一転。元社員が自宅作業まで

 ノバルティスファーマの三谷宏幸社長(当時、現最高顧問)は昨年上梓した自著の中で、「社長室に法務部長が入ってきて、後手にドアを閉められるといつもゾッとする」と述懐している。では、日本の医学界を揺るがしているこの事件の第一報は、どんな顔で受け止めただろうか。同社の降圧剤「ディオバン」をめぐる、論文捏造疑惑である。

 ディオバンは、アンジオテンシンⅡ受容体拮抗剤と呼ばれる降圧剤のひとつ。2000年に発売され、日本だけで、年間1千億円を超える売上高を誇るブロックバスター医薬品だ。

 そんなディオバンの臨床試験データに基づく医学論文が撤回されるという事態が起きたのは、今年2月のこと。欧州の心臓病学会誌が、かつて掲載した論文に対し、「重大な問題点がある」と指摘。具体的な問題点は明らかにしないまま、これを撤回したのだ。

 論文は、京都府立医科大学の松原弘明教授(当時、今年2月末に辞職)が中心となってまとめられたもの。論文撤回当初、ノバルティスの三谷元社長は、臨床試験や論文執筆への会社としての関与を否定していた。

 しかし、3月28日に毎日新聞が、京都府立医大が実施した臨床試験の統計解析に、ノバルティスの元社員(既に退職)が関与していたことをすっぱ抜く。

 この元社員は、臨床試験データの統計処理のプロで、大阪市立大学などの非常勤講師の肩書も持っていた。ノバルティス社員の立場を表に出さず、京都府立医大のほか、東京慈恵会医科大、千葉大、滋賀医科大、名古屋大で、ディオバンの論文作業にかかわっていたという。京都府立医大の臨床試験でこの元社員は、データを自宅に持ち帰っていたことなども明るみに出ている。

 ディオバン論文に対する疑問は、実はかなり早い段階から提示されていた。いずれもノバルティス元社員がかかわったとされる国内臨床試験に対するもので、昨年4月には、英医学誌などに、これら論文の内容を疑問視する意見が掲載されている。

 臨床データの一部に、仮に捏造の手が加えられていたとしても、その医薬品が全く有効性のないまがい物、というわけではない。ディオバンを日本で製品化するに当たって、必要な治験はきちんと実施されており、問題となった論文はいずれも、日本での販売認可後に、心不全などによる死亡率低減効果などを検証するために実施された臨床試験についてのものだ。

 しかし、こんな厳しい声もある。

 「医薬品の真の価値は、錠剤や注射の中身ではなく、付帯する医学的・薬学的情報にあるわけです。その意味で今回の一件は、『詐欺』と言われても仕方のないものですよ」

 そう指弾するのは、ある大学病院の薬剤師だ。

 「薬九層倍」という言葉が端的に示していることだが、自動車や家電製品と違い、ディオバンのような化合物医薬品の原価は、ほとんどないに等しい。

 一方で薬価は、製品化の過程で行った治験などを通じて得られた臨床データを科学的根拠として反映する形で設定されている。

 医薬品を高付加価値製品たらしめているのは、添付文書や各種販促資材に記載されている情報そのものであり、その科学的根拠に疑いがあるとすれば、工業製品としては致命的な瑕疵がある、という指摘だ。日本の場合は税金と保険料で薬価が手当てされるから、なおさら罪深い、とも言える。

 ノバルティスは元社員の関与を認めつつも、論文捏造については、データの意図的な操作や改竄を示す事実はないと主張している。だが、製薬企業の集まりである日本製薬工業協会(製薬協)から団体活動の自粛を求められるなど、業界からも村八分にあっている状況だ。

製薬業界に求められる透明性ガイドライン

 ノバルティスの孤立無援は、自業自得と言えばそれまでだが、他の製薬企業とて、対岸の火事と決め込んでいるわけではない。むしろ、自分の会社も同種の利益相反問題を抱えていないかと、戦々恐々だ。

 「今度の一件で、ウチの降圧剤も疑いの目で見られるようになりました。一連の報道が下火になる気配もないし、いい迷惑ですよ」

 ある製薬企業の社員は恨み節を口にする。ディオバンと同タイプの降圧剤は、日本の製薬企業も製品を投入している激戦市場だ。熾烈な販売競争で各社がしのぎを削る過程で、今回のような利益相反問題が起きる土壌は醸成されていた。

 実は製薬業界は現在、病院や医学研究者などに対する資金提供の透明化を迫られている。製薬協が策定した「透明性ガイドライン」に準拠する形で、加盟メーカーは昨年度支出分の情報開示を今夏に控えている。

 ノバルティスはこの数年間、「奨学寄付金」の名目で、京都府立医大の松原元教授の研究室だけで少なくとも1億円以上の資金を提供していることが分かっている。情報開示を契機に、他社でもディオバンのようなケースが発覚するかもしれない。

 いずれにせよ、製薬業界と医学界に癒着構造があるのだとしたら、今回の事件を奇貨として、すべて白日の下にさらすべきだろう。

 「科学的根拠」こそが医薬品の価値だとすれば、利害情報を含めてその透明性を担保することは、生命線であるはずだ。

 
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