文化・ライフ

衝突事故後の強行出場は正しい選択だったのか

 ボクシングや柔道、ラグビーならいざ知らず、まさか華麗さが売り物のフィギュアスケートでこの医学用語が登場するとは思わなかった。

 セカンド・インパクト・シンドローム──

〈頭部に衝撃を受けて脳震盪を起こした後、短期間に2度目の衝撃を受けることで、重篤な症状に陥ること〉(デジタル大辞泉)

 GPシリーズ第3戦中国杯最終日。男子フリー直前の6分間練習でソチ五輪金メダリストの羽生結弦が中国の閻涵と正面衝突、頭を強く打ち、額から出血するアクシデントに見舞われた。

中国選手と激突しうずくまる羽生結弦選手

中国選手と激突しうずくまる羽生結弦選手(奥)(Photo:Imaginechina/時事通信フォト)

 衝撃の映像はスポーツ番組のみならず、ワイドショーでも流れたから、目にされた方も少なくないだろう。

 頭には包帯、アゴには止血テープを貼って強行出場した羽生はジャンプで5度も転倒した。そのつど立ち上がり、演技を続けた責任感には感銘を受けたが、強行出場の代償は小さくなかった。左大腿挫傷が判明し、全治2、3週間の診断を受けた。それでも脳に異常が発見されなかったのは不幸中の幸いと言っていい。

 「本人がいくら希望しても、強行出場を認めるべきではなかった」

 大会後、医学の世界を中心にそんな声が上がった。

 そこで状況を確認すると、コーチのブライアン・オーサーは「ヒーローになる時ではない」と棄権を薦めている。

 ドクターも何もしなかったわけではない。居合わせた米国チームの医師が、演技ができる状況にあるか否かを確認している。

 一応、手続きは踏んでいるのだ。ただし、それが十分だったかとなると、はなはだ心もとない。多分に「結果オーライ」的な部分もあったのではないか。

 福岡市にある松田脳神経外科クリニックのホームページによると脳震盪は軽度=一過性に意識が混濁するが失神はない。記憶正常。中等度=2分以内の失神。記憶障害。手足のしびれ、持続する頭痛吐気。高度=2分以上の失神。上記の症状──の3つのレベルに分けることができる。羽生の症状は、恐らく軽度だったと思われる。

 だからといって安心はできない。

〈軽い脳震盪では脳に対する影響はありませんので数日の安静で回復します。打撲直後は安静にして軽く頭部を冷やして経過を見ます。脳震盪を起こした当日は競技に復帰すべきではありません〉(松田脳神経外科クリニック公式ホームページ)

衝突事故の教訓 安全対策と練習環境改善が急務

 セカンド・インパクト・シンドローム発症のリスクが最も懸念される競技はアメリカン・フットボールである。

 NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)は4千人を超える元選手から提訴され、今年7月、日本円で約900億円の賠償金で和解に基本合意した。

 なお和解の条件には脳震盪の危険を訴える啓蒙活動も含まれており、NFLがそれをのんだ背景には「アメリカン・フットボールが危ないスポーツとみなされてしまったら、低年齢層の競技人口が減りかねない。またスポンサーへのイメージも悪くなる」(スポーツマーケティング会社役員)という理由があったからだとみられている。

 ラグビーも同様に脳震盪リスクの高い競技である。かつては気を失った選手にヤカンの水をかけるという、この競技ならではの〝儀式〟があった。水をかけられた選手がすぐに立ち上がることから〝魔法の水〟などと呼ばれ、重宝されたものだが、それも今となっては昔の風景だ。

 WR(ワールドラグビー)には脳震盪に関するガイドラインがあり、〈脳震盪を起こした疑いのあるプレーヤーは、プレーから離れ、その試合に再び参加してはならない〉と明記してある。

 サッカーのJリーグも脳震盪対策は進んでおり「脳震盪が疑われる場合は試合や練習から退くべき。短時間で回復したとしても試合復帰は避けるべき」との指針がある。

 ラグビーやサッカーが衝突を前提にしているのに対し、フィギュアスケートで衝突や転落のリスクがあるのはペアだけだ。そうした事情もあって、これまで安全対策には本腰を入れてこなかった。

 しかし近年、技の難易度が上がるのに伴い、助走スピードも速くなってきた。しかも演技前の6分間練習では、グループごとに6人がいっせいに氷上に飛び出してくるのだから注意が必要だ。

 衝突事故が起こった場合、深刻な事態が発生するのは目に見えている。現に練習中の衝突事故は過去に何度も起きているのだから。

 ISU(国際スケート連盟)や競技会の主催者は羽生の事故を教訓として、安全対策、練習環境の改善に乗り出すことが急務である。

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