政治・経済

 文学、政治、言論それぞれの世界で常に話題を振りまき、問題提起をしてきた石原慎太郎氏。その石原氏も、2014年暮れの総選挙を機に、政界引退を表明した。現役政治家のみを対象とする「公を生きる」だが、政治史という枠からはみ出して、戦後日本を象徴する個性として生きてきた同氏にお話をうかがう好機と見て、今回特別に登場いただくこととなった。

石原慎太郎氏プロフィール

石原慎太郎

(いしはら・しんたろう)1932年兵庫県神戸市生まれ。一橋大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞受賞。68年参院全国区に出馬し300万票獲得しトップ当選。72年衆院選に鞍替え当選し8期25年務める。環境庁長官、運輸大臣を歴任。99年東京都知事に就任(4期)。2012年都知事を辞職し25年ぶりに国政に復帰。太陽の党代表、日本維新の会代表、次世代の党最高顧問を務める。14年12月政治家引退を表明。近著に『エゴの力』(幻冬舎新書)。

 

石原慎太郎氏は語る オリンピックは招致運動ではなく懇願運動だった

德川 フランスにおけるイスラム教原理主義者のテロに続いて、いわゆるイスラム国に日本人が拉致・殺害されるという悲惨な事件が起きました。世界秩序が大きく揺れ動いているという感覚があります。

石原 ヨーロッパの衰退というのは、もう目に見えている。僕は『文藝春秋』の論文にも書いたけれども、白人の世界支配というのは、もう終わりなんですよ。

 フランスの新聞社のテロ事件も、その後でメルケルまでパリに来てヨーロッパ中が大騒ぎしているんだが、僕から見ると、それはちゃんちゃらおかしな話でね。彼らがフランス革命で獲得した自由、平等、友愛なんていうのは、彼らが支配した植民地のお陰で保証されていたわけで、アラブやイスラムの人たちは、そのお陰でひどい目に遭っていたから、恨むのはある意味当たり前なんです。

 ナイジェリアで何十人の女の子をさらって奴隷にしたボコ・ハラムの指揮官がテレビで「俺たちはキリスト教の文明を絶対、全部破壊する」とわめいていたが、これは「逆十字軍をやる」という宣言ですよ。歴史の必然とは言わないけれど蓋然性はあるわけで、ヨーロッパの白人は考えたほうが良いと思う。

 僕は都知事としてオリンピックを提唱して、1回ビッディングをやったけれど、あんなのは招致運動じゃない。懇願運動ですよ。

 本当にアンダーテーブルの世界でね。オリンピックという、一番光栄な行事で全部白人がルールを決めるわけだから。日本の水泳の選手が飛び込んでから潜っている時間を長くして優勝すると、飛び込んだ後潜水していられる時間を変えたり、日本の選手がスキーで優勝するとスキーの板の規格を変えたり、それから日本人や中国人なんかの背の低い選手に有利な卓球では、台をもっと高くしろと言ってきて、これは荻村伊智朗君がIOC理事の時に身体を張って止めたけれどね。

 あと、オリンピック競技じゃないけれど、ホンダがF1で良いとなるとエンジンの規格を変えるわけですから。公平無私なはずのスポーツの世界を、ルールで支配しているわけですよ。だから、もう2度とあんな招致運動はやりたくないと思って、止めたの、もう。ただ、1回灯したタイマツだけは消すべきじゃないし、必ず日本がもう一度オリンピックを開催できると思ったから「もう1回やる」という宣言だけはしましたがね。後はバトンを渡した人間がやれば良いということです。

 そういう大きな歴史の転換期に来ているんだけど、その把握がないんだね、この頃の日本の政治家は。みんなほとんど歴史を知らないよ。教育のせいもあるけれど。だから僕は東京の公立の中学、高校では日本の近代史、現代史を義務化して、そのために『江戸から東京へ』という教科書も作らせました。

 ヘーゲルが言ったみたいに、歴史というのはいちばん現実的なんで、歴史が分からなければ現実感覚はできてこないし、目の前の問題にも対処できない。今度の拉致事件でも、日本はヨーロッパに対して、こうなったのは白人の奢りのせいだと、はっきり言うべきですよ。

 

現実にコミットするために政治家になった石原慎太郎氏

 

20150310_KOU_P04德川 石原先生御自身のお話をうかがいます。『太陽の季節』を読んで、非常に繊細な文章なのに驚きました。また最近、悪名高い『完全な遊戯』を読みまして、こちらは戦慄しました。極めて優れた小説家でいらっしゃったところから、どうして政治家を志されたのでしょうか。

石原 僕は読売に頼まれてね、ベトナム戦争のクリスマス休戦を取材してくれって。戦争をやっていて、祝日の時に協定をして休戦にするなんて前代未聞のことだから。こちらも興味があって、最前線まで行ったんですよ。僕は京都大学の仏文に行くつもりだったから、フランス語はわりとうまかったんですよ。それでサイゴンにいるベトナムのインテリたちと話をしていると、戦争に対して非常にシニカルというか無関心なんですよね。

 それから、日本のベ平連騒ぎの中で、小田実とは個人的に仲が良かったんだけど、彼らは全然頓珍漢なことを言っていてね。現場に行ってみないと分からないことってたくさんあるし。日本のインテリは、サイゴンのインテリに似ているなって気がして危機感を持ちまして。そこへもってきて、戦争の時にはよく流行る肝炎にかかりまして、1年くらい養生して、その間にいろいろ考えて現実にコミットしなくてはいけないということで、政治家になる決心をしました。

德川 政治家になることを決めて、最初に何をなさいましたか。

石原 僕は昔から人間の歴史に果たす技術の役割に関心を持っていまして、歴史はそういうもので動いていると考えていました。当時、日本は高速増殖炉という画期的なことを手掛けていた。日本とフランスが進んでいたんですが、あの時、NPT―核不拡散条約に入るかどうかという問題があって、僕は絶対反対だと思って、選挙の時はそんな話ばっかりした。けっきょく佐藤栄作政権の時に、かなり反対派もいたんだけれど、夏休みの間に川島正次郎が暗躍して、一気呵成に押し切られました。

德川 自民党の公認をとられたわけですが、その時の幹事長は田中角栄さんですか。

石原 そうでしたね。まあ、佐藤さんとも個人的に近しかった。あの人は今日出海さんなんかと仲がよくてね。あの頃は文壇というものがあって、ゴルフ会をよくやっていた。特に軽井沢で文春と毎日新聞の恒例の大きな文壇のゴルフ大会があって、そこに佐藤さんなんかも来ていてね。わりと気さくに話し掛けてくれたり、僕の言うことに応えてくれたりして、そうやって知己を得ました。

德川 自民党としても魅力のある候補者だったと思うんです。ですから私は自民党のほうから石原先生へアプローチしてきたと考えておりました。

石原 いや、それは違います、全く。

 

年上の文人との交流で知己を得た石原慎太郎氏

 

(とくがわ・いえひろ)1965年東京都生まれ。政治経済評論家。翻訳家。徳川宗家19代目にあたる。慶応義塾大学卒業後、米ミシガン大大学院で経済学修士号を取得。国連食糧農業機関(FAO)ローマ本部、ヴェトナム・ハノイ支部に勤務後、米コロンビア大大学院で政治学修士号を取得。『自分を守る経済学』『日本政治の大転換』など著書、訳書多数。

(とくがわ・いえひろ)1965年東京都生まれ。政治経済評論家。翻訳家。徳川宗家19代目にあたる。慶応義塾大学卒業後、米ミシガン大大学院で経済学修士号を取得。国連食糧農業機関(FAO)ローマ本部、ヴェトナム・ハノイ支部に勤務後、米コロンビア大大学院で政治学修士号を取得。『自分を守る経済学』『日本政治の大転換』など著書、訳書多数。

德川 少し遡って、終戦から占領期の思い出をお願いします。

石原 そんなことから話しだすと本1冊になっちゃうねぇ(笑)。僕は海軍兵学校の予備校みたいな湘南中学(旧制)に通っていました。特に逗子、鎌倉っていうのは横須賀の近くにあって、横須賀が天然の要害で、あまり空襲を受けなかったんですね。横浜や東京が焼かれるのを眺めていました。生まれて初めて飛行機雲を見たんですよ。B29が飛んで行った後ですね。B29は一種の新兵器でしたね。それまで成層圏を行く重爆撃機というのはなかったんだから。それに対して日本の高射砲の砲撃が届かないのを傍観していた。

 それから敗戦してアメリカが進駐してきて、いろいろなことがありましたね。小学校に通う途中に、敗戦の間際としては珍しく、木造2階建ての大きな建物ができました。水交社という海軍軍人の交際の場所で、自分が出征する時に家族との別れを惜しむ集会の場所だったんだけど、そこで亡くなった人の遺骨と称する名札しか入っていない白い箱が遺族に渡されるんだ。

 それが一朝明けると、池子の海軍の弾薬庫を管理に来ているアメリカ兵の売春宿になった。昼間通ると腰巻き1つの半分裸の女が黒人とふざけたりして、目を背けて通ったな。それからその道は、家から学校への近道だったけれども、もう通るまいと思った。そんな記憶の堆積がありますな。だから、あの戦争の意味合いは、もうちょっと考えなきゃいけないと思うね。

德川 終戦前後で湘南中学に入学されました。

石原 湘南中学というのは海兵の予備校みたいなところだったから、日本海軍の高級将校の子弟というのは、随分いましたよ。真珠湾を攻撃した南雲忠一中将の息子もいたし、ミッドウェーで負けて山口多聞中将と一緒に死んだ加来止男艦長の息子もいたし。そんなことで、間接的だけれども戦争というものを肌で感じることはありました。やがて学制が切り替わって、新制湘南高校になりました。途中で僕は学校が嫌になって、1年ほど休みます。時代を先取りして登校拒否だったわけです。

德川 そこで江藤淳さんと会われましたね。江藤さんとはその後ずっと続く友情があったと認識しております。

石原 江藤は途中から転校してきたんだったかな。友情というのかな。なかなか良い評論家だったと思うけれど、彼の文章はダメだね。博学ではあったけれど、どこか居丈高なんだ。福田和也のほうが読みやすい。小林秀雄さんには及ばないよ。

德川 先生の『我が人生の時の人々』を拝読して、小林秀雄さんや正宗白鳥さんなど、ずっと年上の文人と交流しておられることが書いてあり驚きました。

石原 知己を得ることができたんですね。貴重な体験なんです。小林さんには変な意味で一目置かれて。平気で彼に楯突く人がいなかったから(笑)。

石原慎太郎氏に対する評価はさまざまだが、彼が「ナショナリスト」だという点では石原ファンもアンチ石原も一致するであろう。ただし、石原氏のナショナリズムは、昨今の偏狭な「日本が何でも正しい」式の保守主義とは一線を画す。世界の文学を読み、グローバルに考え、都知事としてはオリンピック招致という、生々しい外交にも携わった。だからこそ、日本の本当の良さが分かるのだと思った。

 

石原慎太郎氏と「慧眼の士」小林秀雄との若き日の交流

 

德川 小林秀雄さんとの交流を、具体的にお願いします。

石原 僕は変な意味で一目置かれてね。一度、文士劇が終った後の総会で、小林さんが講演したんだな。そうしたら、だんだん小林さんが酔っ払ってね。『白波五人男』の1人を演じた水上勉がいたから、「水上、ちょっと来い」と言って、説教を始めた。小林さんは人の悪口を言う時に「俺が」と言わないで、「俺の女房が言っていたぞ」と言うんだ。「俺の女房が言っていたぞ、お前の書いているのはくだらねえ」なんて、聞こえよがしに。水上はぼろくそに言われて畳をかきむしって、そのうち泣きだした(笑)。それで雰囲気がだんだん険悪になってきて、僕は小林さんに「やめなさいよ」と言ったんだ。

 「小林さんは批評の神様かもしれないけれど、知らないことだって、いっぱいあるでしょう。星とか空を見て自分のいる場所が分かりますか。僕はちゃんと分かるんです。だから、あなたもそんなに大きな顔をしないほうがいいですよ」と。

 すると小林さんは隣りにいた今日出海さんに、「おい、今ちゃん、行こう」と言って、永井龍雄さん、漫画家の横山隆一さんも一緒に帰っていった。でも、それから小林さんに会うと、それまで「石原君」だったのが「おまえ」、永井龍雄さんも「おまえさん」と呼んでくれるようになって、とてもうれしかったね。

德川 文壇の大先輩との間の垣根が取れたと。

石原 小林さんは中村光男も大岡昇平も「おまえ」でしたから。小林秀雄というのは、慧眼の士でしたね。『考えるヒント』という名著があるけれど、その中でプルタークの『英雄伝』を取り上げて、歴史っていうのは大きな川みたいなもので、プルタークはそこに出て来る人間をぽつり、ぽつりと書いているだけで、歴史が英雄を作ったんであって、英雄が歴史を作ったわけじゃないと言っています。これには全く同感だけれども、今の政治家っていうのは、それが分からない。歴史の中に自分が置かれているということ、自分の立ち位置が分からないから、話していてつまらないな。

德川 政界引退のメッセージでも「今、日本が極めて危うい」と書いておられますが、それは政治家などエリートの歴史観の弱さが原因なのでしょうか。

石原 歴史観というよりも、自分の立ち位置が分かっていませんね。自信がなくなっちゃったよ、日本人は。例えば、東京裁判の戦争史観なんか、どうして今でも踏襲しているんですかね。村山談話なんか、馬鹿ばかしくて読む気がしない。アメリカに気がねしてばかりで、間違っていると思うね、僕は。

 

石原慎太郎氏が佐藤栄作に見た政治家の度胸

 

20150324_KOU_P03德川 政治家としての石原先生は、福田赳夫さんの系列ということになりますが、福田さんにはどんな思い出がありますか。

石原 福田さんは役人上がりということもあって、大した決断ができなかったね。ダッカのハイジャック事件の時、閣議の席上、厚生大臣の渡辺美智雄が「政府もいろいろ手を尽くすだろう。その揚げ句、ハイジャック犯の言いなりになるんだろうが、言うことを聞いた後で、尽くすだけの手は尽くしたことを国民に周知徹底してくれ、自分たちも福田内閣の一員として、政治家としての面子があるんだから」と言った。僕は挙手して「渡辺さんの質問の前に言うつもりだったが、ミュンヘン・オリンピックの時のテロの後で、類似の事件に対処するための特殊部隊を日本も養成しているという話があるけれども、あるんだったら使ったらどうなんですか」と尋ねた。そしたら園田直官房長官が顔色を変えて「これはとても大事な話だから、これから言うことは皆さんも聞かなかったことにしてください」と前置きして「実はダッカには日本の特殊の公務員が10人行く」と言うんだ。「10人ですか?」とただしたら、「いえ、20人」と言ったので、これは嘘だと気付きました。

 結局、刑事さんが3人行っただけなんです。福田さんはとぼけていましたが、園田さんと2人で僕らを騙したんだな。福田さんには、ああいう武力の絡む問題に対しての姿勢には、虚弱なものがありましたな。その点、佐藤栄作っていうのは、すごい度胸がありましたよ。

德川 政治家、首相の度胸というのが分かりません。何か実例を挙げていただけますか。

石原 ニクソンと沖縄返還を交渉する前に、ジョンソン大統領の時代に佐藤さんは「日本も核兵器を持ちたい、アメリカに協力してほしい」と言っておられたんだね。それで佐藤さんはドイツに「一緒に核兵器を開発しましょう」と持ち掛けていた。

 そのことを、沖縄返還で使節をやった若泉敬(京都産業大学教授。遺著に『他策無カリシト信ゼムト欲ス』がある)は十分、承知していたんだな。佐藤さんが沖縄返還の交渉でワシントンに行く時に、自民党のいろんな国会議員がついて行きたいっていうのを全部はねてね。どういうわけか、あの頃僕は参議院議員だったけれど、僕と竹下登だけを連れて行ってくれた。

 一緒に行くとみんなに分かってまずいから、僕はソ連を経由して、竹下さんはメキシコを経由してワシントンに行くことになった。それを知った若泉敬が喜んで、「石原さん、佐藤さんにアレンジしてもらってアメリカの核の戦略基地を見てきてください。日本の国会議員で、日本の総理大臣の助言があったら、相当なところまで見せてくれるはずだから」と言ってくれて、それで僕はオマハの戦略空軍司令部(SAC)とシェイエンヌ山地の北米航空宇宙防衛指令部(NORAD)に行きました。オマハの司令部はコンクリートの40メートルの天井の下にあるミサイル格納庫まで見せてもらったし、NORADも随分中まで見せてもらった。その時にアメリカの警戒システムが全然日本をカバーしていないことが分かったんで、司令官に「アメリカの核の抑止力は全然『傘』になっていないじゃないですか」と言ったら、

 「どうしてだね?」

 「だって、警戒システムが日本まで及んでいませんよ」

 「当たり前じゃないか、石原君。日本なんて遠過ぎて、とてもじゃないけれど及ばない。お前たち危ないんだったら、なぜ自分で核兵器を開発しない。日本だったらすぐできるから、やれよ」って言われましたよ(笑)。

 実はその時まで日本の国会議員でアメリカの核戦略基地に行った奴が1人もいなくて、「お前が初めてだ」と言われて、僕はびっくりした。それで「アメリカの核の抑止力は日本にとっては存在しない」という内容の論文を書いたんだけれど、すぐに核保有論者にされましたな。

20150324_KOU_P04德川 若泉敬さんとも交流があったのですね。

石原 佐藤さんに「ドイツと組んで核を開発しなさい」と言ったのは若泉じゃないかと思いますが、その若泉も核保有論者にはなりきれなかった。後に実存主義者で国際政治学者のレイモン・アーロンと仲良くなって、彼が年に1回、日本に来るたびに僕は呼ばれてフランス大使館で飯を食いながら、いろいろな話をしました。

 彼はド・ゴールの信奉者でね。ある時、若泉がぜひ同席したいというので、3人で食事をしたところ、レイモン・アーロンが若泉に対して「日本は何で核を持たないんだ。ド・ゴールを見習え」とはっきり言いましてね。若泉は興奮すると鼻血を出すくせがあって(笑)、この時も鼻血を出して「いやー、石原さん、良い人を紹介してくれた。確かにそうなんだよな」と言う。

 それで、若泉は2番目の男の子が生まれた時に「核」と名付けました(笑)。あの時の核をめぐる佐藤栄作と若泉敬の間の意志疎通がどういうものだったのか、想像すると興味深いですね。

 

石原慎太郎氏と岸信介の関係性とは

 

德川 石原先生は岸信介さんとも仲が良かった印象です。

20150324_KOU_P02石原 仲がいいわけじゃないよ。何度かいろいろなことで岸さんの知恵を借りたり、岸さんを動かそうとしたりして、何度か長谷川峻と一緒に御殿場の岸さんの別荘に行きましたが。

 あの人は日本の政治家に珍しい文人でしたね。あれだけ見事な字を書く政治家っていうのはいない。あの人の色紙をあちこちで見たけれど、素晴らしい字だったね。

 「先生はあちこちで揮毫されているようですけれども、書く文章の備えっていうのは、あるんですか」と聞いたら、

 「そりゃ君、やっぱり幾つかないと、同じもの書くわけにいかないから」

 「備えは幾つくらいあるんですか。」

 「200くらいかな」

 それで幾つか言ったの、漢詩。本当の教養ですよ。岸さんもまんざらじゃなかったようで、帰りに玄関まで出て来て、「君、時々来たまえ」と言われたんだよ(笑)。僕のことをテークノートしたなと思いました。だけど、場所も遠過ぎたし、岸さんの所へはあまり行かなかったな。

 

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