政治・経済

 父親の急逝で、運命に背中を押されるようにして政界デビューを決断した大島理森青年。その後、国政においては政界の主流となった旧田中派系、旧福田派系の2大勢力とは異質な三木武夫の派閥に属した。保守政治の中に細々と流れる理想主義の系譜に入った事実に、大島議長の人望の根源にあるものがうかがわれる。今回は、国政入り初期から、師と仰ぐ河本敏夫元通産相、官房副長官として支えた海部俊樹元首相の思い出などを語っていただいた。

初選挙では国民との対話を訴える

德川 政界入りした当時、最大の大物は田中角栄さんでしたよね。角栄さんのことを、どう見ておいででしたか。

大島 田中先生というのはもう雲の上の方でした。毎日新聞社に勤務していた時は生意気に天下国家を議論したり、政治の本を読んだりはしていましたが、田中先生は論ずる対象ではなかったですね。会ったこともありませんでしたし。ただ、青森県議だった父は三木武夫元総理とのご縁があったんで、三木先生のお名前は父からよく聞かされていました。

 田中先生のことを間接的に知ったのは、青森県議会議員から衆議院議員に初挑戦する頃のことです。当時は県議2期目でしたが、若き日の小沢一郎先生から「田中派から衆院選に出ろ」と言われて、びっくりしました。県議の時代はとにもかくにも青森県の地域のことを勉強し、県内を歩かなくてはならないので、中央政界の誰それとつながって、という感覚ではございませんでした。

德川 角栄さんは新潟をどうにかしたいということで著書『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)を発表しましたが、青森県ご出身ですと共感するところがあったのでは。

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(おおしま・ただもり)1946年青森県八戸市生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、70年毎日新聞社入社。青森県議(2期)を経て86年自民党公認で旧青森1区(現青森3区)から衆議院初当選。現在11期目。内閣官房副長官、環境庁長官、文部大臣・科学技術庁長官、農水大臣を歴任。また自民党国対委員長、幹事長、副総裁など要職を務める。衆議院予算委員長を経て、2015年第76代衆議院議長に就任。

大島 それはもちろんありました。私は最初に県議選に挑戦する時は「なぜ青森県がもう少し頑張れないのだろうか、頑張っていかなきゃならん」という強い思いがございました。それからもうひとつ、当時は何となく「革新勢力」がどんどん日本中に広がっていて、生意気ですけど「自民党の在り方を少し変えなくてはならないんじゃないか」と主張していました。「自民党はもっと国民との対話が必要であろう」と。

 こんなことを28歳の初めての選挙の時に、演説をぶって歩いていました。「28歳の新人が演説で一体何を言うんだ?」という興味もあったんでしょうね。10人のうち2番目で当選させていただきました。それで地方議会に入っていろいろな先生の名前を聞いたり、政策を拝見したりしました。当時は大平正芳先生の「田園都市構想」に非常に感動しました。「これこそ日本の新しい道のりではないだろうか」と思ったことを鮮明に覚えています。

 そうしていくうちに、自分の政治家としての流れみたいなものが少しずつできてきました。特に三木派の熊谷義雄先生とのご縁は、一言では言い難いものがございました。私も若かったものですから、熊谷先生の街頭応援演説でわんわんやったりしたりしていて、徐々に三木先生の流れに加わっていったのです。父も三木先生が自民党の前の国民協同党にいらっしゃる時代から尊敬しておったようでした。そんな経緯で三木派の次の河本敏夫先生にご指導いただくことになりました。

小沢一郎氏との印象深い出会い

德川 県議から衆議院議員に移られたのが1983年ですね。

大島 はい。ただ、最初は落選したんです。80年のことで、33歳でございました。あの時は自民党の大抗争があって、「これでもう自民党は駄目になるのかな」と思っておりました。そうしたら、熊谷先生がその前の選挙で落選されて、後援会の方たちから「大島君、衆院選に出ろ」と言われましてね。

 ただ中選挙区の時代ですから。八戸では2回県議会に当選して「大島理森」の名前が少しは浸透し始めていましたが、とにかく広い下北半島、それこそ斗南藩から津軽の青森市までが衆院選挙区だったんです。結局、次点で落選。それから3年半浪人をしました。やはり浪人は辛いものですが、同時に人のありがたみもよく分かるものです。多分今日の私があるのは、あの時の経験ですね。浪人中は誰でもそうですが「次は当選できるかできないか」という己の不安と戦いながら、後援会づくりをやらなきゃならない。それで83年に当選させていただいて、本当に何とも言えぬ喜びでございました。3年半、我慢して物心両面にわたって支援してくださった皆さまに対する恩返しができましたし、何より家内が一番ほっとしたと思います。衆議院の選挙は落選をいれて12回やりましたが、やはり最初の当選が一番思い出のある選挙でしたね。

20160607KOU_P03德川 田中派に誘われたのは、83年の選挙ですか。

大島 いえ、最初の80年の選挙の時です。小沢一郎先生が八戸までやって来まして「大島君、君が田中派に来れば、自民党公認もちゃんと出るぞ」とおっしゃったんです。「大変に恐縮ですが、青森にも田中派の竹中修一先生がおられるじゃないですか」と答えると「いや、竹中サンは青森だ。君は八戸だ」と。まさに、これが田中派の強さ、政権というものの実態かと、こちらは聞いて震えるわけですよ。それが小沢先生との最初の出会いでした。

 選挙は個人の戦いですが、政治の実態である権力闘争というのは、こういうことなんだろうなということを勉強させてもらいました。同時に「田中派というのはすごいんだな」とも思いました。地元の先輩たちや現職の議員たちにもご理解いただいて、最初から公認は頂けましたが、今でもあの場面は忘れられません。

派閥の長から学んだ政治家としての姿

德川 衆院選で初当選された時の総理大臣は中曽根康弘さんでしたが、総裁選で敗れたばかりの河本敏夫さんの派閥へ行かれましたね。河本さんはどういう政治家でしたか。

大島 私が衆議院選挙に出るという決意をしたところ、熊谷先生に「河本先生は非常に寡黙ではあるけれど経済では次のリーダーになれる人だから、ご指導を仰ぎなさい」と言われてごあいさつに行きました。それからずっとご指導いただいて河本先生から学んだのは「言い訳をしないということ」それから「言の葉に乗せた時にはそれをやり遂げる」という政治家の姿です。それと、やはり経世済民の信念でした。その後、河本先生が総裁選に立候補されて、私どもも必死に応援しましたが力不足で総理にはなれませんでした。

 竹下内閣から宇野内閣になって、消費税にリクルート事件、宇野総理のスキャンダルなどが続き政権与党の自民党の支持率が低迷しきっていた時に、自民党をどう再生させるか、そしてこれが河本先生の最後のチャンスだと思って、一生懸命、各方面に頭を下げて回っていました。でも、河本先生は「僕はもう総裁選には出ない。海部君を推してくれ」とおっしゃいました。各派閥の事務総長の会合に私が呼び付けられて、「今度、海部先生が総理候補になる。また対抗馬を作って自民党を再生させなくてはならない。君はちょこまかと動くから、ともかく海部先生との連絡とか、そういうことをやりたまえ」と言われました。私は河本先生に総理の芽がなくなったことで涙が出そうになっていたのですが、河本先生は「俺は吉田松陰になる。若い者を育てるんだ」と一言おっしゃったのをよく覚えています。

20160607KOU_P02德川 海部内閣はご覧になっていて、いかがでしたか。

大島 当時の海部内閣は政治改革を断行することを使命として出発したんですが、いきなり日米構造協議、それから湾岸戦争が降って沸いたわけです。海部総理には官邸で1年8カ月仕えましたが、「難しい問題を国民の皆さま方に分かりやすく説明する」という政治家として最も大事な技量をお持ちでした。三木先生の影響もあると思いますが、海部先生はやはり戦中派の最後の世代の政治家なので大変な平和主義者でした。そういう中で一生懸命、真面目に取り組んだと思います。ただ、河本先生のグループは非常に小さく、パワーがちょっと足りなかったことは事実だと思います。

文=德川家広 写真=幸田 森

史上初の戦後生まれの衆議院議長が語る政治家としての本音(前編)――大島理森氏(衆議院議長)×德川家広氏(政治経済評論家)

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