文化・ライフ

世界各国の指導者が相次ぎ功績を称える

 「モハメド・アリは世界を揺るがした。そして、それによって世界は、より良い場所になった」(バラク・オバマ米大統領)

 「リングの上だけでなく、公民権(運動)においてもチャンピオンだった。とても多くの人の模範になっていた」(デービッド・キャメロン英国首相)

 去る6月3日、プロボクシングの元世界ヘビー級王者モハメド・アリが死去した。そのニュースが伝わると世界各国の指導者が相次いで功績を称えた。

 1999年には米国のニュース雑誌『TIME』が「20世紀で最も重要な100人(The Most Important People of the Century)」のリストを発表し、アリも、そのうちのひとりに選ばれている。

 アリの本名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアである。「奴隷の名だ」という理由で本名を捨て、キリスト教徒からイスラム教に改宗したのは、黒人指導者のマルコム・Xとの出会いがきっかけだった。

 60年代は政治の季節である。アリはベトナム戦争に反対し、徴兵を拒否したことで、一躍、フォーク・ヒーロー(民衆の英雄)となる。

 「私がベトナムで人を殺すことを拒否するのは、あの国にわれわれを“黒んぼ”と呼んで差別する人がいないからだ。われわれ黒人が、同じような肌の人たちを、どうして殺せるだろうか」

 徴兵拒否を理由にアリはヘビー級王座を剥奪され、カムバックまでに3年7カ月のブランクを強いられる。

 全盛期でのブランクは“刑期”にも等しい。それでもアリは信念を曲げず、反権力を貫いた。

 だが長いブランクを経てリングに戻ってきたアリに、かつての輝きはなかった。

 全盛期の「蝶のように舞い、蜂のように刺す」軽快なフットワークは影を潜め、格下の相手に手を焼くこともしばしばだった。

 アリが剥奪されたベルトはジョー・フレージャーからジョージ・フォアマンへと渡り、74年10月、アリはザイールのキンシャサでフォアマンに挑戦する権利を得る。

 キンシャサにたどりつく前にアリはフレージャーに敗れ、ケン・ノートンにはアゴの骨を砕かれていた。翻ってフォアマンはフレージャー、ノートンをともに2ラウンドでキャンバスに沈めていた。

 斜陽のアリと日の出の勢いのフォアマン。掛け率こそフォアマンの2・5対1ながら、これにはアリへの同情票が多分に含まれており、関係者の中でアリの勝利を予想する者は、ほとんどいなかった。

 アリの主治医のファーディ・パチェコは、試合後、すぐにアリをリスボンに移送できるよう飛行機の手配をすませていた。ダメージを負った脳への緊急手術に備えたのである。

リングの中でも外でも戦い続けたアリ

 あまりにも有名なこの試合については、多くの説明を必要としないだろう。

 1ラウンドからアリはロープを背負い、フォアマンは止まった標的をサンドバッグのように打ちまくった。アリが音を上げるのは時間の問題のように思われた。

 ところが、である。8ラウンド、ロープを背もたれ代わりにしていたアリは突如として反撃に打って出る。ワンツーでフォアマンの顔面を射抜き、キャンバスに横転させてみせたのである。

 後に私たちは、これが「ロープ・ア・ドープ」という作戦だったことを知る。フォアマンは強過ぎるゆえに、これまで長いラウンドを戦ったことがなかった。

 ガードを高く保ちながらフォアマンの打ち疲れを待ち、チャンスと見るや一気にたたみかける奇襲が功を奏したのである。

 米国を代表するノンフィクション作家のノーマン・メイラーは自著『ザ・ファイト』(生島治郎訳・集英社)で伝説のフィニッシュシーンを、こう描いている。

 〈弾丸の数を計算しておいた籠城中の兵士がここぞとばかりに射撃するのと同様に、とっておきの効果的なパンチだった〉

 メイラーが籠城戦に見立てたこの作戦は、スピードを失ったアリにとって、いわば苦肉の策だった。

 一方的に打たれながらも、決して諦めずに辛抱強く反撃のチャンスを待つ。それは公権力との戦いを通してアリが習得した弱者のスキルだった。

 リングの中でも外でも戦い続けたアリに、民間人に対する最大の栄誉である「大統領自由勲章」が授与されたのは2005年のことだ。

 今後、アリ以上のボクサーが誕生する可能性は大いにあると思う。しかし、アリ以上のフォーク・ヒーローは生まれないのではないか。

 アリにとってのリングは、社会そのものだった。(文中敬称略)

 

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