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山下亀三郎(山下汽船創業者)

「人を使おうと思うなら、自分があまりものを知っていてはいけない」

 山下氏は山下汽船の創業者。山下汽船は1964年に新日本汽船と合併して山下新日本汽船となり、1989年、ジャパンラインと合併してナビックスラインになった。さらに1999年、大阪商船三井と合併して商船三井になっている。

 1867年、愛知県宇和郡河内村(現・宇和島市吉田町)生まれ。旧制南伊予中学に入学したが、16歳で中退して家出。当日は暴風雨が吹き荒れる日で、やむなく知人の家に身を隠していると、そこに母親からの伝言が届いた。「男子がいったん村を逃げて出て、おめおめ村に帰ってくるようなことがあってはならない。大手を振って村の道を歩いて帰れるようになるまで帰ってくるな」。この言葉で踏ん切りがついた山下氏は大阪へ出た。

 その後、明治法律学校(現・明治大学)に入学。22歳で中退してからは、職を転々とする日々を送るが、やがて横浜で石炭商を営むようになる。ちょうど日清戦争による特需が発生した時期で、莫大な利益を得た。それをもとに横浜石炭商会を設立。1903年、石炭輸送のため海運業に進出する。1911年、山下汽船を設立。当初は苦しい経営を強いられるものの、日露戦争による特需で切り抜け、日本郵船、大阪商船に並ぶ海運三大大手と呼ばれるまでになる。

 リーダーは少々頼りないくらいの方が部下が頑張ることが多い。当時の船舶業界は博打的な要素が強かったこともあり、山下氏は「ドロ亀」「ヤマ亀」といった蔑んだあだ名で呼ばれることが多かった。しかし、山下氏はむしろそう呼ばれることを好んだとか。山下氏が優秀なことはキャリアから見て明らか。頼りないリーダーを敢えて演じていたのかもしれない。[提供:経営プロ]

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