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「渡る老後に鬼はなし。いろんなものを持つから鬼になるんです」――橋田壽賀子

橋田壽賀子氏

 テレビドラマの脚本家として数々の話題作、ヒット作を世に送り出してきた橋田壽賀子さんが、終活宣言! 親なし、夫なし、子なし、親戚なし、友もなければ、恋愛もなし。今や仕事もなければ、名誉欲もなし。葬儀もなしにして、後悔なしという、橋田流の世間を渡り切る知恵の集大成とは――。

90歳を前に開始した終活で身の回りのものを処分

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(はしだ・すがこ)1925年韓国ソウル生まれ。大阪府立堺高等女学校から日本女子大学卒業、早稲田大学中退。脚本家。松竹初の女性シナリオライターとして映画の脚本を書き、35歳からテレビの脚本家として活躍する。テレビの歴史とほぼ同じ時間を第一線にいてヒットを飛ばし続ける。「ただいま11人」「時間ですよ」「つくしの子」「たんぽぽ」「渡る世間は鬼ばかり」などのほか、NHK朝の連続テレビ小説「あしたこそ」「おしん」「春よ、来い」、大河ドラマ「おんな太閤記」「いのち」「春日局」など多数。35歳から91歳までの間に書いたテレビドラマは、「テレビドラマデータベース」によると単発219本、連続102本と膨大な数が放送されている。しかも連続ドラマは1年間の長丁場も少なくなかった。世界的にもこれほど多くのドラマ脚本を世に送り出した脚本家は類をみないという。

 90の声を聞いた時にけがをしました。病院の前で目まいがして転んでしまって。貧血だったんです。これはもう身辺整理しないといけないと思って終活を始めました。

 最初に、溜め込んでいたモノの整理です。24歳で松竹に入り脚本部に配属されましたが、本格的にテレビドラマの脚本を書き始めたのは、会社を辞めて独立した35歳から。以来60年近く書いてきたドラマの原稿や放送されたビデオテープが膨大にありました。衣服も随分捨てたし、本はあらかた熱海市の図書館に寄付して、資料として取ってあった新聞の切り抜きはすべて処分。今は自分の本しか残っていません。

 それからいろいろなことを考え始めたら、大事なのは死ぬことだと。年をとるとだんだん食が細くなるし、食べられなくなったら、いつか眠るように亡くなります。老衰は一番いい死に方ですね。がんだとホスピスに行けばいいので大歓迎。でも今、ホスピスはどこも満員なんだそうです。28年前にテレビマンだった夫に先立たれ、子どももいませんし、親戚づきあいもしてきませんでしたから、全くの独り身。認知症になったら周囲に迷惑をかけるし、人様の税金を使うのも嫌。何も分からなくなって、生きる楽しみがなくなった後まで生きていようとは思いません。

 誰にも心配や迷惑をかけることもなく、自分のお金で面倒をみてもらって死ぬ。そうしようとずっと考えていました。ちょうど20歳の時が終戦で思春期は戦争中でしたから、恋愛なんて全然ない。終戦後に皆さん引き揚げで帰ってみえたけど、同年代の男性の多くは戦死しているんです。当時はトラック1杯の女に男1人と言われた時代です。復員して来た男の人は、私より若い女性と結婚しちゃうから、飛ばされてしまったんですね。朝鮮から引き揚げて帰ってきた父は、一緒に復員して来た男の人と私を結婚させようとしたんですが、その方は事故で亡くなってしまいました。その後、父は亡くなるし、お金はないし、食べていくのに必死でした。戦争中は焼け野原で、あちこちに死体がごろごろしているのを見ていたから、死は特別なことではないという気持ちはあります。

 調べてみると、一番楽なのは安楽死だと分かりました。スイスには70万円で安楽死させてくれる団体があります。アメリカのいくつかの州も認められているそうです。日本では尊厳死法案が議論されることはあっても、反対にあってなかなか実現しません。いざという時のために、10年くらい前から日本尊厳死協会に入っているんですが、会費をお支払いしていないので、ダメかも知れません(笑)。

 病気になっても、無駄な延命はしないでくださいと周りの人には言っています。何の治療をしなくても1カ月くらいは生きるでしょう。それでは面倒だし、そんなに生かさないで医師が注射でピュッとやれば死んじゃう。そういうのがあればいいのに、と勝手に思っています。

クルーズで世界中を回り人間ウオッチングを

 夫が亡くなってからは、もう頼る人もいませんでした。今は朝8時から午前中だけ地元・熱海のお手伝いさんに来てもらって、料理や掃除、猫の世話とか、庭の手入れをしてくれる男の人も来ています。私は月水金と熱海のジムに通っているので、車の送迎と、トレーニングしている間に買い物をしてもらうなど、6人体制でやってもらっています。大好きな船旅には、昔からの友達が一緒に行ってくれます。

 今はお手伝いさんくらいしか話す人がいないので、船に乗っていると、いろんな人に出会えて人間ウオッチになっていいですね。主人が亡くなってからは、クルーズで世界中を回ってます。

 5、6年前に北極に行ったら台湾の人が乗っていて、『渡る世間は鬼ばかり』の翻訳本を持っているんです。びっくりしました。一昨年は2度目となる南極にも行きましたが、途中で経由したアフリカではまだ「おしん」を放映しているんです。ガイドの人が、「おしん」を書いている人だと私のことを紹介するものだから、チップを倍あげないといけなくなっちゃいました(笑)。

 船旅で何度かご一緒すると、お宅に遊びに行ってもいいですかとおっしゃる方もいらっしゃいます。でもすべてお断りしています。絶対深入りはしたくない。気を遣うのが嫌。私は人を信用しないんです。深入りしたら相手に期待したくなるし、裏切られたら悲しいでしょう。あるところで線を引いて綺麗な付き合いにしていたほうが、気が楽です。

 今、家にいるときは、BS放送で「はぐれ刑事純情派」とか松本清張のドラマなどをずっと見ています。仕事ばっかりしてきたので、昔のドラマを全く見ていないからです。ドラマの脚本を書いているときは、遊んでいるときでも頭の中にはいつも締め切りがありましたから。でも仕事はもうほとんどお断りしていますし、もういいんです。遺言には「遺産はすべて橋田文化財団に寄付する」とだけ書きました。

 財団は、夫が残してくれた遺産などを元手に設立しました。2億8千万円ほどありましたが、財団を作るには2千万円足りません。石井ふく子さんが「何か書いたら会社から借金してあげる」と言うので、1年の連続ドラマを書きました。それが「渡る世間は鬼ばかり」の始まりです。1年で終わるつもりでスタートしたんですが、女5人姉妹が大きくなって、結婚して……と続いてきたんです。

 財団ができても最初のうちはお金がないので、講演をお引き受けし、1週間に2度くらい地方にも行き、全国を回りました。1年で3千万円くらい儲けましたよ(笑)。講演はいいですね。同じ話をしても、同じように笑っていただけるし。原稿はそうはいきません。

人に知られず、ひっそり死ぬのが理想の姿

20170221HASHIDA_P02 テレビドラマの脚本は、「ありがとう」というセリフでも、俳優さんによって自分の書いたもののイメージが変わっていくのが面白かったですね。中身はないけど締め切りだけは守るっていうのが私の仕事の信条ですから。テレビドラマは、俳優さんやスタッフなどたくさんの人が関わるので、私が締め切りに遅れたら大迷惑。

 主人には「どんなことがあっても、俺の前で脚本を執筆するな」と言われていたので、主人が寝ている時や会社に行ってて留守の間が勝負と思い、必死に書いていました。

 テレビの視聴率は1%でも大変な数の人が見ていることになるし、「おしん」を書いている時は、田舎に行くとおばあさんが私のことをありがとうと言って拝んでくれるんです。感動しましたね。

 ドラマを書くのに苦しいと思ったことはありません。自分の好きなことを書かせてもらったし、自分が秀吉になったり、ねねになったり、この時代にこんなことが言えたら楽しいなと思って書いてるから楽しいんです。のんきな性格なのと、一流になろうと思ったことがないからです。一流はしんどいから大嫌い。学生の時、バレーボール部でしたが、いつも補欠。それでも練習試合で先生にいろんなところに連れて行ってもらえるし、楽でいいから二流人生もいいかなと。

 年を取るとあまり人に会いたいと思わないもので、今日も居留守を使おうと思ったくらいです(笑)。ずっと付けていた日記はやめましたし、ファックスは夜中にガタガタ入ってくるのが嫌で外しました。私の希望は、原節子さんのように、人に知られずひっそりと死にたい。だから死んでも絶対に公表はしないで、葬式もしないでと言ってあります。葬式をしないのは、私が葬式に行くのが嫌いだから。盛大なご葬儀のたびに本当に偲んでいる方はどれくらいいるだろうと思ってしまう。忙しいのに義理で来ていただいてもうれしくないし、もう私に義理を感じることもないんだから、お葬式はいらないと思ってます。(談)

 
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