国際

成熟社会を迎え、子どもの教育、就職、働き方など、さまざまな面において、これまでのやり方が機能しなくなってきた日本。難病を抱えながら息子とともにハワイに移住し、事業家として成功を収めたイゲット千恵子氏が、これからの日本人に必要な、世界で生き抜く知恵と人生を豊かに送る方法について、ハワイのキーパーソンと語りつくす。

クリスティーン久保田氏の半生 裁判に負ける理由を知りたくて弁護士に

久保田7使用

(クリスティーン・くぼた)神奈川県横浜市出身。カトリック系インターナショナルスクール卒業後、シャミナード大学ホノルル校に入学。学生時代からツアーコンダクター、通訳、不動産業、貿易業などさまざまな経験を積み、1988年弁護士資格取得。以降、ハワイのデーモンキー法律事務所で弁護士業務に従事、現在は同ディレクターを務める。米国弁護士協会、米国移民法弁護士協会会員。日本で生まれ育ったバイリンガル弁護士として活躍中。ホノルル日本人商工会議所元会頭・ハワイ日系人連合協会元会長・ハワイ日本文化センター理事長。

イゲット クリスティーンさんの生い立ちから教えていただけますか?

久保田 私は日本で生まれ育ったアメリカ人です。アメリカ人の父が戦後、進駐軍として日本に通訳として行ったときに四国へ疎開していた母と知り合い、私が生まれました。子どものころはアメリカンスクールに通って、外交官やアメリカの大企業の社員の子供たちなど、日本にいながら外国人に囲まれて育ちました。父は日本が大好きで、亡くなるまで日本にいましたね。

イゲット 場所はどちらだったのですか?

久保田 横浜生まれの横浜育ちです。

イゲット そうなんですね!私は藤沢出身なんです。

久保田 よく、藤沢にある公園の馬の遊具に乗りに行きましたよ(笑)。

イゲット 横浜のインターナショナルスクールにはいつまで通っていたんですか?

久保田 6年生まで通って、翌年からはサンモール・インターナショナル・スクールというカトリック系の学校に行きました。学校で日本語を話すと10円罰金みたいな規則がある厳しい学校でした。家に帰ると母とは日本語で喋りますが、父とは英語で会話していました。そういう特殊な環境でしたね。

イゲット ハワイにはどのような経緯で来られたんですか?

久保田 以前は外国で生まれた場合、27歳までに戻ってこないとアメリカ国籍がはく奪されるという法律があったんです。だから、どうせアメリカに行くのなら、父の出身地であるハワイの大学に行こうと。カトリック系私立大学のシャミナード大学ホノルル校に入って、国際関係学とアジア研究を専攻しました。そのころ旅行会社でアルバイトをしていて、ハワイの人たちを日本や韓国、シンガポールなどに連れていくツアーガイドをやっていたんです。当時は日本に行く人があまりいなかったんですが、日本は素晴らしいところだと分かってもらいたくて、多くの人たちを連れていくことが目標でしたね。当