マネジメント

芸人養成所の「よしもとNSC」を立ち上げ、その中でダウンタウンを発掘・育成し、また、衰退していた吉本新喜劇の立て直しに成功して、吉本興業の伝説の広報マンと呼ばれた竹中功氏。その竹中氏が『お金をかけずにモノを売る 広報視点』を上梓した。同書は費用をかけずにPR効果を発揮するためのさまざまな手法が説かれたビジネス書であるとともに、芸能の世界でワンランク下の存在だった「お笑い」という産業が、いかにしてメジャー化していったかのドキュメントでもある。お笑いを一大産業にまで押し上げ、吉本興業を躍進させた陰の立役者である竹中氏に、その時代背景と広報マンとしての活躍ぶりを聞いた。文=吉田浩

竹中PHOTO3

(たけなか・いさお)1959年大阪市生まれ。同志社大学大学院総合政策科学研究科修士修了。81年吉本興業株式会社に入社。宣伝広報室を設立し、『マンスリーよしもと』初代編集長を務める。吉本総合芸能学院(よしもとNSC)の開校、心斎橋筋2丁目劇場、なんばグランド花月などの開場にも携わる。よしもとクリエイティブ・エージェンシー専務取締役、よしもとアドミニストレーション代表取締役などを経て2015年退社。ニューヨーク・ハーレムの生活を経て現在に至る。

竹中功氏が吉本興業で手掛けた仕事と実績は?

漫才ブームの真っただ中で吉本興業に入社

書影『広報視点』

『お金をかけずにモノを売る 広報視点』 著者:竹中功 発行:経済界 定価:1400円+税

―― 大学は同志社でしたよね。卒業後に吉本に入社したのは、お笑いが好きだったからですか?

竹中 特別好きでもなかったんですけど、クリエイティブなことには興味がありましたね。でも僕はクリエイターではないから、タレントを支える側のマネージャーとかプロデューサーの仕事に興味があったんです。東京は恐ろしいから行かんとこうと思ってましたし、関西でエンタテインメントと言えば吉本興業と松竹芸能くらいしかなかったですしね。

―― 入社されたとき、吉本興業は新入社員をたくさん採っていたんですか?

竹中 僕が入ったのが1981年で同期は僕を入れて5人でした。その10年以上前のボウリングブームの時に何十人も大量に採ってたんです。ボウリングブームが終わっても、「ええカッコしい」と言ったら怒られますけど、関西の有名私大の学生をようけ採ってて、そのころの先輩から関関同立出身者があふれてました。

 僕らの4年ぐらい前からは、京大からも採りだして、関西では結構な有名校から人を集めていたんですよ。創業者の吉本せいの弟さんの林弘高さんがアイデアマンで、戦前に世界一周したり日本にプロ野球を作ったりしたんですが、戦後の吉本が演芸でパッとしなかったときにボウリング場をつくったんですよ。

―― では、最初はボウリングが吉本の主力事業だった?

竹中 お笑いが伸びない頃に会社を支えたのはボウリング場ですね。だから昔を知る大阪の人からすると、吉本はタレント事務所というより、映画館や花月劇場やボウリング場を持ってる会社に芸人がくっついてるイメージが大きかったようです。僕が入ったころ、芸人は100人ぐらいしかいなかったですから。

 芸能のほうは、漫才ブームや「花王名人劇場」なんかを東京のテレビ局が全国ネットで放送したあたりで、やっと漫才が全国に広まりました。それで、紳助・竜介や阪神・巨人やいくよ・くるよが出てきて、一気に波が来たのが、ザ・ぼんちの武道館公演ですね。

 それでやっと、戦後の吉本興業の知名度が全国的に広まった。戦前は有名だったんですが、戦争で芸人さんや小屋を全部失ってから、盛り返すまでにすいぶん時間が掛かったんです。

―― 入社した81年は、ちょうど漫才ブームが起きたころですね。

竹中 だから、ちょっとおっちょこちょいですね。漫才ブームで調子ええ会社やからええんちゃう?みたいな(笑)。当時はまだ終身雇用が全盛ですから、10年、20年、30年先を読んで会社を決めなアカンのに、「今オモロイからええんちゃう」程度の気持ちでした。

吉本興業の広報強化策で抜擢、よしもとNSC立ち上げも

吉本興業に入社した竹中氏は、3カ月後にいきなり芸人の情報を発信するニュース媒体『マンスリーよしもと』の編集長を任される。そして、その直後にはお笑い芸人を養成する吉本総合芸能学院(よしもとNSC)を創設するミッションも手掛けることになる。新入社員には荷が重すぎると思われるメチャクチャな人事だが、当時の様子はどうだったのか。

 

竹中PHOTO1―― 入社していきなり『マンスリーよしもと』の編集やNSCの立ち上げといった重要プロジェクトを任されたわけですが、よく会社も思い切りましたね。

竹中 急に会社が膨張したんですね。東京のレギュラー番組を持つタレントが増えて、僕ら裏方も数が足らんようになるじゃないですか。そんな時に、今は亡くなられた中邨秀雄(なかむら・ひでお)という役員が、「そういうときにこそ、客を離さないために広報を強化しよう」と言い出した。漫才ブームで新しい客が増えるまで、寄席小屋は爺さん婆さんなどの団体さんがバスに乗っていくとこやったんですよ。「雨降って行くとこないから花月行こか」みたいな場所でね。

 でも、漫才ブームのおかげで、女性やら子供やら、今までに出会えなかった新しい客が一気に増えた。その新しいマーケットにつながるために大事なのが広報やというのに気付いたのが、中邨さんと僕の直属の上司だった冨井善則(とみい・よしのり)さんという人。思いついたけどやる奴が誰もおれへんし、経験者もおれへん。そこで、「竹中君、頑張ってや」みたいな感じでした。

―― 当時は広報部もなければ、広報的な動きをしている人もいなかった?

竹中 まったくいなかったです。タレントの不祥事があったときに、制作部の課長が謝ってたりしてはりましたけど。当時は野球賭博が流行ってて、吉本興業のタレントがよく疑惑を持たれ引っ張られてましたからね。そういう悪い話に対応するためのプル型の広報と言うか事件対応はやってましたけど、プッシュ型というか、メディアに話題やニュースを売り込んでいく人間は1人もいませんでした。

―― マンスリーよしもとをやるときもNSCを作るときも、出口戦略というか将来的な設計図は持っていたんですか?

竹中 行き当たりばったりですね。漫才ブームが来たのも、会社の中では神風みたいに捉えられていました。後になって考えれば、あのときにあの人にこんな企画出して、ラジオでオモロイのができたのを次はテレビでやって『THE MANZAI』につながったな、とかはあるものの、漫才ブームが来るなんてことは誰も考えてなかった。

 経営戦略とか仕組み自体が吉本興業にはなかったし、会社が5年、10年先にどうなってるかなんて考えてなかった。ただ対応力はある会社なんで、波を作るのではなく波に乗るのが上手かった。それから20年、30年たってから、波を起こす側になりましたけど。

―― 長期ビジョンはなかったとしても、「面白いことをやってるから人に知らせたい」という気持ちは一貫してあったんですよね?

竹中 ありましたね。興行の世界でいうと、切符が売れるか売れへんかいうとこですよね。テレビの仕事は、どちらかといえばお金もらって人を笑かしてくるとこあるんですが、芸人にとって一番手ごたえがあるのは劇場ですよ。そういう意味で言うと、広報の活動いうのは、営業の一部やと思ってました。

 当時の役員はいちいち細かいことまで説明しなかったけれど、「お前がやる作業は新聞の面積の大きい記事を書いてもらうことや」と。それを読んで劇場に人が来て、切符を買ってもらうのが僕らのミッションやったと思ってたんで。

漫才をブランディングした竹中功氏の広報戦略

「金をかけずに新聞や雑誌などのメディアに取り上げられて来い!」との命令を受けた竹中氏は、「関西演劇記者クラブ」の会員記者たち一人一人とコンタクトを取って、勝手に「関西演芸記者クラブ」を立ち上げるという荒業に出た。マンスリーよしもとを当時人気だった『明星』や『平凡』のようなアイドル雑誌と位置づけ、そこで記者たちのネタ元になるような、芸人たちに関するニュースを配信していった。

 

―― インターネットというツールがない中で、情報発信のために新聞記者と懇意にして勝手に記者クラブをつくったエピソードが面白いと思ったんですが、今の時代も、競合と差別化するために、広報とメディアとの人間的なつながりが見直されている部分もあります。

竹中 できる広報マンほど、メディアや同業者とのコミュニティづくりができてますよね。僕らの時はライバルを排除するんじゃなくて、お笑いという業界全体が強くなることが大事やと思ってました。だから、ライバルの松竹芸能や素人演劇みたいなのも邪魔しようとは思いませんでした。地方に行ったらナマでお笑い見たことない人がたくさんいるから、舞台を見る環境を売っていきたい気持ちはありましたね。僕はそのための広報マンやったと思います。

 結果的に、以前からあった演劇記者クラブとほぼメンバーは被るんですけど「大阪の記者が大阪のお笑い知らんでどうすんの?」とか勝手に言って、演芸記者クラブなるものをつくったわけですよ。記者も吉本興業を応援するんじゃなくて、大阪のお笑いを応援しようという視点に立つようになっていった。

 それまでは、記者も口にはしなかったけどお笑いを1つ下に見ていたわけですよ。それが悔しかったし、僕らにすれば、1万円払って森進一さんを見に行くのも良いけど、2千円払って桂三枝(当時)も面白かったわけで、これらをどう並べるかが仕事だった。要するにブランディングですね。

―― 今でも十分通用する手法だと思いますが、それを30年以上前にやっていたのが面白いです。

竹中 そうですね。将来お笑いがどうなるかだれも予想が付かなくて、誰もが笑福亭仁鶴さんや、やすきよさんみたいになれるとは思ってなかった。だからザ・ぼんちさんが売れたのも驚きやったし、さんまさんも最初の頃はウケないモノマネをしてたのにどんどんとネタがスマートになって売れて行くし、紳竜さんは一般ウケしないから「俺らの客だけ笑かすねん」言うて分かりにくい漫才やって劇場の支配人に怒られてるし。誰に関しても、戦略の練りようがなかったです。

―― 横山やすしさんなんかは、今出てきたらコンプライアンス的に放送禁止レベルですよね(笑)。今の時代の方が、計算しやすい部分はあるかと思います。

竹中 今はコンプライアンスのブレーキを踏まされて、面倒な思いをしている人もいると思いますが、その辺のアクセルとブレーキを上手に踏めるタレントが残っていくという人もいます。ただ、時代も変わるし、人も常識も変わるから、とにかく新しいものを追求し続けたらええと思うんです。漫才業界はなくなりませんから。

竹中功氏が説く吉本興業の強みと人材育成

オンリーワンの魅力を打ち出す

竹中PHOTO2―― ネット社会になって、広報のやり方も以前とは変わってきたのでしょうか。

竹中 変わった部分もあるし、変わらない部分もあります。いろいろな声が聞ける一方で、匿名性も高くなったじゃないですか。どこの誰が言うてるのか分からんのに、一万人が良いと言っても一万一人目の人が嫌やと言ったら方針変えなアカンみたいな。見えない人の声に左右されすぎることが多くなって、匿名性が高ければ何言うてもええのかみたいな風潮と、その声を認めないとアカンみたいな風潮が同時にあるから窮屈ですよね。

 デジタルの世界では何でも白と黒に分かれてしまうけど、ホンマは白と黒の間にグラデーションがかかるんですよ。真白は真黒になるし、真黒も真白になる。でも今は、どちらかのボックスに入れな怒られるみたいなね。人を殺した奴と不倫した芸能人が同じに扱われて、一緒くたに「こいつら全員クロ」とやられてしまう。ゼロワンのデジタルの世界の到来とともに、グラデーションがどこかに消えてしまいましたね。

―― 広報マンにとってはやりにくい時代ですね。昔はグレーゾーンと黒のギリギリのところを突いた広告もお笑いもありましたが、今はそういうのは大抵ダメですからね。

竹中 記者から突然電話が掛かってきて、「これホントですか?」と聞かれ、「どこで取材して知ったんですか?」と聞き返すと、「2ちゃんねるに載ってました」とかね。2ちゃんねるの話を俺に確認するのやめてくれと(笑)。

―― 無難なメッセージしか出せない時代において、竹中さんが現役の企業広報ならどんな戦略を打ち出しますか?

竹中 10人おったらオンリーワンが10人おるんですね。違うという部分を主張して、モノづくりや売り方や成長させ方を考えないと、「安い・早い」では中国やベトナムに負けるわけやから。安けりゃええで続けた結果、業界自体が潰れてなくなることもある。それよりは、オンリーワンの値打ちを絞り出して努力する奴が生き残ると思うんですよ。どう面白いかをちゃんと伝えなあかんし、レストランやったら何がどうおいしい、シェフがこんな奴やから美味しいとか、誰誰さんがカロリー計算してくれているからダイエットにはいいとか。僕やったら、個性と魅力を絞り出すようなセールスをすると思いますね。

吉本芸人の基礎体力は劇場と楽屋で培われる

―― 本を読んですごいなと思ったのは、行き当たりばったりと言いながらも、劇場という舞台装置や芸人を育成する学校やメディアに対する仕掛けなど、多方面で抜かりがない部分です。どの要素が欠けても上手くいかなかったと思うんですが。

竹中 確かにそうですね。走りながら気が付いたというか。昔は漫才師は漫才だけやってたら良い時代でしたけど、歌が上手いなら歌えばいいし、絵を描いても構わないし、芥川賞を取る芸人がいてもいいし、タレントの才能を金に換えるのが僕らの仕事。その辺がしっかりしてるのが吉本興業のビジネスの抜かりなさやと思うんですよ。たまたまお笑いができるから吉本興業に集まってきてるけど、彼・彼女らは実はいろんな才能を持ってるんですよ。

―― 芸人さんは、最初は漫才をやりたいとかコントをやりたいといった希望があると思うんですが、思いがけない才能を会社や周囲の人間が見出して引き上げるようなケースも多いのでしょうか。

竹中 最近はマネージャーが忙しすぎて、下手したら1人で200人ぐらいのタレントを見ているケースがありますが、昔はもう少しタレントとのコミュニケーションが密でした。芸人自身が成長に必死だから、周りも刺激されるし僕らも彼らの役に立つ情報を得ようとしてました。ただここは「デジタル」が補ってくれているとも言えます。マネージャーとタレントの情報交換がすばやくできる利点はあります。

 裏方としては芸人が売れるための場や環境を用意したり、個々の芸人の長所を見抜く目が必要で、そこの段取りみたいなところも大事な仕事。たとえば、さんまさんの番組に呼ばれてもイジられてスベったらもう呼んでくれなくなるかもしれないから、まだ早いと判断したりね。

―― マネージャーと芸人とのコミュニケーションが薄くなると、そういう仕事は難しくなるのでは?

竹中 そうですね。だから、みんなが交流できる場を作って人間関係を密にする環境を作ってました。その中心が楽屋というコミュニティなんですね。出番が15分ぐらいの芸人でも、楽屋では出番の合間の3時間ぐらいごろごろしてるわけです。漫才コンビでも個室の楽屋に一緒にいたら息苦しいから通路のロビーにいたりすると、吉本興業の芸人、社員も交じって自然とコミュニケーションが生まれます。劇場があることに加えて、楽屋のコミュニティが吉本芸人の強力な基礎体力や情報源になってるんです。そこでオモロイこと言うてウケるか試してみたりね。吉本の子らは、いい意味で集うのが上手いですね。

 テレビの「オレたちひょうきん族」の収録現場もそんな感じでした。収録がある水曜日の23時くらいに芸人たちがフジテレビに集まってくると、忙しくて普段会えない仲間たちに会えて、みんな嬉しいからテンションが上がる。その勢いでやってたから、ひょうきん族はオモロかったんですよ。吉本芸人のグルーヴが吉本以外の芸人たちにも伝わって、朝までみんなハイテンションで楽しかったんです。

 そして、リアルの交流を徹底的に若手が覚えたのが花月劇場。さんまさんもダウンタウンも、人間関係の感覚は花月で覚えたんやと思います。

―― 人材育成をちゃんとして、芸人が実力をつけるシステムがあるから、一発屋芸人も他の事務所のタレントよりは少ないイメージです。

竹中 花月劇場に出演の場合、出番が5分以上のこともあるから、一発芸だけでは持たないわけですよね。そこで足腰が鍛えられた奴は長い間できるんですけど。例えは悪いかもしれんけど、ラッスンゴレライの子たちなんかはインパクトがあって僕も大好きやったけど、次のネタが出てこなかった。若くして売れてしまったので、もう少し稽古して数を増やさなあかんとは思っていたものの、売れていくというのは魔物ですからね。お金もくれるし。

 でも、上がった者は落ちるのが普通なわけで、さんまさんや松本人志みたいに落ちひん人たちは努力し続けているわけですよ。誰にも譲れない個性と実力があって、笑顔で走り回っとるわけでしょ。落ちないのはそこまでの基礎体力があるから。基礎体力がないまま上がってしまった芸人は辛いですよね。

 でも吉本のいいところは、テレビに出ないからといって「芸人辞めて死んだんかな?」ではなくて、劇場に出られるところ。あとは企業や商業施設なんかの余興やイベント出演も多いんですね。そんな需要が山ほどある。昔は「演芸配給」と呼んでました。映画の配給みたいなもので、それで芸人はなんとか食っていけるんですね。普段寄席小屋に出ない東京の芸人さんは、その辺で苦労されてるんじゃないでしょうかね。

吉本興業の看板、吉本新喜劇をどう立て直したのか

竹中氏が手掛けたもう1つの重要ミッションが、時代の流れに取り残された吉本新喜劇の立て直しだった。「吉本新喜劇やめよッカナ!? キャンペーン」と名付け、役者とスタッフを選びなおすことでベテラン芸人の危機感をあおった。さらに、半年間で18万人の観客動員目標を掲げ、達成できなければ解散という条件も付けた。結果的に新陳代謝が進み、新喜劇は商品価値を取り戻すことに成功。ベテラン芸人も新喜劇以外に新たな活躍の場を見つけるなど、キャンペーンは大成功に終わった。

 

竹中PHOTO4―― 花月の話で面白かったのは吉本新喜劇の立て直しのエピソードです。ベテラン芸人からは相当な反発があったと推測しますが。

竹中 僕らはただ芸人さんたちをやめさすんじゃなくて、次の舞台の仕事を見つけてあげることがマストでしたからね。吉本新喜劇の公演は1週間に一回芝居が変わるんで、一カ月間以上拘束の仕事なんて取れない。でも、新歌舞伎座や明治座とかは大体一カ月公演で、そういう仕事のオファーがあったら積極的に取っていった。

 それでベテランの役者の行くとこが見つかったんで、「やめよッカナ!?」キャンペーンが始まるんですよね。中堅の役者と芝居経験のない若手芸人の融合がはじまったのです。当然芸人の反発もあったはずですが、良かれと思ってやっていることだし、会社も僕らを信じて任せてくれた。昔は、「漫才師は漫才だけやっとれ」みたいな風潮もあったのでしょうが、ふと横を見たら漫才師が歌を歌っているし、よその劇団にジョイントして芝居もしていた頃に、吉本新喜劇の芸人たちは何にもしてへんかったわけですよ。

 チャーリー浜さんの「あ~りませんか」が全国的なギャグになって、浜さんはサントリーのCMに出たり流行語大賞もらったりしましたからね(笑)。以前と違う人と出会ったり、違うことをやりだしたときに自分が光りだして、芸人たちもやっと気付いたんでしょう。内輪の世界で生きていた吉本新喜劇の人たちを、外の世界と交流させることでみんな強くなったと思うんですよ。

―― お金をかけてマス広告を打つ時代が終わり、小規模でも内部のコミュニケーションがしっかりとれる組織が広報力を発揮できる時代になっています。『広報視点』には、今でも通用するエッセンスが満載ですね。

竹中 本の説明するときは「お金をかけずにモノを売る」の「モノを売る」は、実は「価値を創造することやねんで」って言います。想像した価値を伝えるのがたまたま広報で、目指してるのは銭儲けやで、と。本を読んだ方は昭和の昔話としてではなく、「これは今も言えますね」とか「すごいことやってましたね」と、自分事に置き換えて感想を言ってくれることが多いと感じています。

書影『広報視点』

 

『お金をかけずにモノを売る 広報視点』

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