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赤坂祐二・日本航空社長が語る事業戦略「中長距離LCC事業には挑戦する価値がある」

日本航空社長 赤坂祐二氏

この4月に日本航空の社長に就任したのが整備・安全部門一筋の赤坂祐二氏。破綻以降の社長では、大西賢氏が整備、植木義晴氏がパイロットと3代続けての現場出身者となる。就任後、さっそく中長距離LCCへの参入を発表するなど、攻める構えを見せている新体制の舵取りについて、赤坂社長に直撃した。聞き手=古賀寛明 Photo=佐々木 伸

赤坂祐二

あかさか・ゆうじ 1962年、北海道生まれ。東京大学大学院修了後、87年日本航空入社。一貫して整備、安全畑を歩み2014年、執行役員整備本部長、JALエンジニアリング社長に就任。16年には常務執行役員整備本部長。18年4月社長に就任。

日本航空社長に赤坂祐二氏が就任した決め手となったのは?

―― この4月から社長に就任されましたが社長業はいかがですか。また、就任にあたってご自身の経歴が影響したと思いますか。

赤坂 毎日が目まぐるしく過ぎていまして、スケジュールも今まで以上にタイトになりましたから、1日が終わるとヘトヘトになっています。当分はその繰り返しですね。また、経歴については、会長の植木(義晴氏)がバックグラウンドは関係ないと言っていましたが、今、振り返ってみると、社長の打診を受けたときに植木の言葉の中に、「飛行機の運航を止めてでも安全を確保する判断ができるとしたら、俺とお前だ」という言葉がありました。

そういう意味においては整備や安全といった仕事に一貫して携わってきた経験が、植木が考える社長の要素に合致したのではないかと思っています。これまでも安全を最優先に取り組んできました。「少しでも安全に懸念がある飛行機は飛ばすな」、と現場で教えられてきましたし、そう指導もしてきました。そういう意味で整備、安全の経歴が社長就任に関係していると思います。

―― では、社長の打診は植木会長からだったのですね。

赤坂 そうです。何の前触れもなく突然の出来事でした。最初は植木から社長を退任するということを伝えられて、正直、次期社長についても自分のこととは全く思っていなくて相談されているのだとばかり思っていました(笑)。私も誰がいいでしょうかね、などといっておりましたが、だんだん自分のことを指しているのだと気づきまして、まずはいかに断るかということばかり考えていましたね。ですから一度は断ったわけですが、もう一度呼び出された時に、受諾すると決めました。

―― これまでずっと整備・安全畑を歩まれていますが、入社時からですか。

赤坂 当社の採用は業務企画職(いわゆる総合職)の中で事務系と技術系で分かれています。技術系で入社すれば最初は整備部門に配属されます。私も技術系の採用でしたので整備に配属されましたが、その後も一貫して整備、安全に携わってきました。

私は1987年の入社で、就職活動が始まる前の85年に御巣鷹山の事故がありました。学生時代には航空工学を専攻していましたので、いずれは飛行機の設計などを仕事にしたいと考えていたのですが、大きな事故を目の当たりにして、設計というよりも飛行機の運航などの、より現実的な仕事に就きたい、安全を確保する仕事には意味があると強く感じて、その当事者である日本航空に飛び込んでみようと思ったのです。

日本航空の新たな事業計画のポイント

―― 新たな事業計画では、世界500都市への就航や海外販売額を50%に上げていこうとするなど、積極的な海外戦略を掲げています。重点的に攻めたい地域はありますか。

赤坂 一番の成長が見込めるのは、北米とアジアの路線です。現在、北米とアジアを結ぶルートが、人の流れでいうと世界の大動脈になっていまして、今後も成長、拡大が見込まれています。地理的にも日本はその中間に位置していますから、このアドバンテージを生かして、この大動脈の需要を取り込んでいこうと考えています。

―― ここ数年、訪日外国人観光客が増えるなど、追い風が吹いていますが、今後も続くとは限りません。イベントリスクへの対策は。

赤坂 破綻に至った経緯の中で、イベントリスクに対応できなかったという大きな反省があります。ですから再建の道のりの中でも、リスク耐性を確保するのが大きな課題になっていました。特に財務体質をしっかりしたものにして、不測の事態が起こっても耐えられるような蓄えをしていこうというのは、再建プロセスの一番重要なテーマだったと思います。今はある程度の蓄えができていますから、これをキープして今後のリスクイベントに備えていくことを考えています。

併せて、航空運送以外の事業を開拓していこうとしています。航空運送事業だけではボラティリティが高いので、そこに安定的な事業を加えてリスクを減らしていこうとしているのです。ただ、さまざまな失敗をした過去もありますから、慎重にならざるを得ない部分もありますが、航空運送事業を守る意味でも、新事業の分野を伸ばしていきたいと、中期経営計画でもうたっています。まずは航空運送事業や空港事業の周辺から見つけていこうとしています。

―― 変わったところでは農業の事業も始められましたが。

赤坂 私としてはそこまで航空運送事業と無関係とは思っていないのです。航空運送事業を行うということは、騒音問題などを含めて、空港周辺の住民の皆さんの生活に関与していかなければならないわけです。そういった中で、農業用地として活用できる土地を生かして観光施設を造り誘客することで、地域の活性化に貢献しようという狙いがありました。

また、海外で日本の農産物の価値が認められてきていますから、空港近隣であれば、海外にそのまま運べるということも考えています。今回誕生したJAL Agriportでもこれからイチゴ等を栽培していく予定なのですが、イチゴは海外からのニーズがあります。そんなに儲かるものでもないのですが、空港や航空の事業と比較的親和性が高く、参入は必然的だったと思っています。

それからもうひとつ、成田空港のトランジット(乗り換え)のお客さまが多くいらっしゃいますが、空いた時間をどうするかという課題を抱えています。そういった方に空港周辺の体験型の農園があると、喜ばれますよね。海外ではこういった体験型の農園は珍しいようですから期待しています。農業以外にもいくつかの事業に参画していますが、まだまだ小粒な事業ばかりです。ですが、空港の役割も広がっているのでビジネスの種は必ずあります。そういった意味では地方の空港にチャンスがあると思っています。

日本航空が中長距離LCC事業に参入した理由

―― 中長距離LCC事業への参入も発表されました。どうして中長距離だったのでしょうか。

赤坂 大きな理由としては、中長距離LCCのプレーヤーがほとんどいないというところです。これも先ほどのJAL Agriportと同様、さまざまな意味があります。ひとつは、LCCビジネスが成立すると分かったことです。当初はフルサービスの事業とカニバリゼーション(需要の取り合い)を起こす懸念がありましたが、出資しているジェットスタージャパンを分析すると、新しい顧客を生み出していることが分かります。その中で、近距離だけでビジネスが成り立つのかというと、そんなことはなく中長距離でも需要は創出できると考えています。

確かに中長距離LCCのビジネスは、オペレーションも技術もハードルがたくさんあって誰もが参入できるビジネスではありません。ボーイング787型機といった高価な機材を使わなければいけませんし、中長距離になれば時差も増え、物流などのコストも掛かります。さらに機材が大型化することで多くのお客さまにお乗りいただくことも必要です。その時、誰が中長距離LCCをできるのかと考えると、日本ではわれわれかANAさんしかいないと思いましたので、われわれには挑戦する価値があると思ったのです。

今後、4千万人、6千万人のインバウンド客を迎える国の目標があるのですから達成するためにも、中長距離のお客さまにも来ていただかなければなりません。加えて、滑走路の増設が決まり、LCCの受け入れ機能を高める成田空港があるのですから、事業を成功させる確信もあります。これまでの計画にLCC事業はありませんでしたが、ぜひ、挑戦したいと考えたのです。

―― 成田からではなく、地方と海外を直接結ぶ選択肢はなかったのでしょうか。

赤坂 現時点では、成田空港をベースに考えていますが、この事業が発展をしていく中で地方発の国際線、しかも中長距離の可能性もあると考えています。需要のあるところ、需要を創出できるところを考えてやっていきます。ただ、機材繰りなど効率が悪くなりますので、その問題をいかにクリアしていくかがカギでしょうね。かつては札幌や福岡とホノルルを結ぶ路線も運航していました。LCCで成立させるには海外のお客さまだけでなく、日本のお客さまも行く、両方のマーケットがないといけません。

欧州でも、かつてはイタリア、スペインにも運航していましたが、フルサービスの事業では、現状なかなか難しい。でも、新たな事業では成立する可能性があるんです。というのも、フルサービスの機材はビジネスシートがメーンですから、観光需要でメーンとなるエコノミーシートは少ない。それを新事業では、ビジネスシートを絞り、エコノミーのシートをメーンにすれば、新たな路線の可能性も見えてくるのです。

経営トップとしての赤坂祐二社長の仕事観と人生観

赤坂祐二―― トップを務めるにあたり、破綻が仕事観や人生観に影響を与えたと思いますか。

赤坂 破綻の時は、整備ではなく安全推進の統括部門の部長でした。当時、3分の1の社員が会社を去りましたが社員は減っても、オペレーションは変わりません。ですから安全に、無事に1日の運航が終えられるように、ということを必死に考えていたのでとにかく無我夢中でした。そういった意味では、私に大きな影響を与えたのは東日本大震災です。

当時も安全推進本部にいたのですが、被災地の光景を見れば、「破綻とか、再建などといっているレベルではないな、それよりも日本の危機といえる状況で、われわれに何ができるのか」といったことを必死に考えました。それが結果的に視野を広げ、責任や立場の再確認につながっています。

―― 自身のリーダーシップについてはどう考えていますか。

赤坂 オレについて来い、というようなタイプではなく、良いところも悪いところであっても、自分の姿をきちんと見てほしいと思っています。昔のように背中で教えるやり方では通用しませんから、皆に自分の考えていることや行動の真意をきちっと言葉で伝えなければなりません。その上で、さらに行動で示し、その行動の理由も説明する。そして、相手の意向も聞いて、初めて伝わります。これまでも、こうした努力をしてきましたが、今後もこれを意識して実践していきたいと考えています。もちろん時間も手間もかかるやり方ですが、やり続けなければならないと考えています。

―― オンとオフの切り替えは。

赤坂 日曜日くらいは休むようにしていますが、まずは睡眠時間をしっかりとろうと。それからスポーツ観戦が好きなので、さまざまな競技を見ています。ウインタースポーツもよく見ますから1年中見ていますね。ドラマですと、知らぬ間に自分の立場に置き換えたりしてしまいますがスポーツは無心で見られますから、そこが魅力でしょうね。

―― 北海道の出身ですから、ウィンタースポーツもされますか。

赤坂 そうですね、スキーもスケートも一通りできますからね。自分でやっていたのはスキーの中でもジャンプ競技です。皆さんが思っているよりは怖くない競技なんですよ。子どもの頃は山に行ってジャンプするのが遊びでしたからね。気持ち良いですよ。ぜひ、一度どうですか(笑)。

―― ご遠慮申し上げます(笑)。

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