政治・経済

がん治療の医薬品開発が活発化している。日本では肺がんに顕著な効果があるオプジーボの記憶が新しいが、それ以降も、次々と新薬が開発されている。とはいえその大半は外国製薬企業。医薬品開発競争における日本の製薬企業の存在感は非常に小さい。文=ジャーナリスト/大谷洋司

 

進歩するがん治療と後塵を拝する日本の製薬会社

 

工業生産に近い形の治療法確立が進む

 この20年、日進月歩の医療の世界でも、間違いなく劇的な技術的進化を遂げたのが、がん治療だ。

 最近では、ヒトがもともと持っている免疫システムを、バイオ医薬品の投与で活性化させるがん免疫療法に続き、がんの撃退に必要な遺伝子を導入する細胞療法が医薬品当局の承認を得て実用化された。

 日本でも2019年2月末に、スイス系大手のノバルティスファーマが、世界初のキメラ抗原受容体T細胞(CAR-T)療法「キムリア」の承認を得る見通しとなり、間もなく患者に届けられることになる。

 リンパ球の一種であるT細胞を患者から取り出し、これにベクター(運び屋)と呼ばれるウイルスを使って、がん細胞への攻撃を促す遺伝子を人工的に注入・培養、再び患者の体内に戻すという画期的な治療法だ。

 通常の医薬品と違ってオーダーメイドに近い工程を必要とすることもあり、2017年にB細胞リンパ腫などの血液がんの治療薬として米国で発売されたキムリアは、治療費が5千万円にも及ぶ超高額療法だ。

 一方で、1回の治療で再発を繰り返すことなく済むのであれば、総治療費はむしろ安くなる可能性も指摘されており、固形がんへの有用性やiPS細胞などを使った、より工業生産に近いかたちでの治療法確立の研究が進む細胞療法は、その経済性の評価も含めて最先端のがん治療だ。

抗がん剤の問題を克服する分子標的薬の登場

 従来の抗がん剤を使ったがん治療は、毒性の強い化学物質を注射や点滴で投与し、細胞の異常増殖を抑える化学療法が中心だった。

 だが、こうした治療は正常な組織細胞まで傷つけてしまう「焦土作戦」のようなやり方だ。脱毛や強い吐き気など、辛い副作用が付いて回り、患者の体力や生活の質を損なう一方で、効果としても、がんの増悪抑制や余命延長はあまり期待できなかった。

 そうした状況が、00年頃を境に一変する。がん細胞の増殖などに関与する特定の遺伝子変異を持つ患者向けに、分子標的薬と呼ばれる化学合成医薬品やバイオ医薬品が続々と製品化されたからだ。

 分子標的薬によって、いくつかのがんでは治療成績が飛躍的に向上した。例えば、血液がんの一種である慢性骨髄性白血病。日本では05年に発売となった「グリベック」が登場して以降、改良型の新薬が開発されたこともあり、化学療法では延命が望めなかったこのがんは、生存率の高い、薬でコントロール可能な疾患に変わった。

学術的発見を商品化できない日本メーカー

 では、こうしたがん治療の革命的な進歩に、日本の製薬企業が大きな足跡を残してきたかというと、残念ながら答えはノーだ。もちろん、大学などの基礎研究分野での貢献は、日本の医学界も世界的な存在感を発揮している。

 問題は、ことがんの分野では、日本の医薬品メーカーがこうした学術的発見を企業レベルの創薬活動に取り入れ、実用化につなげるといった事業レベルで目立った成果を上げられなかった点だ。昨年、ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑特別教授が喝破している。

 本庶氏が発見し機能を解明した「PD-1」と呼ばれる分子の働きを応用した医薬品が小野薬品によって開発され、これまでになかったタイプのバイオ医薬品「オプジーボ」として日の目を見たのが14年のこと。体内でがん細胞が巧みに正常細胞を偽装しているのを、この薬を投与することで暴き、免疫システムに異常細胞として攻撃させるという画期的なコンセプトだ。

 しかし、PD-1に基づいた医薬品の実用化は、大手内資メーカーには相手にされず、紆余曲折を経て小野薬品が製品化の果実を手にした経緯がある。

 要は、せっかく日本で見つかった新薬のアイデアがあるのに、日本の製薬企業は「目利き」が甘い、というのが本庶氏の批判だ。

 

がん治療薬における日本の製薬会社の取り組みと現在地

 

鮮明になった抗がん剤開発シフト

 とはいえ日本の製薬企業も、欧米メジャーが席巻するようになった抗がん剤市場の事業機会を、指をくわえて眺めているわけではない。00年代以降、大型合併に踏み切った大手企業を中心に、抗がん剤への開発シフトが鮮明になっているのだ。

 現状、国内の売上高ランキングで上位に立つ日本の製薬企業は、感染症に強い塩野義製薬や眼科に特化している参天製薬などを除き、大手の多くが、分子標的薬と呼ばれる遺伝子変異に着目した新しいタイプの抗がん剤の製品化や抗体医薬への参入を目標に掲げている。代表的なメーカーが、第一三共だ。

 25年までに「がんに強みを持つ先進的グローバル創薬企業をめざす」と公約している同社が、今後の浮沈を賭けて大型投資を続けている製品候補が、「DS-8201」。

 これはバイオ医薬品の主流である抗体医薬のなかでも、HER2遺伝子変異という乳がんなどの特定のがんをターゲットとしてベストセラーになった「トラスツズマブ」(一般名)に、殺細胞性の化学療法剤を独自開発の技術で結合させて病巣に運ぶようデザインされた、「抗体薬物複合体」(ADC)と呼ばれる新薬だ。

 化学療法剤は正常細胞も傷つけてしまうもろ刃の剣だが、これを狙った分子に定着する性質がある抗体医薬にうまく繋ぐことで、病巣だけに届けることを狙った、いわば「ピンポイント爆撃」の抗がん剤だ。

 ADCは、トラスツズマブを製品名「ハーセプチン」として販売してきたロシュ(スイス)とその傘下の中外製薬も、同剤に別の抗がん剤を搭載したADC「カドサイラ」を既に実用化しているものの、DS-8201の臨床試験では、遺伝子検査でHER2変異陽性と判定された乳がん患者のみならず、HER2陰性の患者にも効くことが示唆されている。

 これは、乳がんのなかでもとくに予後の悪い、ホルモン療法やハーセプチンが効かない患者にも有用な薬剤となる可能性を示している。

 旧三共と第一製薬の合併後、脳卒中患者向けの抗血液凝固剤など、これまで得意としてきた患者数の多い循環器用剤などの開発でつまずき、苦境に陥っていた第一三共だが、証券市場もDS-8201のポテンシャルは高く買っている。

 臨床試験や生産体制の準備が順調に進めば、今年前半にも世界最大の医薬品市場である米国で承認申請に至る可能性があることから、投資家も熱い視線送っている。乳がん治療薬として認可が得られれば、ハーセプチンが適応症を持つ胃がんなど、ほかのがん種での製品化も期待される。

 第一三共は、ADCや分子標的薬にとどまらず、細胞療法の開発にも乗り出している。とくに注目されるのが、前述したキムリアのライバル製品と目されているCAR-T療法「イエスカルタ」だ。

 これは同社のオリジナルではなく、17年に米カイトファーマ(同年に米ギリアド・サイエンシズが買収)から日本での開発といったライセンス許諾を得た導入品だが、米国では既に製品化されていることもあり、その成功確度も高い。

 歴史的に、第一三共とは常にライバル関係にあると見なされてきたアステラス製薬も、旧山之内製薬と藤沢薬品との合併後、バイオ医薬品の創薬に必要な技術を、小規模なベンチャー企業のM&Aを繰り返すことで積み上げてきた。

 ADCも、合併後すぐに買収した米国のバイオ薬品ベンチャーの技術などをもとに開発を進めてきたほか、最近ではがん免疫療法の技術を持つ米国ベンチャーを傘下に収め、臨床試験を始めている。

キープレーヤーへの道ははるかに遠い

 第一三共やアステラスに限らず、1990年代に勃興したバイオ医薬品ブームに乗り遅れた日本の製薬企業は、がん免疫療法剤やCAR-T細胞療法といった最新の治療法開発や製造に必要なさまざまな技術を、主に創薬ベンチャー買収を通じて補っているというのが実情に近い。

 例外は2002年にスイスのロシュと戦略的提携に踏み切り、その傘下に入った中外製薬と、旧協和発酵、キリンホールディングス子会社のキリンファーマが08年に合併して誕生した協和発酵キリンだが、この2社を除き、バイオ医薬品の開発と製造に地道な投資を続けてきた日本の大手企業は皆無だった。

 アイルランドのシャイアーを7兆円で買収し、今年から世界で十指に入るメガファーマに生まれ変わる武田薬品も、出遅れたバイオ医薬品の分野に橋頭保を築いたのは、08年に米ミレニアム・ファーマシューティカルズを買収してからだ。要するに、ほとんどの日本の製薬企業は、バイオ医薬品事業に本格的に取り組んでから、まだ10年程度の経験しかないのだ。

 現状、がん分野に限らずバイオ医薬品を持たない日本の製薬大手は、外資系企業から日本の権利をライセンス・インして国内で販売するしか道はない。

 遺伝子変異に着目した分子標的薬や、抗体医薬によるがん免疫療法は、世界の医薬品市場で最も成長性の高い分野だ。

 しかし、日本発で売上高10億ドルを超える大型新薬はオプジーボなどごくわずかしかなく、残りはロシュをはじめとする欧米メガファーマの製品が席巻している。バイオ医薬品の波に乗り遅れた日本の大手製薬企業が、この成長市場でキープレーヤーとなるのは、簡単な道のりではない。

 

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