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戦国武将に学ぶリーダーシップ―信長、秀吉と家康の違いとは

國學院大學名誉教授 二木謙一氏

戦国武将といえば絶対的な権力で、配下の武将や兵に対して神のように振る舞っていたイメージがあるのではないだろうか。ところが、『戦国武将に学ぶ究極のマネジメント』(中央公論新社)を読むと、意外にも現代社会と同様に部下への扱いに苦労していた戦国武将の姿が浮かんでくる。この本の著者であり、自身も中高一貫の学校経営を行ってきた二木謙一氏に、現代のリーダーが参考にすべき戦国武将の振る舞いを聞いた。文=古賀寛明 Photo=山内信也

取材協力者プロフィール

二木謙一

二木謙一(ふたき・けんいち)國學院大學名誉教授/豊島岡女子学園学園長。1940年、東京都生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。専門は有職故実・日本中世史。國學院大學教授・文学部長、豊島岡女子学園中学高等学校校長・理事長を歴任し現職。NHK大河ドラマの風俗・時代考証は14作品におよび、著書も多数ある。

信長、秀吉、家康のリーダーシップの違い

リーダーに必要な部下を見抜く力

平成の30年間を振り返りますと、バブル崩壊にはじまり、日本では時代の動きがほとんどない状態でした。

その一方、戦国時代の特に織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が活躍した時代はご存じのように激動の時代。戦国乱世から天下平定、江戸幕府の開府など、今に続く日本の近世へとつながったのです。しかもその間わずか35年ほど。平成の時代と変わらぬ短い期間でした。

初期のリーダーである信長は、例えるならベンチャー企業や急激に伸びる企業の経営者。先頭に立って常人には及ばぬ斬新な発想で引っ張りました。

しかし、その行動は思い付きではなく合理性を追求したひらめきによるもの。そして、兵農分離や鉄砲や長い槍などの新たな武器で勢力を伸ばしていきました。行動も迅速果敢で、周囲が反対しても実行します。

もちろん失敗もありますが、信長のすごさは2度失敗しないこと。例えば、三方ヶ原で敗れた武田軍に対し、長篠の戦いでは鉄砲で圧倒しましたし、本願寺戦争でも一度は毛利水軍に敗れたものの、鉄張りの軍船を建造し敵を殲滅しました。一方で、人使いの面では絶対的でした。

次に出てくる秀吉は信長のようなひらめきこそありませんが、信長がつくってきたものを発展させていく才がありました。しかも殺伐とした乱世に、冗談を飛ばすユーモアのセンスはリーダーの資質としては大事なものです。

明るさ、あたたかさもあり、おまけに気前も良かった。しかし、領地を与えるには没収される人もいたことから恨みもかっていたでしょう。

その後、出てきた家康は「織田がつき羽柴がこねし天下餅、寝ているままで喰うが徳川」などという狂歌がありますが、寝ていたわけではなく、秀吉がこねた天下餅を、鏡餅にしたといっていいほどです。

しかも家康が関ケ原の戦いに勝ったのが59歳で、62歳で幕府を開き、2年後には大御所になっています。亡くなったのは75歳。人生50年の時代ですから、今で言えば90歳くらい、後期高齢者のリーダーでした。

家康のすごさはどこにあったのか

家康のすごさは、天下を平定し禄高も増えない時代に、下の者の気持ちを考えながら政治を行っていた点です。その裏には人生の半分以上を信長や家康に使われる身だったことが関係しています。そのため、よく部下を見ていました。本多豊後守が伝え聞いた話によると、「人を使うには、それぞれの長所を生かし、他に悪いところがあっても、仕方がないと思って見逃すべきである」とあります。

その結果、奉行を選ぶ場合でも、それぞれ違う能力を持った3人を同時に任命するなどしています。また、人事を扱う際にも、「親しく近づいてくる者からばかり人材を選ばずに、出入りをしない者の中にもいる逸材を見逃さないように」とも言っています。

部下の観察は家康だけでなく、前田利家や黒田官兵衛の言葉にも残っています。利家は当主としての心得として、「あの者は律義者だ」とか、「あいつは裏切るかもしれない」など、家臣の人物評価を細かく書き記しています。そうしたことが部下への心遣いになり、不正を防ぐことにもつながったのです。

戦国武将から学べる知恵とは

幹部には厳しく一般社員には優しく

私自身も戦国武将からいろいろと学びました。國學院大學時代は51歳の時に文学部長になりました。70歳が定年でしたから周りは先輩ばかり。しかも大学教授は自信家で発言好きの理論家が多く、専門分野も違います。

当時、文学部は8つの学科課程があり、学部教授会だけで138人いましたから、運営には苦労しましたが、吉川や小早川、熊谷といった小領主を束ねた毛利元就の「国人領主連合」をまねて「学科代表者会議」を設け、その会議で決まったことは絶対に従うやり方にしました。もちろん、そんなことは言いませんでしたけどね(笑)。

その後、2003年に急きょ私立豊島岡女子学園の校長になりました。中高の教員の経験も無かったので戸惑いもありました。当時の組織は校長、教頭、教務主任の下に中高6人の学年主任がおり、学年主任はベテラン教員に固定されていたので、他の教員にとっては職場の公平感がありませんでした。

これはまずいと、教員のモチベーションを高め、士気を上げるために組織改革を行いました。主任の数を3倍に増やして若手も抜擢していくと同時に、私が幹部に課題を与えて新たな取り組みをスタートさせたのです。その結果、組織は動き始め、学校の充実につながりました。

その時、一般の教員に対しては学校の未来やビジョンを語り、優しく接しましたが、幹部には厳しかったと思います。でも仕方がありません。組織が成長するにはそうするしかないのです。信長もそうです。幹部の失敗には厳しく接しましたが一般の兵には優しかったのです。

現代に求められるリーダーは家康型

教員のモチベーションが上がった結果、東大の進学率も躍進しました。生徒を伸ばすためには教員が伸びることが重要です。そのためにはやりがいのある仕事を与え、努力が報いられるような配慮も大事で、年功序列はもちろんダメ。士気を高めることの重要性を含め、信長、秀吉、家康をはじめとした戦国武将に学んだ知恵が私の支えとなりました。

今の時代に求められるリーダーは強烈な個性で引っ張る信長や秀吉よりも、人使いと組織運営に巧みな家康型でしょう。でもなかなか難しい。

それは下の立場が強くなったということもあり、対人関係も大変です。厳しくするとすぐパワハラになり、トップになれば私生活や人間性まで問われます。

でも、戦国武将も部下で苦労したのです。家康は70歳になっても剣術や射撃、馬術の稽古を欠かさず、健康維持に心掛け、生涯現役を貫いたのです。

今はリーダー受難の時代かもしれませんが、多くのヒントが詰まった歴史を参考にしてほしいですね。(談)

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