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中村邦晴・住友商事会長「正々堂々と向き合えば、仕事は人を幸せにする」 

中村邦晴氏

昨年、社長の座を退き、会長に就任した中村邦晴氏。昨年5月より日本貿易会会長を務めており、今年6月からは経団連の副会長にも就任する。社長時代は、2014年度の巨額赤字から17年度の過去最高益へと導くなど激動の6年間であった。その社長時代に貫いたものとはどんなものだったのか、人材育成の話を含めて話を聞いた。聞き手=古賀寛明 Photo=山内信也

中村邦晴・住友商事会長プロフィール

中村邦晴・住友商事会長

なかむら・くにはる 1950年、大阪府生まれ。大阪大学経済学部を卒業後、住友商事に入社。主に自動車畑を経て、2005年執行役員経営企画部長、その後、専務執行役員、代表取締役副社長を経て、12年、社長に就任。18年4月から会長。

中村邦晴氏の社長時代と商社の役割の変化

社長時代に貫いた「自利利他公私一如」

―― 会長になられて1年ですが、日本貿易会会長に加えこの6月からは経団連の副会長にも就任予定です。社長時代より忙しくなったのでは。

中村 日本貿易会の仕事などもあり、国内外ともに出張が増えたなというのが実感ですね。昨年の秋から年末にかけては社長時代より忙しかった面もあったと思いますね。今年に入って一息ついたところ、社外取締役や経団連の副会長を仰せつかりました。少しでもお役に立てればと思っており、新たな役割に全力を注いでいきたいと思います。

―― 社長時代を振り返ってみて、貫いたことはどんなことでしたか。

中村 2012年の社長就任時に、どういうふうに会社を運営していこうか、何を自分の軸にしていくかと考えました。

住友には400年の歴史があります。会社の寿命は30年といわれる中で、どうして400年間も続いてきたのかと、歴史をひも解いていきました。

すると、私の中でまさにこれだという言葉に出合ったのです。それが「自利利他公私一如」という言葉で、自分の利益だけでなく、相手の利益、国の利益、社会のためになるような仕事をしよう、と言う意味です。住友にはそういう教えがあり、私も会社とはまさにそうあるべきだと思いました。

そういった意味で会社はサステナブルでなくてはならない。そのためにも利益が必要で成長し続けなければならないと思いました。住友商事も今年100周年を迎えるのですが、次の100年につないでいくためにも、この精神を大事にしてきました。

―― そのために何をしましたか。

中村 企業を継続する上で、なすべき優先事項は何かと自問し、得た結論は、住友商事グループにとってのカギであり、中核となる「人材」でした。具体的に言えば、足下のビジネスのみならず、20年先、30年先の世の中の変化を見据えてビジネスの変革を実現でき、時代の変化にも対応できる人材の育成です。

世の中の流れを見極められる人材の必要性

―― 変化を見極められ、そこにビジネスを組み込める人材が必要になってきたということですね。

中村 私が入社した当時は商社の仕事はトレードが主体で、主に日本のメーカーがつくった製品の輸出や海外の原料を輸入するといったものでした。ですから、トレードを広げるために世界中に出掛けて行って情報を集めることが仕事だったのですが、インターネットの普及で誰でも、どこでも、いつでも必要な情報を得られるようになりました。

すると、商社が集めた情報は、もはや付加価値の高い情報ではなくなり、誰にでも入手可能なただのインフォメーションになってしまいました。そこで、自分たちのバリューをいかに生むかが大事になってきます。それで、モノを動かすだけではなく、自分たちで事業を行い、上流または下流にビジネスを広げていくようになってきたのです。資源ビジネスでしたら、原材料や製品の輸出入、自ら投資をし、鉱物資源の確保や、安定した価格での供給に力を入れるようになりました。

要求される人材も事業会社を経営できる人材へと変わったのです。現在、当社だけでも約900社の事業会社があり、多くの社員が経営に携わっています。

ただ、これから先を考えると、日本人にこだわってはいけません。ビジネスの舞台は世界ですから、その土地の文化や歴史を良く理解している人間の方が良いはずです。現地の人をもっと登用すれば、ダイバーシティも進みます。

これまでは日本人、住友商事の人間をどう育て、どう派遣していくかだったものが、これからはどうやって世界中の人を取り込んでいき、生かしていくのか、そういう時代になってきています。ビジネスモデルの変化も、世界の経済環境が変わったことが要因です。

この潮流の大きな変化を見誤っては人材育成もうまくいきません。育成がうまくいかないと事業計画も狂っていきます。だからこそ、世の中の流れを見極める人材が必要なのです。

組織が変化できるかは経営者がカギを握る

―― 求められる能力も変わってきていますね。

中村 かつては、貿易や法律に関する実務知識が重視されました。でも、今は経営計画が立てられる、事業を任せられる経営者が求められます。

実際、IoTやAI、それにそれを活用する産業も含め、予測もつかないスピードで進化しています。だからこそ、少なくともこうなっていくのではないか、こういった変化が起こっていくといった仮説を立てて仕事を進めるようになりました。

そのために、スタートアップとの提携も活発になってきていますし、時代の流れの一歩先を行けるように、最新の技術やビジネスモデルを取り入れています。時代を先取りする「進取の精神」もまた住友の事業精神の一つです。

―― 例えば、どのような変化が起こっていますか。

中村 自動車の分野では、「自動車」という言葉から「モビリティ」という言葉に変わってきていますよね。事業もモビリティ、自動運転、EV、シェアリングなどに変わっています。そして、同分野の主役は自動車会社だけではなく、グーグルなど、従来の自動車産業とは全く異なる分野から参入しています。

今は、かつてのような自動車業界といった言葉で括れる壁のようなものもなくなってきましたね。そして、これは自動車業界だけでなく、どの業界にも言えることです。業界の垣根を超えたさまざまな取り組みから、新しいビジネスモデルが生み出されています。

携帯電話を振り返ってみても、スマートフォンの普及が本格化してからわずか10年でここまで進化したのですから当然かもしれません。逆に、こうした変化を俯瞰できる人材であれば、壁を超えて新たな事業を創出していくことも可能ですから、そうした発想、感覚を持った人が必要になってきていますね。

―― とはいえ、そういった人材は育てられるものですか。

中村 そうした人をどういう風に育てていけばよいのかと考えると、われわれの時代のように、自動車分野に配属されたらずっとその分野にいるといった人事、ビジネスをやっていては新しいものは見えてきません。だからこそ、さまざまな経験をさせることが必要です。

私が社長の時に10年間に3つの仕事をさせて、多様な仕事、業界を知ってから専門性を高めてもらおうと決めました。ところが、今はもっと違う部分の変化が必要だと考えています。

それは、入社後最初の10年間で学ぶ若い社員のスピードアップもそうですが、上の世代、部長以上の発想や認識を変えねばと考えているのです。というのも、変化を読んで、先の手を打とうとしても、上の人がそのことを理解していなければ意味がないからです。

「そんなことより、今の仕事をしっかりやれ」と、部長が言ってしまえば将来の芽は潰されてしまう。だからこそ、組織の長が変わらなければいけません。

今後は新たな意見をきちんと受け止め、吸い上げるといったコミュニケーション能力に加え判断能力や、上下、斜めの人たちとの情報を交換し共有する姿勢がより必要になると思っています。

そして、もうひとつがスタートアップ企業と連携すると申しましたが、社内でも、新たな事業アイデアの実現を会社として後押しする「0→1(ゼロワン)チャレンジ」といった新たな取り組みを始めました。

これはメンバーに社外の人が加わってもよく、全世界から募集したところ、300件以上の申し込みがありました。その中から8つの案に絞り、先日、社内のカフェテリアで、公開プレゼンをしてもらいました。最終的に3案が選ばれ、まずは事業化に向けてプランを練り上げているところです。

中村邦晴住友商事会長

「上の世代の発想を変えなければダメ」と語る中村会長

中村邦晴氏の仕事観に影響を与えた2つの経験

良い仕事には「夢」が必要

―― 新規の取り組みには会社の利益だけでなく社会の利益といった部分も見ているのですか。

中村 15年に国連で定められたSDGsなども参照して、当社は6つのマテリアリティ(地球環境との共生/地域と産業の発展への貢献/快適で心躍る暮らしの基盤づくり/多様なアクセスの構築/人材育成とダイバーシティの推進/ガバナンスの充実)を定めています。

新しい事業の申請書には6つのマテリアリティのうちのどれかに合致しなければ認められません。既存のビジネスは概ねどれかに合致するのですが、新たに始めようとするビジネスについては、世の中への貢献をあえて再認識してほしいのです。

そこで、社長時代に事業起案の申請書のフォーマットを変えたのです。社会の中でビジネスをするのですから、社会が成長しなければわれわれの成長もありません。良いところだけ取ろうとしても長くは続きません。

だから社会とともに成長していく仕事でなければいけませんし、社会に認められる会社にならなければいけないのです。

―― では、社会に認められる企業であるために大事なことは。

中村 社会に認められるために立派な会社にしたいという思いがあります。では立派な会社とは何かと考えると、サステナブルな会社でなければいけません。

ですから、利益も大事ですが、やはり社会に貢献できる会社であり、社会から必要とされる会社、社会から尊敬される会社であり続けること、それが私の中の立派な会社の定義です。そのためには人も立派でなければならないと思うのです。それが、働く人の夢だと思うんですね。そこには、私の2つの経験があります。

かつてイタリアのフィアット車の販売代理店事業を行い、随分苦労しました。会社の成長を考えると、フィアットだけでなく、グループのアルファロメオやランチアも一緒に販売した方がよいということになり、イタリアのトリノの本社にも説明に行きました。

ところが、その案は採用されましたが、フィアット自らが日本に進出してくることになり、当社はこの事業から撤退し、会社は清算することになったのです。1991年の10月のことです。

40人以上いたプロパー社員を当社の関係会社にいろいろと頼みこんで、全員の再就職先を決めてから、私は次の赴任地のプエルトリコへ行ったのです。すると半年、1年後に一時帰国するたびに、ポツポツと会社を辞めているんです。せっかく斡旋したのにと思い、「なんで辞めたんだ」と理由を聞くと、皆「やっぱり輸入車好きなんです」と言うのです。

思い返せば大変なときも文句ひとつ言わずみんなでやっていたのは、やはり好きだからで、好きでないと仕事は続けられないな、人間は夢がないと良い仕事はできないのだなと感じさせる出来事だったのです。私は食い扶持を与えたかもしれませんが、良い仕事は夢がなければできないということに気づかされましたね。

仕事には正々堂々と向き合う

―― もうひとつは何ですか。

中村 その後プエルトリコに5年間駐在したのですが、赴任した時は為替が134円だったものが、その後79円まで強くなったことでコストがものすごく上がっていったんです。それでも、ディーラーの親父さんたちと飲んだりしながら、地道に仕事を続けました。

そして、5年の任期を終えて社長交代のパーティを行った時に、従業員のみならず、地元のディーラーや銀行、保険会社の人たちから口々に「ナカムラと仕事ができてハッピーだった」と言われたんです。

その時、えっと思ったんです。シビアなやり取りもしましたし、すごく儲けさせたわけでもありません。お互い苦労してやっただけです。でも仕事というのは、正々堂々と向き合えばその先にお互いをハッピーにさせるものなのか、仕事を通してハッピーになれるのかということに気づきました。この2つの出来事が、僕にとって仕事をやっていく上での原点になったのです。

―― やはり経験が大きいですか。

中村 そうですね。耳学問だけじゃダメです。自分で経験してそこから自分で気づくものだと思います。

気づけば、住友の事業精神といった言葉が浸み込んでくるのです。こうした住友の歴史を中心に学んできたことを次の世代に役立てる時間をもちたいとは思いますが、当分は難しいでしょうね(笑)。

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