マネジメント

「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」という考えのYKKグループの企業精神「善の巡環」は、創業者である吉田忠雄氏が唱え、今も72の国や地域で展開するグループを貫く経営哲学だ。文=古賀寛明 Photo=山内信也 (『経済界』2019年8月号より転載

 

取材協力者プロフィール

吉田忠裕氏

吉田忠裕(よしだ・ただひろ)YKK取締役。1947年富山県生まれ。69年慶應義塾大学法学部卒業。72年ノースウエスタン大学経営大学院(ケロッグ)修了、YKK(旧吉田工業)入社。90年YKKAP社長、93年YKK社長。11年、YKK/YKKAP会長CEO就任。18年から取締役。

「善の循環」の高邁な理想を支える創意工夫と挑戦

 

「善の巡環」を支える4つの基本原則

 YKKグループは、善の巡環を日本経済が世界を席巻したバブルの時代であっても、リーマンショックで世界経済が冷え込んだ時にも、迷うことなく貫いた。SDGsにも親和性があるこの精神をどのように事業に結び付けているのか。かつて慶應義塾大学の小野桂之介名誉教授が、創業者の価値観が色濃く出ている4つの基本原則を軸に、そのメカニズムについて分析している。

 先生の分析によれば、起点となるのが基本原則のひとつ「貯蓄」。忠雄氏は人間が他の動物と異なるのは、明日のことを考えて貯蓄できることにあると考えており、社内預金制度を設け社員に貯蓄を勧めるほか、従業員持株制度をつくり、社内預金の一部を社員の株式保有という形で資本として会社に蓄積してきた。

 それが2番目の基本原則「本来株主は社員であるべきだ」という考え方につながっていく。社員が株主ということで自らの働きは配当として還元され、経営者にとっても株式に形を変えた資金を積極的な設備投資にまわせる。それが最新式の設備に変わり、さらなる製品品質の向上につながり、合理的で無駄のない生産方式はコストも下げられる。

 そのために欠かさないのが3つ目の基本原則「知恵と努力」である。知恵と努力によってYKKの製品であるファスナーの品質は向上し、コストも下がれば、値段を安く維持できる。さらに、従来ひもやボタンを使っていたものまでもファスナーになることで市場は拡大していけば利益の拡大につながるのだ。

 そしてその利益をお客さま、取引先、経営者と社員の三者で分かつ、4つ目の基本原則「成果三分配」へとつながっていく。それがまた貯蓄に回るサイクルだと、小野先生は述べている。

吉田忠雄氏

YKK創業者の吉田忠雄氏

海外でも浸透する「善の循環」

 用途を広げ、市場を拡大したYKKは1960年代に入ると国際展開を積極的に行う。その特徴は徹底した現地主義。「現地で生まれた利益は基本的には現地で再投資する」という方針は今も続く。これもまた、まずは他人の利益を図る、善の巡環の精神に他ならない。利益を現地に再投資するという方針は、現地の社員にとっても自社への愛着とその精神への興味に変わったはずだ。

 昨年、代表取締役から身を引いた吉田忠裕取締役も、海外でよく善の巡環について聞かれたそうだ。

 「海外の人たちの方が突っ込んで、突っ込んで、できるだけエッセンスを会得したいと思っていますよ。日本人より深く切り込んできます。だから詳しくなり、深く理解する。それでこの精神が広がったという経緯があります」

 また、「進出した国や地域の人に対しても、YKKがどういう会社か説明する必要がある。最初から信用があるわけはないですからね。信用していただくためには思想を説明しなきゃいけない、商品の品質や、さらに高めようとしている理由まで。そういう思想まで説明しなきゃいけない」

 といったことも浸透する理由のひとつになったという。

「善の巡環」は「公正」が基本

 続けて吉田氏は善の巡環について、バイブルのように丸暗記すれば済むというものでなく、当たり前だが腹落ちして行動の根幹にしていなければうまくいかないという。

 「ファスナーのようなこんな小さな部品が、なぜ世界中に広がったのかにもつながるのですが、そこにはそれなりの理由があるなと思っていまして、ファスナーもAP事業で扱う窓も、お客さまからの要望があれば、個々にきちんと対応して提供しようと努力します。結局、ファスナーでも窓でも同じ話なのです。

 つまり、部品事業は、コンシューマーグッズじゃなくてあくまで部品。その人がつくっている最終商品の部品なのです。そう理解すると最終商品の数だけいろいろな要望があるし、会社によって違うものを要求される。そうすると、無限大の可能性の中でわれわれは挑戦していかなければならない。そのなかで他の企業より品質が良かったり、安かったりすること、もしくは何か問題が起こった時でもYKKであればなんとか対処してくれるとなってくれればありがたい。だから結局、信用が大事で、その基本にあるのが公正なのです」(吉田氏)

 こうした顧客の要求に対応してきた歴史は、技術への挑戦の歴史でもある。かつて手工業から機械工業へと時代が変化する中、YKKはいち早くファスナー製造の自動機械化に取り組み、大量生産・オートメーション化を実現し、ファスナーを世界中に普及させた。常にその時の技術に満足せずに、創意工夫で改良を重ね、妥協を許さぬ姿勢で臨む。それがファスニング事業、窓などのAP事業と並ぶ、機械開発と機械製造を行う工機技術本部に続いている。

 しかも自前で取り組むことはそれだけにとどまらない。例えば、本社内のカフェテリアも、元々は他の部門にいた女性がリーダーとなり、450人ほどの食事を本社内で調理し提供している。

 そのカフェテリアでは、食券など買わずにさまざまなメニューをパッと取って温かいうちにそのまま食べられる。清算は食後に皿の裏のICチップで行なわれ、値段だけでなくカロリーも分かる。

 会社を一歩出れば安くておいしい店の多い場所だけに、外の飲食店に負けないように戦っている。そういった姿も「みんな挑戦が好きなんだよね」と吉田氏は笑う。これも基本原則の「知恵と努力」であり、YKKの精神といえる。

 つまり、YKKの善の巡環は高い理想を追いもとめているが、厳しい現実とも向き合い、それを超える創意工夫を繰り返していくことが必要なのだ。そのため新たな制度、新たな取り組みにも積極的で非上場ながら指名・報酬委員会もある。

 「昔は吉田忠雄がひとりでやっていけましたが、これだけ大きくなるとそうはいかないからフェアな議論とフェアな判断をしていくことを大事にしています。上場してないのにそこまでやるのかと言う人もいるんですが、良い制度はどんどん取り入れたらいいと言っている。上場している企業と同じ基準で、良いことも悪いことも公表しています」(同)

 よどみができれば、善の巡環はまわっていかない。

 

「善の巡環」はいかに生まれたか

 

ルーツは鉄鋼王・カーネギー

 善の巡環を唱えた吉田忠雄氏は、1908(明治41)年に富山県下新川郡(魚津市)で生まれた。忠雄氏の生誕100年を記念して出版された『YKK創業者吉田忠雄とその経営哲学「善の巡環」を語る』には、この善の巡環の生まれた経緯や背景についても触れている。

 その考え方のルーツは、忠雄氏が小学生の頃までさかのぼる。

 一見、東洋哲学的で仏教的なこの考え方だが、きっかけは小学生の頃に読んだ、米国の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの伝記。大正時代、当時の日本は富が資本家に集中し、貧しきものにとっては理不尽なものを感じずにはいられなかったのだろう。

 カーネギーの伝記の中に出てくる「富は神よりゆだねられたものである」といった記述や、「富は独占するものではない」といったところに大いに感銘を受けたとみられる。

 それは、『経済界』の1971年4月号のインタビューでも忠雄氏本人が、なぜ上場しないのかについてこう語っている。

 「なぜ株式を上場しないのか、ですって、別にこれというワケがあるのではないんですよ。要するに人が働いてつくりあげたものを、金で買って、権利を主張して、さぁ働け、さぁ働けと叱咤する。そして業績が上がると株価も上がる。だから俺たちは儲かった。しかも、いくら儲かっても税金は払わなくてもいい――こんなことで果たしていいのだろうか、ということですよ」

哲学者、西田幾多郎の影響も

 また、思想の背景について、先ほどの記念出版された書籍を読むと、忠雄氏が育った富山県は、もともと浄土真宗の影響が強いところであることも関係していると書いている。さらに、真宗の影響を強く受けた北陸出身の哲学者、西田幾多郎の唱える西田哲学の影響も少なからず受けたのではないかと述べられている。

 西田哲学の概念である「主客合一(しゅかくごういつ)」は、主体が客体を認識する場合にひとつになっていることで、いうなれば愛している状況。分かりやすくいうと、無償の愛だ。それが、他人の利益をきちんと考えることにつながり、突詰めると、他者を自分とひとつの存在だと考えることともいえる。

 こうした考えは、石田梅岩の唱えた石門心学にも「他人を立てれば己も立つ」という形とも通じていることから、この頃の人たちにとってこの感覚は、今よりも普通だったのかもしれない。カルピスの創業者である三島海雲氏が同社を創業した動機や、松下幸之助翁の「たらいの法則」も全く同じ考え方だ。

 

SDGsに通じるYKKの精神

 

 ただ、忠雄氏の考え方に共鳴したのは日本人だけでない。善の巡環は世界中に広がっており、熱心なプロテスタントである米国のジミー・カーター米大統領とも深い親交を結んだのも、忠雄氏に共鳴したからにほかならない。そういう意味で、SDGsの実践において、昔から日本にあった蓄積が果たす役割は大きい。

 YKKグループのこの精神も17の目標から考えると、「8・働きがいも経済成長も」「9・産業と技術革新の基盤をつくろう」「10・人や国の不平等をなくそう」に近い。

 何より善の巡環の精神は「誰一人取り残さない」というSDGsの根本思想に欠かせない考えだと言える。

 

雑誌「経済界」定期購読のご案内はこちら

経済界電子版トップへ戻る

関連記事

好評連載

銀行交渉術の裏ワザ

一覧へ

融資における金利固定化(金利スワップ)の方法

[連載] 銀行交渉術の裏ワザ(第20回)

銀行交渉術の裏ワザ

[連載] 銀行交渉術の裏ワザ(第19回)

定期的に銀行と接触を持つ方法 ~円滑な融資のために~

[連載] 銀行交渉術の裏ワザ(第18回)

メインバンクとの付き合い方

[連載] 銀行交渉術の裏ワザ(第17回)

銀行融資の裏側 ~金利引き上げの口実とその対処法~

[連載] 銀行交渉術の裏ワザ(第16回)

融資は決算書と日常取引に大きく影響を受ける

元榮太一郎の企業法務教室

一覧へ

社内メールの管理方法

[連載]元榮太一郎の企業法務教室(第20回)

企業法務教室

[連載]元榮太一郎の企業法務教室(第19回)

タカタ事件とダスキン事件に学ぶ 不祥事対応の原則

[連載] 元榮太一郎の企業法務教室(第18回)

ブラック企業と労災認定

[連載] 元榮太一郎の企業法務教室(第17回)

電話等のコミュニケーション・ツールを使った取締役会の適法性

[連載] 元榮太一郎の企業法務教室(第16回)

女性の出産と雇用の問題

本郷孔洋の税務・会計心得帳

一覧へ

税務は人生のごとく「結ばれたり、離れたり」

[連載] 税務・会計心得帳(最終回)

税務・会計心得帳

[連載] 税務・会計心得帳(第18回)

グループ法人税制の勘どころ

[連載] 税務・会計心得帳(第17回)

自己信託のススメ

[連載] 税務・会計心得帳(第16回)

税務の心得 ~所得税の節税ポイント~

[連載] 税務・会計心得帳(第15回)

税務の心得 ~固定資産税の取り戻し方~

子育てに学ぶ人材育成

一覧へ

意欲不足が気になる社員の指導法

[連載] 子どもに学ぶ人材マネジメント(第20回)

子どもに学ぶ人材マネジメント

[連載] 子どもに学ぶ人材マネジメント(第19回)

子育てで重要な「言葉」とは?

[連載] 子どもに学ぶ人材マネジメント(第18回)

女性社員を上手く育成することで企業を強くする

[連載] 子どもに学ぶ人材マネジメント(第17回)

人材育成のコツ ~部下の感情とどうつきあうか~

[連載] 子どもに学ぶ人材マネジメント(第16回)

人材育成 ~“将来有望”な社員の育て方~

ビジネストレンド新着記事

注目企業

一覧へ

家族葬のファミーユが目指す「生活者目線で故人に寄り添う」葬儀の形

家族葬のファミーユは家族や親族など故人の近親者だけで施設を貸し切って行う「家族葬」のパイオニアだ。創業者・高見信光氏は異端児と言われながらも旧態依然とした業界を変えてきた。その思いに共感し、異業種のリクルートから転じて社長を引き継いだ中道康彰氏も業界の常識を打ち破るため奮闘している。文=榎本正義(『経済界』2…

不動産のノウハウや技術を生かしサステナブルインフラへ―いちご

次世代車向け先進技術を応用する日本発プラットフォーマー ―イーソル

新社長登場

一覧へ

「若者需要の開拓でビール市場を盛り上げていく」塩澤賢一(アサヒビール社長)

アサヒグループ食品の副社長から、この3月にアサヒビールの社長に就任した塩澤賢一氏。長年、ビール営業畑を歩み、マーケティングを兼ねた繁華街歩きを趣味にしている。街の変化から世の中の流れを読む塩澤新社長が挑むのは低迷するビール市場の活性化。若者需要を伸ばしつつ、スポーツイベントを商機として攻勢をかけていく。聞き手…

塩澤賢一(アサヒビール社長)

「事業部門の連携を活性化させ営業利益100億円を目指す」 内藤宏治(ウシオ電機社長 )

地域に根差した証券会社が迎えた創業100周年―藍澤卓弥(アイザワ証券社長)

イノベーターズ

一覧へ

シリコンバレーへの挑戦が生んだ「起業家と投資家が待ち望んだサービス」― 戸村光・ハックジャパンCEO

起業家のスタンスとして、画期的な技術やビジネスモデルを社会で活かすことを目的としたイノベーション先行型もあれば、社会課題解決を最優先とし、そこに必要な技術やノウハウを当てはめていくやり方もある。ハックジャパンCEOの戸村光氏の場合は後者。対象となる課題は「身の周りの気付いたことすべて」だ。(取材・文=吉田浩)…

戸村光・ハックジャパンCEO

「測量美術」が起こす道路工事のイノベーション―草木茂雄・エムアールサポート社長

IT化で変革する産業廃棄物処理の世界―福田隆(トライシクルCEO)

大学の挑戦

一覧へ

専門分野に特化した“差別化戦略”で新設大学ながら知名度・ブランド力向上を実現――了徳寺大学・了徳寺健二理事長・学長

2000年設立で、了徳寺大学が母体のグループ法人。医療法人社団了徳寺会をグループ内に持つ。大学名の「了」は悟る、了解する、「徳」は精神の修養により、その身に得た優れた品性、人格を指す。「了徳寺」は人間としての品性、道を論す館の意味を込めた大学名だ。 聞き手=本誌/榎本正義 、写真/佐々木 伸 …

大学の挑戦

創立100周年、西南学院大学・K.J.シャフナー学長「世界に貢献しインパクトを与える人材を育てる」〜国際交流・就職支援・インターネット出願〜 

「“STAND BY YOU”のスローガンの下、学生一人ひとりに寄り添う教育を」――中央学院大学・佐藤英明学長

経済界からのお知らせ

最新号のご案内

経済界2019年10月号
[特集] 進撃のスタートアップ
  • ・スタートアップ・エコシステムの活性化
  • ・[スパイバー]2万5千円のTシャツは完売 実用化が迫った人工クモの糸
  • ・[Rhelixa]エピゲノム関連の研究・開発で人類の役に立つ
  • ・[チャレナジー]台風発電でエジソンになる ビジネス展開は「島」から
  • ・[エイシング]エッジで動く超軽量AIでリアルタイムに予測制御
  • ・[キャディ]製造業に調達革命! 町工場は赤字から脱出へ
  • ・[Clear]目指すは日本酒産業のリーディングカンパニー
  • ・[空]「値付け」の悩みを解決するホテル業界待望のサービス
  • ・宇宙ビジネスに民間の力 地球観測衛星やロボット開発
  • ・71歳で環境スタートアップを立ち上げた「プロ経営者」
[Special Interview]

 荻田敏宏(ホテルオークラ社長)

 「The Okura Tokyo」をショーケースに海外展開を進めていく

[NEWS REPORT]

◆戴正呉会長兼社長を直撃! なぜ、シャープは復活できたのか?

◆アスクル創業社長を退陣させた筆頭株主・ヤフーの焦り

◆サービス開始から3カ月で撤退 セブンペイ事件の背景にあるもの

◆絶滅危惧種ウナギの危機 イオンが挑むトレーサビリティ

[特集2]

 富裕層は知っている

・富裕層の最大の使い道は商品ではなく次代への投資

・シンガポールからケイマン諸島まで 資産フライトはここまで進化した

・年間授業料100万円超は当たり前 教育投資はローリスクハイリターン

・最先端の人間ドックは究極のリスクマネジメント

・家事代行サービスで家族との時間を有効活用

ページ上部へ戻る