政治・経済

ひとりの若者が作った数学の動画がユーチューブで反響を呼び、今では米国の教育現場まで変えている。その日本語翻訳版が近々無料で公開される。このニュース、日本の教育現場にも変化をもたらすのか。 (本誌/古賀寛明)

教育の転換① 学んでから教わる

 米・カリフォルニア州で年1回開催される世界的なプレゼンテーション、TEDカンファレンスでは、ビル・クリントン氏やジェフ・ベゾス氏など著名な人物から無名の社会起業家まで、世の中を変える人々のプレゼンテーションが聞ける。

 現在、その動画は無料配信されていることもあり、世界中の人々に影響を与えている。

 TEDカンファレンスで人気を集めたものの中に短い教育動画の配信で米国の学校に影響を与えたサルマン・カーン氏のプレゼンテーションがあった。

 かつて、カーン氏は遠くに住むいとこに勉強を教えるために数学の動画を作成しユーチューブにアップ、それが「分かりやすい」と評判となった。

 カーン氏は2006年に教育コンテンツを制作・配信するNPO「カーン・アカデミー」を立ち上げ、今では数学のみならず理科や歴史まで1回約10分の授業を5千種類無料で配信している。この活動にはあのビル・ゲイツ氏も共鳴し、彼の持つ財団が財政面で支援する。

日本の教育に一石を投じる森田正康氏

日本の教育に一石を投じる森田正康氏

 その動画の日本語版が早ければ3月にも登場し、第1弾として数学の「比例」や「証明」などが無料配信されるのだ。手掛けるのは「グローバル・エデュケーション・フォー・ジャパン(GEJ)」で、教育関連事業を行う、ヒトメディアの森田正康CEOが立ち上げた。

 現在、米国の学校、特に高校において、カーン・アカデミーの教育が導入されており、授業についていけない生徒に効果を発揮している。授業が始まる前に動画を視聴し、分からないところを授業で教師に尋ねるのだ。通常、先生1人に生徒40人の場合、理解の度合いは人によってまちまちにもかかわらず授業は進む。しかし、動画を事前に見ることで自分のペースで、理解できるまで、繰り返し学ぶことができる。

 授業の後に復習する、通常とは逆のこの反転授業を日本に定着させるのが狙いなのかと代表の森田氏に尋ねると、「移民が多く、英語力も、背負う文化もまちまちの米国ほど、日本での影響は大きくないでしょう。むしろ、今まで子どもたちがタブレットやスマートフォンを持った時に、無料で学べるコンテンツがありませんでした。日本で初めて無償の教育コンテンツを出すことで、新たな選択肢を提供し、教育を考え直すきっかけみたいなものを生み出したい」とのこと。つまりは、問題提起の側面が強い。GEJでの活動も、カーン・アカデミーを入れることが目的ではなく、優良なコンテンツの1つとして導入しているそうだ。

 また、今回のプロジェクトはクラウドファンディングのサイトである「シューティングスター」を通じて少額の出資を広く社会に訴えて段階的に募っている。3千円から出資ができ、第1段階(180万円)の募集は3月8日までだが、最初の5日で9割以上を集めている。6回に分け総額で1270万円を調達する方針だ。

 「企業がお金を出して日本に導入するという手法もあったのですが、それだと企業色が強くなってしまいます。企業色が強ければ学校では使われないだろうと。そこで、広く賛同者を募ることにしました」(森田氏)

教育の転換② 「現在の教育」への危機意識

 森田氏が非営利で活動するのは、教育に株式の理論を入れてしまうと、どんなに素晴らしいことをやっても投資家がマネタイズを早くしろという話になってしまいかねないからだ。カーン・アカデミーをはじめ米国でも教育ベンチャーの多くがNPOで運営されているという。

 日本でも教育に対する危機意識の強さを感じたようで、今回の募集に際し、個人はもちろんのこと企業や経営者からの関心が高く、森田氏の元にも多くの連絡があったという。

 「ただ、うれしい話ではあるものの、企業色を出さないことをご理解いただくことが重要になってきますね」と、教育は公共財だという認識に立ってほしいという点を森田氏は強調する。

 経営者の関心を集めるのも、人材の確保や育成は企業の生命線という意識が強いためだ。人材育成の問題を突き詰めた時に「教育を変えなければ……」との考えに至るのだろう。だからこそ今回のプロジェクトにも注目が集まる。

 未来の人材への投資に前向きな企業や経営者は多い。できれば、自社の社員を変えたい、自分の会社で20年後に働く人に投資をするという考えが根底にあることが望ましいが、森田氏はそれだけではないと言う。

 カーン・アカデミーに12億〜13億円の資金で支援するゲイツ氏にしても、社会貢献という狙いがある一方で、マイクロソフト目線で見れば、タブレットやスマホのコンテンツで子どもたちが学ぶことでOSやハードウエアの売れ行きは伸び、機器の進化にも貢献するという読みがある。学校教育が無料である限り、新たな教育コンテンツが出たとしても有料であれば広がりは限定される。

 カーン・アカデミーのような無料の機会が広がれば社会に還元され、業界全体のパイを広げる側面もあるとみる。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な発想ではあるが、社会貢献とともに需要喚起にもなるため、先行投資としては有望だろう。

 今回のカーン・アカデミーの日本語版をはじめとする教育のICT化が日本の教育を変えるわけではないし、カーン・アカデミーの教材で勉強さえすれば難関大学にすぐさま合格するわけではない。ただ、森田氏が「選択肢を広げる」というように、さまざまな使い方や学び方が生まれるはずだ。

 今まで教育に携わろうとしても、税金がどこへ、どのように使われているのかわからなかった。このプロジェクトが「教育」を自分たちの手に取り戻すきっかけになるのかもしれない。

 

雑誌「経済界」定期購読のご案内はこちら

経済界電子版トップへ戻る

関連記事

好評連載

深読み経済ニュース

一覧へ
一般社団法人かぎろい出版マーケティング代表 西浦孝次氏

[連載] 深読み経済ニュース解説

2015年の経済見通し

[連載] 深読み経済ニュース解説

再デフレ化に突入し始めた日本経済

[連載] 深読み経済ニュース解説

消費税率引き上げ見送りの評価と影響

[連載] 深読み経済ニュース解説

安倍政権が解散総選挙を急ぐ理由

実録! 関西の勇士たち

一覧へ

稀有のバンカー、大和銀行・寺尾威夫とは

[連載] 実録! 関西の勇士たち(第20回)

実録! 関西の勇士たち

[連載] 実録! 関西の勇士たち(第17回)

三和銀行の法皇・渡辺忠雄の人生

[連載] 実録! 関西の勇士たち(第14回)

住友の天皇・堀田庄三の人生

[連載] 実録! 関西の勇士たち(第11回)

商売の神様2人の友情 江崎利一と松下幸之助

[連載] 実録! 関西の勇士たち(第7回)

関西財界の歴史―関経連トップに君臨した芦原義重の長期政権

ビジネストレンド新着記事

注目企業

一覧へ

売上実績トップ企業に聞く「住宅リフォームの最新トレンドと課題」―榎戸欽治・ニッカホーム会長

素人にはなかなか分かりにくい住宅リフォームの世界。最近の業界動向と事業戦略について、売り上げ規模で全国ナンバーワンを誇るニッカホーム創業者の榎戸欽治会長に聞いた。(聞き手=吉田浩)榎戸欽治氏プロフィールリフォーム業界におけるニッカホームの競争力水廻りと木工事を絡めた中型リフ…

榎戸欽治・ニッカホーム会長

家族葬のファミーユが目指す「生活者目線で故人に寄り添う」葬儀の形

不動産のノウハウや技術を生かしサステナブルインフラへ―いちご

新社長登場

一覧へ

カリスマ創業者の後任として描く「新しいマネックス証券像」― マネックス証券社長 清明祐子

2019年4月、国内インターネット専業証券で初の女性社長が誕生した。創業者であり、カリスマ社長と呼ばれた松本大前社長から後任を託されたのが清明祐子氏。清明氏は09年にマネックスグループに入社し、子会社社長やグループ役員を経て、マネックス証券の社長に就任した。清明社長はカリスマの後任としてどんな会社をつくってい…

マネックス証券社長 清明祐子

「若者需要の開拓でビール市場を盛り上げていく」塩澤賢一(アサヒビール社長)

「事業部門の連携を活性化させ営業利益100億円を目指す」 内藤宏治(ウシオ電機社長 )

イノベーターズ

一覧へ

シリコンバレーへの挑戦が生んだ「起業家と投資家が待ち望んだサービス」― 戸村光・ハックジャパンCEO

起業家のスタンスとして、画期的な技術やビジネスモデルを社会で活かすことを目的としたイノベーション先行型もあれば、社会課題解決を最優先とし、そこに必要な技術やノウハウを当てはめていくやり方もある。ハックジャパンCEOの戸村光氏の場合は後者。対象となる課題は「身の周りの気付いたことすべて」だ。(取材・文=吉田浩)…

戸村光・ハックジャパンCEO

「測量美術」が起こす道路工事のイノベーション―草木茂雄・エムアールサポート社長

IT化で変革する産業廃棄物処理の世界―福田隆(トライシクルCEO)

大学の挑戦

一覧へ

専門分野に特化した“差別化戦略”で新設大学ながら知名度・ブランド力向上を実現――了徳寺大学・了徳寺健二理事長・学長

2000年設立で、了徳寺大学が母体のグループ法人。医療法人社団了徳寺会をグループ内に持つ。大学名の「了」は悟る、了解する、「徳」は精神の修養により、その身に得た優れた品性、人格を指す。「了徳寺」は人間としての品性、道を論す館の意味を込めた大学名だ。 聞き手=本誌/榎本正義 、写真/佐々木 伸 …

大学の挑戦

創立100周年、西南学院大学・K.J.シャフナー学長「世界に貢献しインパクトを与える人材を育てる」〜国際交流・就職支援・インターネット出願〜 

「“STAND BY YOU”のスローガンの下、学生一人ひとりに寄り添う教育を」――中央学院大学・佐藤英明学長

経済界からのお知らせ

最新号のご案内

経済界2019年12月号
[特集] 沸騰する食ビジネス!!
  • ・食ビジネスが熱い!! 未来型食品が社会課題を解決する
  • ・市場規模70兆円! 食ビジネスが過熱するわけ
  • ・完全バランス栄養食で誰もがラクして健康になれる
  • ・人工光型植物工場で世界の食と農に新しい常識を
  • ・宇宙食ビジネスで勝ちに行く 10年後に5千億円市場創出へ
  • ・“大人の給食”で栄養の基盤をつくる
  • ・人工肉で糖質制限者に無制限のおいしさを
  • ・テクノロジーで高品質なジビエ調達が可能に
  • ・昆虫食ビジネスの時代到来
[Special Interview]

 伊藤秀二(カルビー社長)

 掘り出そうカルビーの未来

[NEWS REPORT]

◆エンジニアへの高額給与で 富士通は生まれ変われるか

◆豊田章男・自工会会長が挑む東京モーターショー100万人

◆消費増税で現金主義は終焉 キャッシュレス時代が到来した

◆加速するeスポーツ市場! インテルが東京で世界大会を開催

[総力特集]

経済界創刊55周年記念 新しい日本のかたち

東京1964からの55年と東京2020以降の日本の姿

ページ上部へ戻る