文化・ライフ

 ネットフリックスで配信された「全裸監督」の大ヒットによって、再び衆目の集まる、AV監督の村西とおる氏。バブル期に青春時代を過ごした世代の視聴者が、懐かしさと感銘を覚える一方、同氏の活躍をリアルタイムで知らない20代、30代の層にも衝撃を与えている。

 11月30日には、今から23年前に収録された映像をもとに製作されたドキュメンタリー映画「M/村西とおる狂熱の日々 完全版」の上映も始まる。その公開に先駆けて、さまざまな苦難を乗り越え、今なお前進を続ける村西氏の、ビジネスマンとしての素顔に迫った。(取材・文=吉田浩 写真=西畑孝則)

 

村西とおる氏プロフィール

村西とおるPHOTO

(むらにし・とおる)1943年生まれ。福島県いわき市出身。高校卒業後、バー勤務を経て英語百科事典の販売会社に転職しトップセールスマンとなる。その後、英会話教室の運営、テレビゲームのリース業などで成功し、億単位の収入を稼ぐようになる。80年、本屋で見たビニ本に衝撃を受けアダルト業界に参入。北大神田書店グループを設立。会長に就任し「ビニ本の帝王」の異名をとる。その後AV業界に参入し、監督として数々の話題作を製作し「AVの帝王」と呼ばれるも、人生で計7回の逮捕、新規事業の失敗による総額50億円の借金、心臓病による余命一週間宣告など、数々の苦難を経験する。2019年、村西氏の半生をモデルに描いた「全裸監督」がネットフリックスより配信され、世界的大ヒット。その数奇な人生が再び注目を集めている。

 

「全裸監督」ヒットの追い風を受けドキュメンタリー映画が公開

 

 「全裸監督」の原作は、ジャーナリストの本橋信宏氏によるノンフィクション本だ。映像化された経緯を尋ねると、全世界1億5,800万人の有料会員を有するネットフリックスが、日本発のコンテンツを探していた所に持ち込まれた企画が、同作の映像化だったという。

 世界190カ国に配信して視聴されるには、国柄や文化が違う人々の共感を得る作品でなければならない。ハードルはかなり高かったが、「ジャパニーズ・ポルノ・エンペラー」たる村西氏のストーリーに興味をもたれ映像化が決定した。

 一方、11月30日より公開される映画「M/村西とおる狂熱の日々」は、衛星放送事業の失敗により50億円もの借金を背負った村西氏が、再起をかけて敢行した世界初のAVDVD制作の撮影に密着したドキュメンタリーだ。

 撮影に情熱を燃やす村西氏をよそに、女優陣やスタッフのエゴ、無気力、行き違いや手際の悪さなどによって現場はトラブルの連続。ドロドロとした人間ドラマが展開される中、何とか作品は完成する。インタビューはまず、この2つの作品に関する話題からスタートした。

 

――「村西とおる狂熱の日々」を拝見しました。すごいところまで撮るんだなという感想です。

村西 こういう世界があるのかと思ったでしょ。

―― 撮った当時は、フィルムが日の目を見ると思っていましたか?

村西 可能性としてはあると思っていましたが、スタッフの皆さんをはじめ、制作に携わる人たちのリアルなお仕事ぶりというものを残しておきたいなと思っておりました。こういった映像を残せるのは、たぶん私の現場ぐらいでしょう。

 アダルトビデオに関してはいろいろな誤解があったりするんだけれど、それを払しょくする意味においても、これから映像の仕事に携わりたいという若い人たちに対しても、現場がいかなるものか、お見せできればと思った次第です。

―― 40代半ばからそれ以上の世代にとって「村西とおる」は一種のパワーワードなんですが、監督を知る若い人たちは減ってきていました。でも「全裸監督」のヒットで再び脚光を浴びて、率直にどんな気持ちですか?

村西 横井庄一さんが、穴ぐらからパンツ一丁で出てきたみたいな心境でございますね。突然、こんなことがあるのかと面食らっているというか。まさか、世界のネットフリックスが、私の評伝にフォーカスを当てて作品化するとは思っていませんでしたから。

 さすが世界のネットフリックスで、日本のようにガラパゴスのコンプライアンスに縛られて縮こまるなんてことはないんですね。みんなが見たいものを見せなければ、自分たちの存在意義がないんだと。

 こういうチャレンジャーの精神でもって、今回の作品が作られたんですね。「タブーに挑戦する」という部分が評価されたんじゃないでしょうか。

村西とおる狂熱の日々

11月30日より公開される「M/村西とおる狂熱の日々 完全版」は、撮影の裏側に迫ったドキュメンタリーだ

 

村西とおるを目覚めさせた「言葉の力」

 

絶望の淵に突き落とされた余命1週間宣告

―― ここ最近は、どんな活動をされていたんですか?

村西 本を書いたり講演活動をさせてもらったり、週刊誌にコラムを連載したり月刊誌で人生相談したり、そういう活動をしていましたね。

―― 作品の制作はあまり行わなかった?

村西 何本か撮ったりしましたが、やっぱり「これは」という対象がないと、撮る気が起きませんよね。やっつけ仕事なんて、この歳になってまでやりたくないから。どうしても撮ってみたい、この素材なら自分がスパークできるんじゃないかというような対象との出会いがなかった。

―― 今から7年前には大病を患いましたよね。

村西 突然体調がおかしくなって病院に行ったら、医者から「余命1週間です」と言われたの。「そんな病気があるんですか」と聞いたら「あなたの病気がそれです。心臓がクラッシュしていて、今この瞬間に死んでも不思議ではない。1週間以内に100%死にます」と言うんです。

 パニックになっちゃいました、どうしたらいいんだと。手術するのが唯一の選択肢ですが、手術をしても5割は死ぬ可能性があります、と。

 でもこうなったらしょうがない。一か八かやってみようと。それで12時間の手術を終えて、成功したと私は思っていましたが、成功とも失敗とも、ハッキリ言われませんでした。つまり、もはや完全には治すことができないというところまで悪化していたのです。

 自分の心臓がいつ止まってもおかしくないのだと思うと、息をするにも恐怖を感じるような始末で、眠ることすらできなくなりました。それで安定剤、睡眠薬、抗うつ剤を浴びるほど飲んで、それでも心が揺れに揺れて6カ月間は半狂乱のような日々を送りました。心が壊れてしまったんです。太陽と自分の死というのは見つめ続けることはできないというけど、その通りですね。

―― その経験は、借金や逮捕などの苦労とは比較にならないほど大きかったのでしょうか。

村西 死と向き合うというのは、なかなかできないことです。でも、友人の医療ジャーナリストから、本当に余命宣告が正しいものなのか確認するために、日本で一二を争う心臓のエキスパートの先生を紹介してもらいました。

 その先生が言うには「手術は確かに失敗したかもしれないが、日常生活には何の支障もありませんよ」と。そして更に「もし何かあったら私が、絶対に、絶対に、絶対に、監督を助けますから」と、先生は3度、私に向かって「絶対に」と言ってくださったのです。その言葉で、憑き物が落ちるように楽になりました。

 ただし、回復するためには条件があって、運動しないといけない、心臓だって鍛えればいくらでも強くなるのだから、最終的にはトライアスロンに出られるくらいまで運動しなさい、と言われました。

 そのころ私は四谷に住んでいたのですが、毎日バスで晴海まで行って、そこから4時間歩いて自宅に帰るという生活を半年間続けました。雨の日も嵐の日も。そうしたら、先生からトライアスロンへの出場に太鼓判を押されるまでに回復したんです。

村西とおる2

余命1週間の宣告を受け、一時は絶望したという村西氏

医師の言葉に見た希望

―― それ以来、体調は問題なしですか?

村西 はい。そのときに言葉というものがどんなに重要かということに改めて気付きました。先生は私にこうおっしゃいました。

 「私は今まで何千人という方の最期に立ち会ってきました。でも誰一人として、絶望のうちにあの世に送った患者さんはいません。なぜなら私は最後の最後まで諦めないということを患者さんと共有したから。余命宣告などというものは、医者が責任を負いたくないからするもので、余命を宣告された人が回復した例は山ほどある。患者を絶望の淵に突き落とす資格は医者にはありません。患者さんは望みを捨てず、元気だった自分に必ずもう一度戻れるんだと思いつつ希望の中で天に召されるのが幸せなんです。余命宣告など、医者の傲慢と自己正当化にすぎないと思うに至ったのです」と。

 もうひとつ、言葉の力を感じたのは、エピクロスというギリシアの哲学者の言葉。「人間に死はない。なぜなら古今東西、自分の死を見た者はいない。見ることができない物はないと同じ。人間は自分が死ぬ瞬間を見ることができないから、人間にとって死はないんだ」と。

 どんなに願っても自分の死を知る事ができないという事実によって、俺は不死身なんだと思えましたね。腑に落ちて心が静かになりました。

―― 村西監督も言葉の力を武器にしてきたと思うんですが、医師の言葉に希望を見出すというのも運命的ですね。

村西 私は言葉の力を武器にしてAVの世界でも「世渡り」してきた人間ですから、言葉の力はよく知っているつもりなんですが、自分の命と向き合って、あらためて言葉というものに人間は救われるんだなと痛感した次第です。

 言葉によって、たとえば100メートルを全力で走ったわけでもないのに心臓がドキドキしたり、目から涙が出たり息切れしたりする。言葉の力で人間は救われも殺されもする、というのが私の認識です。

村西とおる3

医師の言葉が奇跡的な回復へとつながった

バーテンダー時代に気付いた言葉の力

―― 言葉の力については、いつごろから認識していたんですか?

村西 そうですねぇ。やっぱり夜の仕事をしていた時でしょうか。福島県の田舎から東京に出てきて学歴も資格も身寄りも、住むところさえない時に、たまたま公園で拾った新聞に、今日からでも住み込みで働けるというバーの広告が出ていました。数日間、何も食べていなかったから、そこに飛び込むように採用してもらいました。

 バーテンダーのお仕事をするようになったのですが、私は福島県出身だから、どうしても「だっぺよ」といった方言が出てしまうんです。女性のお客様相手に「だっぺよ」なんて言う度に、チーフから蹴っ飛ばされたり、アイスピックを投げられたりしました。

 そういう中で、言葉の大切さを教えられました。お客さんは、命の洗濯をしにバーに飲みに来るんだと。昼間、辛いことや悲しいことが色々あって、最後にこの止まり木にたどり着くんだと。『俺たちは一日の一番最後にお客様からお金をいただくのだから、みなさんが昼間働いてくれるのは俺たちのためだと思え』と教えられました。

 だから、性別、年齢、職業関係なくいろんな方たちとお話ししないといけない。そういう人たちの思いを受け止めながら返していく、オールラウンドプレーヤーでなければいけない。性格や学歴や仕事で贔屓したり差別したりというのは、あっちゃいけない。

 当時バーテンダーの連中なんて、入れ墨なんか入れてるやさぐれた人間たちの集団でしたけれど、お客さんのしもべとして生きるということを徹底していました。受け答えの言葉一つ一つ、接客の言葉一つ一つ、それらが自分の人生を決定付けていったと思います。

村西とおる3

バーテンダー時代の経験が、監督業に活かされた

 

村西とおるの原点と思想のベースとは

 

少年時代の経験から生まれたサクセスストーリーへの思い

 バーテンダーの仕事の後、英語教材のセールスマンの職に就いた村西氏は、後にAV監督となった際に代名詞ともなった「応酬話法」と呼ばれるトーク術を駆使して、全国トップの成績を収めるほどになった。その後も、テレビゲームのリース業などで億単位の収入を得るようになる。

 そのまま、セールスマンとして人生を歩んでも成功したであろうことは想像に難くないが、アダルト業界に殴り込みをかけ、ついには「AVの帝王」と呼ばれるまでになる。

 安定した生活に留まることを良しとしなかった背景には、少年時代の原体験があった。

 

―― 言葉の力を身に付けた村西監督であれば、どんな世界でもおそらく成功した気がしますが、なぜビニ本やAVの世界を選んだのですか。

村西 誰もやったことがないところにしか、自分のサクセスストーリーはないと思ったんです。その原点は、諸悪の根源は貧乏だ、という思いからです。

 私たちが子供の頃、日本全体が貧しかった時代です。ウチのおやじとおふくろは、お金のことでいつも殴ったりけったりの喧嘩をしている訳です。

 中学3年生のとき、たまたまいつもみたいに喧嘩しているのを見た私が、母親を守ろうと包丁を持って親父のところへ向かっていったんです。当時の私にしてみれば、単なるパフォーマンスだったんです。しかし、親父はびっくりしちゃって。倒されて畳の上に横たわっていたおふくろは急に立ち上がって、「父ちゃんに何するんだ」と私の前に立ちふさがったんです。

 そして翌日から、親父が家に帰ってこなくなっちゃった。親父が死んだ後、親戚のおばさんから「父ちゃんが家を出たのは、アンタを父親殺しにさせるわけにはいかなかったからだよ」と聞かされて、本当に申し訳なくて、今でもあの世に行ったら親父に三つ指ついて謝りたいと思っています。

 そういった経験から、諸悪の根源は貧乏だと心の中に植え付けられて、「何としても豊かな生活を手に入れたい」と思っていました。福島の工業高校を卒業して旋盤工になっても、家にはお袋もいてばあさんもいて、そして女房を貰って子どももできたら自分一人の力でなど、とても育てられないと思いました。

 じゃあ東京で一旗揚げるしかないなと。だから高校を卒業した時から、東京、いや世界に出て行こうと思ったんですね。世界と言ったらブラジルだ、ブラジルで牧場主になってやる、なんて思ってね。ウチの近くの山を見て、山の向こうにはブラジルがあるんだと。

 でも福島県だから山の向こうはロシアで、ブラジルはまるで違う方角だった。どこにブラジルがあるかも知らないで、一生懸命山の向こうのロシアの方を見ていたんですよ。

村西とおる4

少年時代の強烈な体験が、村西氏の原点だ

頭の中には常に「日本一」があった

―― 失敗してさらに貧乏になるリスクを恐れなかったのでしょうか。

村西 常に上しか見ていないですから。自分自身との戦いだと思っていました。英語教材のセールスマンになったときは、フルコミッション制で固定給はありません。そこで全国に5千人いるセールスマンの中で、いつもベスト10に入っていました。商品は当時20万円ほどもした百科事典のセットですが、みんなが1週間に1セットしか売れないところを、20セット販売するなどしていました。

 朝8時に家を出て夜10時ぐらいまで外をぐるぐる回って、365日休みなしで働きました。目標を達成して評価されると面白いんですね。よく「自分探しの旅に出ます」なんて言う人がいるけど、自分が何者かは、他人が自分どう評価するかに尽きます。

 中学生程度の学業レベルしかない自分が、ナンバーワンになっていく達成感は言葉に表せません。社会というのはこういうことなんだ、と。自分の力で流した汗に比例して、これだけの評価を得るんだという喜びに満ちていました。

 それ以来、「日本で一番になる」という事に味を占めてしまって、日本一なんてそんなに難しいことじゃないなと。ビニ本をやっているときも、AVをやっているときも、「日本一」が常に頭の中にあったんですね。

 

村西とおる流、営業マンの心得とは

 

営業マンが聞き上手になってどうする

―― そのままセールスマンとして生きていく選択肢もあったと思うのですが。

村西 それはあったけど、もっと面白い商売としてテレビゲームのリースという商売をはじめました。私はモノを売るという仕事が大好きなんです。モノを売る仕事というのは、人間のあらゆる仕事の中で最高峰の仕事だと思っています。

 資本主義経済の原点は需要を創造する事です。みんなが必要なモノしか買わなくなったら石器時代になってしまいます。やっぱり今日より明日、明日より明後日の豊かさを求めていく社会でなければ。その先兵として営業を学んだという自覚があったんです。

 モノを売るためには、相手の性格、知的レベル、バックグラウンド、生活環境、などに寄り添うことが大切です。需要を創造するのはCMや広告媒体でもできますが、最終的には営業マンの力です。戦争でいうところの地上戦です。その担い手として、それまで全く知らなかった英語教材の可能性をお客様に感じていただいて、買っていただいたときの充実感。社会貢献ができた、という気持ちですね。

―― 営業マンは聞き上手で、傾聴の技術が大事と言われますが、村西監督は真逆ですね。

村西 何の情報も持っていないお客様に、限られた時間の中で自分自身が持っている情報をできるだけ提供しないといけないのに、聞き上手になってどうするんだと。

 私が相手に会ったら、少なくとも向こう10年間は私のことを忘れさせないだけの情報とパッションを持って関わらせていだきます。時間の使い方はいろいろあるでしょうけれど、私に15分頂ければかつてないほどの収穫がありますよ、という信念のもとに話をしていかないといけません。

 英語教材のセールスの時は、私の話を聞いて涙するお客様もいらっしゃいました。お客様の立場に立って話をするから、通じ合うことができるんです。

 道を歩く人を見ては「この人にはなんて話したらいいかな?」と考え、看板を見ては「この看板を売るならどんな風に話したらいいかな?」と考え、「車のタイヤは?」「ごみ箱は?」と、四六時中応酬話法について考えていました。

 そういう訓練をしてきたから、どんなことを言われてもたじろぐことはありませんでした。同じ商品を既に持っている方にだって買っていただくことができましたから。営業マンは30分喋ったら限界なようじゃダメなんです。3時間でも4時間でも話せなければ務まりません。

 セールスが成功した後は、必ず丁寧なお礼の手紙を書きます。返信が来たら、それも自分の実績として次の顧客に見せるんです。自分がやってきたことをお見せして信頼を高める。そうすると、今度はお客さんがお客さんを紹介してくれるんですよ。

営業も制作も「相手の立場に立つ」が基本

―― モノを売る部分と、監督としてクリエイターの部分があるわけですが、人によってはこれらが両立しないケースも多いと思います。

村西 私の応酬話法の原点は、相手の立場に立つという事。モノを売ることも作品を作ることも、相手の立場に立たないとできません。

 セールスの時になぜ何時間でも喋れるかと言えば、相手の立場に立つからです。この方向から説明して分からないならあの方向から、上から下から斜めから前から後ろから話せば言葉は尽きません。自分の欲得ばかりを考えていると言葉に詰まってしまうんです

 英語教材のセールスなら、たとえば「もしあなた様が英語で啖呵をきれるぐらいの能力を持ったら、どれほど素晴らしいかは疑いの余地がないでしょう。そういう力をお持ちになって、これからの国際化社会においてご自分の武器として英会話能力を身に着けてみませんか」とお話する。

 こちらは、世のため人のためだという信念があるから揺るぎないんです。迷惑そうな顔をされたら自分の説明が悪いんだと思わなくちゃいけません。お客様に商品価値を理解させられない自分自身の至らなさを反省しなければなりません。

村西とおる7

「相手の立場に立てば、何時間でも喋れる」という

 

村西とおるからビジネスマンに贈る言葉

 

希望を失わないために、おれを見ろ

―― 自分の信念を貫くがゆえに莫大な借金を背負ったり、逮捕されたりもしたわけですが、そういう時はやはり気分が落ち込んだりもするのですか。

村西 私の場合は落ち込んだら死ぬしかない。しかし、死ぬわけにはいきません。死ぬか生きるかを突き詰めたら、生きていくしかない。そう思えば頑張るしかないんです。

 何十億円の借金を背負って前科7犯で、世間の皆様からは「人でなしじゃないか、この野郎」と思われるわけですが、それらもすべてエネルギーの源泉ですよ。そういうものがあればこそ頑張れる。だからこそやれる、ということがあるんです。

 当時、AVを作っていたときも、当局の人間相手に常に切った張ったのせめぎ合いをやっておりました。また、借金の問題だとかアメリカで懲役370年求刑されたことだとか、傍から見れば卒倒してしまうような出来事ばかり。でも、物事をネガティブにとらえていいことなんて一つもないんです。

―― 世の中には、それこそ数百万円の借金で命を絶つ人もいます。

村西 『全裸監督』の本の帯にもありますが「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ。おれがいる」と。あなたさまのもっともっと、ずっと下に私がいるんです。

 中小企業のオヤジさんが7千万円の負債で倒産して死にたい、と相談してきたら、何をおっしゃいますか、私は50億円ですよと。世間様に顔向けができないと言われても、そんなことは人ごみに紛れてしまえば問題ありませんよ、と。私など、外を歩けば、「村西だ。借金だ。前科7犯だ」と後ろ指を指されます。私は日本国中で蔑みを受けながら生きている男ですよと。

 そう助言すると、「まだまだ自分はやれる」と言って元気を出されることがありますね。そういう意味において、私の存在価値はあると思います。

 みんな孫さんや柳井さんの成功談を聞いてもしょうがないんです。人間24時間のうち働けるのはせいぜい15~16時間ぐらいです。それでも、ああいった方たちの年収の何倍も稼げるということはあり得ない。それを一生懸命参考にしても、しょうがないですよ。

 『経済界』の読者の皆さんが本当に知りたいのは、こけつまろびつしながら、現実的な仕事の世界で、1歩でも前に出るという精神世界のことじゃないんですか。最も大切にしないといけないのは、上手くいっているときのではなく希望を失ったときなんです。

 この、希望を失ったときの自分をどうしてやるかと。その時の自分を大切にしてあげなければなりません。そんな時、私のような人間のことを思い出して、勇気を出していただきたいのです。

村西とおる5

「希望を失ったときは、自分を見て勇気を出してほしい」と語る村西氏

村西とおるが次に考えるビジネスとは

―― AVに限らず、今の映像表現の世界について監督はどう考えていますか。

村西 観客が本当に見たいものを作っているのか?われわれの時代は、映画館に行くのというのは一つのロマンでした。ガラパゴスのコンプライアンスでがんじがらめになっている今の日本の映像に夢を感じられません。

 アメリカは違います。果敢に挑戦しています。ネットフリックスなんて世界190カ国配信ですよ。年間の制作予算が1兆4千億円。とてつもないお金を投資して、みなさんがこんなものを見たいだろうなと思うものを作っています。

 日本のネット配信はどうでしょう。どういうビジネスを考えているか全く見えないんです。テレビじゃない、映画じゃないものを見せると言いながら、私などは出演の際には「コンプライアンスの関係で監督のことを“セクシー監督”とお呼びします」と言われる。「セクシー監督」と言われると、なんだか網タイツでも履いてこなければならないのかと思ってしまいます。

 この11月に、映像配信をアップルが始め、ディズニーも参入しました。アマゾンプライムもあります。5Gの時代を迎えて、スマホを通じた新しいビジネスを展開しようとしているから、視聴者の争奪戦なんですね。その背後には、必ずECビジネスがくっついてきているんです。ここでビジネスが大きく展開していく。そんなことを日本の流通業者は誰も考えていないんです。

 中国のアリババだって急成長したのはここ5~6年です。そうやって、ソフトビジネスとECビジネスを組み合わせていくプロデューサーの存在が、日本には見当たりません。『経済界』もそこに警鐘を鳴らしていただきたいです。

―― そんな時代に、村西監督はどんなビジネスを考えていますか。

村西 全部は申し上げられないのですが、中国の市場に対してアプローチしており、試行錯誤をしています。

 日本の大企業だって、自分たちでポータルサイトを作っていくらでも中国市場に挑戦できるじゃないか、と。なぜアリババの意向ばかり気にしているんだって話なんですよ。

 自分たちにはキラーコンテンツがないと思っているのかもしれないけど、「全裸監督」のヒットが証明しているじゃないですか。まだまだ、日本人が世界に出ていくことはできるんです。

―― 71歳とは思えないパワーですね。

村西 そういう自分自身の存在が武器なんです。不幸は突然やってきます。これから先、肉体的、精神的、経済的に思わぬ失敗に見舞われたとき、一人だと耐えられないけれど、パートナーがいれば耐えられます。

 パートナーは私でいい。上手く行かない人、途方に暮れている人、どうしたらいいか分からない人にこそ、私のことを、私の人生を知ってほしいんです。

 

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