スキル・ハウツー

意思決定、行動、やる気から、集団心理に至るまで、私たちのあらゆる活動に深く関わっている「脳」。本コラムでは、最新の脳科学の見地から経営やビジネスに役立つ情報をお届けします。(写真=森モーリー鷹博)

筆者プロフィール

西剛志氏

(にし・たけゆき)脳科学者(工学博士)、分子生物学者。T&Rセルフイメージデザイン代表。LCA教育研究所顧問。1975年生まれ、宮崎県出身。東京工業大学大学院生命情報専攻修了。2002年博士号取得後、知的財産研究所に入所。03年特許庁入庁。大学院非常勤講師の傍ら、遺伝子や脳内物質に関する最先端の仕事を手掛ける。現在、脳科学の知見を活かし、個人や企業向けにノウハウを提供する業務に従事。著書に『脳科学的に正しい一流の子育てQ&A』(ダイヤモンド社)がある。

 

Q:短期間で特定のスキルを身につける最新の方法はあるでしょうか?

A:VR技術が世界的に注目されています。

 

学習の常識を覆す最新技術

 仕事の生産性を上げるためには、特定のスキルを身につけたり、苦手意識を克服することが必要となります。

 これまで私たちが特定の技術や専門知識を習得するためには、多くの時間と経験を必要とし、熟練者からの指導やアドバイスなどを通して身につけていくことが常識とされていました。しかし近年、その常識を覆す画期的な技術が開発されています。

 それが「VR技術」です。

 VR(英語でVirtual Reality:仮想現実)というと、ゲームや映像などエンターテインメント分野で使われているというイメージが強いかもしれませんが、最近になってこの技術がビジネスの生産性を上げたり、社員の能力向上に役立つことが世界的に注目されてきています。

 もともと、VRという概念は1989年にVPL Researchの創業者でもあるJaron Lanier氏が提唱したもので、その後1990年〜2000年にかけて専門的なゲーム機の新技術として発展してきました。そして最近になってソニーやサムソンなど世界の各大手メーカーがこぞってVRのハード機器を発売したことから一大ブームとなり、2016年は『VR元年』とも言われたことは記憶に新しいかもしれません。

 実はこのVRが近年、ゲーム以外の分野で大きく活用されてはじめているのです。

脳はVRの体験を現実と区別できない

 現代のVR技術は、私たちが驚くほどの進化を見せており“インターネット以来の社会(ビジネス、交通、医療、教育、メディア)を変える世紀の発明”とも称されています。 フェイスブック社のCEOマーク・ザッカーバーグ氏も、スタンフォード大学で開発された最先端のVRを体験してその大きなポテンシャルに衝撃を受け、その後VRベンチャーのオキュラス社を20億ドル(2230億円)で買収するきっかけになったとも言われています。

 VRは何故これほど世界的に注目されているのか?これからその最先端の世界を見ていきたいと思いますが、その前にまず『私たちの脳の性質』を簡単に解説しておきたいと思います。

 皆さんは、私たちが普段この世界をどのように見ているか考えたことはあるでしょうか?

 私たちは目の前にあるものを見るとき、脳のニューロンを通して視覚情報が処理されることではじめて映像が再現されます。また、聞こえてくる音も聴覚を通して脳内に入ってきた刺激が処理されることで音として再現されます。そして風や香りなども同じです。

 私たちが見ている世界は全て外からの刺激を通して、それが脳で処理されることではじめて再現されるものです。私たちは五感のニューロンネットワークを完全に遮断されてしまうと、いまここにある現実は光の音も匂いも触覚も何もない、ただの真っ暗な無の世界になってしまいます。

 つまり、私たちは、外界からの五感の刺激が脳に伝わらなければ、この世界を認識することはできないのです。

 これはまるで近未来のハリウッド映画『マトリックス』のような世界に思われるかもしれませんが、私たちは真実を体験しているのではなく、脳でこの世界を体験していることが分かっています。

 実際にVRでの体験は、脳は現実と区別できず、同じ脳の部分が発火することも報告されているくらいです。

 私も先日アジアのVR先進国としても有名な韓国に訪れたのですが、最先端のVRのジェットコースターを体験できるということで、最初は子どものおもちゃだと軽く見ていました。

 しかし、実際に乗った瞬間からあのリアルなコースターの振動から、上にジリジリと上がるときの緊張音、急に降りるときの風の感覚までリアルで、本物のジェットコースターと錯覚してしまうほどの衝撃的な体験でした。

 正直、実際の遊園地よりも楽しいと思える体験で、あのときの臨場感とインパクトはあまりにも強く、今でもあの体験を忘れることができません。

VRは記憶力を向上させる

 私たちは何かを学習するとき、体験から必ず学びます。

 例えば、木に登って落ちたら、高い木には登らないようになりますし、火を使って調理して美味しかったら、次回からは火を入れるようになります。

 太古の人類も同じように昔から、様々な体験を通して学習をしてきました。実は学習は、知識として覚えるよりも、体験を通して学習すると最も効率が上がることが分かっています。

 実際に米国のテキサス工科大学の実験では、心臓の血液循環のしくみについて、テキストを使って教えたグループよりも、VRを使ってリアルな心臓に間近で触れたグループのほうが、理解度に大幅な向上が見られたようです(*1)。また、メリーランド大学の研究チームは、VRで実際に著名人や大統領の写真に触れてもらったところ、記憶力が8.8%も高まることも報告しています(*2)。

 私たちは体を動かすとき、脳の体感覚野を含む多くの部分が活性化するため脳のパフォーマンスが高まることが知られています。実際に体を動かした後に『記憶力が上がる』というデータも世界で多数報告されています(*3)。

 これは専門用語で『身体化認知効果』とも呼ばれ、体を動かしたほうが学習効率が高くなるのです。

VRを用いた米ウォルマートの壮大な実験

 実はこれをビジネスにうまく応用した有名な例の1つが、世界最大の小売業者としても名高いウォルマートです。

 ウォルマートは従業員向けの研修をVRで行うという画期的な試みを、VRスポーツトレーニングで成果を上げているSTRIVR Labs社と共同で行いました。

 実際にスーパーの店内をVRで忠実に再現して、レジ前で長い列をなした顧客に対応したり、食品の陳列棚を素早く歩きながら補充されていないものがないかチェックしたり、万引きをするような不審な人がいないかまで、まるでゲームのように従業員に体験してもらったのです。そして30箇所の研修所で検証を行なった結果、実際の研修よりもVRを体験したグループのほうが効果が高かったことが判明しました。

 それを機に同社は、200箇所全ての研修施設にこのVRトレーニングを配備し、2018年には全スーパーにVR機器を4台ずつ、各地の小型店舗に2台ずつ配布して、ソフトのスキルアップや、カスタマーサービスの対応などに臨むことになったそうです。

 また、2019年には中堅クラスの社員の昇進を決めるために、VRによるスキル評価を導入することも決まりました(怒っている顧客に対してどのように対処するかを見たり、成績の悪い従業員にどのように対処するかを評価するそうです)。

 これによって、これまで昇進の際にマネージャーによって異なる判断基準や人為的バイアスを取り除き、その人の資質や才能を適正に見極めることができます。同社によると、降格させることが目的というより、その人の「才能やポテンシャル」を見つけるためのツールとして利用していく予定だそうです(*4)。

 

VRが世界を変える可能性

 

 初めはエンターテイメントの最新技術として生まれたVRは、現在、教育やビジネスを根本的に変える技術として世界中に広がっています。

 私が最近最も驚いたのが、9.11のテロのトラウマ苦しむ人達の治療に、このVRが素晴らしい治療効果を上げていることが報告されたことです。私も普段、経営者やビジネスマン、スポーツ選手などの不安を取り除いたり、パフォーマンスを高めるためにイメージトレーニングなどを導入していますが、このVRの技術によってもしかすると、より革新的な技術が生まれるかもしれません。

 VRは一部のゲームによっては長時間のプレイにデメリットがあることも指摘されていますが、有効な方法で使うとこれまでにない革新的な技術になりることが期待されています。

 現在、世界企業でもあるケンタッキーフライドチキンを始めとして、日本のJR東日本やセコムなどの大手上場企業でもこのVR研修が導入され始めています。

 今後、企業研修や教育におけるVR活用は今後さらに増えていくことが予想されるでしょう。私もよい意味でのVRの普及にこれから大いに期待したいと思います。

 

<参考文献>

(*1) Hite, Rebecca Lyn, “Perceptions of Virtual Presence in 3-D, Haptic-Enabled, Virtual Reality Science Instruction”, 2016, https://repository.lib.ncsu.edu/handle/1840.16/10986

(*2) Eric Krokos, et.al., “Virtual memory palaces: immersion aids recall”, Virtual Reality, Vol.23, p.1-15, 2019

(*3) 西剛志著、『脳科学的に正しい一流の子育てQ&A』ダイヤモンド社 /『第4章:記憶力を高める方法はありますか?』を参照

https://www.amazon.co.jp/脳科学的に正しい-一流の子育てQ-西-剛志/dp/4478107815

(*4) “Walmart Turns to VR to Pick Middle Managers”, THE WALL STREET JOURNAL, June 30, 2019

 

 

 

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