
徳川宗家19代の政治経済評論家、徳川家広氏が「公人」である政治家の横顔に迫る新企画。第1回は、菅義偉官房長官。安倍内閣の屋台骨を支え、政権のキーマンである菅氏の生い立ちから日本のスポークスマンとしての覚悟を聞いた。(文=徳川家広、写真=葛西 龍)

徳川家広・政治経済評論家
徳川 経済界創業者の佐藤正忠氏は、その昔、先生の郷里の秋田県から選挙に出たこともあります。落選しましたが、長官はその選挙を覚えておいでですか。
菅 確か、秋田2区でしょう。記憶にありますよ。秋田には何の地盤もなくて、無所属で出ましたよね。
徳川 もうその頃から、政治が好きでいらしたんでしょうか。
菅 そうですね。選挙は好きでしたよね。
徳川 佐藤主幹の出馬は、大きなニュースでしたか。
菅 そう記憶しています。田舎の出身で東京に出て頑張っていて、地元には伝手やコネが何もない人が出馬するっていうのは、なかなかないんですよ。著書もたくさんありますよね。それで印象がすごく強いんです。
徳川 長官は、秋田から選挙に出ようとはお考えになりませんでしたか。
菅 いや、それは考えませんでした。それこそ、しっかりとした地盤がないと、なかなか難しいと思います。
徳川 秋田からお若くして上京、大変苦労をされたと伺っています。青年時代の心の支えをお聞かせいただけますでしょうか。
菅 私は昭和23年の生まれです。私たちの世代が若かった頃、地方は非常に貧乏でした。ですから、とにかく田舎から早く出たい、東京へ行けばなんか良いことがあるんじゃないかと。日本がちょうど右肩上がりで、そんな雰囲気が漂っていた時だったものですから。私は農家の長男坊でしたが、家出同然で東京へ出てきた。そこから人生が始まるわけです。
徳川 お生まれからすると、上京は昭和41年頃ですね。東京オリンピックの直後です。ベトナム戦争が始まって、ものすごい賑わいがあった。初めての東京は、どんな感じでしたか。
菅 高校を卒業してから上京してすぐ、学校に紹介された町工場に就職するわけですけれども、まあ、現実は思っていたのとは、まるで違うわけですよね。厳しかった。この時、ここでこのまま一生を終わりたくない、という思いが芽生えてきました。何カ月かで、そこの工場をやめて、2年間アルバイトをしてお金を貯めて、法政大学に入ったんです。1回だけの人生だから、好きなことをするべきなんじゃないかという思いが強かったですね。
徳川 政治の世界に入ろうと、具体的に第一歩を踏み出されたのは、いつでしょうか。
菅 大学を卒業後、就職をしておぼろげながら世の中が見え始めて、「やっぱり政治かな」「政治の世界に飛び込んで、そこで何か自分が生きていた証しを残したい」と思うようになりました。時間はかかりましたね。政治の世界には伝手がなかったので、大学の就職課に行って法政大学OB会を紹介してもらい、OB会の事務局長の方から、法政大学出身の政治家を紹介してもらって、ようやく政治の世界にたどり着いたんです。
菅 義偉内閣官房長官の初めての選挙とは
徳川 それで、小此木彦三郎(元通産大臣)氏の事務所へ。どんな方でしたか。
菅 けじめとか基本を大切にする人でした。繊細で、箸の上げ下ろしまでうるさかったけれど、ひとたび信用すると、何でも任せてくれましたね。
徳川 その時期に御実家に帰ることは考えましたか。もし秋田に帰っておられたら、どうなっていたとお考えでしょうか。
菅 どうだろう。どこか小さな町の市長さんになれるかどうか、そんな感じだったと思いますね。政治をやっていれば、ですよ。地盤がなければ、県会議員なんて絶対になれない土地ですから。
徳川 初めて選挙に出られたのは、横浜市議会ですよね。

菅 義偉
(すが・よしひで)
1948年秋田県生まれ。内閣官房長官。衆議院議員。法政大学卒業後、代議士秘書、横浜市議を経て96年衆議院選挙で国政に。以後6期連続当選し、総務大臣、自民党選挙対策総局長、組織運動本部長を歴任。著書に『政治家の覚悟―官僚を動かせ』(文藝春秋)がある。
菅 そうです。38歳の時ですね。地元で頑張っていると応援して下さる方も出てきます。いろいろな人が見てくれているんですね。それで市会に出ろという声が少しずつ出てきたんです。思えば、そこから一日も休まずに突っ走って来た感じです。
徳川 官房長官としては、過去のどなたかを模範として念頭に置いておられますでしょうか。
菅 梶山静六官房長官に可愛がってもらいました。剛腕とかいろいろ言われましたが、先見性のある、素晴らしい政治家でした。
徳川 先見性というのは、例えば金融危機の際の梶山プランなどでしょうか。
菅 そうです。あの時、梶山さんは「日本は銀行が多過ぎる。そのうち黙っていても1つか2つになる」と予言していましたね。当時、私の感覚では住友と三井が1つになるなんて、あり得なかった。そういう、びっくりするような予見力のある政治家でした。
菅 義偉内閣官房長官の健康法とは
徳川 激務をこなされる上での心構え、健康法をお教えください。
菅 野党になってから14㌔、ダイエットしました。今、3㌔くらい戻しましたが、現状の体重を超えないようにしています。夜9時に会合が終わった日には、スポーツクラブに行くようにしているんですが、なかなか叶いません。会合は2つか3つ重なりますから。
徳川 ダイエットの秘訣は、スープカレーだと伺っています。
菅 そうです。それと、よく歩きましたね。今はSPの方がいますからできませんけれど。当時は、歩いて朝の会合へ行っていました。ダイエットは野党でなければ難しかったですね。でも、行ってよかったと思います。
徳川 ところで、記者会見のコメントについてですが、拝見していますと、対決を恐れないという印象です。
菅 私が言っているのは、言いたいことの半分くらいでしょうね。歴史問題などの非常に微妙な問題は、慎重に考える必要があります。私の発信が国の発信ですから、例えばアメリカが、それから中国、韓国がどう受け取るかを、常に念頭に置いていますよね。歴史っていうのは、特に難しいんですよ。ただ、日本国民として、日本を代表して発言するわけですから、そしてそれがすぐに海外メディアに載るわけですから、きちっと主張することも大事です。
安倍総理と菅 義偉内閣官房長官との信頼関係とは
徳川 安倍総理は仕えやすい方でしょうか。
菅 非常に仕えやすいです。総理との関係では、全然疲れないですね。それはやはり総理が2回目だからだと思います。私は「地獄を見た政治家」と言っているんですけれど、第1次政権で失敗して、大変な時期があったわけです。その時、ずっと付き合っていまして。総理と私とは、考え方はほぼ一緒ですし。手法は違うかもしれませんが、方向はほとんど一緒ですね。
徳川 長官は総理に、「今日はこれをする」「明日はあれをする」と相談されますか。
菅 いろいろな問題がある場合、対応の方針はすべて、総理に伺いを立てています。
徳川 総理から長官へお伺いを立てることはありますか。
菅 それは、あまりないですね。例えば総理の歴史の発言だとか、誤解されることもありますよね。私は真意が分かっていますから、「こういうふうに打ち消しますよ」と言います。本人も、だいたい「それはそうだろうな」と思っている時に来ますね。
徳川 靖国参拝については事前に相談はありましたか。
菅 もちろん、ありました。
徳川 長官ご自身は、どうお考えでしたか。
菅 今回はその時期だと思っていました。総理としては、やはり前回(第1次政権)の在任中に行けなかったのが痛恨の極みだった。衆議院選挙の時にも国民の皆さまにはっきり「行く」と言っていますから。
徳川 安倍総理の靖国参拝以降の日米関係は、想定内でしたか。
菅 予想の範囲内です。ただ、誇張されて伝わっている面があります。でも日本には日本の、独立国として言うべきことがあります。それは彼らも分かっているんですね。米国政府の、「失望した」というコメントは、そんなことじゃない。日本語と英語のニュアンスの違いがあることは別にしても、中国と韓国にも冷静な対応を求めています。大ごとにするなっていうことなんです。アメリカは中国と、同盟国の日本とは、はっきりと分けていますよね。それに安倍政権は、日米関係を確実に強化しています。例えば、辺野古の基地移転。18年間出来なかったことをやったんですから。それとTPPへの参加表明、後はハーグ条約を締結したこと。去年の2月の日米首脳会談で大きな問題は、この3つでした。これを第2次安倍政権は全部やりましたから。そこの信頼感は、揺るぎないものと思います。
好評連載
深読み経済ニュース
一覧へ増刷率9割の出版プロデューサーが明かす「本が売れない時代に売れる本をつくる」秘訣
[Leaders' Profile]

[連載] 深読み経済ニュース解説
2015年の経済見通し
[連載] 深読み経済ニュース解説
再デフレ化に突入し始めた日本経済
[連載] 深読み経済ニュース解説
消費税率引き上げ見送りの評価と影響
[連載] 深読み経済ニュース解説
安倍政権が解散総選挙を急ぐ理由
霞が関番記者レポート
一覧へ財務省が仮想通貨の規制に二の足を踏む本当の理由――財務省
[霞が関番記者レポート]

[霞が関番記者レポート]
加熱式たばこ増税に最後まで反対した1社――財務省
[霞が関番記者レポート]
下水道に紙おむつを流す仕組みを検討――国土交通省
[霞が関番記者レポート]
NEMの大量流出で異例のスピード対応 批判をかわす狙いも――金融庁
[霞が関番記者レポート]
バイオ技術活用提言 遺伝子の組み換えで新素材や医薬品開発――経済産業省
永田町ウォッチング
一覧へ流行語大賞に見る2017年の政界
[永田町ウォッチング]

永田町ウォッチング
支持率低下で堅実路線にシフトした安倍改造内閣の落とし穴
[永田町ウォッチング]
政治評論家、浅川博忠さんの「しなやかな反骨心」で切り開いた政治評論家への道
[永田町ウォッチング]
無党派層がカギを握る東京都議選の行方
[永田町ウォッチング]
東京都議選は“小池時代”到来の分岐点か
地域が変えるニッポン
一覧へ科学を目玉に集客合戦 恐竜博物館に70万人超(福井県勝山市、福井県立恐竜博物館)
[連載] 地域が変えるニッポン(第20回)

[連載] 地域が変えるニッポン(第19回)
コウノトリで豊かな里山 自然と共生する町づくり(福井県越前市、里地里山推進室)
[連載] 地域が変えるニッポン(第17回)
植物工場、震災地で威力 雇用創出や活性化に効果(岩手県陸前高田市、グランパ)
[連載] 地域が変えるニッポン(第16回)
道の駅を拠点に村づくり(群馬県川場村、川場田園プラザ)
[連載] 地域が変えるニッポン(第15回)
好評ぐんぐん、高糖度トマト「アメーラ」が地域に活気、雇用を創出(静岡市、サンファーマーズ)
実録! 関西の勇士たち
一覧へ稀有のバンカー、大和銀行・寺尾威夫とは
[連載] 実録! 関西の勇士たち(第20回)

[連載] 実録! 関西の勇士たち(第17回)
三和銀行の法皇・渡辺忠雄の人生
[連載] 実録! 関西の勇士たち(第14回)
住友の天皇・堀田庄三の人生
[連載] 実録! 関西の勇士たち(第11回)
商売の神様2人の友情 江崎利一と松下幸之助
[連載] 実録! 関西の勇士たち(第7回)
関西財界の歴史―関経連トップに君臨した芦原義重の長期政権
ビジネストレンド新着記事
注目企業
一覧へ次世代の医療現場を支える病院経営の効率化を推進――保木潤一(ホギメディカル社長)
1964年にメッキンバッグを販売して以来、医療用不織布などの、医療現場の安全性を向上する製品の普及を担ってきた。国は医療費を抑える診断群分類別包括評価(DPC制度)の導入や、効率的な医療を行うため病院のさらなる機能分化を実施する方針を掲げており、病院経営も難しい時代に入っている。ホギメディカルは手術室の改善か…

新社長登場
一覧へ地域に根差した証券会社が迎えた創業100周年―藍澤卓弥(アイザワ証券社長)
中堅証券会社のアイザワ証券は今年7月、創業100周年を迎えた。この記念すべき年に父からバトンを受け継ぎ新社長となったのが、創業者のひ孫にあたる藍澤卓弥氏。地域密着を旗印に掲げてここまで成長してきたアイザワ証券だが、変化の激しい時代に、藍澤社長は何を引き継ぎ、何を変えていくのか。聞き手=関 慎夫 Photo:西…

イノベーターズ
一覧へペット仏具の先駆企業が「ペットロスカフェ」で目指す癒しの空間づくり
家族のように接していたペットを亡くし、飼い主が大きな喪失感に襲われる「ペットロス」。このペットロスとなってしまった人々が交流し、お互いを癒し合うカフェが、東京都渋谷区にオープンした。「ディアペット」を運営するインラビングメモリー社の仁部武士社長に、ペット仏具の世界とペットロスカフェをつくった目的について聞いた…

大学の挑戦
一覧へ専門分野に特化した“差別化戦略”で新設大学ながら知名度・ブランド力向上を実現――了徳寺大学・了徳寺健二理事長・学長
2000年設立で、了徳寺大学が母体のグループ法人。医療法人社団了徳寺会をグループ内に持つ。大学名の「了」は悟る、了解する、「徳」は精神の修養により、その身に得た優れた品性、人格を指す。「了徳寺」は人間としての品性、道を論す館の意味を込めた大学名だ。 聞き手=本誌/榎本正義 、写真/佐々木 伸教育部…
