文化・ライフ

医療における基準値というあいまいな指標

 血液検査で使われる「基準値」は非常にあいまいな値だ。

 例えば、全国市町村などで行われている特定健診の血液検査の基準値は、「20歳代から60歳代までの健康そうな人」の血液検査の結果から作られている。「健康そう」といったあたりが実にあいまいなのだが、突き詰めていけば、「健康」の定義自体があいまいである。そのあいまいな定義に該当する人を数万人集め基準値を作ることがいかに困難かは、容易にご想像いただけるだろう。

 また奇妙なことに、医療機関によって基準値が微妙に違ったりする。つまり、ある医療機関の血液検査では正常とされても、ほかでは異常となる場合があるということだ。

 実のところ、検査結果が基準値から1〜2程度高くても、実際には病気を意味しないことがある。また、血液検査には「本人だけの正常値」があり、問題とすべきは、そこから逸脱した場合である。したがって、同じ医療機関で長年にわたり血液検査を受け、数年前と比して「上がった、下がった」を見ることに検査の本来的な意味があるのだが、いくらそう説明しても、基準値に比べてどうなのかを気にするのが人の常なようだ。

 血液検査の基準値には、もう1つ、問題がある。70歳以上の高齢者の基準値が存在しないことだ。以前、それを作るべく、厚生労働省(旧厚生省)がデータを集めたが、高齢になればなるほどデータのバラツキが大きくなり基準値が作れなかったらしい。にもかかわらず、特定健診では高齢者の血液検査を行い、60歳代までの基準値で高齢者の検査結果を判定している。判定基準が何もないと検査自体の意味がなくなってしまうので基準値の信頼度が低くとも使わざるを得ないのだろうが、それで異常・正常の判定は下せないのではないだろうか。

基準値の変更におびえる製薬会社

 最近になって、人間ドック学会が衝撃的とも言える基準値を提示した。悪玉コレステロール(LDLコレステロール)は従来、「160」までが上限とされていたが、45〜64歳までの男性は178、女性は183まで上げてもいいと発表したのだ。ほかにも収縮期血圧147㎜Hgまでだったものが、拡張期血圧94㎜Hgまでいいとしている。

 これは、人間ドック学会が、数多くの人間ドックの検査データから作り上げたものだ。もしこれが基準値として使用されるようになれば、これまで脂質異常症とされてきた人が正常となり、コレステロールを下げる薬を飲む必要がなくなる。となれば、製薬会社にとっては打撃だろう。例えば、基準値が10ほど甘くなれば、今まで異常とされてきた人が正常ということになり、何百万人の患者(市場)が一挙に消失してしまうからだ。

 しかも、最近では血圧の基準も変わってきた。従来は若・中高年の降圧目標は130/85㎜Hg未満だったが、その基準が緩くなり、140/90㎜Hgまでとなった。コレステロールの場合と同じく、この基準変更で薬が必要な患者の数は相当数減ることになる。

医療に欠落する視点と「基準値」の問題点

 数万人、数百万人のデータから作られる基準値は医学的には意義の大きなデータだ。とはいえ、人が基準値から最も知りたいのは、例えば、「血糖値120の人が実際にはどこまで健康で長生きできるか」といった点だろう。ところが、現状の基準値は、単に「病気の発症率」を測るための指標でしかない。

 また、医療経済学的な視点で言えば、検査を行うことで、どれだけ医療費を抑えられるかも大切だ。例えば、前立腺がんの早期発見のためにPSAという血液検査が行われるが、アメリカがん協会では、余命が10年以下で症状のない男性は、この検査を行うべきではないとしている。というのも、前立腺がんは高齢になると進行が遅くなるため、たとえ前立腺がんがあっても、寿命に影響しないという調査結果があるためだ。

 日本ではまだ、そこまでの視点で血液検査を見ていないが、医療費削減という効果を検査に求めるならば、血液検査や他のさまざまな検査の基準値が病気の発症率ではなく、どこまで長生きできるかの指標であるべきだろう。そうした指標を作るには、長期にわたって収集された膨大な量のデータを分析しなければならないが、少なくとも日本では全国自治体で特定健診が行われており、そのデータを国レベルで活用するという手がある。

 その活用次第で、医療費削減も決して夢ではないと思われるが、今のところ、そのような取り組みは行われていない。結果、日本の医療は特定健診データという〝ビッグデータ〟を活用できずにいる。「血液検査イコール健康管理」という発想のままでは、日本の医療費が削減されることはまずあり得ない。

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