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  <title>経済界ウェブ</title>
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  <updated>2026-04-13T05:00:02+09:00</updated>
  <subtitle>経営者、エグゼクティブなビジネスマンのためのビジネス情報サイト</subtitle>
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    <title>パンデミックもクマ被害もすべてがつながっています</title>
    <updated>2026-04-13T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>社会</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>福岡県議会議長の藏内勇夫さんは獣医師というもう一つの顔を持ちます。しかも間もなく、日本人初の世界獣医師会会長に。選ばれた理由は、これまで取り組んできた「ワンヘルス」が評価されたのだとか。ワンヘルスって何？ 今回はこのテーマを中心に盛り上がりました。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">藏内勇夫　全国都道府県議会／世界獣医師会のプロフィール</h2><div class="media">  <img alt="藏内勇夫・福岡県議会会長／全国都道府県県会議長会会長" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/iivCOHiUWYmDwbXnUbpAnPfsQyLCYUHl/2ea95791-c79e-409d-9bb0-2fac0582a3dd.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/iivCOHiUWYmDwbXnUbpAnPfsQyLCYUHl/2ea95791-c79e-409d-9bb0-2fac0582a3dd.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/iivCOHiUWYmDwbXnUbpAnPfsQyLCYUHl/2ea95791-c79e-409d-9bb0-2fac0582a3dd.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/iivCOHiUWYmDwbXnUbpAnPfsQyLCYUHl/2ea95791-c79e-409d-9bb0-2fac0582a3dd.jpg 1024w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/iivCOHiUWYmDwbXnUbpAnPfsQyLCYUHl/2ea95791-c79e-409d-9bb0-2fac0582a3dd.jpg" width="600" height="400" loading="lazy"><div class="caption">全国都道府県議会議長会会長／世界獣医師会次期会長　藏内勇夫<br>くらうち・いさお　1953年福岡県生まれ。日本大学農獣医学部獣医学科卒。83年から10期連続福岡県議会議員。2025年6月全国都道府県議会議長会会長。13年日本獣医師会会長、22年アジア獣医師会連合会長、今年4月に世界獣医師会会長に就任する。</div></div><h2 id="-">世界獣医師会会長に大差で選ばれた理由</h2><p>佐藤　藏内さんは昨年４月に２度目の福岡県議会議長となり、６月には全国都道府県議会議長会会長に選ばれるなど、地方議会を代表する政治家として知られています。でも元々は獣医師さんで、４月には日本人として初めて世界獣医師会会長に就任されるとか。おめでとうございます。</p><p>藏内　ありがとうございます。選挙は２年前に行われたのですが、私以外に、ヨーロッパ獣医師会会長、アフリカ獣医師連合会長、そしてイギリス獣医師会会長が立候補しました。こういう選挙はだいたい英語圏の人が強い。しかもイギリスの方は女性です。どうなるかと思ったのですが、フタを開けてみれば最初の投票で私が７割を獲得して会長に選ばれました。</p><p>佐藤　すごい支持率ですね。何が決め手だったのですか。</p><p>藏内　長年私が取り組み、ライフワークでもある「ワンヘルス」が国際的にも評価されたようです。</p><p>佐藤　ワンヘルスとは、ワンちゃんの健康？ ペットを飼う人も増えていますしね（笑）。</p><p>藏内　国会議員の先生に説明した時も同じことを言われました（笑）。でも全然違います。「人の健康」「動物の健康」「環境の健全性」は相互に関連する一つ（Ｏｎｅ）の健康であり、一体的に守っていくという考え方です。</p><p>　地球温暖化など、地球環境はどんどん破壊されています。パンデミックも数年ごとに起きています。そして日本のクマ被害に代表されるように、人間と自然の共生も難しくなっています。実はこれらはすべてつながっています。これを解決するのがワンヘルスです。</p><p>佐藤　地球温暖化とパンデミックがつながっているんですか。</p><p>藏内　気候変動によって生物多様性が失われつつあります。さらには環境破壊、人口増加が加わります。人口が増えると食料を増産するために自然を壊して田畑をつくる、ジャングルを開発する。その結果、さらに温暖化は進むしウイルスと接近する可能性が増えていきます。</p><p>　だからこそ、毎年のように世界のどこかで新しいウイルスによる被害が出ているのです。</p><p>佐藤　それを防ぐには単に獣医師の枠にとどまらない対策が必要ですね。</p><p>藏内　私は日本獣医師会会長として、獣医師と医師の連携体制をつくりました。今では世界医師会と世界獣医師会もワンヘルスのＭＯＵ（基本合意書）を結んでいますが、日本はその先駆けでした。加えて行政が積極的に実践に取り組む基盤となった「ワンヘルス推進基本条例」（福岡県）の実現に努力してきました。</p><p>　さらに言えば、日本には狂犬病の克服という世界に誇れるワンヘルスの成功例を持っています。日本では１９５０年代を最後に、狂犬病の国内発生が確認されていません。これは世界的にも極めて稀なケースです。これは獣医師と医師が一緒になって取り組んできた成果です。</p><p>　こうした日本の取り組みを世界に広め、「健康な地球」を守りたい、と考え世界獣医師会会長に挑戦したのですが、世界の多くの方々がこの考えを支持してくださいました。</p><div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/WmPTCjokbtJCEDGtJEBSUudtucQzWzJR/8765382b-d387-4b86-bcc6-113b84e91861.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="藏内勇夫・福岡県議会" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/WmPTCjokbtJCEDGtJEBSUudtucQzWzJR/8765382b-d387-4b86-bcc6-113b84e91861.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/WmPTCjokbtJCEDGtJEBSUudtucQzWzJR/8765382b-d387-4b86-bcc6-113b84e91861.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/WmPTCjokbtJCEDGtJEBSUudtucQzWzJR/8765382b-d387-4b86-bcc6-113b84e91861.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/WmPTCjokbtJCEDGtJEBSUudtucQzWzJR/8765382b-d387-4b86-bcc6-113b84e91861.jpg 2048w"></div><h2 id="-">クマ被害が減っても自然の仕返しが心配</h2><p>佐藤　ところで、先ほどクマ被害の話が出ましたが、獣医師としてこの問題をどうとらえていますか。昨年はクマ被害のニュースのない日はなかったほどですし、ゴルフ場にも出没しています。ゴルフ好きの私としては気が気でなりません。</p><p>藏内　ワンヘルスが破綻した典型的な例だと思います。</p><p>　昔の日本は里山という、山の自然と人間の住む世界の間に緩衝地帯がありました。ところが人間の生活圏が里山に入り込んだためにそれがなくなってきた。その分、クマと人間が遭遇する機会が増えています。</p><p>　しかも耕作放棄地や空き地が増え、柿の木などが放置されています。この美味しさを知ったクマは、どんどん人間の生活圏に入るようになっています。</p><p>佐藤　昔はクマよけの鈴をつけていればクマに会わずにすむと言われていたのに、今では人間を恐れないクマが増えているような気がします。</p><p>藏内　遭遇の機会が増えたことで、クマは人間に慣れ、恐れなくなっています。だから平気で人の住む家に入ってきてエサをあさっています。</p><p>佐藤　あまりの被害の多さに、昨年、クマへの発砲条件が緩和され、実際、多くのクマが駆除されています。獣医師として複雑な気持ちではないですか。</p><p>藏内　昨年、木原稔官房長官と面談した時も、人命が脅かされていることを捉えれば、短期的には殺処分はやむを得ないと思うとお答えしました。</p><p>　でもそれで終わる話ではありません。クマの数が少なくなれば、生態系が壊れてしまいます。クマ被害は減るかもしれませんが、違う形で自然からしっぺ返しをくらうかもしれません。これはクマに限った話ではなく、イノシシやシカなどの野生動物は皆同じです。野生動物は一定の頭数管理をしなければ人間との共存・共栄は困難です。それだけではなく生活圏をわける棲み分けに向けて人間が努力すべきです。</p><p>佐藤　このことだけでも、ワンヘルスの実現がいかに難しいかがわかります。藏内さんはこれから２年間にわたり、ワンヘルスの世界のリーダーとして活動なさっていくわけです。健康な地球が守れるよう、子どもたちの世代に引き継げるよう、その活躍に期待しています。</p><p>藏内　期待に応えるよう全力で取り組みます。    </p><div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/igdqMfNoPRhoesrvPmvVuAjpHZZazqYc/dc90e9f4-9a2f-48d1-929a-474c483af5c1.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/igdqMfNoPRhoesrvPmvVuAjpHZZazqYc/dc90e9f4-9a2f-48d1-929a-474c483af5c1.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/igdqMfNoPRhoesrvPmvVuAjpHZZazqYc/dc90e9f4-9a2f-48d1-929a-474c483af5c1.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/igdqMfNoPRhoesrvPmvVuAjpHZZazqYc/dc90e9f4-9a2f-48d1-929a-474c483af5c1.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/igdqMfNoPRhoesrvPmvVuAjpHZZazqYc/dc90e9f4-9a2f-48d1-929a-474c483af5c1.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="藏内勇夫・福岡県議会"></div>]]></content>
    <published>2026-04-13T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3339" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[福岡県議会議長の藏内勇夫さんは獣医師というもう一つの顔を持ちます。しかも間もなく、日本人初の世界獣医師会会長に。選ばれた理由は、これまで取り組んできた「ワンヘルス」が評価されたのだとか。ワンヘルスって何？ 今回はこのテーマを中心に盛り上がりました。（雑誌『経済界』2026年5月号より） 藏内勇夫　全国都道府県議会／世界[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>嵐のツアーや紅白歌合戦に参画 AIで業界構造を変える企業の挑戦</title>
    <updated>2026-04-13T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3338</id>
    <category>文化・ライフ</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>NHK紅白歌合戦、大阪・関西万博、嵐のコンサートツアーなど日本を代表する大型イベントの演出を次々と手がけるクリエーター集団・popx。トヨタ自動車や東京建物との協業など、業種を超え、産業構造そのものを変えようとする若き経営者に、日本のエンターテインメントの未来を聞いた。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-popx-">渡辺大聖　popxのプロフィール</h2><div class="media">  <img loading="lazy" alt="渡辺大聖" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/VKxbWhPhcSHveGRjmJQDNiUXwUSgEHDw/7d32bbee-33ed-4579-ae69-9e955610b6d6.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/VKxbWhPhcSHveGRjmJQDNiUXwUSgEHDw/7d32bbee-33ed-4579-ae69-9e955610b6d6.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/VKxbWhPhcSHveGRjmJQDNiUXwUSgEHDw/7d32bbee-33ed-4579-ae69-9e955610b6d6.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/VKxbWhPhcSHveGRjmJQDNiUXwUSgEHDw/7d32bbee-33ed-4579-ae69-9e955610b6d6.jpg 1024w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/VKxbWhPhcSHveGRjmJQDNiUXwUSgEHDw/7d32bbee-33ed-4579-ae69-9e955610b6d6.jpg" width="600" height="400"><div class="caption">popx社長CCO　渡辺大聖<br>わたなべ・たいせい　teamLabで空間演出を学び、独立。ドームクラスのコンサートをはじめ、リアル／バーチャルを問わずさまざまなアーティストのステージを手がける演出家。嵐やTWICEのほか、NHK紅白歌合戦や大阪・関西万博の開幕式など日本を代表する大型イベントの演出を担う。池袋の未来型ライブ劇場harevutaiのコンセプト設計に参画するなど、エンターテインメントと街をつなげる地域創生にも携わる。コロナ以降の5年間、毎月海外に渡り大型エンターテインメント・イベントをリサーチし、世界のトレンドを日本の演出に取り込み続けている。４人組バンド・Sir Vanityのメンバーでもあり、自らもステージに立つ。</div></div><h2 id="-">ｔｅａｍＬａｂから独立 エンタメ分野を主軸に創業</h2><p>──　２０２４年の創業前から演出家、総合プロデューサーとして活動されていました。</p><p>渡辺　コンテンツ制作を手がけるデジタル分野の専門家集団・ｔｅａｍＬａｂに10代から身を置いて、空間演出の仕事に携わるようになりました。当時は会社に寝泊まりして、24時間仕事漬けの修業の日々でした。そこからデジタル演出を覚えて、自分のアート作品を制作してきたことが原体験になります。</p><p>　その後、最新技術を使った新たな表現をエンターテインメント分野に応用するミドルウェアの会社を立ち上げ、15年に独立しました。そして、テクノロジーの進化とともに差別化が難しくなるなか、自身を「技術フィールドが得意な演出家」と定義し直して、18年に空間演出会社を立ち上げています。</p><p>　そこから次第に世界に通用するコンテンツや世界一の公演の制作を目指すようになり、同じ目的やゴールがあって熱量を共有できるチームになるクリエーターギルド・ｐｏｐｘを創業しました。</p><p>──　昨年の大阪・関西万博のほか、嵐のコンサートツアー、ＮＨＫ紅白歌合戦など大型の案件を手がけています。どう受注してきたのですか。</p><p>渡辺　ありがたいことに営業的なことは一切していないんです。それまでの人脈から依頼が来たり、人づてに紹介を受けたりして、大きなプロジェクトの座組に入ることが多い。僕は映像の演出やテクニカル・ディレクション、総合演出と、細分化された職務のなかでいろいろな役割をこなすので、汎用性が高いかもしれません（笑）。イベントごとに一緒に仕事をしたプロデューサーやクリエーターから、その次も声をかけていただくことが多いですね。</p><p>──　紅白や万博では、どのような部分を担ったのでしょうか。</p><p>渡辺　紅白は18年と19年に前社で担当した時は、歌手ごとに変わる大道具のセットを、リアルではなくＡＲを使った映像にするデジタル演出を手がけました。ＣＧ上に美術セットや照明を入れて、グリーンバックで抜いた人を立たせることで、地続きの空間のような映像を作ることができます。ＡＲカメラで前面にエフェクトを乗せたりもしました。現実と仮想のセットをＣＧで拡張する、テレビだからできる演出でした。ｐｏｐｘを立ち上げてからは「すとぷり」のイベントの映像演出を毎年担当しています。</p><p>　大阪・関西万博では開幕式の映像演出を担当しました。独自開発した「Digital Twin Simulator」を使用して、会場のシャインハットをＣＧで高精細にモデリングし、プロジェクターや照明、人の動線までＣＧ空間に配置してシミュレーションを行いました。</p><p>　これにより、影が出ないステージ設計や、映像・音楽を含めた演出の事前検証が、本番前にすべてデジタル上で完結します。映画業界でいうプリビズ（事前可視化）のライブエンターテインメント版です。</p><p>　嵐は、20年のコロナ禍の配信ライブで、カメラの画角のなかで、メンバーと背後の映像、前面のＡＲを１つの世界に同居させて、どのような体験を作れるかという演出に携わっていました。全体の３分の１ほどを手がけています。</p><p>──　一般企業との協業実績もありますか。</p><p>渡辺　創業メンバーは個々に会社を持っていて、それぞれのフィールドで幅広い業種の一般企業案件を多く抱えています。そのスペシャリストが集まって、大きいことをやろうというのがｐｏｐｘです。</p><p>　僕個人としては、トヨタ自動車とも仕事をしています。同社の未来の車を提案する研究開発チームと一緒に、全体的なデザイン設計や、車内のシステムＵＩ（ユーザーインターフェイス）開発などに携わってきました。ほかにも上越市立水族博物館の生き物と映像を同居させる展示設計や、東京国際フォーラムの20周年記念イベントの空間演出も手がけています。</p><p>　また、前社時代には東京建物とポニーキャニオンと協業し、池袋の未来型ライブ劇場ｈａｒｅｖｕｔａｉをコンセプト設計から携わりました。最近は音楽やエンターテインメントを取り込む地域創生の街づくりに参画し、コンセプトから人を呼ぶ仕組みづくりまで、総合的にディレクションしています。ｐｏｐｘでは、街を「建物の集合」ではなく、「連続する体験がインストールされた環境」として捉えています。劇場、展示空間、路上、デジタル空間が同じ思想と物語でつながる状態になります。</p><h2 id="-">日本のエンタメ業界の課題 克服のために見据える世界</h2><p>──　世界を目指す渡辺さんが日本のエンターテインメントの課題に感じていることはありますか。</p><p>渡辺　現状の日本のエンターテインメントは、欧米のように世界中の人々に向けて作っていません。世界中から観光客が日本を訪れているのに、彼らに楽しんでもらうモチベーションがないんです。あらゆる面で内向きになりがちで、国内のファンとライトな層の間でバズを起こすことが主目的になっています。</p><p>──　そこにどう切り込んでいくのでしょうか。</p><p>渡辺　25年1〜10月の訪日外国人消費額は９・２兆円という観光庁のデータがありますが、米調査会社によると、そのうちエンターテインメントの消費は１割に満たないんです。その１位は、ゲームのコスプレで街中をゴーカートで走るアクティビティです。ほかには新宿のゴールデン街や浅草などの観光地に集約されます。</p><p>　ｔｅａｍＬａｂによる「バイオヴォルテックス京都」や「プラネッツ」「ボーダレス」は連日外国人で満員ですが、このような全世界の人々に向けたエンターテインメントで収益を得ていく発想が、業界全体としてほとんどない。その世界市場は年々拡大しているのに、日本はその波に乗れていません。</p><p>　もちろん国内の瞬間的なバズはビジネスとして狙うべきです。でもそれは消費でしかない。それを目的にするのではなく、普遍性があり、国境を越えて誰にでも届くようなエンターテインメントを作っていくことが、今この業界に求められています。</p><p>──　そのためのｐｏｐｘの手法を教えてください。</p><p>渡辺　目線を常に世界に向けています。この５年間のライフワークとして、毎月海外に行って、その時々のテーマでその国のエンターテインメントを体感し、観客の心を動かす術や世界のトレンドを学んでいます。60回以上の渡航で得た知見を、自分のフィルターを通して日本ならではのエンターテインメントに落とし込む。そういった仕事を続けてきて、昨年の大阪・関西万博の開幕式の演出など、日本を代表する大きなイベントに関わらせていただいています。</p><p>　どんなイベントにおいても、特定のＩＰのファン以外の人が観ても楽しめるように、全体的なストーリーと演出を作り込む。それが僕なりのｐｏｐｘのポリシーです。</p><h2 id="-">技術と仕組みで日本発のエンタメを世界に届ける</h2><p>──　世界共通で人を喜ばせる要素のようなものは得られていますか。</p><p>渡辺　２つあります。１つはとにかく規模の大きいもの。いろいろな素材を活用したスケールの大きなコンテンツは、世界共通で人を引きつけます。もう１つは、キラキラと輝き、超没入感のあるダイナミックな映像と音響です。アニメやゲームなど人気コンテンツとなるＩＰ以外では、この２つの要素がないと世界では勝負になりません。</p><p>　最近の例では、さいたまスーパーアリーナで開かれた「あんさんぶるスターズ!!」10周年ライブの総合演出を手がけた際に、同会場史上最大サイズのスクリーンを設置して８Ｋ（４Ｋの４倍の解像度）の映像を流しました。</p><p>　なぜそれをやったかというと、16Ｋの映像を映す米ラスベガスのスフィアに乗り込もうと考えた時に、その映像を長時間分制作するワークフローがまだない。であれば、まず日本でできる極大サイズで技術的なテストを重ねなければならない。同時に、世界中の人たちが楽しめる普遍的な映像の作り方の仕組みを開発する必要がある。あのライブは、作品であると同時に、世界に出ていくためのＲ＆Ｄでもあります。</p><p>──　未来に向けてこれから取り組んでいくことを教えてください。</p><p>渡辺　３つあります。１つは、外部プロジェクトで作った映像やＣＧの演出データなどさまざまなコンテンツをアーカイブすること。制作物を「消費して終わり」にせず、資産として蓄積します。これらのデータをいつでも人やＡＩが再利用できるようにすることで、制作コストを下げると同時に、高クオリティを担保します。</p><p>　また、今年はアート業界に切り込みます。蓄積したエンターテインメントの素材を、１つのテーマを元に再編し、アートとして再生産します。　次がＡＩクルーモデル（人間のスペシャリストがさまざまな専門分野のＡＩをチームメンバーとして編成してプロジェクトを推進する）を軸としたクリエーティブワークフローの体系化。ＡＩが０から１を作るためのフローをプロダクト化して、業界全体のスタンダードにしていきたいと考えています。このＡＩクルーと前述のデジタルツインのパイプラインを最大のビジネスモデルの核に据えています。</p><p>　もう１つが、ライブやイベントのデジタルアーカイブ化です。映像、音楽、照明など、生のステージを形作るあらゆる信号を生データとしてレコーディングし、図書館のように補完・管理をして、何年〜何十年後でも、そのデータで当時の空間や演目をそのまま再現できるようにする仕組みです。再現だけでなく、そこから改変して新しい作品を生み出すこともできます。10〜20年後には、ＶＲやＭＲを超えた新しい形のライブ再演も視野に入っています。</p><p>　この３つの取り組みが回り始めれば、受託だけに依存しない自社ＩＰを生み出すブランドになることができる。ここから、業界構造を作り変え、世界中の誰もが楽しめる普遍的かつ感動的なエンターテインメントを作っていきます。    </p><div class="media">  <img width="600" height="400" loading="lazy" alt="popx" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/cAukZZeRvOsyqZBpNJPSHHZFNwFyVpzu/f9b8ac7b-fb0c-48c5-84bc-a460fd0c9d8a.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/cAukZZeRvOsyqZBpNJPSHHZFNwFyVpzu/f9b8ac7b-fb0c-48c5-84bc-a460fd0c9d8a.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/cAukZZeRvOsyqZBpNJPSHHZFNwFyVpzu/f9b8ac7b-fb0c-48c5-84bc-a460fd0c9d8a.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/cAukZZeRvOsyqZBpNJPSHHZFNwFyVpzu/f9b8ac7b-fb0c-48c5-84bc-a460fd0c9d8a.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/cAukZZeRvOsyqZBpNJPSHHZFNwFyVpzu/f9b8ac7b-fb0c-48c5-84bc-a460fd0c9d8a.jpg"><div class="caption">popxが映像演出を手がけた大阪・関西万博のオープニングセレモニー（EXPOホール「シャインハット」）のステージ（EXPO 2025 大阪・関西万博 / Photo : Yoko Seyama）</div></div>]]></content>
    <published>2026-04-13T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3338" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[NHK紅白歌合戦、大阪・関西万博、嵐のコンサートツアーなど日本を代表する大型イベントの演出を次々と手がけるクリエーター集団・popx。トヨタ自動車や東京建物との協業など、業種を超え、産業構造そのものを変えようとする若き経営者に、日本のエンターテインメントの未来を聞いた。（雑誌『経済界』2026年5月号より） 渡辺大聖　[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>科学的根拠で障がい者を「戦力」に地方から変える雇用の社会インフラ</title>
    <updated>2026-04-10T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3337</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>２０２５年12月、障がい者雇用支援のスタートラインが東証グロースへ上場した。応用行動分析学など科学的根拠に基づく支援技術で、企業の法定雇用率達成と定着を両立させる。西村賢治社長に、異色の起業経緯から上場申請取り下げを経ての再挑戦、そして数合わせではない「戦力としての雇用」を生み出す成長戦略と、技術の核心を聞いた。文＝佐藤元樹　Photo＝山内信也（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">西村賢治　スタートラインのプロフィール</h2><div class="media">  <img width="600" height="400" loading="lazy" alt="西村賢治・スタートライン" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/fJXdFqhiuCEofJcuJhhgqYJpNqSIkVAN/3ec6c30a-d02f-45b5-9879-eb5551289f8e.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/fJXdFqhiuCEofJcuJhhgqYJpNqSIkVAN/3ec6c30a-d02f-45b5-9879-eb5551289f8e.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/fJXdFqhiuCEofJcuJhhgqYJpNqSIkVAN/3ec6c30a-d02f-45b5-9879-eb5551289f8e.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/fJXdFqhiuCEofJcuJhhgqYJpNqSIkVAN/3ec6c30a-d02f-45b5-9879-eb5551289f8e.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/fJXdFqhiuCEofJcuJhhgqYJpNqSIkVAN/3ec6c30a-d02f-45b5-9879-eb5551289f8e.jpg"><div class="caption">スタートライン社長　西村賢治<br>にしむら・けんじ　滋賀県出身。人材業界を経て40歳で起業。2009年、株式会社スタートライン設立。科学的根拠に基づく独自の支援モデルを確立。障がい者雇用の社会インフラ構築により、業界の変革と社会課題の解決に挑む。<br><br>会社概要：スタートライン<br>科学的根拠に基づく障がい者雇用支援のリーディング企業。応用行動分析学（ＡＢＡ）等の独自技術と、屋内農園「ＩＢＵＫＩ」や焙煎所「ＢＹＳＮ」など多様な就労モデルの提供により、企業の課題解決と障がい者の活躍を両立。「誰もが自分らしく生きる社会」の実現を目指す。</div></div><h2 id="-">常識にとらわれないキャリアと場所１の構造改革</h2><p>　スタートライン社長、西村賢治は滋賀県で育った。「毎日が楽しければいい」という価値観で、20代の大半をアルバイトで過ごした。当時の思考の射程は、わずか１週間先。転機は27歳での結婚だ。無職でプロポーズし、パートナーから将来を問われた西村は一念発起。人材業界で人生初の正社員となり、社会との接点を持った。この世間の枠組みにとらわれない価値観を持ったままビジネスの世界へ足を踏み入れたことが、西村に独自の視点をもたらした。30代の頃、脳性麻痺を患う人物が、杖をつきながら満員電車で都心へ通勤していた。人混みでバランスを崩し、スーツを汚しながらも都心のオフィスへ向かう姿に、西村は違和感を覚えた。「なぜ、これほどの困難を伴う移動をしてまで、都心へ通う必要があるのか」。</p><p>　調査の結果、大企業の求人は東京23区に集中するが、求職者は全国に点在する「場所のミスマッチ」が浮き彫りになった。西村は「仕事の方を人のいる場所へ移す」サテライトオフィスを考案。39歳で起業を決意し、同僚の長谷川新里と白木孝一（現取締役）を誘って辞表を出した。</p><p>　創業直後、実績ゼロながら上場企業１社が導入を即決。その後１年間は苦戦したが、訴求内容を修正し続け、現在顧客の65％以上を上場企業グループが占める信頼を築いた。</p><div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/450/OMiwHxAJizmpPllvyQwcdxUNRCWakqjg/8da68545-3ed5-45b1-93eb-afc1ce5c5ef1.jpg" width="600" height="450" loading="lazy" alt="スタートライン" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/375/OMiwHxAJizmpPllvyQwcdxUNRCWakqjg/8da68545-3ed5-45b1-93eb-afc1ce5c5ef1.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/450/OMiwHxAJizmpPllvyQwcdxUNRCWakqjg/8da68545-3ed5-45b1-93eb-afc1ce5c5ef1.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/450/OMiwHxAJizmpPllvyQwcdxUNRCWakqjg/8da68545-3ed5-45b1-93eb-afc1ce5c5ef1.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/262/OMiwHxAJizmpPllvyQwcdxUNRCWakqjg/8da68545-3ed5-45b1-93eb-afc1ce5c5ef1.jpg 350w"><div class="caption">スタートライン創業メンバーの3人（左から白木孝一、西村賢治、長谷川新里）<br>写真提供：スタートライン</div></div><h2 id="-">「人のせい」にしない 科学的マネジメント</h2><p>　場所の提供以上に同社が支持される理由は、現場で実践される「科学的支援」の具体性にある。</p><p>　精神・発達障がいを持つ社員が、業務中に突然フリーズしてしまったり、ミスを繰り返したりした際、一般的な職場ではどう対応するだろうか。「もっとやる気を出せ」「注意力が足りない」と、個人の性格や内面に原因を求め、精神論で解決しようとするケースが大半だ。これでは当事者は追い詰められ、離職につながる。</p><p>　これに対し、同社が導入した応用行動分析学（ＡＢＡ）は、行動を環境との相互作用として分析する。例えば、業務が滞った場合、支援者は「やる気」という曖昧な言葉を使わない。「マニュアルの文字が小さすぎて読めないのではないか（先行事象）」「できた瞬間に褒められなかったため、正解か不安になっているのではないか（結果事象）」と、前後の環境に原因を探る。そして、「文字を大きくする」「作業完了後、即座にＯＫサインを出す」といった具体的な環境調整を行うことで、行動を変容させるのだ。</p><p>　また、第三世代の認知行動療法（ＡＣＴ）を用い、ネガティブな感情を無理に消そうとせず、「不安だけど、仕事には手を付けよう」と行動へ意識を向けるトレーニングも行う。同社はこれら支援のノウハウを、特許取得の独自のシステムに実装した。日々の支援記録をデータ化し、ＡＩが最適な介入方法を提示することで、熟練の支援者がいなくても高水準な定着率を実現している。</p><p>　同社の事業モデルは、サテライトオフィスだけにとどまらない。障がい者の特性と業務内容をマッチングさせ、新たな価値を生み出す事業として注目されるのが、屋内農園型支援「ＩＢＵＫＩ（イブキ）」と、22年から本格展開するコーヒー焙煎事業「ＢＹＳＮ（バイセン）」である。</p><p>　ＩＢＵＫＩは、天候に左右されない屋内でハーブや野菜を栽培し、成果物を企業のノベルティや福利厚生として活用するモデルだ。植物に触れる作業は精神的な安定をもたらしやすく、対人ストレスが少ない環境は、精神・発達障がいを持つ人々の定着率を高める。</p><p>　さらに一歩踏み込んだのがＢＹＳＮだ。これは、単純作業中心とされがちな障がい者の業務を、専門技術を要する「職人仕事」へ転換する試みである。コーヒー豆の焙煎には、微細な色の変化や香りの違いを見極める高度な感覚と、手順を正確に守る集中力が求められる。こうした業務特性は、特定の感覚が鋭敏であったり、ルーチンワークへの没頭を得意とする発達障がいなどの特性と高い親和性を持つ。</p><p>　つまり、これまでの障がい者雇用が「苦手な部分を補いながら働く」福祉的側面が強かったのに対し、ＢＹＳＮは障がい特性をプロフェッショナルな職能として生かす戦略である。焙煎士やバリスタという明確なキャリアパスを提示することで、労働者の自己効力感を高め、結果として高品質な製品を生み出す。これが「支援」と「ビジネス」を両立させる同社の思想である。</p><h2 id="-">上場申請取り下げを経て挑む「第２創業」</h2><div class="media">  <img width="600" height="400" loading="lazy" alt="スタートライン_上場セレモニー写真" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/BizmSYxDwTgflSCHndYJyZZAwlGDKuNk/00ddc24e-24c8-4997-b941-cc8f8d101722.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/BizmSYxDwTgflSCHndYJyZZAwlGDKuNk/00ddc24e-24c8-4997-b941-cc8f8d101722.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/BizmSYxDwTgflSCHndYJyZZAwlGDKuNk/00ddc24e-24c8-4997-b941-cc8f8d101722.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/BizmSYxDwTgflSCHndYJyZZAwlGDKuNk/00ddc24e-24c8-4997-b941-cc8f8d101722.jpg 1024w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/BizmSYxDwTgflSCHndYJyZZAwlGDKuNk/00ddc24e-24c8-4997-b941-cc8f8d101722.jpg"><div class="caption">上場セレモニーでの集合写真<br>写真提供：スタートライン</div></div><div class="media">  <img alt="スタートライン_上場セレモニー写真" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/TXxLNZjpJSlCVgAagRaOkTciTTRfBhik/cbc7793e-b6ef-42e2-b83d-544afc181dda.jpg 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class="caption">上場セレモニーで鐘を打つ西村<br>写真提供：スタートライン</div></div><p>　２０２５年12月、同社は東証グロース市場へ上場した。実は、23年２月にも上場申請を行っており、審査は最終段階まで進んでいた。しかし、西村はこの申請を自ら取り下げている。外部環境の変化に加え、当時の社内体制が上場企業としての水準に達していないと判断したためだ。ゴール目前での撤退は苦渋の決断だったが、無理をして上場しても社会に貢献し続けることはできない。「身の丈に合っていない」という評価を下し、そこから２年間、ガバナンスの再構築と事業成長性の論証に注力した。再申請においては、科学的支援による高い定着率と、独自モデルの持続可能性が評価され、承認に至った。調達資金は、地方都市への展開加速に充当する。これまでの大都市圏に加え、今後は人口10万人規模の都市をターゲットとする。新潟県三条市（人口約９万人）や茨城県牛久市での成功事例は、人材競合の少ない地方都市こそが、安定的な障がい者雇用を実現するスイートスポットであることを証明した。</p><p>　今年７月には法定雇用率が２・７％へ引き上げられる。企業は義務としての雇用から、人的資本経営の一環としての戦力ととらえた雇用への転換を迫られている。西村は「社会は変えようと思えば変えられる」と語る。科学とビジネスの力で雇用の質を変え、社会インフラとして定着させる。スタートラインの第２創業は、上場を機に加速する。（文中敬称略）    </p><div class="media">  <img height="400" loading="lazy" alt="西村賢治・スタートライン" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/gMLYsYpRwETzcUQTyVTfQWEWHYdQVMnS/ab43a64d-b51e-4b28-8213-753957fa13ce.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/gMLYsYpRwETzcUQTyVTfQWEWHYdQVMnS/ab43a64d-b51e-4b28-8213-753957fa13ce.jpg 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    <published>2026-04-10T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3337" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[２０２５年12月、障がい者雇用支援のスタートラインが東証グロースへ上場した。応用行動分析学など科学的根拠に基づく支援技術で、企業の法定雇用率達成と定着を両立させる。西村賢治社長に、異色の起業経緯から上場申請取り下げを経ての再挑戦、そして数合わせではない「戦力としての雇用」を生み出す成長戦略と、技術の核心を聞いた。文＝佐[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>経済界ＧｏｌｄｅｎＰｉｔｃｈ２０２５審査員特別賞 部活動指導にアスリート人材を派遣 スポーツの価値向上と社会変革を目指す</title>
    <updated>2026-04-09T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>働き方改革の波は学校教育の現場にも及んでいる。現在、特に注目されているのが、部活動の指導にかかる教員の負担だ。放課後だけでなく休日返上で無償労働を余儀なくされる状況に、多くの教師が悲鳴を上げている。この課題解決に取り組んでいるのが、アーシャルデザインＣＥＯの小園翔太氏である。文=吉田 浩　Photo= Rang（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">小園翔太　アーシャルデザインのプロフィール</h2><div class="media">  <img height="400" loading="lazy" alt="小園翔太　アーシャルデザイン" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/pGhLQAWjSDEoOQBZfiozBJzvWJAAHgXU/c397da71-34c9-4db3-91ba-6cd457af0503.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/pGhLQAWjSDEoOQBZfiozBJzvWJAAHgXU/c397da71-34c9-4db3-91ba-6cd457af0503.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/pGhLQAWjSDEoOQBZfiozBJzvWJAAHgXU/c397da71-34c9-4db3-91ba-6cd457af0503.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/pGhLQAWjSDEoOQBZfiozBJzvWJAAHgXU/c397da71-34c9-4db3-91ba-6cd457af0503.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/pGhLQAWjSDEoOQBZfiozBJzvWJAAHgXU/c397da71-34c9-4db3-91ba-6cd457af0503.jpg" width="600"><div class="caption">アーシャルデザインCEO　小園翔太<br>こぞの・しょうた　1988年生まれ、鹿児島県出身。日本大学経済学部卒業後、スポーツイベント企業を経て、HR系企業に入社。2014年アーシャルデザインを設立し、スポーツの力で産業の成長を促進し、社会をアップデートするプラットフォーム事業「SportsForce」を展開。</div></div><h2 id="-">「働き方改革」を背景に公立教育の領域に参入</h2><p>　アーシャルデザインは２０１４年設立で、スポーツ人材のＨＲ事業からスタートし、20年に「スポーツ人材×ＩＴ領域」の事業を加え、24年から中学校に部活動の指導者を派遣する事業に本格的に取り組み始めた。サービスを導入する学校は増え続け、直近２年間で首都圏を中心に４５１校への指導者派遣実績がある。</p><p>　教員の時間外労働の44％は部活動の指導というデータが示すように、その負担軽減は深刻な課題だ。教員の働き方改革を国策として、文部科学省は教員が休日に活動しなくてもよい仕組みづくりとともに、生徒の活動機会確保のために地域人材・外部指導者の活用などを進めている。この流れを受けて、業界で知名度の高いアーシャルデザインにある自治体から相談を持ち込まれたのが、新事業を開始するきっかけとなった。</p><p>　学生時代にプロテニスプレーヤーを目指していたという小園氏が起業した背景には、競技を通じて得られる「心の強さ」や「チームを動かす力」などに着目し、「スポーツをやってきた人たちが社会で輝けるようにし、スポーツの普遍的な価値を世の中に伝えたい」という思いがあった。元アスリートや体育会学生を企業に紹介するＨＲ事業からスタートし、人材ネットワークづくりのために、オウンドメディアを通じたブランディングに注力したり、人気サッカー漫画『ＧＩＡＮＴ ＫＩＬＬＩＮＧ』とコラボして、漫画の登場人物やストーリーをモチーフにしたイベントやコンテンツを提供したりするなど、さまざまな手法を駆使して認知度を高めていった。</p><p>　現在は引退したアスリートにプログラミング教育を施して、ＩＴ／ＤＸエンジニアとして派遣する事業が主力の１つだ。加えて、これまで民間事業者がなかなか参入できなかった公立学校教育の領域に参入したことで、新たな可能性を広げている。</p><h2 id="-">ＡＩ全盛時代だからこそ人間の強さを生かしたい</h2><p>　部活動の地域展開は国策ではあるものの、「当初は、部活がそんなに大変な状況とは全然知らなかった」と小園氏が語るように、取り組みはまだ端緒についたばかりだ。同氏はまず、自治体などへのリサーチから着手し、約１年間の準備期間を経て実行フェーズに移った。</p><p>　派遣する指導者は、既に人材紹介事業に登録している元アスリートに声を掛けたり、部活動の指導者に特化したウェブメディアを新たに作ったりして集めている。この他、自治体のスポーツ協会登録者などにも協力を仰ぐ。事業予算は自治体から預かる形になるが、実際に現場で関わる「学校教員、校長、保護者といった現場の担当者たちとのコミュニケーションが重要」と、小園氏は言う。</p><p>　活動を展開する上での課題もある。部活動顧問としてのやりがいを感じている教員もいるため、学校によってはいきなり全ての指導を外部委託するのは難しいケースがある。また、財源となる予算規模も、自治体によって大きく異なる。スポーツ庁も補助金予算を設けているが、まだ不足しているところが大半だという。首都圏は予算確保の意志が強い一方、地方は「人もお金もない」というところも多い。国に頼らず何とかしたいと考える自治体が多い一方、資金集めに困っているのが実情だ。</p><p>　そこで、財源確保に向けた取り組みとして取り入れたのが、企業からの寄付、協賛モデルだ。受け皿として一般社団法人を立ち上げ、協賛金を企業が広告宣伝費として落とせる形を用意した。また、ＩＴエンジニア育成の実績を生かして、部活動の地域移行を支援する運営管理アプリも開発。このように、自治体が困っている課題を解決するラインアップを増やしていったことで、サービスを導入する自治体が増加している。</p><p>　中学生世代の部活動を担うことによって、たとえば地域のスポーツ施設管理を行ったり、高齢者を含めたコミュニティビジネスを展開したりといった形の派生事業も視野に入れる。これら周辺領域を含めた市場規模は約２兆円に及ぶという。</p><p>　参考にしたのが、ドイツで普及しているスポーツフェライン制度だ。同制度には国民の約３分の１が参加し、世代を問わず誰もが平等な立場でスポーツを楽しめる社会文化を形成している。スポーツを楽しむだけでなく、地域コミュニティの土台にもなっている。日本では１５０年の歴史を持つ学校部活動の継続が少子化や教員不足で難しくなる中、その伝統を生かしながらも、新たな形で発展させていく未来を小園氏は模索している。</p><p>　「生成ＡＩなどテクノロジー全盛の時代だからこそ、スポーツや音楽といった〝人の感性を磨く〟コンテンツの価値が高まって行く」と、小園氏は語る。会社として今後15年間の中長期戦略を掲げており、30年までは「ヒトを作る」フェーズとして、ＨＲ事業、ＩＴエンジニア育成、部活動支援の領域で人づくりを重ね、以降は「コト作り」として、地域におけるスポーツコミュニティ形成やプロスポーツビジネスなどのｔｏ Ｃ領域に注力、そして最後の５年間は「ヒト」と「コト」の掛け算で社会の「カタチ」を変えていくコンテンツを提供していくという。</p><p>　「エンタメとしてのプロスポーツだけではなく、〝人間としての強さ〟を先導する企業として、ナイキやアディダスと並ぶような日本発のスポーツ企業になりたい」と小園氏は力を込める。    </p>]]></content>
    <published>2026-04-09T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[働き方改革の波は学校教育の現場にも及んでいる。現在、特に注目されているのが、部活動の指導にかかる教員の負担だ。放課後だけでなく休日返上で無償労働を余儀なくされる状況に、多くの教師が悲鳴を上げている。この課題解決に取り組んでいるのが、アーシャルデザインＣＥＯの小園翔太氏である。文=吉田 浩　Photo= Rang（雑誌『[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>ｉＰＳ細胞がいよいよ実用化 医療費高騰をどう克服する？</title>
    <updated>2026-04-08T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3335</id>
    <category>政治・経済</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>京都大学の山中伸弥教授が作製したｉＰＳ細胞。どんな細胞にも変化できる夢の技術だが、それが実用化に向けて動き出した。まずはパーキンソン病治療薬と心筋細胞シートが製造・販売の了承を得たが、これを皮切りにさまざまな部位への展開が期待できる。文＝ジャーナリスト／小田切 隆（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">最大の難関だった がん化のリスク</h2><p>　２０２６年２月19日は日本の科学技術史、ひいては世界の医療史に新たな１ページが刻まれた日といえるだろう。厚生労働省の専門部会が、ｉＰＳ細胞（人工多能性幹細胞）を用いた再生医療等製品として、住友ファーマのパーキンソン病治療薬「アムシェプリ」と、大阪大発のスタートアップ、クオリプスの重症心不全向け心筋細胞シート「リハート」の製造販売を条件・期限付きながら了承したのだ。この歴史的な出来事が私たちにどんな希望をもたらすのか、そして真の産業化に向けどんなハードルがあるのか、考えてみたい。</p><p>　06年に京都大学の山中伸弥教授がマウスでｉＰＳ細胞の作製に成功したと発表してから、ちょうど20年。かつて「夢の技術」と呼ばれ、ノーベル生理学・医学賞の対象となったこの技術は、ついに研究室の「実験」を卒業し、一般の患者が「製品」として手に取れる「産業」へと歩みを進めた。</p><p>　ｉＰＳ細胞は、血液や皮膚の細胞に特定の遺伝子を導入し、培養して作製。あらゆる組織や臓器の細胞に変化できる「万能性」を持たせた細胞だ。京大の山中教授は06年にマウス、07年にヒトのｉＰＳ細胞作製に成功した。</p><p>　病気になった細胞を再生させ治療する技術につながることが期待された。最大のメリットは、生命の「始まり」である受精卵を壊して作るＥＳ細胞（胚性幹細胞）のような倫理的問題が少ないことにある。</p><p>　今回了承された製品のうち、住友ファーマのアムシェプリはパーキンソン病の治療薬だ。</p><p>　この病気は、歩行などに大切な役割を果たす神経伝達物質ドーパミンを生み出す神経細胞が減る。アムシェプリはｉＰＳ細胞から作った神経細胞で、脳に注入することでドーパミンが出るようにし、患者の運動機能を改善させる。</p><p>　一方、クオリプスのリハートは、ｉＰＳ細胞から作った心筋細胞を、「心筋シート」と呼ばれるシート状にしたものだ。動脈硬化、心筋梗塞などで心臓の動きが悪くなる虚血性心筋症による重症の心不全に対し、心臓に貼り付けて使う。これまでは心臓移植の手術などの処置が必要だった。貼り付けた後は心臓に新しい血管ができ、組織が修復される。</p><p>　２つとも、少ない臨床試験の結果から有効性を推定し発売できる「条件・期限付き承認」を受けた。いわば「仮免許」を受けた格好だ。企業は早く収益をつくることができるが、データを集めて有効性、安全性を７年以内に検証し、再び承認を申請して「本免許」を取得する必要がある。</p><p>　しかし、06年の発見から20年もの月日がかかった。なぜなのか。それは、科学的な「慎重さ」が必要だったからだ。</p><p>　大きかったのは、ｉＰＳ細胞が「がん化」するリスクと闘わなければならなかったことだ。</p><p>　ｉＰＳ細胞は増殖能力がとても高いため、移植した後に細胞が制御不能になり、腫瘍化（がん化）するリスクがある。遺伝子の働きが予期せず変わったり、細胞が分裂するときに異常が起きたりすることも、がん化リスクの原因の1つとされた。研究者たちは、ｉＰＳ細胞から未分化なものを取り除く選別技術や、安全に特定の細胞へ分化させるプロセスを、歳月をかけて磨き上げてきた。</p><p>　今回の承認は、少人数の患者を対象とした臨床試験で安全性と一定の有効性を確かめたものだが、リスクを排除する粘り強い研究者らの努力が実った結果だ。</p><h2 id="-">官民あげての取り組みが起こした医療産業の革命</h2><p>　加えて、山中教授がノーベル賞を受賞した翌年の13年に、当時の安倍晋三政権が成長戦略の柱の一つとして、ｉＰＳ細胞による再生医療を位置付け、巨額の資金を投入するようになったことも大きい。「条件・期限付き承認」は、その流れの中で作られた制度で、再生医療の普及を急ぎ、イノベーション（技術革新）を加速させ日本経済全体の成長につなげることを狙っている。今回承認を受けたクオリプスのような、資金が潤沢と言えないスタートアップの参入も促した。官民あげての努力が、今回の成果につながった。</p><p>　今回の承認は、単に２つの疾患の治療法が登場したというだけにとどまらない。日本、さらには世界の医療産業の構造を根底から変える可能性を持っている。</p><p>　今回の２製品の画期的な点は、患者本人の細胞を使う「自家」ではなく、あらかじめ健康なドナーから作られたｉＰＳ細胞のストックを利用する「他家」であることだ。患者一人一人のために細胞を作るオーダーメイド方式と違い、細胞を育てたり安全性をチェックしたりすることに長い時間をかける必要がない。このため、時間や費用を大幅に抑えることが可能になる。ある意味、必要な時にすぐ移植できるので、再生医療を「特別な高度医療」から、一般的な治療へと近づけることができるだろう。</p><p>　これにより、日本発の再生医療を軸としたエコシステム（巨大な経済圏）を作り上げることも可能となる。</p><p>　日本はｉＰＳ細胞の基本特許を持っており、培養液や自動培養装置、検査キット、超低温輸送といった周辺技術においても世界屈指のレベルを誇る。</p><p>　今回の承認により、これらのサプライチェーン（供給網）に関わる企業のための巨大な市場が生まれることになった。化学メーカーから、細胞を１つずつチェックする画像診断ＡＩを開発するＩＴ企業まで、恩恵は広い範囲の企業に及ぶだろう。</p><p>　また、 創薬への波及効果も期待できる。</p><p>　これまでの新薬の開発は、動物実験や、限られたヒトの細胞、臨床試験を通じてしか行うことができなかった。</p><p>　しかし今回の承認で、「ｉＰＳ細胞から作る新薬の開発も認められる」という実績ができ、今後、製薬会社はｉＰＳ細胞を使った創薬を安心して進められるようになった。投資マネーが流れ込むようになり、海外の製薬企業との共同研究やベンチャー企業の参画、研究者の流入も増えるはずだ。</p><p>　また、ｉＰＳ細胞を難病患者の細胞から作り、体外で病気の状態を確かめながら進める創薬の後押しにもなるだろう。この手法なら、人への薬効や毒性を早期に評価でき、開発のコストや時間を大きく抑えられるようになる。</p><p>　もっとも、「未来」を手放しで楽観視はできるわけではない。ｉＰＳ細胞が産業として持続可能となるには、解決しなければならない構造的な課題が残されているからだ。</p><h2 id="-">「日本発」の最先端技術をいかにして育てていくか</h2><p>　1つ目は価格設定。先行する遺伝子治療薬などでは、１回の治療費が数千万円に達するケースもある。複雑で高度な技術を使うｉＰＳ細胞製品も、現状では製造コストが極めて高く、高額となる可能性がある。</p><p>　承認された新薬は、厚生労働省の諮問機関で薬価が決まり、保険適用される。高額療養費制度などもあるので患者の自己負担分はいくぶん抑えられるとみられるが、それでも安い金額ではないだろう。</p><p>　加えて、高額な薬価は国の医療財政を圧迫する。その財源をどう確保していくかの議論も避けて通ることはできない。</p><p>　2つ目は、製造プロセスの自動化と低コスト化をどこまで進められるかだ。</p><p>　現在のｉＰＳ細胞の作製は、高度な熟練者による手作業に頼っている。このままでは産業化を進めるのは難しい。</p><p>　自動車工場のように、ロボットが24時間体制で細胞の状態を監視し、自動で培養や洗浄、梱包といった作業を行うシステムの普及が不可欠だ。培養液に含まれる試薬などについて、国内で安価に調達できるようにすることも急務と言える。</p><p>　３つ目は、条件・期限付き承認の出口戦略を企業がどう描けるようにするかだ。</p><p>　この制度は、有効性が推定された段階で早期に世に出し、使いながらデータを集めるという日本独自のスピード重視の仕組みだが、数年後の再審査で十分な有効性が証明されなければ、承認が取り消され「本免許」を取れないリスクがある。企業は、「本免許」を取ることに失敗した場合、培ったノウハウや設備を「資産」としてどう残し生かしていくのか、戦略を立てる必要がある。</p><p>　そして４つ目は、グローバル・スタンダードの主導権争いをどう制していくかだ。</p><p>　日本で承認されても、そのまま米国や欧州で売れるわけではない。競争も激しくなっており、欧米のバイオベンチャーだけでなく、中国も巨額の国費を投じてｉＰＳ細胞の実用化研究を加速させている。日本が技術的な優位性を守りつつ、世界の規制当局と連携して「製造基準の国際標準」をリードしていくには、外交・通商面の戦略をどう立てていくかという視点も求められる。</p><p>　これらの課題を乗り越え、産業化が進めば、私たちがその恩恵を当たり前に享受できる社会が実現することになるだろう。例えば、パーキンソン病や心不全だけでなく、網膜の疾患による失明、脊髄損傷による麻痺、糖尿病や肝不全といった多くの病気が、細胞を入れ替えることで治療できるようになる。</p><p>　医療の在り方は、症状を抑える対症療法から根本的に組織の機能を復元する根本治療へと大きくシフトするだろう。健康寿命が延び、寝たきりの人が社会復帰できるようになれば、医療費の増大を上回る経済的・社会的なリターンが期待できるはずだ。</p><p>　また、ｉＰＳ細胞の技術は、病気だけでなく老化の解決策としても研究が進んでいる。若返りの技術が臨床に応用されるようになれば、医療の定義そのものが変わってしまうだろう。</p><p>　今回のｉＰＳ細胞の医療製品の承認は、前述した通り、この20年間、紆余曲折がありながらも研究を続けてきた科学者と、それを支えた政府、そして、リスクを承知で開発に乗り出した企業の努力によるものだ。</p><p>　しかし、承認はゴールではなく、新しい医療に支えられた社会の実現に向けたスタート地点に過ぎない。引き続き、国や企業、医療機関、国民が一体となって、この「日本発」の最先端技術を育てていく必要がある。そして、高額な治療費に対する国民の納得感の醸成や、イノベーションを邪魔しない規制のあり方なども含め、幅広く考え、真剣に議論していかなければならない。</p>]]></content>
    <published>2026-04-08T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3335" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[京都大学の山中伸弥教授が作製したｉＰＳ細胞。どんな細胞にも変化できる夢の技術だが、それが実用化に向けて動き出した。まずはパーキンソン病治療薬と心筋細胞シートが製造・販売の了承を得たが、これを皮切りにさまざまな部位への展開が期待できる。文＝ジャーナリスト／小田切 隆（雑誌『経済界』2026年5月号より） 最大の難関だった[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>２６７６億円を調達したラピダス 日の丸半導体は復権できるのか</title>
    <updated>2026-04-08T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3334</id>
    <category>政治・経済</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>日の丸半導体の復権を託されたラピダスが、最先端半導体の量産開始に向け着々と準備を進めている。２月には２６００億円超の出資を獲得したと発表、２０２７年度中の量産開始が現実味を帯びる。だが技術をはじめクリアすべき課題は多い。「国策ベンチャー」に勝機はあるのか。文＝ジャーナリスト／井田通人（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-32-">民間企業32社１６７６億円 日本政府は１千億円を出資</h2><p>　「われわれが期待した以上にご支援をいただくことができ、非常に感謝している」</p><p>　ラピダスが２月27日に東京都内で開いた記者会見。小池淳義・ラピダス社長は出資に応じたメーカーや政府に対する感謝の念をそう述べた。</p><p>　発表によると、同社には民間企業32社の計１６７６億円に加えて、日本政府も情報処理推進機構を通じ１千億円を出資した。これまでトヨタ自動車やソフトバンクなど８社による73億円の出資のみが実行されていたが、新たに富士通やキヤノンなどが株主に名を連ね、金額は約１７４９億円と大幅に増えた。</p><p>　ラピダスでは、株式上場を想定する２０３１年度までに７兆円の資金が必要と試算。うち１兆円を民間出資で賄い、25年度中に１３００億円を集めたいとしていた。国に促されて「おつき合い」で出資に応じた側面もあったにせよ、目標を上回る１６７６億円の資金が集まったことは、将来性に対する前向きな評価の表れといってもよさそうだ。民間による資金支援では、ほかにもメガバンク３行による最大２兆円規模の融資が予定されている。</p><p>　一方、経済産業省によると、政府は１千億円の出資によって約４割の株式を握る筆頭株主となる。ただし経営への関与は最小限にとどめ、ラピダスが迅速な経営判断を行えるよう、議決権ベースの出資比率は11・５％に抑えた。残りの株式には議決権を付与せず、経営悪化時など、「非常時」に限って議決権付きに転換できるようにした。さらに重要な経営事項に対して拒否権を持つ「黄金株」も１株取得し、技術流出などを防ぐ考えだ。</p><p>　政府は26年度に１５００億円の追加出資も実施する方針。仮にすべての株式を議決権付きとすれば、出資比率は最大で６割程度まで高まる。また、出資金と27年度までの補助金を合計すれば、累計３兆円規模がラピダスに投じられることになる。</p><p>　赤沢亮正経済産業相は２月27日の閣議後記者会見で、「政府が進める成長投資の要となるものであり、国益のために、必ず成功させなければならない国家的プロジェクトだ」と強調した。</p><h2 id="-10-20-">量産化に成功すれば10兆～20兆円の経済効果</h2><p>　ラピダスは、米ウエスタンデジタルの日本法人社長を務めた小池氏や、東京エレクトロンの社長、会長を歴任した東哲郎氏（現ラピダス会長）らによって22年８月に設立された。経産省に提出した事業計画によると、回路の線幅が２ナノメートル（ナノは10億分の１）の最先端半導体を27年度後半から量産し、翌年度には約４倍の増産体制を敷く計画だ。</p><p>　資金調達同様、生産面の準備も順調に進んでいる。25年４月に北海道千歳市の工場で、ウエハーに回路を形成する前工程の試作ラインを稼働。さらにこの春には、隣にあるセイコーエプソン千歳事業所の一部を借りて、後工程の試作ラインも稼働させる予定だ。</p><p>　半導体ではこれまで、工程が複雑で高い技術が要求される前工程とは異なり、人手に頼る部分が大きい後工程は人件費の安い中国などで行うことが多かった。しかし近年は後工程の複雑化が進み、そうした傾向は弱まりつつある。ラピダスはチップを効率良くつなぎ、製造コストを抑えられる技術を採用するとともに、国内の同じ場所で一貫生産することにより、状況の変化に対応する考えだ。</p><p>　同社は「その次」となる１・４ナノメートル品についても、早ければ27年度に新工場の建設を始める方向で検討に着手している。</p><p>　半導体では、回路の線幅をできるだけ細くする微細化の技術が何より重要とされている。線幅が細ければ、それだけ大量の情報を高速で処理したり、消費電力を抑えたり、１枚のウエハーからとれるチップの枚数を増やしてコストを下げたりすることができるからだ。この技術では台湾積体電路製造（ＴＳＭＣ）が頭一つ抜けており、すでに昨年末から２ナノメートル品の量産に入っている。</p><p>　一方、半導体産業が衰退した日本では、最近まで普及品である40ナノメートル品がやっとだった。現在の線幅は実寸とは異なっており、メーカー間でも表現が異なることから、数字が同じだからといって実力が同じとは限らないが、２ナノメートル品の量産に成功すればＴＳＭＣとの距離が大幅に縮まるのは間違いない。</p><p>　かつて日本の半導体産業は世界一のシェアを誇っていた。１９８０年代後半～90年代前半の全盛期には、メーカー別の売上高でトップ10の過半を総合電機系の日本メーカーが占め、特にデータの一時的な記憶に使うＤＲＡＭなどの記憶用半導体（メモリー）で圧倒的な地位を築いていた。</p><p>　しかし、その後は半導体の主役が演算に使うＣＰＵ（中央演算処理装置）などのロジック半導体へ移るのに対応できず、米インテルの独走を許したばかりか、メモリーでも韓国サムスン電子をはじめとする韓国勢や台湾勢に追い抜かれてしまった。業界ではその後、ファウンドリーと呼ばれる製造受託のビジネスを確立したＴＳＭＣが台頭。ここ２年はＧＰＵ（画像処理半導体）を手掛ける米エヌビディアがＡＩ普及の波に乗って急成長し、他を大きく引き離してトップの座に君臨している。日本が強い分野は、電力制御に使うパワー半導体や、スマートフォン向けイメージセンサーなど一部に限られており、メーカー別ランキングのトップ10に日本メーカーの名前はない。</p><p>　自国で半導体の最先端品を入手できれば、搭載する製品でも開発のスピードアップや高性能化を図りやすくなり、競争力が高まる。小池氏は、ラピダスが最先端半導体の量産化に成功した場合、日本の国内総生産（ＧＤＰ）に対して10年間で累計10兆～20兆円の経済的貢献が可能になるとの見方を示す。</p><p>　一方、ラピダス支援のもう１つの理由が経済安全保障だ。ロシアによるウクライナ侵略や米中対立などを背景に、半導体を自国で調達できる体制の構築が以前にも増して重要となっている。そのため日本政府は、ＴＳＭＣの熊本工場建設や、破綻した旧エルピーダメモリの広島工場を引き継いだ米マイクロン・テクノロジーの工場増設も支援している。その中でも、自国企業であるラピダスへの支援には最も力が入っているといっていい。</p><h2 id="-">少量多品種への対応と国際エコシステムの構築</h2><p>　もっとも、挑戦はまだ始まったばかりだ。</p><p>　最も重要な技術開発は、昨年７月に２ナノメートル半導体素子の動作を確認するなど、おおむね計画通りに進捗している。ただ、微細化による性能向上は限界を迎えつつあり、生産立ち上げや歩留まり（良品率）向上のハードルは年々上がっている。微細化に代わるブレークスルーにも取り組む必要がある。１枚の基板上に複数のチップを搭載する「チップレット技術」はその１つだ。</p><p>　同社が強みとし、ウエハーを１枚ずつ高速で処理する「枚葉式」の製造法に磨きをかけることも欠かせない。</p><p>　ラピダスの社員数は、昨年12月１日時点で１０２４人にすぎない。これに対し、ＴＳＭＣは微細化技術の開発だけで数千人規模の技術者をつぎ込んでいる。当然ながら、資金力にも雲泥の差があるだけに、対抗していくのは容易ではない。</p><p>　半導体の歴史を振り返ると、トップにのし上がったメーカーは、必ず独自のビジネス手法を確立し、有望な顧客と二人三脚の関係を築くことで上昇気流に乗ってきた。インテルはパソコン向けのＣＰＵに経営資源を集中投入する一方、米マイクロソフトと「ウィンテル連合」と呼ばれる密接な関係を築いた。ＴＳＭＣは製造に特化し、半導体の高い設計能力を持つものの、製造まで手が回らないシリコンバレーのベンチャーに寄り添うことで飛躍した。規模で上回る先行メーカーと同じことをやっても勝てないだけに、独自のビジネス手法はある意味、技術以上に重要となる。</p><p>　ラピダスの場合、「少量多品種」がキーワードとなりそうだ。</p><p>　現在使われているＡＩ半導体は、汎用性が比較的高い。これに対し、ラピダスはやがて特定用途に的を絞った専用品の時代へ移行すると予想。枚葉式などで顧客の要望にスピーディーかつきめ細かく対応できる仕組みの確立を目指している。</p><p>　一方、少量多品種への対応とともに成功のカギを握るのが、「グローバルなエコシステムの構築」だ。</p><p>　もともと同社は、米ＩＢＭから２ナノメートル品の技術供与を持ち掛けられたことがきっかけで設立された。ＩＢＭとの関係は戦略的パートナーシップに発展。その後も世界最大級の半導体研究機関であるベルギーのｉｍｅｃ（アイメック）や、半導体の設計受託や開発支援を手掛けるシンガポールのクエスト・グローバルと組んでいる。</p><p>　国策会社とされ、日本政府や多くの日本企業に支えられているラピダスだが、彼ら自身は日の丸半導体の復権だけにこだわっているわけではない。むしろ純血主義に背を向け、世界各地の企業や研究機関と組み、彼らの優れた技術や人材、販売力を取り込むことで競争力を確保しようとしている。</p><p>　海外の連携相手が増えれば、顧客獲得の可能性も高まる。</p><p>　小池氏は２月27日の会見で、ＡＩや高性能コンピューティング（ＨＰＣ）、ロボティクスなどの分野を中心に「60社以上と議論し、試作を繰り返している」と説明。うち10社程度に概算見積もりを提供しており、多くは海外企業という。すでに半導体設計を手掛ける米シノプシスや米テンストレントが、ラピダスへの生産委託を決めている。</p><p>　ラピダスという社名は、ラテン語で「速い」を意味する。日本政府や日本企業の支援が生産の垂直立ち上げにプラスとなるのは間違いないが、これまでのスピード感を維持し、彼らへの依存から早期に脱却してはじめて、「看板に偽りなし」といえそうだ。</p>]]></content>
    <published>2026-04-08T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3334" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[日の丸半導体の復権を託されたラピダスが、最先端半導体の量産開始に向け着々と準備を進めている。２月には２６００億円超の出資を獲得したと発表、２０２７年度中の量産開始が現実味を帯びる。だが技術をはじめクリアすべき課題は多い。「国策ベンチャー」に勝機はあるのか。文＝ジャーナリスト／井田通人（雑誌『経済界』2026年5月号より[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>フリーラインコンベヤで業績伸長、NCホールディングス・梶原社長が摩擦のあった社内を一つにするまで</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3356</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img height="400" loading="lazy" alt="NCホールディングス株式会社" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/UIpENAkOIEVaacGWhnYXmSBJTYPUqAFT/b68cd09e-1e20-404e-8370-e31e93b8ceb8.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/UIpENAkOIEVaacGWhnYXmSBJTYPUqAFT/b68cd09e-1e20-404e-8370-e31e93b8ceb8.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/UIpENAkOIEVaacGWhnYXmSBJTYPUqAFT/b68cd09e-1e20-404e-8370-e31e93b8ceb8.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/UIpENAkOIEVaacGWhnYXmSBJTYPUqAFT/b68cd09e-1e20-404e-8370-e31e93b8ceb8.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/UIpENAkOIEVaacGWhnYXmSBJTYPUqAFT/b68cd09e-1e20-404e-8370-e31e93b8ceb8.jpg" width="600"></div><p>NCホールディングス株式会社の梶原浩規社長は、2018年の社長就任以来、赤字続きだった同社をV字回復へと導いた。立体駐車場事業の収益構造を改善し、さらに第三の柱として開発したフリーラインコンベヤ事業が人手不足の市場にマッチした。</p><p>一方、経営面でかつての親会社との対立も生じ、その後は海外ファンドの介入にも直面している。こうした状況に対し、梶原氏は従業員組合と協力しつつ、プロキシファイトや非公開化という手段で乗り越えた。</p><p>梶原氏が、経営戦略、組織文化の変革、そして資本政策における決断の背景を語る。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">梶原浩規 (かじわら ひろのり)──代表取締役社長</div>      <div class="description">1962年、新潟県長岡市生まれ。1986年、立教大学社会学部卒業後、同年三和銀行（現三菱UFJ銀行）入行。法人新規開拓、審査部、債権回収責任者を歴任。退行後、ソニー生命を経て、企業金融とリストラクチャリングに関する経験を生かし、事業再生コンサルを設立。その後、「ほけんの窓口グループ」100%子会社の訪問型代理店、株式会社ライフプラザパートナーズに入社し、新規事業を立て直す。2017年、NCホールディングス取締役に就任。2018年より代表取締役社長。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">NCホールディングス株式会社</div>      <div class="description">1949年、中核会社の日本コンベヤ株式会社（設立時の社名は日本コンベヤー製作所）設立。持株会社の設立は、2016年。搬送システム・立体駐車場・再生エネルギーの分野においてアジア圏を中心とした世界約30ヵ国で事業を展開。企業理念は、「高潔な志を持ち、人の見えない場所でひたすら誠実に汗をかき続けることで、世の中の安全と社員の幸福を永久に追求し続ける」。<br>企業サイト：<a href="https://nc-hd.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://nc-hd.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">取締役として改革、社員の自信回復で業績改善</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">業績回復のもう一つの立役者、フリーラインコンベヤとは</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">事業部名称変更の背景にあった葛藤と決断</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">社員が誇りを持つための社長の動き</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">かつての親会社とのプロキシファイト、そして株式非公開化</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">取締役として改革、社員の自信回復で業績改善</h2><p><strong>── 社長に着任してから、どのような動きがあったのでしょうか？</strong></p><p><strong>梶原氏（以下、敬称略）</strong>　私がこの会社の社長に着任したのは2018年6月ですが、その前年の2017年から取締役として改革に着手していました。その前の10年間は、ほとんど赤字が続いていた状況です。当時株主だった会長から「2018年から経営全体を見てほしい」といわれ、取締役の段階から内部調査とバランスシートの精査を開始しました。</p><p>その結果、必要だと判断したのが大阪にあった本社を移転させることの必要性です。複数の拠点に分散しており人が集まりにくいため、ワンフロアに集約しワークフローを最適化しようと、大阪の都心部に移転を決定しました。この移転に伴い、約12億円の特別損失が発生しましたが、これが改革の第一歩です。</p><p><strong>── その後、具体的にどのような改革を進めたのでしょうか？</strong></p><p><strong>梶原</strong>　最初に着手したのは、立体駐車装置事業のアフターフォロー部門強化です。全国に約1200基の立体駐車装置があり、メンテナンスや大規模修繕を提案すれば利益を出せる可能性が高かったのです。</p><p>しかし当時、高島屋さんや森ビルさんといった大口顧客への依存度が高く、その他の顧客には十分な提案ができていませんでした。そこで、装置のコンディションや顧客の財務状況を徹底的に調査し、優先順位をつけてアフターフォローの提案を進めました。</p><p>こうして、立体駐車装置事業の収益体質を大きく改善したのです。</p><p>コンベヤ部門は、大型案件が多く1件で売り上げが数十億円規模になることもあります。しかし、売り上げのボラティリティが高すぎることが課題でした。</p><p>さらに停滞感を起因としたミスも発生しており、業績の足を引っ張る結果に。これらのミスをなくし、利益が出る状態へ戻すことに注力しました。</p><p>改革の結果、私が着任して3期目には過去最高益を更新。赤字が続くと精神的な影響も大きいですが、この時期に会社の誇りを取り戻すことができました。</p><p><strong>── わずか3年で最高益とは、素晴らしいですね。</strong></p><p><strong>梶原</strong>　私の経営方針は、利益の目標を具体的に示さないことです。数字は私が預かるので、現場には「やるべきことをコツコツと誠実にやれ」と伝えています。「できないことは責めないが、やるべきことをやらないことは許さない」という姿勢で、現場の社員が自信を持って業務に取り組めるようにしました。</p><p>結果として、各部門に自信がつき、黒字化することでさらなる勢いが生まれたのです。</p><h2 id="toc_h2-2">業績回復のもう一つの立役者、フリーラインコンベヤとは</h2><p><strong>── 事業の詳細を教えてください。</strong></p><p><strong>梶原</strong>　当社の歴史は78年以上になります。主力のコンベヤは、基本的に平面かつ直線で動かすのが最も安定しますが、実際には斜面やカーブが必要な場面が多くあります。</p><p>こうした中で当社は、重量物を下から上に運ぶコンベヤや、逆に上から下に下ろすコンベヤ、さらにはカーブコンベヤも製造可能です。特にカーブコンベヤは他社にはない技術であり、製鉄所や火力発電所のレイアウトに合わせたコンベヤを設計・製造する技術力があります。また、垂直に荷を上げられるスネークコンベヤも製造しています。</p><p>これらの技術は78年の歴史の中で、製鉄所や火力発電所、工事現場など、さまざまな場所で培われてきました大規模インフラ建設現場にも当社のコンベヤが活躍しています。</p><p>さらに、一日でも止まると数億円の損失が出るような顧客に対しても、50年以上、止まらない安定稼働を実現しつつ、装置を提供しています。鳥形山（高知県）の石灰石採掘所では、約13キロメートルのコンベヤが50年間稼働し続け、私が着任した際に初めて設備更新が行われたほどです。</p><p>しかし、日本の重厚長大産業や火力発電所からの需要は、時代の変化とともに減少しています。製鉄所は成熟期を迎え、火力発電所もCO2削減の観点から高性能なものが求められるようになり、新規建設が減っています。</p><p><strong>── そうした中、フリーラインコンベヤが受注高210億円を記録し、社内で重要なポジションとなっていると聞いています。</strong></p><p><strong>梶原</strong>　はい。立体駐車場とコンベヤ事業を合わせると、毎期100億から110億円の受注があるのですが、特に2026年決算の前期は新製品であるフリーラインコンベヤの躍進により、受注額が270億円に達しました。このフリーラインコンベヤが、今後の当社の業績を牽引するプロダクトと考えています。</p><p>フリーラインコンベヤの着想のきっかけは、東日本大震災でした。汚染土壌をトラックで運搬する際に被爆のリスクがあるため、コンベヤでの搬送ができないかと考えたのです。実際に汚染土の搬送を試みた経験が、一つのヒントとなりました。</p><p>また、トンネル工事で使うコンベヤについても、掘削が進むにつれてコンベヤも自動で伸長する技術（モールストレッチコンベヤ）に取り組んだ経験があります。もともとは日立造船（現カナデビア）で培われた技術でしたが、競合他社の存在があったため、これ自体は成功に至りませんでした。</p><p>しかし、以上の経験もあり、フリーラインコンベヤはトラック輸送に代わる手段としてCO2削減と人手不足解消に貢献できると考えたのです。トラック輸送では、特に山間部でのジグザグ走行でCO2排出量が多くなりますが、コンベヤであれば直線的に運搬でき、CO2排出を大幅に削減できます。また、ドライバー不足が深刻化する中で、人手に頼らない搬送手段として期待されました。</p><p>現在、フリーラインコンベヤは、ダムのしゅんせつ工事や資材運搬、河川改良工事など、さまざまな現場で採用されています。</p><p>特にダム工事では、トラック輸送だと迂回が必要な場所でもほぼ直線で運搬できるため、時間短縮、CO2削減、人件費削減といったメリットをすべて満たせます。これにより、ダム案件が5つほど進行中です。</p><h2 id="toc_h2-3">事業部名称変更の背景にあった葛藤と決断</h2><p><strong>── フリーラインコンベヤの成功は、組織文化の変革とも深く結びついているように感じます。</strong></p><p><strong>梶原</strong>　おっしゃる通りです。78年の歴史を持つ当社には、大型コンベヤで日本の製鉄所や重工業を支えてきたという強い自負とプライドがあります。</p><p>しかし、50年以上稼働するものを製造するという誇りを持つ中で、最長5年で撤去するフリーラインコンベヤの開発には、当初、現場から反発がありました。「そんな仮設のものをわれわれがつくるのか」という声や、設計思想の違いからコストが合わないといった課題も出ました。</p><p>新しい事業に挑戦するためには、社員のマインドを変える必要があり、それに最も苦労しました。商品や技術は78年の歴史の中で培われてきましたが、それを仮設のコンベヤという新しい形に適用することへの抵抗は大きかったのです。しかし、経営者としては生き残るために新しい挑戦が不可欠でした。</p><p>この理解を得るのに約2年かかりました。</p><p>転機となったのは、エンジニアリング本部長と営業部長が自ら「看板を下ろします」と申し出てくれたことです。どういうことかというと、彼らは従来の「コンベヤ事業部」という名称を廃止し、新規事業である「搬送システム事業部」に名称を統一することを提案したのです。</p><p>これは、彼らが自分たちの事業の将来を真剣に考え、変化を受け入れてくれた証だと思います。私にとって非常に感動的な決断であり、そこからフリーラインコンベヤを中心とした事業の快進撃が始まりました。</p><p><strong>── 現場からも、今後の市場の動きに理解が得られたということですね。</strong></p><p><strong>梶原</strong>　将来への理解とともに、当社のメンバーが「泥臭さ」を持っていてくれたことも、前進につながりました。困難な状況でも皆で協力してやり遂げる力、そして「俺がやるんだ」という当事者意識を社員が持っていたということです。これは、大企業に勝つための鍵でもあります。</p><p>フリーラインコンベヤの成功は、まさにこの「泥臭い現場力」と「当事者意識」が結実したものです。社員一人ひとりが「俺がやるんだ」という気持ちで取り組んだ結果、困難な状況を乗り越え、会社を一つにまとめることができました。</p><p>また、企業理念の再構築も行いました。「高潔な志を持って、人の見えない場所でひたすら誠実に汗をかき続けることで、世の中の安全と社員の幸福を永久に追求し続ける」という理念は、社員全員でつくり上げたものです。地味で目立たない仕事であっても、社会のインフラを支えているという誇りを持ってほしいというメッセージを込めています。</p><h2 id="toc_h2-4">社員が誇りを持つための社長の動き</h2><p><strong>── 社長のご経験から、組織文化の変革において最も重視していることは何でしょうか？</strong></p><p><strong>梶原</strong>　重視しているのは、社員一人ひとりに「一つずつハードルを越える体験」をさせることです。それによって自信をつけさせることが、何よりも大切です。</p><p>フリーラインコンベヤが成功したように、もともとこの会社にはマグマのような力がありました。しかし、それを引き出し認めてくれる存在がいなかっただけなのです。そこで、社員たちの誇りを取り戻し、一つひとつの成功を丁寧に褒めることを心がけています。</p><p>数字が上がれば、社員の士気も上がり、失敗も減ります。事業会社としての日本コンベヤは、私が着任してから小さなミスはほとんどなくなりました。</p><p>一度だけ8000万円のミスがありましたが、エンジニアのトップがすぐに駆けつけてくれて、「やってしまった」と報告してくれました。その際、私は決して責めず、「次は二度と起こさないように」と伝え、前向きに対応しています。</p><p><strong>── そのように組織面で淀みがなく、事業も円滑に進む背景には、何があるのでしょうか？</strong></p><p><strong>梶原</strong>　私は常に「われわれは78年の歴史を持つ日本コンベヤなんだ」ということを言い続けており、社員もその自覚があるからだと思います。社歴の長い社員たちも、こうした環境を喜んでくれています。彼らは、私が会社の精神的な部分を変えなかったことを嬉しく思ってくれたようです。</p><p>企業理念も、研修を通じて社員全員でつくり直しました。これにより、社員は自分ごととして理念をとらえ、日々の業務に取り組んでいます。当社の仕事は地味で一般の方の目に触れる機会は少ないですが、社会のインフラを支えているという誇りを持ってほしいと常々、伝えています。</p><h2 id="toc_h2-5">かつての親会社とのプロキシファイト、そして株式非公開化</h2><p><strong>── 2016年の持株会社化、そして非公開化という資本政策の変遷について、教えてください。</strong></p><p><strong>梶原</strong>　私が着任する前、当時の株主が33.3%の当社株式を保有し、実質的に支配していました。しかし、経営がうまくいっておらず、私が取締役として呼ばれたのです。私が会社の立て直しに尽力したのは、前会長との「男の約束」があったからです。</p><p>しかし、会長が亡くなり息子の代になると、私を下ろそうとする動きが起こりました。圧力から、一度は辞任も考えました。当時の株主から株主提案による役員選任（梶原氏に対しては解任の動議）の動きがあり、プロキシファイト（委任状争奪戦）に発展。私は、株主や従業員組合の協力を得て、この戦いを制しました。</p><p>従業員組合とは、私が仲介役となって関係改善した過去があったため、彼らは私の味方になってくれたのです。</p><p>この一連の出来事を通じて、社員の結束力は強まりました。「親会社の植民地にはさせない」という思いで、皆が一丸となって戦いました。このときの経験が、会社を一つにまとめる大きなきっかけになったと思います。</p><p>TCSとの争いを経て、会社は安定軌道に乗りましたが、次は英国と米国のファンドが介入してきました。ファンドは短期的な利益を求める傾向がありますが、当社の事業は日本のインフラを長期的に支えるものです。よって、経営も長期的な視野が必要です。そこで、非公開化し、株主構成を整理する必要があると判断しました。</p><p>それが、非公開化に踏み切り、実現した経緯です。非公開化は厳しい決断でしたが、実現できたのは、社員の未来を守り長期的な視点で会社を成長させるために、最善の道だったと信じています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>梶原浩規 (かじわら ひろのり)</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://nc-hd.jp/" target="_blank" rel="noopener">NCホールディングス株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3356" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ NCホールディングス株式会社の梶原浩規社長は、2018年の社長就任以来、赤字続きだった同社をV字回復へと導いた。立体駐車場事業の収益構造を改善し、さらに第三の柱として開発したフリーラインコンベヤ事業が人手不足の市場にマッチした。 一方、経営面でかつての親会社との対立も生じ、その後は海外ファンドの介入にも直面している。[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
  </entry>
  <entry>
    <title>設立50年で真のグローバル機械メーカーへ。ソディックが目指すソリューション提案型企業への進化</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3355</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/cDOKkKmmxjFMBmlvPiPEkLdyonMHoNFy/d8f24dd3-380d-44a0-ab1f-9c0897e6bb03.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="株式会社ソディック" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/cDOKkKmmxjFMBmlvPiPEkLdyonMHoNFy/d8f24dd3-380d-44a0-ab1f-9c0897e6bb03.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/cDOKkKmmxjFMBmlvPiPEkLdyonMHoNFy/d8f24dd3-380d-44a0-ab1f-9c0897e6bb03.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/cDOKkKmmxjFMBmlvPiPEkLdyonMHoNFy/d8f24dd3-380d-44a0-ab1f-9c0897e6bb03.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/cDOKkKmmxjFMBmlvPiPEkLdyonMHoNFy/d8f24dd3-380d-44a0-ab1f-9c0897e6bb03.jpg 2048w"></div><p>放電加工機などの工作機械や、射出成形機などの産業機械、無菌包装米飯製造システムなどの食品機械で、グローバルにものづくりへ貢献する株式会社ソディック。2025年、代表取締役CEOに就任した圷（あくつ）祐次氏は、入社後の23年間を米国で過ごし、グローバルビジネスの荒波を乗り越えてきた人物だ。</p><p>会社全体としても「真のグローバル企業」となるため、何が必要なのか。圷氏が強く訴えるのが、単に機械を売るだけにとどまらず顧客のものづくりに加わり、その中で必要となるソリューションのアイデアを出す、提案型のビジネスモデルだ。</p><p>新たなイノベーションを起こすための取り組みを、圷氏に聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">圷祐次（あくつ　ゆうじ）──代表取締役 CEO 社長執行役員</div>      <div class="description">1964年、茨城県生まれ。1987年、東京理科大学工学部卒業後、ソディック入社。1991年にアメリカ現地法人へ出向し、2005年同法人取締役副社長、2016年同法人取締役社長を歴任。2022年にソディック最高執行責任者（COO）、2024年に取締役副社長執行役員を経て、2025年より現職。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">株式会社ソディック</div>      <div class="description">1976年、設立。数値制御（NC）放電加工機メーカー。放電加工機の他、マシニングセンタ、3D金属プリンタ、レーザー加工機などの工作機械、射出成形機などの産業機械、さらには無菌包装米飯製造システムや製麺機といった食品機械の開発・製造を手掛ける。2026年に設立50周年。<br>企業サイト：<a href="https://www.sodick.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.sodick.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-10-&#34;)">会社設立から約10年、東証二部上場時に入社</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">ビジネスを「上手に」するためのマインドセット</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">「中国依存からの脱却」に対するソディック独自の考え</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">「機械＋ソリューションを提供するメーカー」への転換</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">真のグローバル企業へ向けて進化</a></li></ol></div><h2 id="-10-">会社設立から約10年、東証二部上場時に入社</h2><p><strong>── 圷社長は、入社早々に渡米し現地のビジネスを開拓しています。当時から現在に至るまで、ソディックはどのように成長したのだと見られていますか？</strong></p><p><strong>圷氏（以下、敬称略）</strong>　私がソディックに入社したのは1987年です。会社の設立が1976年ですから、その当時はまだ設立10年ほどでした。</p><p>私が入社したころは東証二部（当時）に上場したばかりでしたので、ベンチャー気質は当然ありました（現在は東証プライムに上場）。日本の経済が昭和の時代に大きく成長する流れの中で、ソディックも成長してきたという側面があります。</p><p>私は入社して4年後の1991年にアメリカへ渡りました。そのため、日本国内のソディックが設立後、10年から20年の間で起こった大きな変化については、その場に居合わせておらず詳しくは申し上げるのが難しいです。</p><p>アメリカの事業については、いかに再建するかに注力していました。アメリカにいたのは1991年からで、2013年まで実に23年間となります。その後、一旦、日本に戻り、3年間本社で欧米担当の部署にいましたが、2016年から再びアメリカに社長として戻ることになりました。</p><p>そして2022年にはCOOに就任し、現在はCEOを務めています。入社から40年近く経ちますが、その間にソディックは大きく変化しました。</p><p><strong>── ソディックの製品について、教えてください。</strong></p><p><strong>圷</strong>　入社した当時、ソディックは放電加工機のメーカーでした。そこから事業領域を徐々に広げ、射出成形機、マシニングセンタ、3D金属プリンタ、レーザー加工機など、ラインアップを増やしています。</p><p>それに伴い、ユーザー層も変化しました。私がソディックに入社した当初は、ビジネスの領域はほぼ日本国内に限られていました。しかし、時代が移り変わり、国内の売上規模が縮小する一方で、海外での売上が増加しています。</p><p>時代の変化に伴い、事業の進め方も変わりました。円高の時代にはタイに工場を建設し、ドルベースで取引することで優位性を築いています。その後、中国にも工場を建設するなど、時代の流れに合わせて事業のあり方を変えてきました。</p><h2 id="toc_h2-2">ビジネスを「上手に」するためのマインドセット</h2><p><strong>── 社長の海外経験は、現在のソディックにどのような影響を与えていますか？　また、若手社員に求めることや課題感について教えてください。</strong></p><p><strong>圷</strong>　私は、日本人がどうこうというよりも、多様性を受け入れるというスタンスでいます。日本人が頑張ることも、海外で頑張る社員も、同じように見ています。</p><p>若い世代に伝えているのは、常に視野を広く持ち、日々の仕事に取り組むことの重要性です。視野を広く持つこととは、たとえば営業部門、サービス部門、管理部門など、さまざまな部門の連携が挙げられます。縦割りではなく、横串を通したコミュニケーションが不可欠です。</p><p>これは工場内でも同様で、生産担当、技術担当、調達担当など、各部門が連携し、広い視野を持ってビジネスに関わることが求められます。私は、社員に向けてこの点を繰り返し伝えています。</p><p>昨年もタウンホールミーティング（社長と従業員との対話の場）を実施し、現場のさまざまな世代の社員と直接対話する機会を持ちました。</p><p>その中で、横串でのコミュニケーションの重要性について、現場の社員も理解しているものの、組織が大きくなるにつれてコミュニケーションが取りにくくなっているという課題も浮き彫りになりました。</p><p><strong>── 会社の強みである技術力と、職人気質を持った技術者がマーケットインの考え方を持つこととのバランスについて、どのように組織全体へ浸透させているのでしょうか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　日本に戻ってきて強く感じたのは、ビジネス意識があまり高くはないということです。</p><p>例えば「技術を追求する」という技術者魂は素晴らしいのですが、それだけでは会社は成り立ちません。開発したものを顧客に使ってもらい、ビジネスとして成立させることが、会社が生き残るために不可欠であるというマインドセットをここ数年、徹底してきました。</p><p>今では、技術者もその点を理解し、ビジネスへの意識が高まってきています。</p><h2 id="toc_h2-3">「中国依存からの脱却」に対するソディック独自の考え</h2><p><strong>── 技術面では1998年にリニアモーター駆動方式の量産型工作機械への導入に成功しましたが、こちらを開発する決断に至った経緯を教えてください。</strong></p><p><strong>圷</strong>　リニアモーター駆動方式の導入は、ソディックにとって大きなターニングポイントでした。ボールねじ駆動方式は使用するうちに摩耗するため、交換コストがお客様に発生します。この課題に対し、リニアモーターという駆動方法に着目したのです。</p><p>当時の研究開発部門が、リニアモーターのハードウェア開発に加え、それを動かすための「モーションコントロール」という技術を開発しました。研究開発拠点であるソディックアメリカでこの技術を確立し、ハードウェアを精密に制御しながら動かす技術を構築したことが、大きな転換点となりました。</p><p>リニアモーターを搭載することで、部品同士が非接触であるため摩耗することがなく、購入から10年経っても精度が落ちないというメリットをお客様に提供できるようになっています。</p><p><strong>── リニアモーター駆動の技術的な優位性について、競合他社が真似できない、あるいはしようとしない理由は何でしょうか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　コスト面については、当社は製造プロセスをすべて自社で構築しています。リニアモーターに必要なマグネットなどの調達も、昔からしっかり確保してきました。この調達網の確立がなければ、リニアモーターの製造はできません。近年、日中関係の変化もあり、調達先の多様化も進めています。</p><p><strong>── リニアモーター以外の技術についても教えてください。</strong></p><p><strong>圷</strong>　射出成形機においては、独自の「Vライン」という技術があります。これは、溶かしたプラスチックを流し込むラインと押し出すラインを別々に設けることで、非常に精密な成形品をつくれます。</p><p>たとえば、データセンターで使われる光ファイバーコネクタのような、微細なズレが通信品質に影響する部品は、当社の機械でなければ製造が難しいのです。リニアモーターとは異なる技術ですが、他社には真似できない独自の技術を数多く持っています。</p><p><strong>── 中国市場への依存という課題に対し、どのような取り組みをしていますか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　当社の主力顧客は金型製造業者です。かつて日本に多く存在した金型製造業は、現在、中国に多くが移転しています。そのため、当社の機械も中国で多く販売されており、市場から見ると「中国依存」ととらえられがちです。</p><p>しかし私の考えは、中国に市場がある限り、そこで機械を販売する必要があるということです。中国で生産した機械は中国のお客様へ、日本やタイで生産した機械は日本、ASEANや欧米諸国へ販売するというように、地域ごとに分けて考えています。</p><p>「中国依存からの脱却」は社内でも常に話していますが、それは中国以外の地域の販売台数をいかに増やすかということです。中国市場は中国でしっかり対応しつつ、他の地域では独自の戦略を持って強化することが重要だと考えています。</p><p><strong>── 生産拠点の再編やシフト先について、現在どのような開拓をしていますか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　生産拠点は現在、タイ工場、厦門（アモイ）工場が中心です。以前は中国に厦門と蘇州の二つの工場がありましたが、蘇州工場はテクセンターへと変革し、先日移転しました。これは、中国市場の需要が以前ほどではないと判断し、生産能力を適正化したためです。</p><p>一方、タイ工場については、欧米を含め需要が増加しており、ここ半年ほどは増産体制に入っています。</p><h2 id="toc_h2-4">「機械＋ソリューションを提供するメーカー」への転換</h2><p><strong>── こうした変化を現場の社員にどう理解してもらっているのでしょう？</strong></p><p><strong>圷</strong>　私は毎月、社員に向けて社長メッセージを発信しています。世の中の変化や当社の機械がどのような産業で使われているのかを伝える場です。</p><p>日本国内だけを見ていると、日本の製造業しか見えません。しかし、海外に目を向けると航空宇宙産業、エネルギー産業、最先端医療など、当社の機械が活用される分野はさまざまです。こうした話をすると、技術者や生産担当者は非常に興味を持って耳を傾けてくれます。</p><p>近年はNDA（秘密保持契約）が厳しく、公に話せないことも多いのですが、タウンホールミーティングなどを通じて伝えられる情報は共有するように努めています。そうした話を聞くだけでも、社員のモチベーションの向上につながっています。</p><p><strong>── 世界的にも自動車のEV化やテスラのギガキャストなど、製造プロセスが劇的に変化していますが、こうした市場や成長のチャンスをどのようにとらえていますか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　私も現場主義なので、お客様をよく訪問します。米国の航空宇宙産業に関わる製造会社の中には、これまで工作機械で作っていたエンジンパーツなどを3D金属プリンタで製造するようになったりと、その工程が大きく変革しています。</p><p>こうしたイノベーションを見ると、その発想力には本当に驚かされます。当社も3D金属プリンターを製造しており、産業は異なりますが、お客様と一緒にイノベーションに取り組んでいます。</p><p>当社が「これをつくったから使ってください」という姿勢ではなく、お客様のものづくりに深く関わり、一緒にアプリケーションを開発する。その中で、「当社はこのようなソリューションを提供できます」とアイデアを出す、提案型の営業が必要になると感じています。</p><p><strong>── ソディックの技術が他社の課題解決の鍵となるケースが出てくると思いますが、製造プロセスをコンサルティングするような領域にも踏み込むのでしょうか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　まさにその通りです。「機械メーカー＝機械販売」ではなく、「機械＋ソリューションを提供するメーカー」という姿勢が重要です。ソリューションには、自動化やお客様の求めるオプション化が含まれます。</p><p>お客様が「これをつくりたい」というときに、ソディックとして何を提供できるのか。当社のどのモデルの機械が適しているのか、どのようなオプションを搭載するのか。お客様と一緒に設計し、自動化のためにどのロボットやソフトウェア、CAD/CAMなどを選択するかも含めて、すべてがつながるストーリー性を持って営業することが、必要な時代になったと考えています。</p><h2 id="toc_h2-5">真のグローバル企業へ向けて進化</h2><p><strong>── 日本の製造業や中小企業が生き残るために、どのような戦略を取ることが望ましいでしょうか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　日本は長らくデフレが続いてきました。物価は上がっていますが、デフレマインドは簡単には変わらないと思っています。</p><p>しかし、日本のお客様もニッチで高付加価値な仕事をしている方がたくさんいます。そうしたお客様と一体になって、機械やアプリケーションの開発を一緒に行いたいと考えています。日本が常に世界トップであり続けるために、そうした一体感を大切にしたいです。</p><p><strong>── 今後50年に向けたビジョンとして、どのような未来図を描いていますか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　これからの50年は、グローバル企業を目指します。今まで「グローバルに展開する日系企業」でしたが、これからは真のグローバル企業として、社員一人ひとりがグローバルな視点でビジネスや開発に取り組む必要があります。多様性の時代ですから、さまざまな人種の人たちと一緒に取り組むことが重要です。</p><p><strong>── グローバル化を進めるにあたり、現地のスピード感で決断できる組織にするために、今、必要なことは何でしょうか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　現地化を進める上で最も重要なのは、人材です。現地のグループ会社を任せるわけですから、現地の社員を育成するか外部から優秀な人材を招くかの検討を含め、戦略的に進める必要があります。</p><p>管理面では、日本の本社としてコーポレートガバナンスをしっかり維持しつつ、事業を把握・管理することも必要です。</p><p><strong>── 今後のソディックの未来図に対して、社長自身の役割をどのように認識していますか？</strong></p><p><strong>圷</strong>　従業員のマインドセット、特にビジネスに対する考え方をしっかり持ってもらうことが重要です。そして、当社の原点である「創造＝イノベーションを起こす」を、どこにも負けないようにしながら追求します。</p><p>世代交代が進む中で、若い世代の考え方も取り入れつつ、お客様の現場を理解しながら開発を進めたい。営業部門とも連携し、横串でコミュニケーションを取りながら目標へ向かうことが私の役割だと考えています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>圷祐次（あくつ　ゆうじ）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.sodick.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">株式会社ソディック</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役 CEO 社長執行役員</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3355" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 放電加工機などの工作機械や、射出成形機などの産業機械、無菌包装米飯製造システムなどの食品機械で、グローバルにものづくりへ貢献する株式会社ソディック。2025年、代表取締役CEOに就任した圷（あくつ）祐次氏は、入社後の23年間を米国で過ごし、グローバルビジネスの荒波を乗り越えてきた人物だ。 会社全体としても「真のグロー[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
  </entry>
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    <title>「不負」の精神で全国4000ヵ所に案内地図を設置。表示灯株式会社は社会インフラへの進化をどう目指すのか？</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3354</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/HnzOkZRcntejNFgpzrnuxAERnXatsEXa/298867ac-39c3-49c2-a04f-531e47d64ec3.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/HnzOkZRcntejNFgpzrnuxAERnXatsEXa/298867ac-39c3-49c2-a04f-531e47d64ec3.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/HnzOkZRcntejNFgpzrnuxAERnXatsEXa/298867ac-39c3-49c2-a04f-531e47d64ec3.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/HnzOkZRcntejNFgpzrnuxAERnXatsEXa/298867ac-39c3-49c2-a04f-531e47d64ec3.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/HnzOkZRcntejNFgpzrnuxAERnXatsEXa/298867ac-39c3-49c2-a04f-531e47d64ec3.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="表示灯株式会社"></div><p>1967年の創業以来、駅や自治体庁舎などで周辺案内地図「ナビタ」を展開してきた表示灯株式会社。全国4000ヵ所以上にプロダクトを展開する同社は、アナログの信頼性とデジタルの利便性を融合させ、クライアントだけでなく地域社会にも価値を提供する。</p><p>代表取締役社長の德毛孝裕氏と代表取締役副社長の永井東一氏に、創業時の苦難を乗り越えた「不負」の精神や、地図情報のデジタル化という転換点とともに、社会インフラとして目指す将来像について聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">德毛孝裕（とくも たかひろ）──代表取締役社長</div>      <div class="description">1966年、広島県生まれ。1990年、早稲田大学卒業、日本電信電話株式会社（現NTT株式会社）入社。NTTコミュニケーションズ株式会社（現NTTドコモビジネス）での勤務などを経て、2005年、株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ（現株式会社NTTドコモ）に転籍。2020年、執行役員として表示灯に入社。副社長執行役員などを経て、2022年に代表取締役社長就任。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">永井東一（ながい とういち）──代表取締役副社長</div>      <div class="description">1963年、茨城県生まれ。1986年、表示灯入社。東京支社勤務、人事部長、執行役員 統轄本部企画広報部長を経て、2014年に取締役 社長室長。以後、取締役管理本部長、取締役副社長管理本部長兼生産本部長を経て、2022年に代表取締役副社長就任。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">表示灯株式会社</div>      <div class="description">1967年、設立。全国4000ヵ所超の鉄道駅・自治体庁舎・医療機関・警察関連施設・神社／寺院に設置されている自社開発の周辺案内地図を基礎とした広告媒体（ナビタ）を展開。<br>企業サイト：<a href="https://www.hyojito.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.hyojito.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">地方での営業から全国展開を実現するまで</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">デジタル時代でもナビタが愛用される理由とは？</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">「不負」の精神と「旗が喜ぶ道」を選ぶ企業文化</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">「元請け失踪」の危機とナビタの横展開</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">公共性の高い事業だからこそ長期的目標に掲げるプライム上場</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">地方での営業から全国展開を実現するまで</h2><p><strong>── 周辺案内地図による広告媒体「ナビタ」を展開しています。全国展開するまでの経緯を教えてください。</strong></p><p><strong>德毛氏（以下、敬称略）</strong>　当社の歩みは1967年、名古屋での創業がはじまりです。最初の事業は、バス停の標識に広告を掲載することでした。これが当社の原点です。</p><p>その後、創業者は駅の改札付近に周辺案内図（ナビタ）を設置するビジネスを思い立ちました。名古屋鉄道様への営業から始まり、創業と同じ1967年12月には上飯田駅への設置を実現します。</p><p>そこから名古屋だけでなく、全国へと展開しました。2000年には東京メトロ様の各駅にも設置し、全国に周辺案内図（ナビタ）を設置するに至りました。</p><p><strong>── 現在は、鉄道駅以外にも展開しています。こちらは、どのようなきっかけで始まったのでしょうか？</strong></p><p><strong>德毛</strong>　鉄道駅での展開が全国的に完了しつつあったため、同じビジネスモデルを他領域へ広げられるかの模索をしていました。その一環として自治体庁舎への展開を開始し、2010年に名古屋市天白区役所に設置されました。</p><p>これは「シティナビタ」と名付けられ、区役所や市役所などで大変好評を博しました。その後、このモデルも全国へと広がり、現在の当社の核となる事業へと成長します。</p><p>ステーションナビタとシティナビタを軸に成長を続け、2021年4月には当時の東証二部へ上場しました。これが当社の歴史の要点となります。</p><p><strong>── 創業当時は、他社でも同様のサービスがあったのでしょうか？</strong></p><p><strong>永井氏（以下、敬称略）</strong>　かつては、鉄道会社のOBの方々が定年後の仕事として、駅の地図広告を取り扱っていたと聞いています。しかし、規模的に大きなものではなく特定の駅に限定されており、商品開発や品質向上のような動きは目立っていたわけではありません。</p><p>当社は名古屋を中心とした東海地方から実績を着実に積み上げ、他社が持っていた大都市都心部の権利も、順次譲り受けました。このように一つずつ地道な努力を重ねることで、結果として圧倒的なシェアを獲得するに至りました。</p><h2 id="toc_h2-2">デジタル時代でもナビタが愛用される理由とは？</h2><p><strong>── デジタル化が進む中で、駅の案内図の価値をどのように維持・向上させていますか？</strong></p><p><strong>德毛</strong>　デジタルが普及した今、従来と同じものを提供し続けるだけでは限界があります。現在、注力しているのがリアルな設置媒体とデジタルの世界を連携させることです。</p><p>たとえば、二次元コードを介してウェブサイトのコンテンツと連動させた「どこでもナビタ」という仕組みがあります。利用者がスマホでナビタの情報を持ち歩けるようにし、利便性を高めるためのツールとなります。</p><p>これは、スポンサーにとっても価値の高い媒体となるための取り組みでもあります。また、新たなビジネスチャンスの創出にもつながると考えています。</p><p><strong>── スマホが普及しても、物理的な地図が利用される理由はどこにあるとお考えですか。</strong></p><p><strong>德毛</strong>　駅の改札を出た際、スマホを片手に持ちながらナビタをご覧になる方は意外と多くいらっしゃいます。これは、大きな駅ほど「まずどの方向へ進むべきか」の判断が難しいためです。</p><p>出口の方向や、右か左かといった直感的な把握には、ナビタの大きな地図が非常に使い勝手が良いのです。一般的な地図は北が上になるよう制作されているものが多いですが、当社が制作する地図の多くは利用者が向いている方向が上になるヘディングアップ表示に基づき制作されています。見やすく分かりやすい地図を提供し続けることは、今も重要な価値があると受け止めています。</p><p><strong>── 利用状況の調査や、ロケーションオーナー（設置場所の提供者）への対応はどうされていますか。</strong></p><p><strong>德毛</strong>　ウェブアンケートによる定点調査を行っております。そして、認知度や利用シーンを把握し、ユーザーサイドのニーズを常に反映させるようにしています。</p><p>ロケーションオーナーにとっても、ナビタがあることで道案内の手間が省ける点がメリットです。自治体や病院では、施設内の案内も併せて表示し、利便性を高めています。</p><p>ユーザー、ロケーションオーナー、スポンサーの三者にとって良いものにすることが、当社の行動指針です。この考え方が、媒体価値の維持につながっています。</p><h2 id="toc_h2-3">「不負」の精神と「旗が喜ぶ道」を選ぶ企業文化</h2><p><strong>── 成長を支えてきた独自の経営戦略や、大切にしている考え方を教えてください。</strong></p><p><strong>德毛</strong>　最大の成長要因は、創業メンバーがこのビジネスモデルの将来性に着目し、ひたすら市場開拓に当たってきたことです。競合の少ないブルーオーシャンではありますが、それでも創業メンバーの営業活動がなければ成長はなかったでしょう。</p><p>また、地図情報は一度、設置して終わりではありません。街の変化に合わせて年に一度は必ずアップデートします。色弱者の方にも配慮した配色（色覚バリアフリーマップ）をするなど、細かな進化を続けています。こうした取り組みが、ロケーションオーナーやスポンサーとの長きにわたる信頼関係の基盤です。</p><p>単なる広告営業ではない姿勢が、当社の強みです。</p><p><strong>── 社訓である「不負」（ふまけ）という言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか。</strong></p><p><strong>德毛</strong>　これは創業者がフィールド（陸上）ホッケーのゴールキーパーをしていた経験から来ています。ゴールキーパーは、ひたすら守り抜いて点を取られないことが最大の使命です。</p><p>「あきらめることなく、逃げることなく、根気強く仕事をすれば、いずれは信用を勝ち取れる。信用を勝ち取った顧客が増えれば、必ず事業は成功する」という精神です。この価値観が、社員に脈々と受け継がれています。</p><p><strong>── ウェブサイトには「灯旗思想」（とうきしそう）という言葉も記されていますね。</strong></p><p><strong>永井</strong>　灯旗思想は、仕事で困難に直面したり判断に迷ったりしたときは、「表示灯（会社）の旗を見ろ」という教えです。旗（会社）が悲しんでいるか、喜んでいるかを見極めて選択しなさいという意味です。</p><p>自分自身の都合とらわれず、全体のために正しい道を選択する。この思想が、組織としてのまとまりを生んでいます。私自身も、この考え方を非常に大切にしています。</p><p><strong>── 德毛社長ご自身が、特に意識されているモットーはありますか？</strong></p><p><strong>德毛</strong>　私は「不進則退」（ふしんそくたい）という言葉を心に留めています。日々、同じことをやっているだけでは進んでいるとはいえず、さらに現状維持とは実は後退でしかないとの意味を持つ言葉です。</p><p>同じことを繰り返すのではなく、常に変化とチャレンジを選び続ける。その努力の積み重ねが、会社全体の成長につながると信じています。</p><h2 id="toc_h2-4">「元請け失踪」の危機とナビタの横展開</h2><p><strong>── これまでの歴史の中で、最大の壁と感じられた出来事は何でしょうか？</strong></p><p><strong>永井</strong>　創業直後の危機が、最も困難な時期でした。当時はある会社の下請けとしてバス停広告を扱っていましたが、その元請け会社がバス停標識の設置工事資金を他の事業につぎ込んでしまっていたのです。</p><p>元受け会社が行うはずであったバス停標識の設置工事が進まず、下請けであった当社は交通局からは出入り禁止をいい渡され、スポンサーからの信用も失いました。社員にも会社を辞めてもらわざるを得ず、創業メンバー3人だけが残りました。</p><p>途方に暮れる日々が、3ヵ月ほど続いたと聞いています。しかし、そこで得た教訓を以って、現在の駅案内地図という仕事にたどり着くことができました。</p><p><strong>── その後の成長において、大きな転換点となったできごとを教えてください。</strong></p><p><strong>永井</strong>　二つあります。</p><p>一つは1995年、案内地図を「ナビタ」化（CG化）したことです。それまでは拠点ごとに手づくりで地図を制作しており、コストも時間もかかっていました。これをデータ上で制作するプロジェクトを立ち上げたのです。</p><p>地図をデジタルデータ化し、外枠を全国統一の標準仕様にすることで、大量生産とコストダウンを実現。修正も容易になり、品質が飛躍的に向上しました。</p><p>この「ナビタ」というブランドの確立により、鉄道会社からの社会的信用が格段に高まりました。日本中のどこに行っても同じ品質のものがあるという安心感が、大きな強みです。</p><p><strong>── では、二つ目の転換点はどのようなことでしょうか？</strong></p><p><strong>永井</strong>　2009年ごろから始めた、駅以外の場所への横展開です。各自治体が税外収益確保のために広告モデルを導入し始めた流れに乗り、庁舎内への設置を開始。2010年、名古屋市天白区役所に初めて設置することができました。</p><p>最初は成功するか不安もありましたが、競合他社との入札競争が刺激となり営業部門が奮起していましたね。結果として、他社に劣らない優れた商品をつくり上げられました。</p><p>これが現在の「シティナビタ」となり、交番、サービスエリア、病院、神社仏閣へと広がっています。駅で行っていた事業が、大きく横へ拡大した瞬間でした。</p><h2 id="toc_h2-5">公共性の高い事業だからこそ長期的目標に掲げるプライム上場</h2><p><strong>── 今後の市場環境と、業界の展望を教えてください。</strong></p><p><strong>德毛</strong>　広告市場全体はコロナ禍から回復し、過去最高を更新していますが、その主役はインターネット広告です。屋外広告や交通広告は、まだコロナ前の水準に戻っていません。</p><p>また、鉄道の無人化や路線の廃止など、既存の市場が縮小する懸念もあります。黙って待っていれば、事業は縮小してしまうでしょう。だからこそ今、持っている強みを活かした領域拡大が必要です。</p><p>投資家の方々の期待に応える成長を見せるためには、これまでの延長線上ではない打開策が求められます。社外パートナーとの提携やM&Aも、重要な選択肢となります。</p><p><strong>── 将来的に実現したい目標はありますか？</strong></p><p><strong>德毛</strong>　具体的な時期は明言できませんが、いつかはプライム市場に上場できるような会社になりたいと考えています。上場そのものが目的ではなく、当社の事業は非常に公共性が高いものであるため、その成長の証としてのプライム市場への上場が目標です。</p><p>そして、業績を向上させ、世の中からの認知と信頼をより高める努力を続けます。既存のリソースだけに頼らず、新しいノウハウを取り入れながら、ハードルの高い目標に挑戦します。</p><p><strong>── 現在は東証スタンダード上場であり、さらに上を目指す中で、既存株主やステークホルダーの方々へ伝えたいことはありますか？</strong></p><p><strong>德毛</strong>　当社は広告会社という枠を超え、一種の「社会インフラ」としての価値を提供する企業でありたいと考えています。地図を含めた周辺情報を提供するインフラです。</p><p>また、強固な信頼関係があるロケーションオーナーに対し、経営課題を解決するソリューションを提供できる存在を目指します。広告による還元以上の価値を創造します。</p><p>インフラとしての価値創造と、課題解決のソリューション提供。この二つを軸に成長することで、社会に不可欠な企業へと進化する決意です。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>德毛孝裕（とくも たかひろ）</dd>   <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>    <dt>氏名</dt>     <dd>永井東一（ながい とういち）</dd>   <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役副社長</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.hyojito.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">表示灯株式会社</a></dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3354" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 1967年の創業以来、駅や自治体庁舎などで周辺案内地図「ナビタ」を展開してきた表示灯株式会社。全国4000ヵ所以上にプロダクトを展開する同社は、アナログの信頼性とデジタルの利便性を融合させ、クライアントだけでなく地域社会にも価値を提供する。 代表取締役社長の德毛孝裕氏と代表取締役副社長の永井東一氏に、創業時の苦難を乗[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>名門復活への勝ち筋は？アツギ・日光社長が挑む、伝統企業再生のための製品と組織の変革</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3353</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/YZdhaSmzqBTsWZPsllMzvbBtlgCYamPv/f260efc0-558c-4a87-8c0e-f113bd1dad25.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/YZdhaSmzqBTsWZPsllMzvbBtlgCYamPv/f260efc0-558c-4a87-8c0e-f113bd1dad25.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/YZdhaSmzqBTsWZPsllMzvbBtlgCYamPv/f260efc0-558c-4a87-8c0e-f113bd1dad25.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/YZdhaSmzqBTsWZPsllMzvbBtlgCYamPv/f260efc0-558c-4a87-8c0e-f113bd1dad25.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/YZdhaSmzqBTsWZPsllMzvbBtlgCYamPv/f260efc0-558c-4a87-8c0e-f113bd1dad25.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="アツギ株式会社"></div><p>1947年の創業以来、日本のレッグウェア市場を牽引してきたアツギ株式会社。しかし、市場の「生足ブーム」や組織の硬直化により、近年は不動産事業に収益を依存する構造的課題を抱えていた。この老舗の再生を託されたのが、帝人グループを経て2022年に社長となった日光信二氏である。</p><p>繊維の可能性を再定義し、組織風土と収益構造の抜本的改革に挑む同氏に、新生アツギが描く「肌と心がよろこぶ」未来について聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">日光信二（にっこう　しんじ）──代表取締役社長。</div>      <div class="description">1956年、北海道生まれ。1979年、関西大学卒業、貿易に関する仕事を志し帝人商事株式会社（現・帝人フロンティア株式会社）に入社。バンコク、ニューヨークでの駐在経験後、2015年、帝人株式会社執行役員繊維・製品事業グループ長兼帝人フロンティア株式会社代表取締役社長に就任。2017年、帝人常務執行役員繊維・製品事業グループ長兼帝人フロンティア代表取締役社長就任。2022年、アツギ株式会社代表取締役社長に就任。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">アツギ株式会社</div>      <div class="description">1947年、創業。「すべての女性の美と快適に貢献したい」という創業者の想いから、日本で初めてシームレスストッキングを本格生産・販売。以降も日本初・世界初のレッグウェアを販売。2023年5月にブランドロゴを刷新。<br>企業サイト：<a href="https://www.atsugi.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.atsugi.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">アツギに立ちはだかっていた市場と組織の課題</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">オフィス、人、そして製品から会社を変える</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">不動産依存脱却のための構造改革をどう進めるのか？</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">男性向けも含め「肌」を軸に幅広い製品展開へ</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">アツギに立ちはだかっていた市場と組織の課題</h2><p><strong>── アツギの歴史について、そして社長就任時の社内について教えてください。</strong></p><p><strong>日光氏（以下、敬称略）</strong>　創業78年を迎えた企業で、創業者の堀禄助が日本で初めてシームレスストッキングを開発・普及させた、いわば業界の草分け的存在です。</p><p>40～50年前にはアパレル業界でトップクラスの時価総額を誇った時期もありましたが、そこから見ると、現在は下降局面にあるといわざるを得ません。その最大の要因は、生足ブームが起こり女性の美意識が「ストッキングやタイツを履かないほうがかっこいい」という方向に変化したことが挙げられます。</p><p>さらに組織面では、長らくワンマン経営が続いており、組織全体がトップの指示に従う「右へならえ」の風土が定着していました。自ら発信し、行動を起こす文化が失われていたのです。組織は存在しても、すべてが社長からの指示待ちの状態でした。</p><p><strong>── 現状の課題に対してどう取り組んでいますか？</strong></p><p><strong>日光</strong>　アツギには、お客様から見たときに「信頼」「安心」という絶大な優位性があります。これはかけがえのない宝であり、今も揺るぎません。</p><p>その礎となっているのが、確固たる技術力です。この技術を生かせば、まだまだ可能性があり、会社は再生できると信じています。</p><p>とりわけアツギは、原料を加工する際の技術が強みです。この加工技術は変化・進化しやすく、新規参入も多い一方で、淘汰される企業も多い業界です。しかし、そこにヒントやアイデアがあれば、いかようにも発展できる可能性を秘めています。</p><p>重要なのは、お客様の悩みや「こんなものがあったらいいな」という日常の些細な気づきの中にヒントを見つけ、新たなニーズを生み出すことです。常にそのような視点を持つことで、チャンスはいくらでも生まれると考えています。</p><p>しかし、当社はこれまで待ちの姿勢を変えられず、閉鎖的なマインドになっていました。これを崩すことで、無限の可能性が広がります。国内需要が停滞する中でも、グローバルにはいくらでも攻められる市場があります。</p><h2 id="toc_h2-2">オフィス、人、そして製品から会社を変える</h2><p><strong>── 従業員に変革を促しているのだと思いますが、具体的にどのような取り組みをしていますか？</strong></p><p><strong>日光</strong>　じっとしている人、動こうとしない人、お客様のもとへ行こうとしない人が多いのが現状です。こうした人々のポテンシャルをどう引き出すかが課題です。</p><p>昨年始めに、事務所を移転しました。78年間、神奈川県海老名市に本社がありましたが、駅から徒歩20分という立地であり、どうしても「アツギ村」に閉じこもりがちになってしまう。これは良くないと判断しました。</p><p>優秀な人材を獲得するためには、立地の良さも重要です。快適で働きやすい環境が求められる現代において、東京や横浜、新横浜なども検討しましたが、最終的に海老名駅直結のオフィスビルに移転しました。</p><p>移転により、外部との接触機会が増え、利便性も向上します。環境の変化は、マインドの変化につながる最も大きな要因です。</p><p>「もっと前へ。もっと外へ。」この二言（ふたこと）をスローガンに、みなが外に出て、触れ合おうと呼びかけています。人と人が交わることで、進化と変化が生まれると信じて、その声をかけ続けています。人と交流を持つことで、自分にはない相手の考え方が見えてきますし、自分もそこを見習おうという思いが生まれるからです。</p><p><strong>── 意識改革や構造改革を進めてきた中で、入社時と比べて最も変わったと感じる点はどのようなところでしょうか？</strong></p><p><strong>日光</strong>　アツギの良いところは、人が良いことです。奥ゆかしいともいえますが、性格が良い人が多い。</p><p>逆に、「やんちゃ」な人はいません。相手を蹴落としてでも前に出るような人はおらず、相手を思いやる人が多い。これは良い面でもあり、悪い面でもあります。</p><p>人間の性格そのものを変えるのは難しいですが、攻める姿勢は誰にでもできるはずです。そうした人がいないと、会社は成長しません。今は、攻める人が一人、二人と増えてきたと感じています。</p><p><strong>── 社長就任後の製品開発についても教えてください。</strong></p><p><strong>日光</strong>　生足ブームから30年程が経ちますが、この流れに風穴を開ける必要があります。そのために、さまざまな新しいブランドを立ち上げています。</p><p>これまでタイツの色は、ほとんどが黒、グレー、肌色で、ファッション性に欠けていました。若い人が履きたくなるような雰囲気が必要です。ファッションを楽しむためのカラーを早く取り入れたいと考えていました。</p><p>過去にも何度か挑戦しましたが、その際はヒットに至っていません。</p><p>しかし今回、「Atsugi COLORS」というブランドを立ち上げました。ファッションコーディネートにおいて、ちらっと見える足元におしゃれ感があれば、非常に良いのではと考えたのです。</p><p>27色のカラーバリエーションを作成しましたが、当初、従業員が持ってきたカラーブックは、言葉は悪いですが「おばちゃんの色」ばかりで驚きました。「アツギはこうでなければならない」というイメージに固執してしまい、年配者向けのブランドになりつつあったのかもしれません。</p><p>そこで、Atsugi COLORSではカラフルで明るい色を取り入れました。差し色にもなり、ファッションの幅が広がります。</p><p>このAtsugi COLORSを立ち上げると同時に、大手アパレルとも連携が始まりました。私が他社にAtsugi COLORSを提案したわけではなく、先方がカラー展開を考えていたところに、当社の製品がマッチングしたのです。</p><p>それが今、非常に売れています。アツギブランドの製品を出しながら、大手アパレルのOEM（受託）生産も積極的に行っています。</p><p>また、「スゴスト」というブランドも展開しています。通常、ストッキングは5～6回履くと破れてしまいますが、このスゴストは30回履いても破れず、社内試験ではパイナップルを入れて200回振っても破れないという耐久性を実現しました。2025年発売したこの製品は、ドラッグストアなどでも展開しています。</p><p>また、航空会社の客室乗務員の方が忙しいときにストッキングが破れると、交換が必要になり、タイムパフォーマンスに対するストレスが生じます。この製品なら、破れる心配がありません。</p><p>現在、日本の航空会社にデモンストレーションを行っており、ある会社に訪問した際には、約350人の方々に来場いただき「これを待っていた」と大変喜ばれました。今までにない発想と解決策で、女性が長年悩んでいたことに対する一つの答えだと考えています。</p><p>これを世界に広げていきたいです。特にアメリカは航空産業が巨大であり、バス代わりに飛行機を使う国なので日本の数倍の客室乗務員がいます。日本の大手は客室乗務員が約8000人であるのに対し、アメリカの大手にはそれぞれ3万人以上の客室乗務員がいるのです。</p><p>こうした市場にもチャンスを広げられると考えています。</p><h2 id="toc_h2-3">不動産依存脱却のための構造改革をどう進めるのか？</h2><p><strong>── 現状は、中期経営計画の期間の序盤、繊維事業が赤字である一方、不動産事業が収益を支えています。これをどのように転換するのでしょうか？</strong></p><p><strong>日光</strong>　おっしゃる通り、これまでアツギは繊維事業が儲からず、不動産に依存していました。しかし、これからは不動産に頼らず、繊維だけで儲けなければなりません。</p><p>そのために、まず会社の構造自体を変える必要があります。</p><p>2020年、アツギが収益を確保できていなかった分野である紳士向けのインナーウェアやパジャマに強い、株式会社レナウンインクスを買収しました。これにより、レッグウェアとインナーの収益バランスが8対2から5.6対4.4へと変化しています。インナー業界も厳しいですが、レナウンインクスは安定収益を上げています。</p><p>一方、アツギ本体の繊維部門を立て直すため、高付加価値商品の拡充と自社ブランドのさらなる展開が進行中です。PB（プライベートブランド）供給からNB（ナショナルブランド）シフトへの転換もしています。特に量販店向けPBはコスト競争が厳しいため、NBシフトは基本戦略です。</p><p>その中で、先ほど申し上げたスゴストに加え、「アツギメディカル」という新たな取り組みも進めています。「スルッと着圧」という着圧ソックスは、履きにくさ、脱ぎにくさを解消し、スムーズに着用でき、かつ着圧効果も得られます。</p><p>製造面では、2022年日本にあった最後の工場、青森県のむつ工場を閉鎖。現在は中国にのみ工場があります。しかし、中国の人件費は上昇しており、5～10年後には日本と同等になるかもしれません。</p><p>製造原価の低減とBCP（事業継続計画）対応のためには、中国だけでは不十分であり、ASEANシフトを進めています。3年をかけてインドネシア、タイとカンボジアに協力工場を確立しました。</p><p>同じく中国の人件費高騰に対応するため、2024年12月には中国の別の新工場を建設しました。自動倉庫、自動運搬をはじめとして各製造工程の自動化を進めています。これにより更なる製造原価の低減を目指し競争力の強化に努めています。</p><h2 id="toc_h2-4">男性向けも含め「肌」を軸に幅広い製品展開へ</h2><p><strong>── 会社として掲げる「フェムサポ」について教えてください。</strong></p><p><strong>日光</strong>　「フェムサポ」の取り組みは、約4年になります。基本的には女性に寄り添う考え方で、創業以来の「すべての女性の美と快適に貢献したい」という信念に基づいたものです。フェムテックという言葉が世に出てきたときに、まさにアツギがこれまでやってきたことだと確信しました。</p><p>フェムテックの啓蒙活動には力を入れていますが、世の中を動かすのは容易ではありません。多くの製品を発表していますが、お客様からの信頼を得るには至っていません。この点で、取り組みは今後も継続していきます。</p><p>2023年には、パーパスを「肌と心がよろこぶ、今と未来へ。」、ビジョンを「肌心地から、感動を生み出す フィールウェアのアツギへ。」と制定しました。この言葉は、社員の思いや社会貢献への意欲と合致し、力強いパーパスができたと感じています。</p><p>また、社員が中心となり、私も加わり考えたパーパスでありビジョンです。社内外に向けて力強いメッセージとなることを期待しています。</p><p><strong>── 社長が描く未来のアツギの姿について、事業ポートフォリオの繊維、不動産、フェムテックなどで、どのような比率になるのが理想でしょうか？</strong></p><p><strong>日光</strong>　不動産事業の収益に頼るのではなく、繊維事業を収益化することがアツギにとって最も重要だと考えています。やはり、アツギが持つ繊維技術によって社会に貢献し、成長していきたいです。</p><p>成長の根幹には、当社のパーパスと同様、「肌に対してどのように貢献できるか」があります。「肌を美しく、そして健康に」することは、揺るぎない目標です。その中で、本当に喜んでもらえる製品を常に探求し続けなければなりません。今に満足することはできません。</p><p>その進化をどう遂げるか。地球温暖化などの環境問題、そして変化する社会の中で、われわれがどのような技術を磨きお客様の喜びにつなげるか。市場環境の変化によって技術が磨かれ、製品も変わっていきます。得意な機能があれば、お客様にヒットする製品が必ず生まれます。</p><p>環境の変化とともに技術も進化するという意味で、パーパスの基盤にあるのが「繊維には無限の可能性がある」という軸です。このベースのもと技術を磨いていけば、日本の人口減少や生足のようなトレンド変化の中でも、環境変化による技術革新が生まるでしょう。</p><p>その革新を掴むことで、新たな製品が生まれ、われわれが目指す未来へとつながります。</p><p>10年後のアツギは、女性だけでなく男性も対象とした製品展開も視野に入れています。「アツギメディカル」には男性用製品も近く販売を予定しています。ワークマンに「ワークマン女子」があるように、さまざまな可能性が考えられます。</p><p>肌に優しくありたいという思いがあれば、10年後のアツギは、今よりも肌に優しい製品を提供し、化粧のように肌を美しく見せるだけではなく肌自体を健康にするという目標も達成できると考えています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>日光信二（にっこう　しんじ）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.atsugi.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">アツギ株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3353" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 1947年の創業以来、日本のレッグウェア市場を牽引してきたアツギ株式会社。しかし、市場の「生足ブーム」や組織の硬直化により、近年は不動産事業に収益を依存する構造的課題を抱えていた。この老舗の再生を託されたのが、帝人グループを経て2022年に社長となった日光信二氏である。 繊維の可能性を再定義し、組織風土と収益構造の抜[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
  </entry>
  <entry>
    <title>ほっかほっか亭創業者が描く、DXとM&amp;amp;Aで加速する「食のインテグレーション」</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3352</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/RDHwXtcBbogsQxhHNWfNXBfhzkualeYF/3ab28a1f-52ab-4939-9f1a-4aeb59825ffd.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="株式会社ハークスレイ" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/RDHwXtcBbogsQxhHNWfNXBfhzkualeYF/3ab28a1f-52ab-4939-9f1a-4aeb59825ffd.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/RDHwXtcBbogsQxhHNWfNXBfhzkualeYF/3ab28a1f-52ab-4939-9f1a-4aeb59825ffd.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/RDHwXtcBbogsQxhHNWfNXBfhzkualeYF/3ab28a1f-52ab-4939-9f1a-4aeb59825ffd.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/RDHwXtcBbogsQxhHNWfNXBfhzkualeYF/3ab28a1f-52ab-4939-9f1a-4aeb59825ffd.jpg 2048w"></div><p>ほっかほっか亭の創業に参加し、日本の食文化に「あたたかい持ち帰り弁当」を定着させた株式会社ハークスレイの青木達也代表取締役会長兼社長。かつて「弁当は冷まして提供する」とされた衛生基準に対し、データに基づく粘り強い行政交渉で風穴を開けたパイオニアだ。</p><p>阪神・淡路大震災での原体験から「食の提供は自社の社会的役割」という信念を抱き、企業の継続性を高めるべくM&Aや事業多角化を推進してきた。インフレや人手不足が加速する現代において、AI・ロボットの活用や新世代への事業承継など、過去を壊し未来を創るための経営理論を聞く。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">青木 達也 (あおき　たつや)──代表取締役会長兼社長</div>      <div class="description">1952年、千葉県生まれ。1976年、日本初のあたたかい持ち帰り弁当のパイオニア「ほっかほっか亭」の創業に参加。食のインテグレーショングループ約20社をまとめる代表として、事業の多角化を実行。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">株式会社ハークスレイ</div>      <div class="description">1980年3月創業（持株会社への移行は2021年10月）。「ほっかほっか亭」を展開する「中食事業」、店舗リース等の「店舗アセット＆ソリューション事業」、食品製造・物流を担う「物流・食品加工」の3事業を柱とする東証スタンダード上場企業。近年は食品メーカーのM&Aなど物流・食品加工事業への投資も行う。<br>企業サイト：<a href="https://www.hurxley.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.hurxley.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">「持ち帰り弁当は冷まして提供」というルールをどう乗り越えたか</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">プレナス社とは路線が違うだけ。これからも切磋琢磨する</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-ai-&#34;)">人材育成とAI・自動化が今後のカギ</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">グループ会社の社長から後継者を決めたい</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">「持ち帰り弁当は冷まして提供」というルールをどう乗り越えたか</h2><p><strong>── 創業の経緯や、勝機を見出したきっかけを教えてください。</strong></p><p><strong>青木氏（以下、敬称略）</strong>　創業のきっかけは、ずばり温かいお弁当を提供できないかと考えたことです。当時、お弁当の持ち帰り商品は冷まして提供するというルールがありました。</p><p>そうしたルールがあったのは、温度を下げて食中毒のリスクを下げなさいと、行政が指導していたからです。もちろん、お弁当は温かいほうがおいしいのでそれを実現すべく、まず行政を説得することから始めました。</p><p>これは私たちにとって非常に良い経験でした。データを取って、ほとんどのお客様はお弁当を買っても30分以内に食べてしまうことが分かったのです。さらに、2時間以内であれば食中毒の事故はほとんどないということもデータで確認できました。</p><p>それを当局に示しながら、指導を受けました。厨房と売り場の仕切りを作ったり、ところどころは行政の協力もあおぎました。折々で保健所などに相談し、こちらから積極的に指導いただきたいと伝えた上で、理解を得ながら進めた形です。</p><p>冷たいものと温かいものは、同じ材料で同じコストがかかっても、付加価値が圧倒的に違うということを皆さんに分かってもらえたことで、爆発的な全国への店舗展開につながっていきました。</p><p>経済的で、温かく美味しい、そして好きなところで食べられる便利さ。この要素がそろっていたことが、成長の一番の原点だったと思います。</p><p><strong>── 店舗を増やす中で、特に気をつけたポイントはありますか？</strong></p><p><strong>青木</strong>　ハンバーガーなどの洋風メニューと違い、私たちのメニューは一般家庭で毎日食べているようなものをパッケージにしているだけなので、似たようなものは誰でもつくれます。そのため、スピードではなく、安心感や利便性といったメリットを追求しました。</p><h2 id="toc_h2-2">プレナス社とは路線が違うだけ。これからも切磋琢磨する</h2><p><strong>── 現在「ほっともっと」を展開する株式会社プレナスとの関係について、当時を振り返り教えてください。</strong></p><p><strong>青木</strong>　当時はお客様に対する考え方の違いがありました。プレナス社も上場していましたし、私たちも上場していたので、投資家に対する約束、お客様に対する約束、社員・加盟店への約束、この三つの約束を守る必要があります。</p><p>力を合わせて全国展開をした時期もありましたが、上場すると損益や予算に対する考え方、そして企業の理念による意見の相違が起きてしまいました。</p><p>別にどちらが良い悪いではなく、あくまで路線の違いであり、やむを得なかったと考えています。分裂した際には相当額の損害賠償も受け取っていますし、仲良くやってきたこともあるので、最後はきれいに線引きができたと思っています。</p><p>現場では競争が多少加熱した面はありますが、基本的にはお客様にどう向き合うかという路線の違いだけです。</p><p><strong>── 裁判もありましたね。</strong></p><p><strong>青木</strong>　第三者のジャッジが必要でしたから。今も最大の競争相手ですが、企業は競争したほうが良いわけです。</p><p>切磋琢磨する関係は続くでしょうが、非常に刺激的なよい関係だと思います。私たちも負けるつもりはありませんし、結果的にお客様に喜ばれる組織になっていったら、それが社会の中での役割として一番良いのではないでしょうか。</p><p><strong>── 1995年の阪神淡路大震災では、苦労があったと聞いています。</strong></p><p><strong>青木</strong>　当時私は40代で、加盟店への約束、お客様への約束、社員への約束をどうやって実現するか、眠れない日々を過ごしました。</p><p>幸い、私たちは直接的な被害をあまり受けずにすみました。そこで、自分たちが何を求められているのかを考えると、お弁当は災害のときこそ価値があると実感しました。</p><p>であれば、企業の社会的役割として絶対にお店を開けなければなりません。街を見れば、神戸でも芦屋でも、西宮でも大阪でも、食に対する不安を持つ人、空腹という人間本来の欲求を満たせない人が、たくさんいます。</p><p>私が最初にお店へ号令をかけたのは、「とにかくご飯だけでもいいから炊き出せ」ということでした。姫路など近隣都市からいろいろなものを持ち込みました。</p><p>災害があれば一番先に店を出し、商品を届ける。これは東日本大震災のときも同じです。フルメニューにはできなくても、ご飯だけでも炊き出す。企業人として、経営者としての決断を試されたことで、特に阪神大震災は私にとって最大のターニングポイントとなりました。</p><p>非常事態でも平常時でも、お客様に食を提供することが我々の役割だと身に染みて感じさせられました。この考えは今も変わっていません。</p><p><strong>── 1997年に上場（株式店頭登録）していますが、その狙いは？</strong></p><p><strong>青木</strong>　非常事態の中でも社会との約束を果たし、役割を果たすためには、資金力、人材力、トータルの組織力を増強しなければならないと強く実感したからです。そのための一つの方法として、継続性、影響力、安定性を考えて、上場を決めました。</p><p>当初は市場の変革の最中で、上場を廃止した会社も多くありました。しかし、私の目的は継続性と組織力の増強です。上場を維持することが社会の中での公共性を示すことだと自覚しているので、迷いはありませんでした。</p><h2 id="-ai-">人材育成とAI・自動化が今後のカギ</h2><p>──次の10年に向けて、これから何に注力したいですか？</p><p><strong>青木</strong>　新しいものをつくるために、古いものを壊すことです。古いものを残しながら新しいものをつくるのは不可能だというのが、私の実感です。逆に壊すところから始めると、必然的に新しいものが生まれます。</p><p>これからの10年を考えたときに重要なのは、長く続いたデフレからインフレに転換していることでしょう。そのスピードや形は予測不能ですが、新しい景色のインフレ社会が動き出しています。</p><p>新しいものへのニーズや経済環境の変化がある中でどう対応するかといえば、それらに臨める人材の育成が必要です。マーケティングも技術開発も、変化への対応も、人材がいなければ成り立ちません。軸は人材の育成、しかもインフレ時代に対応できる人材の育成になります。</p><p><strong>── 将来的なフルオートメーション化の可能性や、逆に人がやるべき領域はありますか？</strong></p><p><strong>青木</strong>　同業者を見渡すと、回転寿司業界はすでにロボット抜きにはできない状態です。あるいは、建設業界でいえば、建設機械は人間の何百倍もの力で動きます。冷静に見ると、すでにロボットはさまざまなところで活用されています。</p><p>一方、私たちはコインランドリーを展開しているのですが、電子マネーが導入され、お釣りや現金の回収が不要で、なおかつ電子化され、ロボットとテレビカメラでリスクの90%をカバーできるようになりました。お客様にとっては、スタッフがいないほうがプライバシーを守れる面もあります。</p><p>そこで、私たちのお弁当の分野でも、ロボット化がどうできるのかを検討しています。</p><p>また、これから10年くらいでAIが組み込まれると、お客様のニーズに合わせて一日分のミネラルやビタミン、エネルギーを摂取でき、美味しいお弁当をロボットが提供することは十分可能になるのではないでしょうか。</p><p>お客様目線で見ても、ロボットがやるほうが安心で、安上がりになる可能性があります。安くなるのであれば、利用者にとってもさらなるメリットがあります。24時間営業も可能です。富士山の頂上でも営業できるでしょう。人がなかなか行けない場所や、配置にコストがかかる場所も、ロボットであれば運営が可能です。</p><p>私たちは、ロボット化は避けて通れないと考えており、現実的なコストとの戦いの中で取り組んでいます。</p><h2 id="toc_h2-4">グループ会社の社長から後継者を決めたい</h2><p>──中食の市場が拡大する中で、どのような付加価値を提供する考えですか？</p><p><strong>青木</strong>　今、外食産業の市場規模は約26兆円、中食産業は約13兆円で、伸び率は圧倒的に中食産業のほうが大きく、まだ伸びる余地があります。</p><p>しかし、問題なのがインフレと企業の存続です。人件費、水光熱費、原材料費すべてがとてつもないスピードでインフレ進行している中で、コストを価格に反映できないことに、他社も相当苦しんでいます。</p><p>特に淘汰（とうた）されるのは中間層です。中小零細企業は家内工業的に柔軟な乗り切り方ができますし、資本力のある大企業はロボット化やコスト面でのスケールメリットで乗り切れるでしょう。売上高10億円から100億円程度の企業が最も厳しいのではないかと見ています。</p><p>そこでM&Aを進めています。単独で進むより一緒にやったほうが明らかに有利ですし、従業員も安心できるのではないでしょうか。</p><p><strong>── 今後のM&Aのターゲットはどのような企業なのでしょうか？</strong></p><p><strong>青木</strong>　われわれのM&Aのターゲットはこの10億円から100億円のゾーンにある食関係のビジネスをしている単独企業です。単独活動では資金力、人材力、バイイングパワー（仕入力）などの面で厳しいからです。</p><p>方針は、食にかかわる企業のグループ化です。買収案件が持ち込まれることも多いのですが、それらは中堅どころが多いですね。従業員をどうやって見ていったらいいか、競争にどう勝ち抜いたらいいか……中小経営者の間で、組織をどう存続させるかという意識が高まっているようです。</p><p><strong>── 次世代への引き継ぎについては、どう計画していますか？</strong></p><p><strong>青木</strong>　すでに考えています。グループ企業の社長、若い幹部クラスも頭角を現してきています。実績がすべてです。意図的に、身内・親族は一人もグループに入れていません。</p><p>グループ企業は、2030年には20社を超えるぐらいになると思います。個性豊かで面白い人がたくさんいますので、この中から次の後継候補が生まれくるのが理想ですね。</p><p>私がやってきたことはすべて壊して、白紙にして、あとは好きなように絵を描いてくれればいい。条件付きの継承は考えていません。</p><p><strong>── 「これだけはやっておきたい」ということはありますか？</strong></p><p><strong>青木</strong>　次のプレーヤーの邪魔にならない形を作り、継承者が存分に活躍できるフィールドを用意しておきたい。</p><p>特に、これからの50年を大切にしたいです。これからの50年を生きる人たちに軸を置き、報酬体系、働き方改革など制度の環境を整備し、組織の新陳代謝を図り、企業の持続的成長を実現していく必要がある。</p><p>さまざまな方法がありますが、大切なのはモノではなく、心の部分での感謝です。常に感謝と深い敬意を持ち示していくことが大切であると、常にそう考えています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>青木 達也 (あおき　たつや)</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.hurxley.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">株式会社ハークスレイ</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役会長兼社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3352" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ ほっかほっか亭の創業に参加し、日本の食文化に「あたたかい持ち帰り弁当」を定着させた株式会社ハークスレイの青木達也代表取締役会長兼社長。かつて「弁当は冷まして提供する」とされた衛生基準に対し、データに基づく粘り強い行政交渉で風穴を開けたパイオニアだ。 阪神・淡路大震災での原体験から「食の提供は自社の社会的役割」という信[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>「表面処理だけでなく食品分野もグローバル展開」──教員出身の奥野製薬工業社長が語る、売上高300億円突破後の成長戦略</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img height="400" loading="lazy" alt="奥野製薬工業株式会社" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/pgszkXDFPzbYiWDbLuunlatVdrWaPSoX/07687ec6-578e-4f1b-a826-f0d201e24ae8.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/pgszkXDFPzbYiWDbLuunlatVdrWaPSoX/07687ec6-578e-4f1b-a826-f0d201e24ae8.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/pgszkXDFPzbYiWDbLuunlatVdrWaPSoX/07687ec6-578e-4f1b-a826-f0d201e24ae8.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/pgszkXDFPzbYiWDbLuunlatVdrWaPSoX/07687ec6-578e-4f1b-a826-f0d201e24ae8.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/pgszkXDFPzbYiWDbLuunlatVdrWaPSoX/07687ec6-578e-4f1b-a826-f0d201e24ae8.jpg" width="600"></div><p>2025年に創業120周年を迎えた総合化学メーカー、奥野製薬工業株式会社。表面処理、無機材料、食品の3部門で事業を展開し、直近では過去最高売上高を記録するなど堅調な成長を続けている。</p><p>同社の奥野直希氏は、元小学校教師を務めていたところから2009年に入社し、2024年に社長就任。それ以来、長年培われた「ほんとうに愛される製品をつくり みんなに愛される人になれ」という企業DNAを継承しつつ、組織の部分最適から全体最適への転換を推進する。</p><p>老舗企業に新たな風を吹き込む奥野氏に、事業承継の経緯とこれからの成長戦略を聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">奥野直希（おくの　なおき）──代表取締役社長</div>      <div class="description">1983年、兵庫県生まれ。2006年、大学卒業後、3年間小学校教師として勤務した後、26歳で家業「奥野製薬工業」に入社。米国法人の副社長を務めた後、一度退社し他社での経験を経て2021年に再入社。2024年、6代目代表取締役社長に就任。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">奥野製薬工業株式会社</div>      <div class="description">1905年、創業。2025年に創業120周年を迎えた総合化学メーカー。表面処理・無機材料・食品の3部門で事業展開。スマートフォンや自動車などに使われる表面処理薬品、ガラス材料、食品添加物などを製造・販売。<br>企業サイト：<a href="https://www.okuno.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.okuno.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">部分最適から全体最適への変化の途上にある奥野製薬工業</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">教員となる前から固めていた家業継承の決意</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">守るべき精神を残すため組織改革へ</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">挑戦を促す土壌をつくる</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">グローバル化に事業ポートフォリオ拡大で対応</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">部分最適から全体最適への変化の途上にある奥野製薬工業</h2><p><strong>── 創業が1905年。120年の歴史があります。</strong></p><p><strong>奥野氏（以下、敬称略）</strong>　和暦にすると、明治38年ですね。大阪で工業薬品の小分けを行う「奥野商店」という形で始まりました。奥野製薬工業としての始まりは、私の曽祖父にあたる奥野清六が、1922年に日本で初めてベーキングパウダーを工業的に生産したことです。</p><p>その後、曽祖父は無機材料事業部を立ち上げ、ガラスインクの製造を始めました。戦後、1950年代に表面処理技術の将来性に着目し、研究資金を投じてこの分野を大きく伸ばしました。</p><p>1990年代からは、アメリカの電子デバイスメーカーとの取引が拡大し、特に表面処理を中心に事業が成長。その結果、現在の売上高333億円へとつながっています。</p><p><strong>── 奥野社長は大学卒業後、小学校教師を経て入社したそうですが、当時の組織や企業文化はどのようなものでしたか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　2009年に奥野製薬に入社した際の最初の配属は技術部のお客様サポート係で、表面処理技術を1年間学んだ後、海外を含めさまざまな部署を経験しています。</p><p>当時の企業文化は、現在と大きく変わらない部分もありますが、経営陣の考え方には「部分最適」が多く見られました。大阪本社、名古屋支店、東京支店などといった各拠点が互いに競争するような雰囲気があり、部署間の人の移動も活発ではありませんでした。</p><p>各部分への最適化を目指す半面、研究所から人材が取られることへの抵抗感などもあり、組織としての一体感に欠ける部分があったと感じています。</p><p>現在は、役員会議などで「部分最適ではなく全体最適で意思決定を行う」ことを徹底し、社内での過度な競争はやめています。父が社長だったころも組織の伸びはあったため、当時のやり方が悪かったわけではないと思いますが、今後のさらなる成長のためには全体最適の考え方が不可欠です。</p><h2 id="toc_h2-2">教員となる前から固めていた家業継承の決意</h2><p><strong>── 先代社長の意向もあって家業を継ぐと決めたそうですが、そのときの心境について教えてください。</strong></p><p><strong>奥野</strong>　大学では教育学を専攻していて、そのころは教師になるか、昔からやりたかった仕事に就くかで迷っていました。</p><p>一方、2005年に就職活動をしていた際、奥野製薬が100周年を迎えたこともあり、社史をまとめた資料を読みました。それまで、会社について漠然とは知っていましたが、事業内容や規模はあまり理解していませんでした。父は家庭で仕事の話をしない方針だったため、触れる機会が少なかったのです。</p><p>資料を読み、奥野製薬がどのように成長してきたのかを知り、自分が進みたい道に進むと共に社会へ出た多くのメンバーと同じような仕事しかできないと気づきました。また、家業を継ぐということは限られた人間しかできないことも十分理解しています。</p><p>そのとき、自分がそちらに進むべきなのかと考えるようになりました。</p><p>覚悟が完全にできていたわけではありませんでしたが、「家業を継ぐべきかもしれない」と就職活動時から決断していました。親の敷いたレールから逃れたい気持ちもありましたが、社会人4年目から家業に戻るという条件で、3年間は外部で経験を積むことを許してもらったのです。</p><p>その時点ではまだ覚悟が決まっていませんでしたが、将来的には奥野製薬を継ぐ立場にならなければならないという意識はありました。</p><p><strong>── 学生時代は教師や航空業界に憧れていたとのことですが、そのきっかけは何だったのでしょうか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　高校生のときに進路指導を受け、「普通のサラリーマンにはなりたくない」と感じました。事務所でパソコンを打つだけの仕事ではなく、もっと違うことがしたいと考えていたのです。航空業界であれば、さまざまな場所へ行ける可能性があり、面白そうだと感じました。</p><p>また、教師という職業にも魅力を感じていました。特に小学校の先生は、子どもたちと触れ合い、その成長にかかわれることが大きなやりがいです。子どもが特別好きだったわけではないものの、そういった仕事は素晴らしいと意義を感じ、教師の道も考えた経緯です。</p><p>結果的に、今、私は「普通のサラリーマン」ではない人生を送っています。しかし、営業職や研究職など、それぞれの仕事にはそれぞれの面白さややりがいがあることを、社会人になってから知りました。</p><h2 id="toc_h2-3">守るべき精神を残すため組織改革へ</h2><p><strong>── 社長就任後、過去最高の売上高333億円を達成しましたが、その要因は何だったのでしょうか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　その売上高は社長就任から1年半ほどで達成したため、私が直接的に何かを変えたことで売り上げが大きく伸びたという実感はありません。</p><p>300億円を突破できたのは、長年にわたる奥野製薬の研究開発と営業活動の成果だと考えています。特に、アルミの表面処理技術は1970年代から研究を重ねており、お客様のニーズに応える製品開発が、現在の売上につながっています。</p><p>副社長時代には、薬品事業とは異なる装置事業への進出を決断し、外部メーカーと連携して装置開発を実現しました。この装置事業の売上が昨年度大きく伸び、成長に寄与する大きな変化だととらえています。</p><p><strong>── 120年の歴史の中で、変えてはならない部分と、社長として変えるべき課題は何でしょうか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　変えてはならないのは、社是である「ほんとうに愛される製品をつくり、みんなに愛される人になれ」という精神です。これは曽祖父の時代から受け継がれてきた奥野のDNAであり、製品開発やお客様とのかかわりにおいて、常に「愛」をベースにすること、そして愛される人になることを目指す文化は、これからも守り続けたいと考えています。</p><p>一方、私が変えていかなければならないと考えているのは、事業部間の連携です。表面処理、無機材料、食品の3部門がありますが、どうしても各部門の専門知識に偏りがちです。現在、売上の75%以上を占める表面処理事業が伸びているのは、経営陣が表面処理出身であることも一因です。</p><p>今後は、事業部制を導入し、営業、製造、品質管理などの部門を事業部ごとに分け、事業本部長がその事業の成長戦略を考える体制を目指します。これにより、部門間の人の交流を促進し、各部門の専門性を高めるとともに、全体最適の視点での事業運営を推進します。</p><p>研究開発においても、領域ごとにチームを再編し、研究員がこれまで触れてこなかった技術にも携われる機会を増やし、組織全体の成長を加速させたいです。</p><p><strong>── 社長就任後、特に大きな壁や課題に直面したことはありますか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　慢性的に「人が足りない」と感じています。しかし、本当に人が足りないのか、それとも配置やマインドの問題なのかを考える必要があるでしょう。</p><p>社員にマインドを変えてくださいといってもすぐには難しいので、それぞれが能動的に、前向きに取り組めるような仕組みをつくるため、人事制度改革プロジェクトを組成し、社員を主要メンバーに据えて進めています。</p><p>現行の人事制度は10年前に見直しましたが、過去のやり方を踏襲した部分がありました。そのため、社員の思いとの乖離が生じ、特に研究部門では「評価されていない」と感じる社員がいるなど、モチベーションの低下につながっている可能性があります。</p><p>人が足りないという課題に対し、一人ひとりが最大限に能力を発揮できるような仕組みづくりが重要です。</p><h2 id="toc_h2-4">挑戦を促す土壌をつくる</h2><p><strong>── 社長自身が従業員と共に人事制度改革を進める姿勢は風通しの良さを感じますが、どのような企業風土を目指していますか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　風通しをさらに良くするために、「心理的安全性」と「家族的経営」を掲げています。</p><p>心理的安全性の向上とは、いいたいこと、やりたいことを自由にいえる環境の構築です。単なるわがままではなく、会社をより良くするため働きやすくするためにはどうするかを、積極的に発信してほしいと考えています。</p><p>家族的経営とは、挑戦した結果、たとえ失敗したとしても家族のような温かい雰囲気でカバーし合える関係性を築くことです。これにより、社員が「挑戦しても怖くない」と感じられるような企業文化を目指しています。</p><p><strong>── 挑戦を促す社風をつくるため、経営者としてどのようなメッセージを発信していますか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　挑戦する環境をつくるために、まず私自身が先頭に立ってBtoC事業への挑戦を始めました。これまでの奥野製薬では経験のない分野ですが、会社を設立し、現在トライしています。これは社員に「挑戦する」という姿勢を見せるためでもあります。</p><p>また、ミッション・ビジョン・バリューにも「挑戦」という言葉を盛り込みました。さらに、スポーツチームやプロアスリート、音楽活動を行う若者へのスポンサーシップを通じて、「挑戦する人」を全面的に応援する姿勢を示しています。これは、奥野製薬がお金を出してでも挑戦を支えるというメッセージです。</p><h2 id="toc_h2-5">グローバル化に事業ポートフォリオ拡大で対応</h2><p><strong>── 今後の日本、世界経済の変化を見据え、事業をどのように展開するのでしょうか？</strong></p><p><strong>奥野</strong>　グローバル化は重要なテーマです。表面処理事業ではすでに売上の半分が海外ですが、食品事業でも国際的な営業チームを立ち上げ海外展開を進めています。社員のマインドを変え、海外での経験を積む機会を増やすことも重要です。</p><p>また、日本の工業が停滞する中で、他社の挑戦を奥野製薬の製品でサポートできるかを常に考えています。さらに、これまで検討してこなかったM&Aも検討し、事業ポートフォリオを拡大することで、新たな材料開発や事業展開につなげていきたいです。</p><p><strong>── 今後の5年、10年、15年、20年というスパンでの、経営者としてのビジョンを教えてください。</strong></p><p><strong>奥野</strong>　AIや仮想空間が発展する現代において、その裏側にある電子機器やウェアラブルデバイス、そして食文化の変化は避けられません。奥野製薬の強みである「おいしさと安全」を両立させた食品技術を世界に発信したいと考えています。</p><p>また、AIやウェアラブルデバイスなど、あらゆる物には「表面」があり、その表面を介する技術を持つのが奥野製薬です。この技術力を活かし、世界が変わるのを支える存在になりたいと考えています。世界を変えるというよりは、世界の変化に貢献したいという気持ちで、事業を展開しています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>奥野直希（おくの　なおき）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.okuno.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">奥野製薬工業株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3351" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 2025年に創業120周年を迎えた総合化学メーカー、奥野製薬工業株式会社。表面処理、無機材料、食品の3部門で事業を展開し、直近では過去最高売上高を記録するなど堅調な成長を続けている。 同社の奥野直希氏は、元小学校教師を務めていたところから2009年に入社し、2024年に社長就任。それ以来、長年培われた「ほんとうに愛さ[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
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    <title>国境の島が問う 海洋危機と消費社会</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>社会</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>九州の北方、国境の島・対馬。日本一の海洋ごみ漂着量と水産資源の枯渇に直面するこの島は、まさに環境変化の最前線にある。対馬市役所の前田剛氏への取材から、企業の経済活動が環境に及ぼす「外部不経済」の実態を詳らかにし、ビジネスパーソンが直視すべきリスクと持続可能な海洋経済への転換を考察する。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/lflFAmGMRQQMKGrPEdmQJxQEJdNmYteM/29c99e06-a595-44a2-ba72-9406720a97ce.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/lflFAmGMRQQMKGrPEdmQJxQEJdNmYteM/29c99e06-a595-44a2-ba72-9406720a97ce.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/lflFAmGMRQQMKGrPEdmQJxQEJdNmYteM/29c99e06-a595-44a2-ba72-9406720a97ce.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/lflFAmGMRQQMKGrPEdmQJxQEJdNmYteM/29c99e06-a595-44a2-ba72-9406720a97ce.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/lflFAmGMRQQMKGrPEdmQJxQEJdNmYteM/29c99e06-a595-44a2-ba72-9406720a97ce.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="前田剛・対馬市役所"><div class="caption">対馬市SDGs戦略課副参事兼係長の前田剛氏</div></div><h2 id="-">海洋経済の「不都合な真実」</h2><p>　朝鮮半島との間に横たわる国境の島、対馬。海流と風が交差するこの島は、地政学的位置ゆえに東アジア全域から排出される海洋ごみの「防波堤」となっている。</p><p>　「現場の出来事は海中で見えにくい」。実態把握に奔走する対馬市役所・前田剛氏の言葉は現状を的確に表す。</p><p>　長崎県雲仙市出身の同氏は、実家が造船業を営む環境で育ち、幼少期から海が身近にあった。対馬に移住して20年、現在はＳＤＧｓ担当として海洋問題の最前線に立つ。彼を突き動かすのは次世代への責任感だ。小中学校での出前授業を通じ、ごみに覆われた海岸や磯焼けで魚が消滅した海を、今の子どもたちが「日常」として受け入れていることに葛藤を抱いた。環境破壊を招いたのは過去から現在に至る大人たちの経済活動である。未来の課題解決を子どもに委ねることは許されない。自らの世代で悪循環を断つという使命感が活動を支えている。</p><p>　彼が対峙するのは離島固有の問題ではない。大量生産・大量消費を前提とした現代資本主義経済のひずみの表出だ。</p><p>　過去の対馬は穴子やヒジキ等の水産物を大都市へ供給する「食の宝庫」だったが、その供給網は崩壊の危機にある。</p><p>　「ここ10年、20年で海中は変化し、漁師たちは『海は熱帯だ』と口を揃えます」と前田氏は指摘する。</p><p>　海水温の上昇は深刻な影響を及ぼしている。本来対馬で獲れたブリが北上し、北海道ではサケが不漁となっている。適水温を求めて移動できる魚類と違い、移動できない海藻類への影響は致命的だ。南方系の魚種が活動域を広げ海藻を食い尽くす磯焼けが拡大し、過去50年で対馬の海藻類は99％消失した。</p><p>　出汁文化を支える海藻が手に入らなくなる未来は、数年以内に現実となりかねない。</p><p>　激変の主因の１つが、新興国を含む世界の経済活動に伴うＣＯ２排出であることは明白だ。人類が利便性を享受し成長する過程で排出した負荷が、離島の生態系を破壊する外部不経済の典型例である。</p><p>　世界的な人口増加に伴う「プロテインクライシス」も追い打ちをかける。資源が減少する日本は「買い負け」のリスクにさらされ、輸入依存と価格高騰は避けられない。都市部の消費者が自らの食卓と対馬の異変が直結している事実を認識しない限り、負の連鎖は続く。</p><h2 id="-">漂着ごみが映す グローバル経済の歪み</h2><p>　対馬の海岸線には、年間数万立方メートルと推計される膨大なごみが漂着する。</p><p>　前田氏は日本から輸出した廃プラスチックの行方に懸念を示す。日本は廃プラの約３割を東南アジアへ輸出するが現地の処理体制は万全ではない。「川岸に野積みされたごみが豪雨で流出し、海流に乗って対馬へ戻る可能性があります」。分別への過信が巡り巡って自国の海を汚す構図が浮かび上がる。</p><p>　海外から漂着する漁具も経済の歪みを映す鏡だ。対馬には海外製の漁具や薬剤容器が多数漂着するが、背景には低価格を求める市場の圧力がある。</p><p>　輸入海苔の養殖で使用される青色のポリタンクが顕著な例だ。安価な輸入品への需要が高まる中、近隣諸国の養殖業者はコストを抑えるため違法な消毒液を使用し、摘発を逃れるために容器を不法投棄する。外国漁船が境界付近で穴子漁の違法操業を行い、証拠隠滅のために漁具を投棄するケースも確認されている。</p><p>　国内漁獲量の減少により流通業者は安価な輸入品を求める。流通側が買値を抑えれば、海外の生産者はコスト削減のため使用済みの漁具を海洋投棄する。消費者が安価な海産物を購入する裏側で、対馬の海に負荷がかかる。利益と安さの追求が共有財産である海洋環境を損なう構造がここにある。</p><p>　海洋ごみ対策に年間30億円以上の国費が投じられるが、新たなごみが漂着し続けるため対症療法的なやり方では限界がある。</p><p>　要求されるのは発生抑制だ。企業の取り組みはＣＳＲにとどまりがちだ。環境対策に取り組む企業ほど価格競争で不利になるジレンマが存在する。求められるのは、ボランティア活動からビジネスのルールを変える動きへの転換である。</p><p>　一部の先進企業は業界の垣根を越えた資源循環の仕組み作りに着手した。競合他社と連携し共通課題として取り組む姿勢が今後のスタンダードとなる。適正価格には環境保全コストが含まれるという理解を広め、エシカルな消費行動を促すことも企業の役割だ。</p><p>　前田氏は問題の本質を伝えるため、都市部の企業経営陣を対馬へ招き現場視察を続ける。惨状を確認した経営者たちは事業活動の結果を直視し、洗剤の量り売り試験導入や企業連合結成など具体的な行動へ波及している。「クライメート・ジャスティス（気候正義）」の議論と同様、海で起きる不均衡な現実を「正義」として経済界に伝達することが自らの存在意義だと同氏は語る。</p><p>　「対馬の海で起きている異常事態を、次世代への負の遺産として残してはならない」　海洋環境においても、被害を受ける地域と原因を作る地域の間に不均衡が生じている。海洋国家・日本の企業としてこの警告をどう受け止めるか。サプライチェーン全体を俯瞰し外部不経済を内部化する経営へ舵を切ることが２０３０年、40年の生存戦略となる。対馬の海はその試金石として警鐘を鳴らし続ける。</p><div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/450/cmfnUSEKtbPlrwcmkYPTERCtICrMfqHn/d7ec3b06-f61d-4f80-8441-496cf965107b.jpg" width="600" height="450" loading="lazy" alt="対馬の海岸に漂着する海洋ごみ。掃除しても、すぐに元通りになってしまうイタチごっこの繰り返し" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/262/cmfnUSEKtbPlrwcmkYPTERCtICrMfqHn/d7ec3b06-f61d-4f80-8441-496cf965107b.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/375/cmfnUSEKtbPlrwcmkYPTERCtICrMfqHn/d7ec3b06-f61d-4f80-8441-496cf965107b.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/450/cmfnUSEKtbPlrwcmkYPTERCtICrMfqHn/d7ec3b06-f61d-4f80-8441-496cf965107b.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/450/cmfnUSEKtbPlrwcmkYPTERCtICrMfqHn/d7ec3b06-f61d-4f80-8441-496cf965107b.jpg 2048w"><div class="caption">対馬の海岸に漂着する海洋ごみ。掃除しても、すぐに元通りになってしまうイタチごっこの繰り返し</div></div>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3332" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[九州の北方、国境の島・対馬。日本一の海洋ごみ漂着量と水産資源の枯渇に直面するこの島は、まさに環境変化の最前線にある。対馬市役所の前田剛氏への取材から、企業の経済活動が環境に及ぼす「外部不経済」の実態を詳らかにし、ビジネスパーソンが直視すべきリスクと持続可能な海洋経済への転換を考察する。（雑誌『経済界』2026年5月号よ[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>日本を「資源創出国」へ 海が秘める巨大な潜在力</title>
    <updated>2026-04-07T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3333</id>
    <category>政治・経済</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>これまでの海は水産物を得る場であり、物を運ぶ道であった。近年の技術の進歩と地政学的な環境の変化は、海の価値を根底から書き換えた。洋上風力による電力の自給や、深海に眠る巨大な鉱物資源の開発である。エネルギーと資源の輸入国という宿命を覆す、日本の海洋が秘める潜在力を提示する。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">市場の変化と経済安全保障を軸とする国家戦略</h2><p>　日本の海洋ビジネスを取り巻く環境は、直近の20年間で構造の劇的な変化を遂げた。</p><p>　過去の海は、水産物の獲得や海上輸送といった空間利用が主役であった。深い海や沖合は技術の壁に阻まれ、経済活動の対象外と見なされてきた。</p><p>　地球規模の気候変動問題と、特定国への資源依存が生む地政学的な危機が、この海の価値を変容させる最大の要因となった。世界の市場は脱炭素社会の実現に向けた技術開発へ巨額の資金を振り向け、海洋空間を再生可能エネルギーの無尽蔵の生産拠点と位置づける動きを加速させた。電気自動車（ＥＶ）や先端半導体の製造に不可欠な重要鉱物の確保が、企業の存亡を左右する経営上の重い課題として浮上した。</p><p>　世界の市場の変化に対し、日本政府は海洋を国家の成長を牽引する中核的な空間として再定義した。高市早苗内閣総理大臣は今年の２月20日の施政方針演説で、総理就任前から旗印に掲げていた「責任ある積極財政」を再び強調した。</p><p>　長年の緊縮志向との決別を宣言し、本丸の政策として、エネルギーや資源の安全保障上の危険性を最小化する「危機管理投資」の推進を明言した。海洋基本計画の中核には、総合的な海洋の安全保障の概念が明記されている。海上の交通路の安全確保と並行して、自国の排他的経済水域（ＥＥＺ）における資源探査と開発の推進を国の責務として明確化した。</p><p>　日本はこれまで、資源小国という前提のもとで海外から原料を輸入し、加工貿易で富を創出する体制を経済の基本線としてきた。高市政権は、先端技術への集中的な投資により、自国の海から独自の資源やエネルギーを産出する「資源創出国」への転換を目指している。</p><p>　経済安全保障の枠組みを活用した海洋開発への資金の投入は、海を次世代の産業競争力を決定づける生存戦略の舞台へと押し上げている。技術の掛け合わせにより、国家の電力を賄い、産業の心臓部となる鉱物を供給する巨大な生産工場への変貌の時期を迎えている。日本の海が秘める潜在力の解放は、停滞の続く日本経済を成長の軌道へ乗せる突破口となる。</p><h2 id="-">海洋風力がもたらす エネルギー自立と輸出の道</h2><p>　日本の海洋の潜在力を示す最大の領域が、海上の風の力を利用する洋上風力発電である。日本周辺の海は急勾配で深くなる地形であり、海底に支柱を固定する着床式の設備の導入には限界があった。この地形の壁を壊した技術が、海上に設備を浮かべる「浮体式」の風力発電の進展だ。</p><p>　浮体式の技術を広い海域で活用した場合、日本の海が秘める風力発電の導入の可能性は、１千ＧＷ（ギガワット）を超える水準との専門機関の試算がある。この数字は、現在の日本国内におけるすべての発電設備の容量の数倍に達する巨大な規模である。政府が目標に掲げる２０５０年の温室効果ガスの排出ゼロ達成に向けた国内の電力需要の全量を満たし、莫大な余剰電力を生み出せる。</p><p>　洋上風力の真の価値は、国内の電力を賄う枠に収まらない。海の上で生み出した莫大な余剰電力を利用し、海水を電気分解してクリーンな水素や、それを用いた液化アンモニアを製造する技術の実用化が目前に迫っている。製造した次世代の燃料を海外へ輸出する供給網を構築できれば、日本はエネルギーを海外から買う国から、世界に向けてクリーンエネルギーを売る国へと立場を逆転できる。</p><p>　中東の化石燃料への依存を終わらせ、自国の海から無尽蔵のエネルギーを生み出し、海外市場へ供給する。この青写真の実現は、国内産業の構造を根底から作り変える。出力が15ＭＷを超える巨大な風車は、高さが２６０メートルを超えて東京タワーの規模に迫り、数万点に及ぶ部品の塊である。巨大な浮体構造物の製造には、日本の鉄鋼業や炭素繊維産業の高度な素材技術の投入が必須となる。</p><p>　海上の浮体構造物の溶接や組み立ての技術は、洋上風力の土台作りの分野で復活の機会を得る。日本企業が強みを持つ蓄電池の技術や、海底の送電ケーブルの敷設技術との融合は、世界市場の需要を丸ごと取り込む構想の実現を支える。風車の製造から、海への設置や組み立てを担う港湾の整備、そして稼働後の保守や管理に至る一連の過程は、裾野の広い製造業の雇用を地方の沿岸部へ生み出す。海外の化石燃料の購入による国富の流出を防ぎ、国家の貿易収支の構造を恒久的な黒字の体質へと作り変えるのである。</p><h2 id="-">環境負荷の低さが導く 深海資源の計り知れない価値</h2><p>　エネルギーと並び、日本の海が持つもう一つの潜在力が深海に眠る鉱物資源「レアアース泥」の開発だ。高市首相も「南鳥島周辺海域の海底のレアアース資源の活用に向け、取組を急ぐ」と強い意欲を示し、国策としての期待が高まる。</p><p>　ＥＶのモーターや風力発電機に不可欠なレアアース（希土類）は、世界の生産量の70％、精錬工程の90％以上を中国が占める供給構造だ。日本も海外からの輸入に頼る構造の維持を強いられる中、昨年の４月および今年の１月に発表された中国の輸出規制は、先端産業に対する供給途絶の危険性を突きつけた。</p><p>　米国やオーストラリアなどの主要国が多国間の連携による供給網の構築の動きを加速させる中、一極集中構造を根底から変える希望の光が日本の深海に眠っている。</p><p>　南鳥島沖の海底に存在が報告されている、世界全体の需要の数百年分に相当する推定１６００万トンのレアアースを含む泥だ。</p><p>　陸上の鉱床で課題となる環境保護上の壁を突破するクリーンな資源である点が、この深海資源の真の価値だ。日本の海底から採れるレアアースは陸上の鉱床と異なり放射性物質をほとんど含まない。</p><p>　水深６千メートルの高水圧の海底から泥を引き上げる技術の全容や、脱中国依存へ向けた産業界の代替技術の詳細は本誌21ページで触れるが、今年の２月に地球深部探査船を用いた泥の連続的な引き上げ試験に成功した。来年には１日当たり３５０トンの泥を掘り出す実証試験の予定が控えており、将来的な採算の境界線となる１日３５００トンの商業化に向けた歩みが進んでいる。</p><p>　この未踏の採掘技術の確立は、レアアース単体の確保に終わらない。メタンハイドレートやコバルトリッチクラストといった、別の海底資源の開発への波及効果を生む。</p><p>　自国の環境負荷の低い資源を活用した供給網の構築は、世界中の産業が望む安定調達の要となる。四方を囲む海は、脱炭素社会を駆動するクリーンエネルギーの巨大な生産工場であり、先端産業を支える資源の宝庫である。資源小国という壁を打ち破り、日本が次世代の経済大国として新たな歴史を刻む歩みは、この広大な海を舞台として力強い幕開けを迎えている。</p>]]></content>
    <published>2026-04-07T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[これまでの海は水産物を得る場であり、物を運ぶ道であった。近年の技術の進歩と地政学的な環境の変化は、海の価値を根底から書き換えた。洋上風力による電力の自給や、深海に眠る巨大な鉱物資源の開発である。エネルギーと資源の輸入国という宿命を覆す、日本の海洋が秘める潜在力を提示する。（雑誌『経済界』2026年5月号より） 市場の変[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>「僕ならこうしない」と思っても口出ししない——バルニバービ佐藤会長が明かす「自分ごと」の経営術</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/nPkzCPjfRjMEoAktmFTdlBqFxSedZvrv/f794a2e9-d93b-4a12-939a-cd06db54934e.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/nPkzCPjfRjMEoAktmFTdlBqFxSedZvrv/f794a2e9-d93b-4a12-939a-cd06db54934e.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/nPkzCPjfRjMEoAktmFTdlBqFxSedZvrv/f794a2e9-d93b-4a12-939a-cd06db54934e.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/nPkzCPjfRjMEoAktmFTdlBqFxSedZvrv/f794a2e9-d93b-4a12-939a-cd06db54934e.jpg 512w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/nPkzCPjfRjMEoAktmFTdlBqFxSedZvrv/f794a2e9-d93b-4a12-939a-cd06db54934e.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="株式会社バルニバービ"></div><p>「一杯のカフェ」から始まり、今や全国に105店舗のレストランやホテルを展開するバルニバービ。「バッドロケーション戦略」という独自の出店手法で街の景色を変え、近年では淡路島や出雲市などで「住みたくなる街づくり」をテーマに地方創再生にも取り組んでいる。</p><p>その唯一無二の経営哲学は、どのようにして生まれたのか。創業から現在にいたるまでの軌跡、幾多の困難を乗り越えてきた原動力、そして未来への展望を、創業者である佐藤裕久会長に聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">佐藤裕久（さとう　ひろひさ）──代表取締役会長</div>      <div class="description">1961年、京都府生まれ。神戸市外国語大学英米語学科中退、1991年バルニバービ設立、代表取締役に就任。著書に『一杯のカフェの力を信じますか？』（河出書房新社）『日本一カフェで街を変える男』（グラフ社）がある。2024年「外食アワード 外食事業者部門」を受賞。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">株式会社バルニバービ</div>      <div class="description">1991年設立。現在、東京・大阪をはじめ全国に105店舗（2026年1月末時点）のレストラン・カフェ・ホテルを展開。レストラン事業における｢バッドロケーション戦略｣での出店で培ったノウハウを元に､食による地方創再生を軸とした総合的なエリア開発を行う。近年は淡路島をはじめ島根県出雲市などでも｢住みたくなる街づくり｣をテーマに、食と宿を切り口に地方創再生に取り組んでいる｡<br>企業サイト：<a href="https://www.balnibarbi.com" target="_blank" rel="noopener">https://www.balnibarbi.com</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">事業で何十億を目指そうとか、そんなことは一切考えていなかった</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">会社に「外科手術」を施し、一人で東京へ乗り込んだ</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-10-&#34;)">皿回しは10枚が限界。だから「自分ごと」として経営する仲間を育てた</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">個人商店でなくなるために上場した</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-100-&#34;)">「まさか」は100%起こる。それを想定しておくのが経営者</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">事業で何十億を目指そうとか、そんなことは一切考えていなかった</h2><p><strong>── 事業を始められた当初の思いについて教えてください。</strong></p><p><strong>佐藤氏（以下、敬称略）</strong>　阪神・淡路大震災での炊き出しなどを通して、食べ物がこれだけ人の心を勇気づけ、元気づけられるものなのだと知りました。そして、人に喜んでもらえたら、喜んでいる自分に気づきました。</p><p>だから事業で何十億、何百億を目指そうとか、そんなことは一切考えずに、自分の魂を喜ばせるために始めたのが、まずスタート地点ですね。</p><p><strong>── 「自分の魂を喜ばせる」というのが原点なのですね。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　命あるならば、懸命に、自分の魂を喜ばせて生きることだな、ということに着地できたのです。それはずっと変わらずにいました。</p><p>人を喜ばせることを喜べるならば、結果として世の中に役立つことをやろうと思っているわけですよね。でも、自分の心が幸せじゃないのに、そんなことはできません。</p><p><strong>── 創業からしばらくは順調だったのでしょうか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　創業から5年くらい、あまりにとんとん拍子で来たものですから、気のゆるみか、おごりか、慢心かは分かりませんが、「俺たちはできる」と多分思ったのでしょうね。<br>そこに至るまでは苦労や心配、トラブルを乗り越えてきたにもかかわらず、「喉元すぎれば」で、「楽勝だぜ」くらいに思っていたのかもしれません。</p><p><strong>── その慢心が、何か具体的な行動につながったのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　そのとき、何も目標じゃなかったのにIPO（株式上場）とかを口に出したのです。1号店をオープンして5年目くらいでした。</p><p>実際にベンチャーキャピタルからお金を集めたり、主幹事証券会社が決まったりしていく中で、IPOとはどういうことをやらねばならないかを知ると、自分が目指したこととはまったく違うことをやらないといけないことに気づくわけです。</p><p><strong>── どのような点が「違う」と感じたのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　誰でもできるシステムを作らないといけないとか、効率性を求めないといけないとか、均一化させないといけないとか。別にそんなこと、思ったことも願ったこともないのに、「これはいかん」と思って、一度振り出しに戻りました。</p><p>創業からの思いと、そこから5年くらいとんとん拍子で来た流れの中での壁、という感じでしたね。</p><p><strong>── IPOを目指すのをやめたとき、すんなりと方向転換できたのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　「これはダメだ」と気づくのに、やろうと言い出してからわずか半年くらいでした。でも、そのときにはもうIPOに向けて出店が決まっているのです。ブレーキをかけたけれども、追いつかないくらいのスピードで動いていた。</p><p>売り上げが良い悪いという問題ではなく、自分たちがやりたいと思っているわけではない店もやっているわけです。出店のため、IPOのため、売り上げを作るために。そんなことをやりたかったわけじゃない。</p><p>結局、お金や規模を追いかけたときに出した店は、ほとんど僕が嫌になって閉めました。その整理をするのに3、4年かかりましたね。2001年から2004年くらいまでの間です。</p><h2 id="toc_h2-2">会社に「外科手術」を施し、一人で東京へ乗り込んだ</h2><p><strong>── その3、4年間は、事業の整理に集中していたのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　その期間は「外科手術」と呼んでいます。切り取るものを切り取り、移植するものは移植し、新たに加えるものは加えるという作業です。</p><p>2004年にある程度、外科手術が終わったので、一旦出店などは止めました。手術が終わったばかりの会社は、療養が大事じゃないですか。関西の事業は療養させていたのです。</p><p><strong>── ご自身はその間、何に注力していたのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　僕自身はとっくに傷から脱却していたので、やることがない。次に何かやろうと思い、2004年に一人で東京へ単身乗り込んだのです。ひたすら東京に通うようになりました。</p><p>そして2005年の4月に東京の1号店がオープンします。それはまたゼロから、東京でメンバーを集めてやりました。</p><p><strong>── 関西の事業を維持しながら、東京で新たに挑戦したと。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　そうです。関西の17、8店舗、売り上げ20億円程度の数字はずっと維持しながら。療養生活ですから。そして東京で出した1号店がまた、うまくいって大ブレークするわけです。</p><p>でも、また同じことを続けると、2001年の二の舞になる。そこで考えたのが、経営のやり方そのものを変えることでした。</p><h2 id="-10-">皿回しは10枚が限界。だから「自分ごと」として経営する仲間を育てた</h2><p><strong>── 経営のやり方を、どのように変えたのですか？</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　オリジナルの店舗を作り、それをマネジメントすることを、僕らは「皿回し」と言っています。</p><p>10枚の皿を回し終えたころには、1枚目の皿がぐらついてくる。能力があれば11枚、12枚と増やせるかもしれないけれど、どう考えても1000枚にはならない。</p><p>そのことを2001年に体験していたので、やり方を変えなければいけないと。</p><p><strong>── 「皿回し」ではないやり方とは、どういうものでしょうか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　お店を「自分ごと」としてやっていけるやつを育てた方がいい、と考えたのです。「自分ごとのように」ではなく、「自分ごととして」です。</p><p>自分ごとにするためには、結局、最終的に経営するしかありません。なので、経営者をたくさん生むという手法に切り替えていきました。</p><p><strong>── 社内で経営者を育てる、ということですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　そうです。そのことに気づける人がいる限りは、我々の事業は拡大していく。自分ごととしてできる仲間が全国から集まってきたり、社内で成長していったりする。そういう形で進めてきました。</p><p><strong>── とはいえ、マニュアルなしで、個々の裁量に任せて経営者を育てるのは、たいへん難易度が高いのではないでしょうか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　そのために、みんなは「ええ？」って思うでしょうけど、めちゃくちゃ我慢もしているんですよ。</p><p><strong>── 我慢ですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　「僕ならこうしないな」と思うことが、各店舗を回るといっぱいあっても、彼らはこうするんだと（認める）。トータルで見たら、僕ならこうしないけど、彼らがやるこの手法でいくと、彼らの店は良いな、と気づくのです。</p><p>僕がいないのに、僕がやるようにやれ、というのは趣旨が崩れますよね。だから、口出しは極力しません。現場は「クチ出さんといてくださいよ」と思っているでしょうね。</p><p><strong>── 現場には何を伝えているのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　僕が運営スタッフやマネジメントサイドに言うとしたら、「客の目線」としての意見を100%言います。上司としての言い分は言いません。</p><p>それを20年近く続けてきているので、本当の意味で理解したメンバーは、自分ごととしてやりますよね。自分で給料も決めていいんだということに気づき、体験を通して学ぶ。自分の給料を上げたら経営がうまくいかなかったとか、仲間の給料を上げた方がいいなとか、それも学びじゃないですか。</p><p>僕らがいくら口で言っても、体験しないと分からない。自分がそうでしたから。</p><p><strong>── システム化やマニュアル化をしたい、という誘惑はなかったのでしょうか？</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　誘惑は何度も感じましたよ。でも、ラッキーだったのは、2001年に皿回しで行き詰まった経験です。15、6店舗を一人で見て回ると、1店舗あたり2週間に1回くらいしか行けない。そうすると、店は元に戻るどころか、さらに悪くなる。</p><p>「ああ、これじゃ終わるな」と学んだのです。そのとき、深い諦めがありました。人には人の流儀がある。人に言われたことを、命令とはいえ本気でできるわけがない。そういうものだと。</p><h2 id="toc_h2-4">個人商店でなくなるために上場した</h2><p><strong>── 一度は断念した上場ですが、その後、再び目指すことになります。そこにはどんな考えがあったのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　事業の継承や継続を考えたときですね。僕には子供がいないので、相続させる相手もいません。僕がやってきたことは、かなり難しいことなので、それならここで上場して、社会としての規範やルール、組織の継続性について学ぶべきだろうな、と。</p><p>「個人商店」から「会社」にするため、という感じです。僕自身のことを考えれば、上場などしない方がいいわけですよ。好き勝手できますから。でも、未来を見据えたら、自分がこの先何十年もやれるとは思わないので、真の意味での会社にしようと。</p><p><strong>── 地方創生など、事業的な側面でのメリットを考えてのことではなかったのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　まったくそんなことは思わなかったですね。結果として、そういう恩恵を受けているのかもしれませんが、分かりません。</p><p><strong>── バルニバービといえば「バッドロケーション戦略」が有名です。この戦略はどのようにして生まれたのですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　戦略というより、結果的にそうなったというほうが近いです。</p><p>世間が言う「グッドロケーション」は、需要が多くて、人が良いと思っている場所。だから価格が高いですよね。一方で、世間が良くないと思っているけれども、僕たちから見たら良い場所であれば、良くない価値、つまり安い価格で手に入ります。</p><p>僕たちにとって価値があるのなら、そこでやりましょう、というだけのことです。1号店からずっとそうですね。</p><p><strong>── ただ、自分たちでお店を出して街が盛り上がると、家賃が上がって、ついには「出て行け」と言われる理不尽さも経験したそうですね。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　そうです。自分たちが価値を上げてあげたのに、家賃を上げられたり、時に出て行けと言われる。資本主義としては当然のことだと理解したうえで、それでも、そんな金しか見ていないやつらに負けるわけにはいかない、と。</p><p>そこから、自分たちで物件や土地を所有すれば、事業の継続性は担保される、という考えに至ったのです。</p><p><strong>── それが不動産事業につながるのですね。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　はい。ただし、飲食事業の収益性の悪さを不動産事業で稼ごう、と思っているのではまったくありません。僕たちが一番やりたいことは、人を幸せにする飲食店をやること。その継続性を担保するための不動産事業です。</p><p>結果として、僕たちが価値を高めた土地は、買ったときの何倍かで売れることもあります。その価値を高めたのは僕たちなのだから、その利益を僕たちが享受するのは当たり前だという話です。</p><h2 id="-100-">「まさか」は100%起こる。それを想定しておくのが経営者</h2><p><strong>── 創業以来、最大の壁は2001年の経験だったとのことですが、コロナ禍など、他に事業が行き詰まったことはありますか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　コロナのときを含めて、ないですね。債務超過になったことも一度もありません。</p><p>よく「上り坂、下り坂、まさか」と言いますが、「まさか」はまさかではなく、100%起こるのです。コロナ禍で「自分たちのせいじゃない」「国が何とかしろ」と言う人がいましたが、僕はまったくそう思いませんでした。</p><p>経営者なら、それくらいのことは想定しておきなさい、と。どんなことが起こるかは分からないけれど、「まさか」が起こることを理解しながらやっていくのが経営者だと思っています。</p><p><strong>── その考えは、過去の経験から生まれたものですか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　今の会社は、僕にとって二度目の起業なんです。1985年、24歳のときにつくった会社では、まさかが起こり、どうしようもなくなりました。そのときに、予想もつかないことが起こるのだということを一度体験できていたことが、僕にとっては良かったのだと思います。</p><p><strong>── 最後に、次の10年に向けてのビジョンを教えてください。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　いや、何も考えていないです。</p><p><strong>── 何も、ですか？</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　なぜかというと、次の10年をつくっていくのは、この過去10年でつくってきたことと同じだからです。僕たちは数字を目標にしたことはありません。</p><p>上場企業なので、短期・中期・長期の経営計画は当然出しますが、それはあくまで実務の話です。我々のビジョンとして、店舗数を増やし、売り上げを上げることが目標になることはないのです。</p><p><strong>── バルニバービが目指すものは何でしょうか。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　それぞれが自分の力を発揮して、なりたい自分を目指して、個性を発揮して「自分の人生は良かった」「食べ物屋をやってよかった」と思ってくれる仲間が一人でも増えること。その結果として、事業の拡大や売り上げの拡大につながるのだろうと思っています。</p><p>本質は、売り上げの数字ではなく、そういう志を持つメンバーのことを指しています。過去10年やってきたことと、これから10年やることは、まったく一緒です。</p><p>より多くの仲間が増えれば、より多くの店ができて、その店は基本的に自分が行きたい店になる。日本中に行きたい店が増えていいな、という感じじゃないですか。</p><p><strong>── これまでやってきたことの延長線上に未来がある、と。</strong></p><p><strong>佐藤</strong>　継承からの「熟成」、そして、ひょっとしたら「発酵」があるかもしれない。発酵というのは足し算だけではなく、掛け算や累算だったりしますから。これから発酵、熟成する可能性もあるな、と。楽しみだなと思っています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>佐藤裕久（さとう　ひろひさ）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.balnibarbi.com" target="_blank" rel="noopener">株式会社バルニバービ</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役会長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[ 「一杯のカフェ」から始まり、今や全国に105店舗のレストランやホテルを展開するバルニバービ。「バッドロケーション戦略」という独自の出店手法で街の景色を変え、近年では淡路島や出雲市などで「住みたくなる街づくり」をテーマに地方創再生にも取り組んでいる。 その唯一無二の経営哲学は、どのようにして生まれたのか。創業から現在に[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>取材日にも400万円のブリを落札。スーパーマーケットから地域の食を守る能登の150億円企業・どんたく</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3347</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img alt="株式会社どんたく" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/IiJaPziJzRSuzhdyxIgXdLatDbLTmdKH/c3f011c1-a6f6-4b88-ad67-d7a799bcc5ce.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/IiJaPziJzRSuzhdyxIgXdLatDbLTmdKH/c3f011c1-a6f6-4b88-ad67-d7a799bcc5ce.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/IiJaPziJzRSuzhdyxIgXdLatDbLTmdKH/c3f011c1-a6f6-4b88-ad67-d7a799bcc5ce.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/IiJaPziJzRSuzhdyxIgXdLatDbLTmdKH/c3f011c1-a6f6-4b88-ad67-d7a799bcc5ce.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/IiJaPziJzRSuzhdyxIgXdLatDbLTmdKH/c3f011c1-a6f6-4b88-ad67-d7a799bcc5ce.jpg" width="600" height="400" loading="lazy"></div><p>石川県七尾市を拠点に地域密着型のスーパーマーケットを展開する株式会社どんたくは、創業から62年目を数える。地域のインフラとして、そして食文化の担い手として、地元住民の暮らしを支え続けてきた。</p><p>先代から事業を引き継ぎ代表取締役社長に就任した山口宗大氏は、変化の激しい時代の中で、いかにして会社を成長させてきたのか。ドミナント戦略による地域深耕から、データ活用を駆使したマーケティング、そして「高質化」「エンターテイメント化」といった独自の価値創造まで、その取り組みと未来への展望を聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">山口 宗大（やまぐち むねひろ）──代表取締役社長</div>      <div class="description">1983年、石川県生まれ。2002年、石川県立七尾高校卒業。2006年、早稲田大学政治経済学部中退後、東京築地市場や石川県外の有力スーパーマーケットで修業を積む。2012年4月に入社し、専務取締役を経て、2016年5月に代表取締役社長に就任。事業領域は食品スーパー事業を核としつつ、地域の食文化継承や地域活性化を担う「地域支援業」を目指す。趣味は釣り。小中高校時代はバスケットボール選手として全国大会に出場。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">株式会社どんたく</div>      <div class="description">1963年、創業。“地域で一番「ありがとう」を集められる会社”を目指し、スーパーマーケット事業を中心とした地域密着のサービスを展開。<br>企業サイト：<a href="https://www.dontaku.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.dontaku.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">地元でのプレゼンスを示し地域外への進出で成長</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">社長就任以降進めた若返り、マーケティング、デジタル化</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">価格競争から脱却し「高質化」を志向したきっかけ</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">地域の食文化を守り、発展させる使命</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">先代の急逝、そして震災。危機を乗り越え強い組織に</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">地元でのプレゼンスを示し地域外への進出で成長</h2><p><strong>── 創業60年超の歴史を経て、売上高が150億円規模に成長するまでの流れと、経営戦略について教えてください。</strong></p><p><strong>山口氏（以下、敬称略）</strong>　私が会社に入ったときにはすでに売り上げ100億円は超えていました。</p><p>そこまでの流れとしては、まず先代である父が採ったドミナント戦略があります。拠点の能登・七尾市で競合他社が簡単に参入できないよう、良い場所にどんどん出店したのです。</p><p>当時、七尾市にも大手スーパーはありましたが、当社は車社会への変化にあわせて郊外の良い場所に店をつくっていきました。これが成長の第1フェーズだったと感じています。また、現状維持ではなく、より良い場所へ移転するという決断をしたことも、今となっては良かったと思います。</p><p>次に第2フェーズとして、七尾市を出て能登半島の広域へ店舗展開した時期がありました。奥能登に2店舗、周辺の志賀町にも出店するなどして、売り上げを拡大しました。</p><p>そして現在は、第3フェーズのさなかです。12年前に能登から出て金沢へ初出店し、現在は同エリアに3店舗を展開しています。時代の変化に応じて地域を選びながら出店してきたことが、成長の大きな部分を占めていると考えます。</p><p><strong>── 第1フェーズのドミナント戦略について、大手もいる中で良い場所の取り合いやコストの壁はなかったのでしょうか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　当時の能登、とくに七尾は、道路事情があまり良くありませんでした。人口は5万人以上いて港町として栄えていましたが、金沢から能登へ伸びる自動車専用道路が七尾を通らずに抜けていたため、一般道を使わなければ行きにくい場所だったのです。</p><p>そういった点で、大手が出店しづらい状況があったのだと思います。</p><p>当社はショッピングモールへの移転も経験しており、もちろん初期投資も家賃も高かったのですが、当時は十分に元が取れる状況でした。</p><p><strong>── 現在は道路事情が良くなったことで、人の流れは変わりましたか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　むしろ、人が入ってくるよりも出ていかれてしまう方が多くなったというイメージです。人口流出の方が多かったと思います。一方で、和倉温泉という大きな観光地があるので、インバウンド客に来てもらいやすくなったというメリットはありました。</p><h2 id="toc_h2-2">社長就任以降進めた若返り、マーケティング、デジタル化</h2><p><strong>── 店舗戦略以外に、組織づくりで変えた点はありますか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　私が社長に就任したのは10年前、33歳になるときでしたが、当時は幹部が全員年上でした。部長も店長もバイヤーも、先代を支えてきたメンバーがメインです。</p><p>そのため、中堅以下をどう引き上げるかが変化の一つであり、一緒に研修を受けるなどしながら、少しずつ若返りを図りました。</p><p>もう一つは、部署の新設です。マーケティングの重要性を感じ、もともとあった営業と管理の2部署に加えて「企画本部」を立ち上げ、その中に「マーケティング戦略室」をつくりました。営業とマーケティングを分けたのです。</p><p><strong>── なぜ、部署を分ける必要があったのでしょうか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　スーパーマーケットの営業視点でお客様を増やそうとすると、どうしてもチラシ広告に偏りがちになります。また、スーパーはコスト感覚に影響されやすいため、新しいことにチャレンジしづらい面もありました。</p><p>そこでマーケティング戦略室を独立させ、アプリ開発やデータ分析、デジタル化の推進などを担わせました。また、レジ担当者の所属を営業からマーケティングへ移管し、サービスレベルの向上にも取り組んでいます。</p><p>スーパーは現場が強い文化がありデジタル化が遅れがちだったので、データ活用を進めたいという思いがあったからです。</p><p><strong>── PayPayを石川県のスーパーで初めて導入するなど、業界の中でもいち早くデジタル化を進めています。データ活用はどのように進めていますか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　もともと独自に発行していた会員カードをデジタル化するためにアプリをつくり、その会員情報を顧客分析に活用しています。</p><p>たとえば、能登半島地震のあと、支援の方がたくさんいらっしゃいました。その方たちはカードをつくらずに買い物をされるので、非カード会員の比率が一時的にぐっと増え、最近また減ってきています。こうした動向を、感覚だけでなくデータで把握できるということです。</p><p>また、お客様がどの地域から来てくださっているかも分かります。店舗の大きさがさまざまなので、小さい店は足元のお客様を大切にし、競合の多い金沢の大きい店ではどのエリアからお客様が来てくださっているかを分析して戦略を立てています。</p><p>ほかにも、品ぞろえが多いため、デジタルを活用して発注ミスを減らす取り組みも進行中です。</p><h2 id="toc_h2-3">価格競争から脱却し「高質化」を志向したきっかけ</h2><p><strong>── これまでの成長における、最大のターニングポイントは何だったと考えますか。</strong></p><p><strong>山口</strong>　「高質化」という言葉を取り入れたことです。スーパーマーケットは薄利多売な商売で、競合が出れば価格競争になりがちです。そこから脱却し、安売りではないところで勝負しようと舵を切ったことが、今につながる大きな転換点だったと感じています。</p><p><strong>── もともとは価格で勝負していた時期もあったのでしょうか。</strong></p><p><strong>山口</strong>　価格というよりは、シェアの取り合いでした。以前は、ドミナント化によって地域全体のシェアを高め、大手に対抗していたような形です。</p><p>ただ、金沢に出店したとき、それが通用しないと痛感しました。能登では地域一番店として売り上げが取れていましたが、人口も競合も多い金沢では、ただ店を出しただけでは売り上げが伸びません。</p><p>しかしあるとき、お客様から「どんたくには、変わったものが置いてある」と評価をいただいたのです。能登の市場から毎朝魚を持ってきて販売するスーパーは当時ほかになく、まず生鮮でお客様の支持を得られました。</p><p>さらに、生鮮以外の食品でも同様に「能登から来たどんたくは、変わったものを置いている」と口コミで広がり、お客様から「あれはないか、これはないか」とリクエストをいただくようになりました。</p><p>それに応えて品ぞろえを増やすうちに、普通のスーパーにはないような品ぞろえになっていった、というのが正直なところです。</p><p>当時、私たちは「松竹梅」という考え方で品ぞろえの比率を決めていました。「松」がこだわりの商品、「竹」が売れ筋、「梅」が価格訴求の商品で、全店で「松2：竹6：梅2」の比率を目安にしていました。ところが金沢の店舗は、お客様の声に応えているうちに「3：6：1」や「4：5：1」のように、まったく違う構造になってしまったのです。</p><p>当初はこの店を「異端児」と捉え、意図してつくるのは無理だと考えていました。しかし、ドラッグストアなどとも競争が激しくなるなかで、これからは高質化した店を狙ってつくっていかないと生き残れない、と考えるようになりました。</p><p><strong>── 「高質化」の戦略は、現在どのように進化していますか。</strong></p><p><strong>山口</strong>　先代が始めた「高質化」を、今はさらに深掘りしています。最近では「お買い物経験価値の最大化」や「エンターテイメント化」という言葉を使い、とくに大きな店舗では、普通のスーパーはここまでやらないだろう、ということまで意図的にやっています。</p><p><strong>── 「お買い物経験価値の最大化」とは、具体的にどのようなことでしょうか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　試食や接客、手書きのPOPなどが顧客体験として含まれますが、やはり「商品」そのものが大切です。すべての部門でしっかりとした品ぞろえをし、お客様が欲しい食材がワンストップで入手できることが重要です。</p><p>たとえば、良いステーキ肉を買おうと思ったとき、ミルで挽くような塩やコショウ、いいバターも欲しくなりますよね。付け合わせや、いつもより少し良いワインも探すかもしれません。良いお肉はあるのに、それに合う調味料やワインがなければ、お客様はまた別のお店に行かなければならず手間がかかります。</p><p>どんたくに来れば、関係するものが一通りワンストップで買える。これは高質化においても、エンターテイメント化においても、非常に大切なことだと考えています。</p><p><strong>── 商品だけだと、他社にも真似されてしまう可能性があります。</strong></p><p><strong>山口</strong>　そのとおりです。だからこそ、トータルでの提案の仕方が重要になります。</p><p>そこで、私たちの強みである「地域密着」が生きるのです。地域の生産者やメーカーとコラボして商品開発をするなど、小回りが利くからこそできることがあります。大手にはできない、細やかな対応がわれわれの強みです。</p><p>昔ながらの魚屋や肉屋のような専門性がスーパーの中にあり、お客様の要望にも応えられる。そういうやり方をしないと、生き残れないと考えています。</p><h2 id="toc_h2-4">地域の食文化を守り、発展させる使命</h2><p><strong>── たしかに能登は、能登牛や海鮮などが全国的に知られています。</strong></p><p><strong>山口</strong>　地域の食文化を守り、PRすることも私たちの重要な仕事です。実は今日（取材日の12月1日）が、能登の天然ブリの初競りでした。私も朝から市場へ行き、400万円で競り落としてきました。</p><p><strong>── 400万円ですか。</strong></p><p><strong>山口</strong>　ええ、正直、私も最後は笑うしかありませんでした。でも、こうして地元の企業として地元のものをPRし、県内外に広めることは大切な仕事です。</p><p>食文化が根付いている地域は、食にお金をかけてくださる土壌があります。私たちは、お客様の「舌が肥え続ける」ようにすることもテーマの一つです。一度美味しいものを食べると、安くても美味しくないものには戻れませんよね。</p><p>私たちの店の商品は、知らない人が値段だけ見ると「高い」と感じるかもしれません。でも、POPや試食、関連商品の提案などを通じて一度手に取って食べてもらえれば、その価値を分かっていただける。「ちょっと高いけど、やっぱり美味しいね」と感じてもらうことが大事なのです。</p><p>地域の食文化で言えば、のどぐろは東京では有名ですが、地元の人はほとんど食べません。ズワイガニのメスであるコウバコガニも、高騰して庶民の口に入りにくくなっています。観光客だけが食べて地元の人が食べていない、という状況では食文化は根付きません。</p><p>私たちは、地元の人が当たり前に美味しい食材を食べられる環境を守り、食文化を継承し、発展させる。そんな存在でありたいと思っています。</p><h2 id="toc_h2-5">先代の急逝、そして震災。危機を乗り越え強い組織に</h2><p><strong>── これまでで最も大きな壁やハードルは何でしたか？</strong></p><p><strong>山口</strong>　個人的には、先代が急に亡くなったことです。対外的には、能登半島地震は経済的な被害も大きく、会社としても大変なできごとでした。もっとも、店舗が半年間再開できないなど大きな被害はありましたが、最大の危機だったかというと、少し違います。</p><p>幸い従業員に犠牲者は一人もおらず、全社一丸となって乗り切れたので、今となっては良い経験になったとさえ感じています。もちろん、あくまでも当社にとっての話で、地域としては今も大変な状況ですが。</p><p><strong>── 危機が良い経験になった、とはどういうことでしょうか。</strong></p><p><strong>山口</strong>　コロナ禍でスーパー業界はどこも業績が良かった反面、新しいことができず閉塞感がありました。コロナが明け、外食やインバウンドにお客様が戻る中で、このままではいけないという危機感を漠然と感じていました。</p><p>そこで地震が起こり、「もう一度、この地域の食を守っていかなければいけない」と、会社が再スタートを切るきっかけになったと感じています。地震はあってほしくありませんが、しかし何も起こらなければ危機感を持つことなくそのまま進んでいたかもしれません。</p><p>危機があったときに変化できるのは、私たちの強みだと思っています。</p><p>先代が亡くなったときも、カリスマ的な父の後を継ぐことに「大丈夫か」と思いましたが、なんとかなるものです。これからは、能登で上げた収益を金沢への出店の原資にするのではなく、金沢で上げた収益を能登のお客様や地域に還元する。そうしないと、人口減少が進む能登の店舗を維持できなくなると考えています。</p><p><strong>── 次の10年に向けたビジョンを教えてください。</strong></p><p><strong>山口</strong>　10年先を正確に見通すのは難しいですが、まずは最近、策定した5ヵ年の中期経営計画を着実に実行したいです。</p><p>個人的には、10年後に食だけでなく「文化都市」としての地域の発展に、スーパー以外の領域も含めて寄与できる会社になりたいと考えています。人が集まる魅力的な地域であるためには、文化の存在が欠かせません。</p><p>本日の初競りが全国的に話題になったように、能登のブリが金沢や能登に来るきっかけの一つになってくれれば嬉しいです。私たちは地域のスーパーとして、インフラとしての役割だけでなく、普段から地域の食文化を守り発展させる。そんな存在でありたいと強く思っています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>山口 宗大（やまぐち むねひろ）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.dontaku.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">株式会社どんたく</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[ 石川県七尾市を拠点に地域密着型のスーパーマーケットを展開する株式会社どんたくは、創業から62年目を数える。地域のインフラとして、そして食文化の担い手として、地元住民の暮らしを支え続けてきた。 先代から事業を引き継ぎ代表取締役社長に就任した山口宗大氏は、変化の激しい時代の中で、いかにして会社を成長させてきたのか。ドミナ[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>FC今治をサポートする株式会社ありがとうサービス。直接的な利益につながらずとも「ご縁」で存在価値をつくる</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/QzxWpeEbQCTthGqxoraCdPRxsFMnAKnp/36d7c112-6eb9-48aa-81f2-b34e5bdfa663.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/QzxWpeEbQCTthGqxoraCdPRxsFMnAKnp/36d7c112-6eb9-48aa-81f2-b34e5bdfa663.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/QzxWpeEbQCTthGqxoraCdPRxsFMnAKnp/36d7c112-6eb9-48aa-81f2-b34e5bdfa663.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/QzxWpeEbQCTthGqxoraCdPRxsFMnAKnp/36d7c112-6eb9-48aa-81f2-b34e5bdfa663.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/QzxWpeEbQCTthGqxoraCdPRxsFMnAKnp/36d7c112-6eb9-48aa-81f2-b34e5bdfa663.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="株式会社ありがとうサービス"></div><p>「ハードオフ」などのリユース事業、「モスバーガー」をはじめとするフードサービス事業、さらに愛媛県今治市を拠点とした地方創生事業と、多角的なビジネスを展開する株式会社ありがとうサービス。</p><p>代表取締役社長兼会長の井本雅之氏は、「戦略なきご縁経営」を掲げ、緻密な中期経営計画よりも「人との縁」や「自然の流れ」を重んじてきた。その根底にあるのは、「世のため人のため」という揺るぎない経営理念と、絶え間ない自省による内面的な成長だ。</p><p>不確実性が高まる現代において、なぜ同社は成長を続けられるのか。独自の経営哲学と、自ら考え行動できる人材を育てるための本質的な視点に迫る。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">井本雅之（いもと まさゆき）──代表取締役社長兼会長</div>      <div class="description">1956年、愛媛県生まれ。1980年、早稲田大学卒業後、株式会社日本マーケティングセンター（現株式会社船井総研ホールディングス）入社。2000年、株式会社エムジーエス（現株式会社ありがとうサービス）設立。2006年、特定非営利活動法人今治しまなみスポーツクラブ設立。今治サッカー協会会長。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">株式会社ありがとうサービス</div>      <div class="description">「ハードオフ」、「ブックオフ」を中心としたリユース事業、「モスバーガー」を中心にしたフードサービス事業、および「しまなみサンセバスチャン計画」を軸とした地方創生事業を展開。国内135拠点、海外はタイ、カンボジアに11拠点（2025年11月末現在）。連結売上高106億円、連結経常利益9億53百万円（2025年2月期）。2017年、FC今治のホームスタジアムとなる「ありがとうサービス.夢スタジアム」を建設。経営理念は「世のため　人のため」。<br>企業サイト：<a href="https://www.arigatou-s.com/" target="_blank" rel="noopener">https://www.arigatou-s.com/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">絶えず自省を続けることが成長の原動力に</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">「ご縁」を大切にする経営哲学</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">「世のため人のため」を重視した上で儲けを狙う</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">ビジネスの中で「人間とは何か」の問いに答える</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">変化に備え海外でも利益を出す</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">絶えず自省を続けることが成長の原動力に</h2><p><strong>── ありがとうサービスは、さまざまな事業のフランチャイジーとなっています。</strong></p><p><strong>井本氏（以下、敬称略）</strong>　まず、2000年にエムジーエスというモスバーガーの店舗を運営する会社を設立しました。モスバーガーの事業は、父が経営していた株式会社今治デパートから営業譲渡されたものです。その後、ファミリーレストラン「トマト＆オニオン」のフランチャイズ事業を行う会社を吸収合併しました。</p><p>さらに、今治デパートからリユース事業の営業譲渡を受け、現在に至っています。</p><p><strong>── 20年超の歴史の中で、一番の成長のポイントは何でしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　率直に申し上げますと、加盟させてもらったフランチャイズ事業、特にモスバーガー、ブックオフ、ハードオフのビジネスが素晴らしかったということが、結果として一番大きいと考えています。</p><p><strong>── ご自身が、経営で壁だと感じたことや困難を乗り越えた経験を教えてください。</strong></p><p><strong>井本</strong>　具体的な何かが壁だったというよりも、自身の未熟さから、何度も失敗を繰り返しながらも、なんとか潰れずにやってこられたと感じています。</p><p>たとえば、何を大切にして経営するかという理念と実際に起こるさまざまな事象の双方に向き合わなければならない場合があります。そのとき、目先の利益や自分のことで頭がいっぱいとなってしまい、起きている事象をとらえ間違えてしまうケースもありました。</p><p>しかし、物事を多角的に見られるようになり、世の習い、たとえば春が来て秋が来て冬が来るような自然の流れを理解するにつれて、何かが起きても「よくあることだ」ととらえられるようになりました。</p><p>そうすると、自然と採るべき対応策が浮かんでくるのです。事象そのものよりも、自身の内面的な成長が、なんとか今につながっている要因だと考えています。</p><p><strong>── その内面的な成長は、徐々に進んでいったのでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　ええ、それは徐々にです。自分で「ここが成長した」と明確に分かるようなものではありません。日常的に起こるさまざまなできごとに対して、その都度、一生懸命判断を下しますが、一年後や五年後に振り返ってみると、「あのときは考えが及んでいなかったな」と気づくことの繰り返しです。</p><p>栄養ドリンクを飲んで元気になるような、劇的な変化はありません。</p><p><strong>── とはいえ、上場は大きな変化だったと思います。</strong></p><p><strong>井本</strong>　上場はあくまでプロセスの一部であり、目的ではありませんでした。会社が一定のレベルに到達したからこそ、結果として上場できたと考えています。上場したからといって、劇的に何かが変わったという感覚はありません。</p><h2 id="toc_h2-2">「ご縁」を大切にする経営哲学</h2><p><strong>── 経営戦略におけるキーワードとして「戦略なきご縁経営」がありますが、ご縁を大切にする経営の原点はどこにあるのでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　そもそも、最初からすべてが儲かるかどうか分かるのであれば、世の中これほど苦労はないでしょう。優秀といわれる人々が全員成功するわけでもありません。</p><p>分からない中で何を頼りにするかといえば、「自分はこれを大事にしている」「あなたならこうするだろう」といった、人とのつながりを大切にすることではないかと感じています。</p><p><strong>── 地方での活動やFC今治との連携なども行っています。一見、ビジネスとは遠い取り組みに見えますが、成果が分からない中で取り組まれているということでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　大それたことをいうつもりはありませんが、たとえば自分のことだけしか考えない人は、せめて家族のことを考える。家族のことを考えられる人は、地域のことまで考える。このように、一人ひとりが少しずつ視野を広げることが大切だと考えています。</p><p>FC今治に関しては、以前から知り合いである岡田武史氏から、チーム運営の依頼がありました。</p><p>それは上場して間もない時期で、時間的にも余裕がなく、直接的な利益にもつながらないという判断軸もありましたが、人口15万人規模の街で、外部から見れば「なぜ岡田氏がこのようなところで」と思われるような場所から、Jリーグに昇格し、AFCチャンピオンズリーグに出場するようなことが実現したら面白いだろうと考えました。</p><p>もしそうなれば、地域に定着する人々が10万～15万人規模の多くの街にも、大きな希望やインパクトを与えられるのではないでしょうか。地域のためになるだけでなく、かかわる人々のためにもなるだろうと思い、引き受けました。このような判断で、これまでも事業に取り組んできました。</p><p><strong>── FC今治の試合は、定期的に観戦しているのですか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　出張がなければ、ホーム試合の半分くらいは見に行っています。</p><p><strong>── 海外の強豪クラブが来るようになったら、地元の人々も嬉しいでしょうね。</strong></p><p><strong>井本</strong>　今でもJリーグのチームは来ていますが、海外からも多くのファンが来て、このような地方の街に来るようになったら、そこから世界平和が始まるかもしれませんね。異なる国や地域の人を「自分たちと違うわけじゃない」と思えるようになれば、面白いのではないでしょうか。</p><p>岡田氏とも、そのような話をすることがあります。</p><h2 id="toc_h2-3">「世のため人のため」を重視した上で儲けを狙う</h2><p><strong>── 経営理念「世のため人のため」や行動指標は、どのようにつくったのでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　理念どおりに組織をつくれているかと問われると自信はありませんが、何十年もいい続けているのは、「自分のことだけを考えるのはいけない」です。</p><p>たとえば、私がかけているメガネ一つをつくるにしても、自分ですべてをつくろうとしたら大変でしょう。だからこそ、誰かの役に立つこと、人のことを考えるのが大切だと社内で伝えています。</p><p>毎日のメッセージや、月1回の社員ミーティングでも、そういった話をするのは同じです。幹部とのミーティングでも、自分の部署のことだけ、あるいは会社のことだけを考えて判断していると、「それはおかしいのではないか」と指摘します。</p><p><strong>── 社長のそのような判断軸や考え方が、20年以上かけて社員や幹部に浸透し、会社全体が動いているということですね。</strong></p><p><strong>井本</strong>　浸透しつつある、というところでしょうか。途中から入ってくる社員もいるため、その人々には丁寧に伝える必要があります。</p><p>企業は数字が伴うものだと考える人が多い中で、われわれはそれとは違う趣きを持っていますが、同時に「ちゃんと儲かるようにしなさい」というように事業を進めています。それを実行に移している幹部は、素晴らしいと思います。</p><h2 id="toc_h2-4">ビジネスの中で「人間とは何か」の問いに答える</h2><p><strong>── 今後の日本経済や業界の構造変化について、どのようにとらえていますか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　変化は確実に起こり、しかもかなり大きく変わるでしょう。たとえるなら江戸時代の駕籠で移動していたところからいきなりドローンで移動するような大きな変化が、ここ10年で起こるであろうと考えています。</p><p>AIやブロックチェーンなども、今の延長線上で考えているとさほど見通しは当たらないかもしれません。もっと早く、もっと大きな変化が、起こるのではないでしょうか。</p><p><strong>── それは、適応するしかないということでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　適応できる、腹の据わった人間を育てるしかないと考えています。どういう人かというと、少々のことで「どうしましょう」というのではなく自分で考える人です。</p><p><strong>── 社長としての今後のビジョン、5年後、10年後、どのような会社になっていたいと考えますか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　経営理念の実現、すなわち世の中に「この会社があってよかったね」と思ってもらえる、存在意義を感じてもらえる人がいる、そういう会社でありたいです。それは日本国内だけでなく、世界の中で、です。</p><p><strong>── そういった意味では、海外展開もさらに拡大するのでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　そうですね。地球の適正人口や環境問題についてさまざまな学説がありますが、人間が増えすぎたことが環境問題の一因であるという話も聞きます。</p><p>しかし、これは非常にデリケートな問題です。今の生活水準を維持しながら環境を悪化させないという仮定をすると、現在の人口の3分の1程度の人口が適正であるという学説もあります。</p><p>もしその学説が正しいとすれば、多くの我慢や、ものすごいテクノロジーが必要になるでしょう。人口問題やAIの扱い、そして「人間とは何か」といった哲学的な問いに向き合うことが、今後10年で非常に大きなテーマになると考えています。</p><p>その中で、企業として経済活動を行いながら、われわれなりに「これが大切だ」というメッセージを、少しでも発信する。そういった企業、いや、そういった人間であるべきだと考えています。</p><p><strong>── マレーシアやスリランカ、マダガスカルなどに、海外展開を考える国にピンを立てているそうですね。</strong></p><p><strong>井本</strong>　そこで展開できると分かっているわけではありません。しかし、ちょっとした情報から「できるのではないか」という候補を挙げておけば、どこかから「その話、面白そうだからやってみてよ」という話につながる可能性も、ゼロではありません。</p><p>ピンを立てることで、可能性がわずかでも増える。それが「ご縁」ではないでしょうか。</p><p><strong>── 地方創生事業である「しまなみサンセバスチャン計画」について。既存施設の事業化や地域共生は、今後、全国展開も視野に入ってくるのでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　いえ、そうではありません。これは地域を中心に行うものです。われわれが「こういう考えでやりませんか？」と提案しているだけで、われわれだけがやる話ではありません。賛同してくれる人が集まってくれれば良いのです。</p><p>そうすると、たとえばギャンブル施設ができる可能性もゼロではありませんが、それは歓迎しません。経済の話ではありますが、文化や地元の資源を活用する空気をしまなみ地域に醸成したいと考えています。それを全国に、というのは不遜な考え方だと思います。</p><h2 id="toc_h2-5">変化に備え海外でも利益を出す</h2><p><strong>── 次の10年、20年を見据えたときに、何に資本、経営資源を投下する考えでしょうか？</strong></p><p><strong>井本</strong>　「分からない」というのが正直なところです。しかし、リスクは高まっていると感じています。日本の人口減少、地域における自然災害のリスク、そしてリユース事業も成長の転換期を迎えています。店を出せば売れるという時代は過ぎました。</p><p>今の資本主義においては、相当なお金を持っていなければ企業として大変でしょう。また、ChatGPTのようなAIの登場により、考えることをやめてしまう人が増える可能性があります。リスクが高まる一方で、考える人が減るとなれば、これは大変な事態です。</p><p>しかし、自ら「分からない問題」に積極的な取り組みをし、正解ではないにしても最適解を出す、そのような人材を育成することが絶対に必要です。海外に何店舗、といった話ではなく、そこが大きなテーマです。</p><p>ただ、いつどうなるか分からないからこそ、利益の半分くらいは海外で出しておきたい、という考えはあります。</p><p><strong>── これだけ大きな会社でありながら、身軽に、柔軟に先行きを決めていかれる姿勢は、なかなかないかもしれません。</strong></p><p><strong>井本</strong>　いつどうなるか分からないので、中期経営計画のようなものは立てません。分かる範囲でいったとしても、自分の首を絞めるだけですから。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>井本雅之（いもと まさゆき）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.arigatou-s.com/" target="_blank" rel="noopener">株式会社ありがとうサービス</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長兼会長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3344" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 「ハードオフ」などのリユース事業、「モスバーガー」をはじめとするフードサービス事業、さらに愛媛県今治市を拠点とした地方創生事業と、多角的なビジネスを展開する株式会社ありがとうサービス。 代表取締役社長兼会長の井本雅之氏は、「戦略なきご縁経営」を掲げ、緻密な中期経営計画よりも「人との縁」や「自然の流れ」を重んじてきた。[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
  </entry>
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    <title>写真を撮るだけで稼げる？ギグワークスが挑む「労働のエンタメ化」 BPO企業がWeb3に舵を切った真意</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3343</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/rNQTzqDmBuFiedkCUjoypbortmMWjdiv/b65429c9-1e7b-410a-a6d1-f2083d503da7.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="ギグワークス株式会社" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/rNQTzqDmBuFiedkCUjoypbortmMWjdiv/b65429c9-1e7b-410a-a6d1-f2083d503da7.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/rNQTzqDmBuFiedkCUjoypbortmMWjdiv/b65429c9-1e7b-410a-a6d1-f2083d503da7.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/rNQTzqDmBuFiedkCUjoypbortmMWjdiv/b65429c9-1e7b-410a-a6d1-f2083d503da7.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/rNQTzqDmBuFiedkCUjoypbortmMWjdiv/b65429c9-1e7b-410a-a6d1-f2083d503da7.jpg 2048w"></div><p>BPO事業という堅実な収益基盤を持ちながら、Web3という未知の領域へ大胆に舵を切るギグワークス株式会社。創業以来、個人事業主（ギグワーカー）を活用したビジネスを展開し、「働き方」の変革をリードしてきた同社は、なぜ今、Web3に未来を見出すのか。</p><p>コロナ禍以前から副業やシェアオフィスといった時代の変化を先取りしてきた同社が描くのは、「働く人」が真にエンパワーされる新しい経済圏の創出だ。そこでは、仕事はゲームのように楽しくなり、価値を生み出した個人が正当に報われるという。</p><p>日本直販の譲渡といったポートフォリオの組み替え、そしてWeb3プロダクト「SNPIT」への集中投資。そのスピード感あふれる意思決定の背景には、代表取締役社長・村田峰人氏の揺るぎない哲学があった。一見、バラバラに見える事業がつながったとき、何が起きるのか。ギグワークスが仕掛ける「次世代の社会インフラ」構想の全貌と、その挑戦を支える村田社長の原点に迫った。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">村田 峰人 (むらた みねと)──代表取締役社長</div>      <div class="description">1970年、三重県生まれ。1997年9月にウィルクリエイトに入社、翌98年9月に同社取締役就任。2002年10月エスビーアイ・プロモ（現SBIリアルマーケティング）へ入社、翌年2003年6月、ネオ・コミュニケーションズ・オムニメディアの取締役。2007年3月株式会社ウェルコム・パートナーズ（現SPRING）代表取締役社長就任。2014年、代表取締役社長就任。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">ギグワークス株式会社</div>      <div class="description">「日本一のギグ・エコノミープラットフォーマー」を目指し、多様な事業を展開。ギグワーカーを活用した現場（フィールド/コンタクトセンター）サポートや、DX推進（システム構築・CRMパッケージソフト）、国内最大級のシェアオフィス、そしてWeb3技術（SNPITなど）による新しい働き方の創出が柱。さらに、ギグワーカー向け保険事業の準備や、イベント制作、障がい者支援も行い、働く人々の安心と多様な活躍の場を提供している。<br>企業サイト：<a href="https://www.gig.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.gig.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">「働き方の民主化」から「インターネットの民主化」へ</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">「一生懸命、売らないでくれ」バイト時代、仲間の言葉に感じた疑問</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-web3-&#34;)">ユーザーが勝手に広報活動　Web3が可能にする強固なコミュニティ経済圏</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">労働のエンタメ化と、&#34;搾取されない&#34;働き方の実現</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">「命まで取られるわけじゃない」。変化の時代を乗り越える経営者の覚悟</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">「働き方の民主化」から「インターネットの民主化」へ</h2><p><strong>── BPO事業という堅実な収益基盤がありながら、Web3領域へ集中投資を行うという経営戦略の大きな転換がありましたね。</strong></p><p><strong>村田</strong>　弊社は創業以来、個人事業主、いわゆるギグワーカーの方々を活用したビジネスをずっと続けてきました。私が代表に就任した2014年ごろは、個人事業主の方が現地に赴いてパソコンやWi-Fiの設定などを行う「フィールドサービス」がメインでした。</p><p>その後、「ギグエコノミー」という言葉がアメリカから入ってきて一般にも認知されるようになりました。インターネットを介して単発・短期の仕事を、雇われるのではなく、自分で選んで請け負う。そうした働き方に可能性を感じ、個人事業主と依頼主をマッチングさせるプラットフォーム「ギグワークスベーシック」を立ち上げました。</p><p><strong>── それが「働き方の民主化」でしょうか。</strong></p><p><strong>村田</strong>　はい。そしてその流れで次に来たのが、「インターネットの民主化」であるWeb3です。これまでのWeb2.0は、SNSに代表されるようにユーザーが書き込み、相互にやりとりができる世界でした。</p><p>しかし、そのプラットフォームの価値を高めているのは個人の投稿や活動であるにもかかわらず、利益はプラットフォーマーである巨大IT企業に独占されてしまった。</p><p>Web3は、Read（読む）、Write（書く）に加えてOwn（所有する）が加わった世界です。プラットフォームに価値を提供した個人が、その価値を所有できる。この「Own」の世界をいち早く私たちの仕事に取り入れようと始めたのが、Web3プロダクトの「SNPIT」なんです。</p><p><strong>── SNPITはどんなサービスですか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　SNPITは、写真を撮るゲームアプリですが、そのユーザーを個人事業主に見立てて、日本中、世界中で写真を撮ってきてもらう「スナップタスク」という依頼を始めています。例えば、名古屋では空き駐車場の様子を撮ってきてもらう案件がありましたし、不動産の営業担当者が行う物件周辺の公園やコンビニの撮影を代行するといった業務も増えています。</p><p><strong>── これまでの事業とは、どのようにつながっているのですか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　もともと弊社のフィールドサービスには、写真を撮ってくる業務がたくさんありました。例えば、自動販売機の様子や、農家に置かれている農機具、空き地など不動産の状況を撮影してきてほしい、といった依頼です。</p><p>SNPITでWeb3の仕組みを使って、もともとやっていた業務をそこに乗せていく。ですから、これまでの事業とはずっとつながりがあるんです。</p><h2 id="toc_h2-2">「一生懸命、売らないでくれ」バイト時代、仲間の言葉に感じた疑問</h2><p><strong>── 事業の損切りやピボットにおいて、大事にしている哲学やポリシーはありますか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　哲学と言えるほどのものではありませんが、弊社のパーパスである「働く人に真価を発揮してもらう」ということでしょうか。</p><p>昔、私が携帯電話の販売アルバイトをしていたときのことです。売り上げを伸ばそうと一生懸命頑張っていたら、派遣社員の仲間から「お前、そんなに一生懸命売るなよ。俺らが売ってないみたいになるし、時給は変わらないんだからやめてくれ」と言われたんです。</p><p>それを聞いて「なんで？」と思いました。同じ給料ならできる限り楽をしようという人と、いただいたお金で成果を出そうという人がいる。そして、頑張る人の足を引っ張るというのはどうなのかなと。</p><p>この経験から、やった分だけ正当に成果として報われる、公平な仕組みを作ることが大事だと考えるようになりました。その考えに基づいて事業を選択し、基づかないものはやめる、という判断をしています。</p><p><strong>── その体験が現在の経営判断につながっているのですね。先行投資期間を経て、これからV字回復を目指すうえで、今いちばん期待の領域はどこですか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　やはりWeb3事業です。以前傘下にあった日本直販には、高齢の方も含めたくさんの会員がいらっしゃいました。組み立て家具が組み立てられない、マッサージチェアを置くために部屋の整理ができない、といったお困りごとを、私たちのギグワーカーが現地に赴いてお手伝いするサービスは、日本直販を売却した今も続けています。</p><p>もともとの構想では、この会員コミュニティとWeb3を組み合わせようと考えていました。SNPITの暗号資産であるSNPTの価値を日本直販の会員の皆さんにも伝えて、事業をリモデリングしようと。しかし、計画が想定どおりに進みませんでした。</p><p><strong>── 具体的には何があったのでしょうか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　日本国内での暗号資産の上場が、当初予定していた2023年10月から12月にずれてしまったのです。弊社は10月決算なので、上場に合わせて準備していた多くの計画が崩れてしまいました。</p><p>Web3事業で稼いだ資金を日本直販に投資して立て直す計画でしたが、弊社はそこまで規模が大きい会社ではないので、赤字の会社を2社抱えるのはキャッシュフロー的に厳しかった。やむなく日本直販を切り離すしかなかった、というのが正直なところです。</p><h2 id="-web3-">ユーザーが勝手に広報活動　Web3が可能にする強固なコミュニティ経済圏</h2><p><strong>── もし計画どおりに進んでいれば、コンシューマービジネスとWeb3には大きなシナジーがあったと。</strong></p><p><strong>村田</strong>　はい。SNPITを遊んでくださっているユーザーは、このプロダクトをとても大事に思ってくれている方が多いんです。こちらから一切働きかけていないのに、SNPITの暗号資産「SNPT」で決済できる飲食店やウェブサイトが勝手に現れたりするんですよ。</p><p>2025年の2月にカメラの展示会に出展したときには、さらに驚くべきことが起きました。想定をはるかに超える来場者が殺到してしまい、社員だけでは対応しきれなくなったんです。すると、ユーザーさんがX（旧Twitter）で呼びかけてくれて、北は北海道から飛行機で駆けつけてくれた人までいました。</p><p><strong>── ボランティアで、ですか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　ええ、1円にもならないのに。私が見に行った土曜日には、ブースに社員が一人もいなくて、全員知らないユーザーさんたちが、うちのTシャツを着て来場者にSNPITの使い方を説明してくれていました。</p><p>なぜ彼らがそこまでしてくれるのか。それは、ユーザーが増えることで、自分たちが保有するNFTや暗号資産の価値が上がっていくからです。このコミュニティは強固だな、と確信しました。</p><p><strong>── まさに「Own」（所有する）というWeb3の思想がコミュニティを動かしているのですね。</strong></p><p><strong>村田</strong>　そのとおりです。このコミュニティが育てば、たとえばアマゾンと日本直販でまったく同じ水が売られていたとしたら、彼らは必ず日本直販で買ってくれるようになる。なぜなら、そこで生まれた利益がSNPTの買い支えに使われ、結果的に自分たちの資産価値が上がることにつながるからです。</p><p>村の経済を村の中で最大限活用しようとする、そういうエコシステムが出来上がるんです。これは大きな発見でした。この村を街に、街を国にしていける。自分たちが持つ資産の価値を上げるための行動を、誰に言われるでもなくみんなが取る。それがとても新鮮でしたね。</p><h2 id="toc_h2-4">労働のエンタメ化と、"搾取されない"働き方の実現</h2><p><strong>── 「働く」ことと、エンタメ性のある「遊び」の境界線がなくなっていくように感じます。写真を撮るという作業をゲーム化し、トークンで報酬を与えるという試みは、労働のエンタメ化への挑戦でもあるのでしょうか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　そうですね。ゲームを遊んでいる感覚で仕事をしている、というふうになると思います。この仕組みの面白いところは、報酬の支払われ方です。</p><p>通常、クライアントから写真撮影を依頼された場合、私たちは人を雇って撮影してもらい、1枚いくらという形で報酬を支払います。しかしSNPITの場合は、ユーザーにミッションを与えて撮ってきてもらうと、それがポイントに変わり、暗号資産に交換できる。その暗号資産を売買しているのは投資家の皆さんなので、ギグワークスグループは1円も払わなくても仕組みが成り立ってしまうんです。</p><p><strong>── それは画期的ですね。</strong></p><p><strong>村田</strong>　クライアントからいただくフィーが、ほぼ100%粗利になると言っても過言ではありません。もちろん、システム開発に投資はしていますが。この仕組みを使えば、将来的にはギグワーカーの皆さんからいただいているマージン（現在は10%）もゼロにできるのではないかと考えています。</p><p>お客様からいただいたお金をすべてギグワーカーにお渡しし、私たちは広告やコミュニティ内での売買などで収益を得る。働く人が搾取されることなく、真価を発揮できる。本当の意味での「民主化」が起こりつつあると感じています。</p><p><strong>── 一方で、Web3にはトークン価格の変動リスクや、まだ法整備が追いついていない部分など、マス層に広げるうえでの課題もあると思います。ユーザーに安心して使ってもらうために、ガバナンス面で意識していることはありますか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　もちろん、コンプライアンスを重視し、さまざまなパートナーと戦略的に組んでいます。たとえば、暗号資産を発行しているのはシンガポールの会社、ゲームをパブリッシングしているのはドバイの会社、といったように、私たちは国内でできることに注力するという住み分けをしています。</p><p>おっしゃるとおり、現状のWeb3サービスはユーザー体験が非常に複雑です。SNPITで本格的に稼ぐには、NFTカメラを買う必要がありますが、そのためにはウォレットアプリを入れ、取引所で暗号資産を手に入れ…と、ものすごくステップが多い。これではマスアダプションには程遠いのが実情です。</p><p>ただ、世の中は変わりつつあります。国内でもステーブルコインなどが登場し、より安全性が高く、規制の中で運用されるようになれば、抵抗もなくなってくるのではないかと期待しています。</p><h2 id="toc_h2-5">「命まで取られるわけじゃない」。変化の時代を乗り越える経営者の覚悟</h2><p><strong>── 2014年に社長に就任されてから、第二創業期ともいえる目まぐるしい変化を牽引されてきました。その中で、一番大きな壁や困難だと感じたことは何でしたか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　社長に就任してまずやらないといけないと思ったのがM&Aでした。就任後2、3年の間に5社ほど買収し、それが今の収益基盤の一つになっています。もちろん、M&A後のインテグレーションがうまくいかないなど、困難は常にあります。</p><p>今回の新規事業のように大きな投資をする際は、社外取締役の皆さんを説得するのも簡単ではありません。元アサヒビールの社長や元富士ゼロックスの社長など、重鎮の方々がいらっしゃるので、ガバナンスは効きすぎているくらいです。</p><p>ただ、世の中が大きく変化する中で、私たちのビジネスが変わらないことはあり得ない。ChatGPTに初めて触れたときの衝撃は忘れられません。新しい世界に向かって挑戦し、ステークホルダーにご理解いただく。それが大変ではありますが、障害だとは思っていません。</p><p><strong>── そうした壁にぶつかったとき、拠り所とされている考え方や原点はありますか？</strong></p><p><strong>村田</strong>　経済戦争ではあっても、物理的に命を取られるわけではない、ということはあるかもしれません。それならやりきろうと。</p><p>仕事はドラゴンクエストのようなゲームだと思えば、自分を客観的に見ることができます。ゲームの中で死んでも、現実の自分は死なない。大丈夫だ、と。</p><p>あとは、自分で体験してみることを非常に重要視しています。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、私は完全に後者。自分でやってみないとわからない。そうすることで勘が鋭くなり、避けられるリスクも出てくると思っています。自分でやろうと思ったことをやらなかったときがいちばん後悔しますね。</p><p>今、日本が少し弱ってきているように感じますし、実態もそうだと思います。そこを新しいテクノロジーをきっかけに挽回し、みんなの生活をもっと良くしたい。</p><p>そのために、搾取されるのではなく、誰もが真価を発揮して正しく公平に評価され、自分の力でそれを成し遂げられる。そんな社会の実現に向けて頑張っていきます。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>村田 峰人 (むらた みねと)</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.gig.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">ギグワークス株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3343" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ BPO事業という堅実な収益基盤を持ちながら、Web3という未知の領域へ大胆に舵を切るギグワークス株式会社。創業以来、個人事業主（ギグワーカー）を活用したビジネスを展開し、「働き方」の変革をリードしてきた同社は、なぜ今、Web3に未来を見出すのか。 コロナ禍以前から副業やシェアオフィスといった時代の変化を先取りしてきた[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>「社名を含めすべてを一度捨てた」組織改革──正解のない時代に、何を捨て何を選ぶのか。激動の20年を生き抜いたテクミラHDの戦略とビジョン</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img width="600" height="400" loading="lazy" alt="テクミラホールディングス株式会社" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/RJsMSblHVfpMeBNGUqxVadBDzGnYhZvB/be740cda-adfc-4afe-b358-a83722cb898c.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/RJsMSblHVfpMeBNGUqxVadBDzGnYhZvB/be740cda-adfc-4afe-b358-a83722cb898c.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/RJsMSblHVfpMeBNGUqxVadBDzGnYhZvB/be740cda-adfc-4afe-b358-a83722cb898c.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/RJsMSblHVfpMeBNGUqxVadBDzGnYhZvB/be740cda-adfc-4afe-b358-a83722cb898c.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/RJsMSblHVfpMeBNGUqxVadBDzGnYhZvB/be740cda-adfc-4afe-b358-a83722cb898c.jpg"></div><p>2004年の創業以来、激動のIT業界を駆け抜けてきたテクミラホールディングス株式会社。iモード全盛期の携帯コンテンツ事業で急成長を遂げた後、スマートフォンの登場によるビジネスモデルの崩壊、そしてソリューション事業への転換という大きな荒波を乗り越えてきた。近年ではAI、IoT、ゲームなど、時代の先端を走る領域で独自のポジションを築いている。</p><p>幾多の変革を乗り越え、企業を成長させてきた背景には、どのような経営戦略と組織づくりがあったのか。創業から20年以上にわたる軌跡と、その中で見出した経営の本質、そして未来への展望について、代表取締役社長の池田昌史氏に聞いた。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">池田昌史（いけだまさし）──代表取締役社長</div>      <div class="description">1960年、東京都生まれ。1982年、慶應義塾大学商学部を卒業後、NECグループに入社。マルチメディアPCの商品企画やコンテンツ事業の立ち上げに従事した後、NECインターチャネル株式会社の設立に参画。モバイル業界の台頭を受けてコンテンツビジネスに注力すべく、2004年にプライムワークス株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。グループ拡大を経て2020年に持株会社体制へ移行、JNSホールディングス株式会社の代表取締役社長に就任。2023年に商号を「テクミラホールディングス」へ改め、現在に至る。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">テクミラホールディングス株式会社</div>      <div class="description">2004年創業。国内外に拠点・グループ会社を有し、コンテンツからソフトウェア、ハードウェアまで網羅した幅広い事業を展開。近年では、コンシューマ向けコンテンツの知見を活かしたコンソールゲームや、AI、IoTなどの先端技術分野に注力。「TechnologyとCreativeで未来を創る」を経営理念に掲げ、技術と創造力を強みに、各領域で専門性を発揮しながらも相互にシナジーを生み出す、独自性の高いIT企業グループとして成長を続けている。<br>企業サイト：<a href="https://www.tecmira.com" target="_blank" rel="noopener">https://www.tecmira.com</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;4-iphone-&#34;)">4年で上場。しかし、iPhoneの登場で事業が「落っこちていく」</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;ma-&#34;)">M&amp;Aの秘訣は、仲介会社を使わず「人と人」で決めること</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">組織の壁を乗り越えるため、一度すべてを捨てた</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">コロナ禍を救ったのは、勝算があって始めたゲーム事業だった</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-20-&#34;)">「失われた20年」。日本はようやく変わりつつある</a></li></ol></div><h2 id="4-iphone-">4年で上場。しかし、iPhoneの登場で事業が「落っこちていく」</h2><p><strong>── これまでの会社の成長の流れについて、経営戦略や組織づくりの観点から教えてください。</strong></p><p><strong>池田氏（以下、敬称略）</strong>　2004年に会社を立ち上げて、2026年の4月で22年になります。この20年間、特にITの世界は相当大きく変わりました。</p><p>私が創業したころは、携帯電話が電話以外の用途で急速に発達している最中でした。もともと私はNECでパソコンのハードウェアからキャリアを始め、ソフトウェアの面白さに惹かれてそちらの世界に移った経緯があります。パソコン用のソフトから携帯電話向けのiモード関連の事業を手がけているとき、これはすごいものが出たなと。そのタイミングで独立し、携帯サービスを提供する会社を立ち上げようとまっしぐらに進みました。</p><p>おかげさまで事業は非常に順調で、創業から4年で当時の東証マザーズに上場できるくらい、ポンポンと大きくなっていきました。</p><p><strong>── 順調なスタートだったのですね。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 ええ、そこまでは。しかし、いわゆるガラケーがなくなりスマートフォンが登場したことで、状況はガラッと変わります。ちょうど上場した2008年、2009年ごろからその流れが始まりました。</p><p>最初は「こんなの誰が使うのかな」という雰囲気でしたが、iPhoneの登場で爆発的に普及しました。ソフトバンクの孫さんがiPhoneを日本に持ち込み、ボーダフォンを買収して携帯事業に参入したわけですが、あれがある意味、日本のスマホの世界を作ったと言えるかもしれません。</p><p>iPhoneが出て急速に世の中が変わると同時に、我々の中心だったビジネスは、今度は落っこちていくことになりました。ドコモが作り上げたiモードの世界は、有料かつクローズドなモバイルインターネットの世界でした。我々もその中で一緒に伸びてきたのですが、スマホの登場によって、そのクローズドな世界がオープンな世界に押しつぶされていく現象が起きたのです。</p><p><strong>── ガラケーからスマホへの移行が、最初の大きなターニングポイントになったのですね。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 はい。ガラケーベンチャーとしてスタートし、上場まではよかったのですが、その後、このままでは先はないなとはっきり見えてきました。</p><p>もともと我々のビジネスは、携帯電話にアニメーションが動く絵文字のようなビューアーをOSレベルで実装してもらい、そのライセンス料をいただくプロダクトビジネスと、iモードをはじめとする通信キャリアの公式サイトでコンテンツを提供するサービスビジネスが大きな柱でした。しかし、スマホの登場でクローズドな世界が終わり、ビジネスモデルをガラッと変えなければならなくなりました。</p><p>そこから、ソリューションの領域に参入していきます。通信キャリア自身も、それまではプラットフォーマーという立場だったのが、自らも一人のプレイヤーとしてユーザーにサービスを提供する立場に変わっていきました。また、一般企業もスマホ向けのウェブサイトを作る必要が出てくるなど、法人ビジネスが広がっていったのです。我々もそちらにシフトしていきました。</p><p><strong>── 事業転換はスムーズに進んだのでしょうか。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 いえ、もともとサービスやコンテンツの会社だったので、ソリューションビジネスを始めたころは失敗も非常に多くて。特に当時は顧客との責任分解点があいまいなことも多く、「こういうものをお願いしたつもりだ」「いや、こちらはこう聞いていた」といった食い違いからプロジェクトが炎上することもずいぶんありました。そうした苦労を乗り越えながら、ソリューションビジネスを確立していったのが、会社の第二ステージです。</p><h2 id="ma-">M&Aの秘訣は、仲介会社を使わず「人と人」で決めること</h2><p><strong>── その後、DXの波が次のステージにつながるのですね。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 そうです。世の中自体がデジタル化する現象が起き、我々も単なるモバイルビジネスではなく、デジタルビジネスとして事業を捉え直す必要が出てきました。そのころから、出資やM&Aを積極的に始めています。</p><p>会社の歴史を振り返ると、だいたい8年周期で大きく変わっていくという話があるのですが、まさにそのとおりで。ガラケーからスマホへの移行期が不安定だったように、次の変化に対応するために動き始めました。</p><p>現在、我々はハードウェア、ソフトウェア、サービスの三つの領域を手がけていますが、もともとソフトウェアとサービスから始まった会社です。そこにハードウェアを加えるため、当時売上10億円ほどだったハードウェア開発の会社、JENESISに出資し、グループに迎え入れました。IoTがこれから来ると読んでいたからです。</p><p><strong>── JENESIS社とのM&Aが大きな成功事例となっていますが、成功の理由は何だと考えていますか。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 まず、うちは一度もM&Aの仲介会社を使ったことがないんです。ビジネス上の接点や人からの紹介など、何かしらのつながりがある中で話が進みます。事業内容以上に、人と人、会社と会社としてフィーリングや考え方が合うかが非常に重要だと考えています。価値観やカルチャーの相性が合わないと、一緒に仕事はできませんから。</p><p>JENESISの場合も、彼ら自身が頑張ってくれたことが一番大きい。もちろん、我々が資金面などをバックアップしたからこそ、彼らが持つポテンシャルを最大限に引き出せたという側面はあります。一人ではできなかった成長を後押しできた。簡単に言うと、そういうことだと思います。</p><p><strong>── まずは経営者や会社の雰囲気といった、カルチャーフィットがスタート地点になるのですね。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 そうだと思います。</p><h2 id="toc_h2-3">組織の壁を乗り越えるため、一度すべてを捨てた</h2><p><strong>── 会社の急成長にともない、組織的な壁に直面することもあったのではないでしょうか。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 ありましたね。私自身、NECグループにいたときは子会社の立場だったので、子会社であることの楽さも悲哀も分かります。</p><p>創業時のプライムワークスという社名で事業をしていたとき、何社か子会社がありました。それを一つの会社に合併したのが、最初の組織課題の克服です。そのとき、あえて自社も含めてすべての社名を捨てさせ、「ネオス」という新しい社名にしました。</p><p>創業者なのに社名を捨てるのかとよく言われましたが、一つの会社になるなら、みんなが平等な立場で新しい旗印のもとに集まることが大事だと考えたのです。</p><p><strong>── その後、ホールディングス体制に移行されています。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 ええ。再び会社が大きくなり、出資や買収を進める中で、今度はそれぞれの会社が持つビジネスモデルや顧客の違いを尊重したほうがいいと判断しました。</p><p>そこで、事業会社を統括するホールディングカンパニーを新たに作り、現在の体制になりました。それぞれの事業単位で会社という枠組みを持たせたほうが、専門性を発揮しやすいと考えたのです。</p><p><strong>── 組織づくりにおいて、社長が最も大事にしていることは何ですか。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 ざっくばらんに言い合える関係性を保つことですね。それぞれが思うこと、考えることを表明しやすい場所であることが大事です。言われたことをやるだけの組織ではなく、みんながそれぞれの立場で考え、発言できる。そういう階層に関係なくものが言える組織風土が重要だと思っています。</p><p>もちろん、行き過ぎは危険ですが、そこは数字が判断してくれます。数字は嘘をつきませんから。業績に関しては厳しいかもしれませんが、プロセスについては何でも言えばいい、という雰囲気だと思います。</p><h2 id="toc_h2-4">コロナ禍を救ったのは、勝算があって始めたゲーム事業だった</h2><p><strong>── 近年ではゲーム事業が大きく伸び、100億円企業への到達に貢献したそうですね。毛色の違う事業に参入した背景を教えてください。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 ガラケー時代からコンテンツサービスを手がけており、キャラクターで携帯画面をデザインする「きせかえツール」などを自社で開発・配信していました。コンテンツビジネスにはこだわりがあったのです。</p><p>しかし、スマホ時代になると、付加価値の高いコンテンツでないと有料では売れません。そこで、知育・教育とエンターテインメントの二つに絞り、ゲーム事業に乗り出しました。ただ、スマホゲームで主流の、いわゆるガチャで収益を上げるビジネスはやりたくなかった。コンテンツそのもので勝負するなら、思い切ってゲーム機でやろう、と。ちょうどNintendo Switchが登場し、これには可能性があると感じたのです。</p><p><strong>── まさにその判断が功を奏したと。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 3作目として手がけた「クレヨンしんちゃん」のゲームが、コロナ禍の巣ごもり需要もあって大ヒットしました。</p><p>実はそのころ、ハードウェア事業は中国のサプライチェーンが寸断されて大打撃を受けていたのです。部品の調達もままならない状況で会社を支えてくれたのが、このゲームビジネスでした。コロナで外に出られない状況が、コンテンツにとっては追い風になったのです。</p><h2 id="-20-">「失われた20年」。日本はようやく変わりつつある</h2><p><strong>── 今後の日本経済や業界構造の変化をどう見ていますか。特にAIの進化は、人の働き方に大きな影響を与えると考えられます。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 AIによって、人間の仕事はかなり奪われるでしょう。10年後を考えると、意思決定から手配まで、すべてAIがやるようになるかもしれません。</p><p>ただ、人間がやるべき仕事として残るのは、最終的な意思決定のボタンを押すこと、そしてセキュリティとのいたちごっこです。悪意を持った人間は必ず出てきますから、それを防ぐ役割は人間に残されます。</p><p>また、コンテンツの創作活動においても、AIが作ったものに他人の著作権を侵害しているリスクが常につきまといます。ビジネスとしてコンテンツを扱う人間は、そのリスクを考えると、AIにすべてを委ねることはできません。制作プロセスでの活用は進むでしょうが、人間によるチェックや判断は不可欠です。</p><p><strong>── 次の10年に向けた展望をお願いします。</strong></p><p><strong>池田</strong>　 この20年、海外出張などを通して世界を見てきて思うのは、本当に日本は変わらないで来たな、ということです。アジアの国々がアメリカを見て発展してきたのに対し、日本だけがずっと動かずにいた。「失われた20年」と言われますが、まさにそのとおりです。</p><p>しかし、ようやく日本人もそのことに気づき、変わり始めようとしていると感じます。社会の流動性を高め、大企業だけでなく、我々のような新しい企業が主役としてどんどん入れ替わっていくような変化が起きないと、本当の意味で日本は変わらないでしょう。</p><p>これからの若い経営者の方々には、どんどん海外に出て世界を見てほしいと思います。そして、日本の社会構造を変えるくらいの気概で挑戦してもらいたいですね。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>池田昌史（いけだまさし）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.tecmira.com" target="_blank" rel="noopener">テクミラホールディングス株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[ 2004年の創業以来、激動のIT業界を駆け抜けてきたテクミラホールディングス株式会社。iモード全盛期の携帯コンテンツ事業で急成長を遂げた後、スマートフォンの登場によるビジネスモデルの崩壊、そしてソリューション事業への転換という大きな荒波を乗り越えてきた。近年ではAI、IoT、ゲームなど、時代の先端を走る領域で独自のポ[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>「異なる文化を融合し日本のモノづくりの強さを世界に問う」アルテミラ・中塚社長の成長戦略</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3349</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img width="600" height="400" loading="lazy" alt="アルテミラ・ホールディングス株式会社" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/WyVJuuoDEaxQtyADvkwwzIJKIXSrdZHl/2c141338-cd9b-41ec-99c3-2ddc601a23c6.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/WyVJuuoDEaxQtyADvkwwzIJKIXSrdZHl/2c141338-cd9b-41ec-99c3-2ddc601a23c6.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/WyVJuuoDEaxQtyADvkwwzIJKIXSrdZHl/2c141338-cd9b-41ec-99c3-2ddc601a23c6.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/WyVJuuoDEaxQtyADvkwwzIJKIXSrdZHl/2c141338-cd9b-41ec-99c3-2ddc601a23c6.jpg 2048w" 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class="description">昭和電工系のアルミ缶製造とアルミ圧延事業および三菱マテリアル系のアルミ缶製造とアルミ圧延会社を統合し、2022年7月1日に発足したアルテミラグループの統括会社。アルミ缶および圧延・箔・押出製品などのアルミ製品事業を専業とする総合アルミニウムグループとして、アルミを軸とした循環型社会の構築を推進している。<br>企業サイト：<a href="https://www.hd.altemira.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.hd.altemira.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">無理やり融合せず。統合はそれぞれのいいところをリスペクトして</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">父の働く姿を見て感じたものづくりの尊さ</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">優れたリーダーは必ずとんでもない修羅場を経験している</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">日本の中で勝つことがとても大事</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">ホワイト企業でなければ生き残れない</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">無理やり融合せず。統合はそれぞれのいいところをリスペクトして</h2><p><strong>── アルテミラ・ホールディングス設立の経緯と、事業のこれまでについて教えてください。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　アルテミラという会社は、2022年にスタートしました。アポロ・グローバル・マネジメントというグローバルでも最大級のプライベート・エクイティ・ファンド（PE）が、まず昭和電工（現レゾナック）のアルミニウム事業を、その後に三菱マテリアルのアルミ事業を買い取りました。</p><p>具体的には、昭和アルミニウム缶、ハナキャンズ（ベトナム）、堺アルミ、三菱アルミ、ユニバーサル製缶の5社です。これらをアポロが買い集め、新しいエンティティとして立ち上げたのが2022年の4月1日でした。</p><p><strong>── 中塚社長は当初からトップとして関わっていたのですね。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　はい、社長として招かれ、まず社名を考えるところから始めました。三菱カルチャーと昭和電工カルチャー、二つの文化を持つ会社が一緒になったので、「我々は何を目指すのか」というパーパス（企業の存在意義）から議論したのです。</p><p>アルミの技術を使って未来を拓く、という方向性が決まり、議論を重ねるうちに「アルテミラ」という造語にたどり着きました。「アルミのテクノロジーで未来を」という意味で、パーパスを反映した社名になったと思います。</p><p><strong>── 設立後のプロセスはどのようなものだったのでしょうか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　PEが買収した後の、典型的なプロセスをたどっています。いわゆるPMI（ポスト・マージャー・インテグレーション）ですね。買収後の統合作業をずっと進めてきました。</p><p>私がインテグレーションオフィスを設計し、営業、調達、生産、人事、ITといった分科会をつくり、統合作業を進めました。もともと競合だった会社が一緒になっている部分もあるので、まずは文化の融合が課題です。</p><p>そして、シナジーの追求です。PEによる買収ですから、利益を上げていかなければなりません。たとえば調達機能を統合し、同じサプライヤーから違う条件で買っていたものをそろえ、交渉力を高めました。お客さまに対しても、2社が一緒になったことで取り扱い量が増え、交渉力が高まりました。価格転嫁など、さまざまな条件面で交渉させていただいています。</p><p><strong>── ポジティブな面だけではなかったと思います。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　そうですね。人の整理も行いました。統合後、最初に従業員の一部の人員整理を行いました。そうしたことも含めてコスト体質を高め、成長路線に乗せて今に至ります。</p><p><strong>── これまで商社やコンサルティング業界など多彩なキャリアを歩んでこられていますが、アルミニウム業界に飛び込まれたきっかけは何だったのでしょうか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　ヘッドハンティングです。前職はジヤトコという、自動車のトランスミッションをつくる会社で8年間、社長を務めました。そろそろ次のステージを考えていたときに、この話をいただきました。</p><p>もともと丸紅時代の最初の配属が鉄鋼原料で、非鉄事業（アルミ、銅、ニッケルなど）は隣の部門でしたから、素材系ビジネスにはなじみがありました。</p><p>また、私はメーカーの仕事にすごく興味があるんです。GEで航空機エンジンの事業に携わり、ジヤトコで8年社長をやって、日本のものづくりの強さを高めて世界に問うということに、強いアスピレーション（大望）を持っています。</p><p>決め手は、PEとともにバリューアップして上場を目指す、というプロセスを一度やってみたかったことですね。</p><p><strong>── さまざまな縁も重なったそうですね。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　ええ。もともと昭和電工のアルミ事業を切り離したときの社長が、今のレゾナックの社長である髙橋秀仁さんで、彼は私のGEの同期なんです。入社日も同じで、事業開発という同じ部門にいました。</p><p>ですから、この話を聞いたとき、まず彼に電話して経緯を聞き、「それなら面白いから受けてみよう」と。そういった経緯でこのポジションに就きました。</p><p><strong>── 設立から3年半が経ち、特に「これが転換点になった」と感じる出来事はありますか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　転換点というよりは、最初のリストラ、人員整理がやはり難しかったですね。「ライトサイジング（適正化）」という言葉を使いましたが、従業員百数十名に辞めていただく形になりました。また、その前に役員の数も半分以下に削減しました。まず身を縮めて筋肉質になる、という最初のプロセスが少しきつかったです。</p><p>そこを乗り切ってからは、巡航速度に乗ってきた感じがします。最初の1年目は、まったく違う文化の会社が一緒になり、もともと三菱マテリアルや昭和電工という大きな会社の子会社で「指示待ち」の文化が強かった社員たちが、独立した会社として自分たちでやっていこう、というマインドに切り替えるまでが、たいへんでした。ターニングポイントというより、初年度が「ターニング期間」だったと言えますね。</p><p><strong>── 文化の異なる組織をまとめるうえで、リーダーとして工夫したことは？</strong></p><p><strong>中塚</strong>　無理やり融合しない、ということです。無理なんですよ。3年半経った今でも、やはり違います。それを無理に一緒にすることはなく、それぞれのいいところをリスペクトしながらやっています。</p><p>一言で言うと、三菱はすごくかっちりしている。メールの書き方からして超絶丁寧です。一方、昭和電工は芙蓉グループ系ということもあり、そこまで堅苦しくなく、ざっくばらんにやってみよう、という文化。同じ業界でもこれだけ違います。どちらもいいところですから、否定することなく、焦らず徐々に融合すればいいと考えています。</p><p>これはGE時代に学んだことです。GEは買収を繰り返す会社で、PMIが非常に得意でした。私もGE時代にPMIを経験したので、あまり期待しすぎず、「こんなものだろう、時間はかかるよね」と、気負わずにやってきました。</p><p><strong>── ITシステムや人事制度なども、まだ別々のものを使っているのでしょうか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　そうです。もともと親会社に依存していたシステムを、まずスタンドアロン、つまり切り離して独り立ちさせる、ということをこの2、3年やってきました。ここからが統合のステージです。ITプロジェクトはすでにスタートしていますが、完了までには2、3年かかります。人事制度も、まず独立させ、これから統合です。管理職はすでに新しい統合人事制度に移行済み、非管理職についても１年遅れで統合する予定です。</p><h2 id="toc_h2-2">父の働く姿を見て感じたものづくりの尊さ</h2><p><strong>── 業種が変わっても変わらない、経営やリーダーシップの本質とは何だと考えていますか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　ビジネスの本質は、どんな業種でも商品にかかわらず同じだと思っています。大事なのはお客さまで、お客さまに対して何が提供できるのか。すべてを決めるのはお客さまです。競合に対して、なぜ我々を選んでもらえるのか、我々にしかできないことは何か。そこを追求することは、ビジネスが変わっても同じです。</p><p>そして、先ほども言いましたが、私はメーカーが好きなんです。日本のものづくりの尊さのようなものが、私にとっての原体験でもあります。</p><p><strong>── 原体験、といいますと？</strong></p><p><strong>中塚</strong>　実家が岡山県倉敷市で小さな工作所をやっていまして。父親は汗水たらして、力仕事を毎晩遅くまでしていました。父は「お前はそんな仕事をする必要はない」とずっと言っていましたが、幼少期に働く父の姿を見てきました。</p><p>メーカー、特にものづくりの拠点をしっかりと保ち、成長させることが、地元の経済や社員、そしてそのご家族にとって、いかに大事か。その思いは、ジヤトコの社長になってからいっそう強くなりました。</p><p>そのためにも、顧客に価値を提供し、ビジネスを伸ばす。爆発的に伸びなくてもいい。今日より明日、明日より来年と、少しずつ成長を遂げることができたらいいなと思っています。</p><p><strong>── そのような使命感を持つようになったのは、いつごろからですか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　強く意識したのは、ジヤトコの社長になってからですね。GE時代、航空機エンジンというグローバルでナンバーワンの事業に携わっていました。収益性も非常に高かった。そのエンジンの中の重要なパーツは、IHIや日本精工など、日本のメーカーがつくっていました。</p><p>すばらしい貢献でしたが、結局、一番ベネフィットを享受するのはアメリカの投資家です。そうではなく、自分がやる商売で日本の経済に貢献したいと思っていたところに、ジヤトコの話をいただきました。</p><p>日本のものづくりの会社に行ってみて、改めて「メーカーの仕事は尊い」と感じました。そして、自分がなぜそう思うのかを考えたとき、18歳まで実家で過ごした原体験を思い出したんです。家の中に工場があって、夜11時ごろまで機械の音が聞こえる。そういう環境で育ったことが、自分の中にあったのだな、と。</p><p>だから、自分はものづくりに帰ってきたんだ、と。ものづくりの会社で社員を幸せにすることが、自分の使命だと強く思うようになりました。</p><h2 id="toc_h2-3">優れたリーダーは必ずとんでもない修羅場を経験している</h2><p><strong>── これまでで最も大きな壁、大変だった出来事を教えてください。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　たくさんありますが、私は「修羅場体験」というテーマをよく話します。優れたリーダーは、必ずとんでもない修羅場を経験している。その結果が良くても悪くても構わない。修羅場をくぐり抜けた経験こそが、リーダーにとって必須だと考えています。</p><p><strong>── 修羅場体験で、特に印象的なものは何ですか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　社会人生活40年近くで一番思い出に残っているのは、入社2年目の丸紅時代の出来事です。鉄鋼原料を海外から輸入し、日本の製鉄メーカーに納めるのが仕事でした。</p><p>ある日、ある製鉄会社から、「納入された商品が見た目も悪く不良品だ。受け取りを拒否するから船ごと持って帰れ」と連絡がありました。上司が不在だったため、入社2年目の私が一人で新幹線に乗って製鉄所に向かいました。</p><p>現場に着くと、製鉄所の作業員の方々に囲まれ、「なんちゅうもんをよこすんじゃ！すぐにこの船を離せ！」と怒鳴られました。当時、船を一度離すと莫大なコストがかかるため、私のミッションはとにかく荷物を降ろしてもらうことでした。</p><p><strong>── 2年目の社員には、あまりに重いミッションですね。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　船に降りて、スーツを泥まみれにしながら商品を見ました。私は入社以来、現場に行くのが好きで、自分が扱う商品をよく見ていたんです。だから、たしかに見た目は悪かったけれど、「これはおそらく大丈夫だ」と直感しました。</p><p>「見た目は悪いですが、大丈夫です。私が責任を取ります。もし不良品だったら丸紅がすべて責任を持ちますから、降ろしてください」とお願いしましたが、その日は聞いてもらえませんでした。</p><p>しかし、翌日も粘り、結果的に降ろしてもらうことができました。そして、品質は問題なかったのです。</p><p><strong>── なぜ、そこまで強く出られたのでしょうか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　やはり、現場を見ていたからです。「現場・現物・現実」の三現主義がどれだけ大事か、このとき痛感しました。商社は東京の本社でモノを動かせますが、自分が扱う商品そのものを知らなければならない。</p><p>また、本社が決めた契約の理屈だけでは現場は動かない。現場の方々がどういう論理で、どういう気持ちで動いているかを理解しなければ、商売はできない。これが私の強烈な原体験になっています。今でも工場見学が趣味なくらい、現場が好きですね。</p><p><strong>── もう一つ、修羅場体験をあげるとすれば何でしょうか？</strong></p><p><strong>中塚</strong>　GE時代にJALが倒産したときです。GEはJALにエンジンを納入しており、複雑な取引をしていたため、約300億円もの債権がヘアカット（減額）の危機に瀕しました。当時、私は日本の責任者でしたから、本社からも厳しく言われ、本当に大変でした。</p><p>当時は民主党政権下で、企業再生支援機構という組織がJALの再建を担っていましたが、非常に分かりにくかった。その中で、いかに債権を確保するかが私のミッションでした。</p><p>結果的には、債権を全額確保しただけでなく、新しいディールを組み込み、新規の商売と債権確保を同時に実現できたのです。解雇も覚悟していましたが、最終的には社長表彰を受けました。</p><p><strong>── 大逆転ですね。何が成功のカギだったのですか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　私を助けてくれたのは、お客さまであるJALの方々でした。本来、債権放棄をすればJALは身軽になるはずなのに、GEとの関係を維持することが大事だと考え、便宜を図ってくれたのです。</p><p>先ほどのNKKの話でも、後から聞いたのですが、厳しい作業員さんの中に「あの若造は頑張ってるんだから、聞いてやろうや」と言ってくれた人がいたそうです。修羅場では、必ず誰かが助けてくれる。人の関係がすごく大事だと学びました。私のポリシーは、修羅場のときこそ笑うことです。人間、切羽詰まったら笑うしかない。明るくいることが大事だと考えています。</p><h2 id="toc_h2-4">日本の中で勝つことがとても大事</h2><p><strong>── これからの日本経済や業界の変化をどう見ていますか。また、それを見据えてどう対応しようと考えていますか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　ここ1、2年の大きな変化は、やはり地政学リスクです。当社の海外比率は18%ほどですが、アメリカや中国の影響は受けます。経済面や財務面だけを見て経営の意思決定はできなくなり、地政学に対する感度を高め、グローバルで何が起こるかを常に見ておかなければなりません。</p><p>その中で大事なのは、サプライチェーンです。かつてはグローバルにサプライチェーンを築いてもリスクは少なかったですが、今は違います。日本国内で完結できる仕組みをつくることが重要で、日本回帰の流れは起こると思います。</p><p>日本は低成長で人口も減ると言われますが、それでも「日本の中で勝つ」ことが、昔よりもすごく大事になっています。リスクの少ないサプライチェーンを組み上げ、日本の中で勝つ。</p><p>一方で、ベトナムの製缶事業が好調なように、海外に軸足を求めることも同時に考えます。地政学リスクを考慮したうえで、さまざまな意思決定を行わなければならない時代です。</p><p><strong>── 海外でのマネジメントにおいて、特に意識されていることはありますか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　本質は国内と変わりませんが、相手をリスペクトすることは非常に大事です。国の文化や価値観を認め、自分の価値観を押し付けないこと。</p><p>そして、日本のリーダーとグローバルリーダーの決定的な違いは、結果を出すことです。なんだかんだ言っても、結果責任を問われます。「Say-Doレシオ」、つまり言ったことを実行する比率が非常に重要です。簡単すぎず、かつ無謀すぎない、適度にストレッチした目標（Say）を掲げ、それを必ず実行（Do）する。これがグローバル企業では強く求められます。</p><p><strong>── 日本の組織では、その点はまだ弱いと感じますか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　すごく感じますね。日本では「経営企画部が悪い」などと組織のせいにしますが、グローバル企業では「テリーがどうだ」「メアリーがどうだ」と個人名で語られます。個人の貢献度が問われる個人勝負の世界です。</p><h2 id="toc_h2-5">ホワイト企業でなければ生き残れない</h2><p><strong>── 次の10年に向けた経営者としてのビジョンを教えてください。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　確実に成長する会社でありたいですね。売り上げも利益も、継続的にきちんと成長する。それがメーカーとしてのあるべき姿だと思っています。素材という地味な業界では、劇的なジャンプは難しいかもしれませんが、着実にいい仕事をして成長させることが大事です。</p><p>そしてもう一つ、これからの時代は「ホワイト企業でなければ生き残れない」と思っています。</p><p><strong>── それはなぜでしょうか？</strong></p><p><strong>中塚</strong>　人の確保が非常に難しくなっているからです。特に若い人たちにとって、AIなど華やかに見える業界がたくさんある中で、夜勤もある「ものづくり」の工場に来てもらうのは簡単ではありません。魅力ある職場でなければ、社員は来てくれないし、定着もしません。</p><p><strong>── 社長が考える「ホワイト企業」の定義とは何でしょうか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　仕事が楽で給料が高いことではありません。私が思うホワイト企業の条件は二つです。一つは「成長できること」。この会社にいれば、できなかったことができるようになり、自分の成長を感じられる職場であること。</p><p>もう一つは「いい仲間がいること」。この人たちと一緒に仕事をしたい、人生を過ごしたいと思える仲間がいること。この二つがホワイトの条件だと考えています。</p><p><strong>── そのような環境をどうやってつくりますか。</strong></p><p><strong>中塚</strong>　社員が生き生きと、ワクワクしながら仕事をしていることが一番です。私はよその会社を訪問したとき、受付から会議室まで歩く間の雰囲気で、その会社がだいたい分かります。すれ違う社員のあいさつや目の輝き、清掃が行き届いているか。</p><p>「この会社は社員が生き生きと働いているな」「感じがいいな」と思われる会社にしたい。それが私の目指す姿です。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>中塚晃章（なかつか　てるあき）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.hd.altemira.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">アルテミラ・ホールディングス株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>社代表取締役社長兼CEO</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3349" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 商社、コンサル、外資系メーカー、そして日系メーカーのトップへ。多彩なキャリアを歩んできた中塚晃章氏は、2022年、新たな挑戦の舞台に立った。昭和電工（現レゾナック）と三菱マテリアル、成り立ちも文化も異なるアルミニウム事業を統合し、総合アルミニウムグループ「アルテミラ」を率いる。 プライベート・エクイティ・ファンド主導[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>目指すは世界を震撼させるエンタメ企業。ーギークピクチュアズが描く100年後の未来</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3348</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/MbhSOXBnmMxLIryKIvAamtleEcDPQucq/3eaea083-afe8-4ac1-8003-3d7e806e0570.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/MbhSOXBnmMxLIryKIvAamtleEcDPQucq/3eaea083-afe8-4ac1-8003-3d7e806e0570.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/MbhSOXBnmMxLIryKIvAamtleEcDPQucq/3eaea083-afe8-4ac1-8003-3d7e806e0570.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/MbhSOXBnmMxLIryKIvAamtleEcDPQucq/3eaea083-afe8-4ac1-8003-3d7e806e0570.jpg 512w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/MbhSOXBnmMxLIryKIvAamtleEcDPQucq/3eaea083-afe8-4ac1-8003-3d7e806e0570.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="ギークピクチュアズ"></div><p>TVCMを中心とした映像制作において、圧倒的なクオリティと守備範囲の広さで異彩を放つ株式会社ギークピクチュアズ。2027年には創業から20年を迎える。TVCM制作にとどまらず、映画、アニメ、イベント、そして自社IPの開発まで、エンターテインメントのあらゆる領域を横断する同社は、いかにして急成長を遂げたのか。</p><p>その背景には、クリエイティブの世界にロジックと経営視点を持ち込んだ、緻密な戦略があった。</p><p>「自分が生きている間に完成する会社など、大したことはない」。そう語るのは、代表取締役の小佐野保氏。かつての常識を打ち破り、ディズニーのような「100年続く世界ブランド」を目指す同社の、知られざる事業戦略と未来へのビジョンに迫った。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">小佐野保（こさの　たもつ）── 代表取締役CEO</div>      <div class="description">株式会社ギークピクチュアズ代表取締役CEO。2007年に株式会社ギークピクチュアズを設立し、数多くのTVCM・映画・アニメ・ドラマ等の制作、IPやアート、webtoonの企画開発に携わる。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">株式会社ギークピクチュアズ</div>      <div class="description">株式会社ギークピクチュアズは2007年創業。TVCM、映画、アニメ、MV、LIVE/舞台などの映像制作に加え、IPやアート、webtoonの企画開発まで幅広い事業を展開。近年では、国内だけでなくアジア・インドをはじめとした海外映画の配給やアート作品の輸出入など、海外での事業展開も本格的に進めている。<br>企業サイト：<a href="https://geekpictures.co.jp/jp/" target="_blank" rel="noopener">https://geekpictures.co.jp/jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;tvcm-&#34;)">TVCMからエンタメ全体へ。業界の常識を覆した創業の原点</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;-ip-&#34;)">グループ統合と自社IP戦略への転換</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">「感覚」に頼らず、「ロジック」で最高品質を生み出す</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">世界を震撼させるブランドづくりは一代ではできない</a></li></ol></div><h2 id="tvcm-">TVCMからエンタメ全体へ。業界の常識を覆した創業の原点</h2><p><strong>── 映像制作を中心に多岐にわたる事業を展開していると思いますが、まずはこれまでの事業の変遷について教えてください。</strong></p><p><strong>小佐野氏（以下、敬称略）</strong>　もともと私は、大手映像制作会社に15年ほど在籍していました。当時の日本においては、今よりもTVCMがコンテンツの中心にあり、映画よりも最先端の機材や技術に触れる機会が多い環境でした。</p><p>そこでプロデューサーとして多くの経験を積ませていただいたのですが、次第に「このノウハウをTVCMだけでなく、エンターテインメント全体に活かしたい」と考えるようになったのがきっかけです。</p><p>ただ、20年以上前の業界には、高い参入障壁がありました。広告、映画、音楽、テレビと、同じエンターテイメントコンテンツでありながら、それぞれの手法や文化はまったくの別物とされていたのです。</p><p>当然、会社の中でも領域を広げることへの理解を得るのは難しかった。それならば、TVCM以外にもエンターテインメント全般に携われる新しい場所を自分で作ろうと考え、ギークピクチュアズを立ち上げました。</p><p><strong>── 業界の垣根が高かった時代に、それを取り払おうとしたと。創業後は順調に事業を拡大できたのでしょうか？</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　いえ、最初は苦労の連続でした。特にキャッシュフローと人材確保です。創業当初は4人でスタートしましたが、私たちが受ける仕事は数億単位の予算が動くTVCMが中心です。できたばかりの会社がそれだけのキャッシュを用意し、年間何本も動くプロジェクトを回すための優秀な人材を集めることには、本当に骨を折りました。</p><p>その後、映画制作を手がける「ギークサイト」やアニメ制作を担う「ギークトイズ」、CG・VFXや美術制作会社をM&Aでグループに加えると同時に、新規事業専門の部署を設立するなどし、徐々に関わる領域を拡大してきたのが、これまでの歩みです。</p><h2 id="-ip-">グループ統合と自社IP戦略への転換</h2><p><strong>── 最近、グループ会社を吸収合併したそうですが、この組織再編にはどのような狙いがあったのですか。</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　現代のエンターテインメント制作において、単に「作る人」を集めるだけでは不十分だからです。大規模なプロジェクトになればなるほど、ガバナンス、法務、契約管理といったマネジメント機能が重要になります。特にAIの台頭などにより権利関係が複雑化する中で、これらを統合的にコントロールできなければ、戦っていけない時代になりました。</p><p>グループ会社を一つにまとめることで、キャッシュフローの透明化、人材の流動性確保、そして法務・契約面でのリスク管理を一元化する。これが最大の狙いです。</p><p><strong>── 攻めと守りの両面を強化されたわけですね。事業モデルの面で変化はありますか。</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　はい。これまではクライアントの依頼を受けて制作するOEMが中心でしたが、現在は自社IPの開発にも力を入れています。自分たちで資金を投じてコンテンツを作り、そのライセンスを運用してマネタイズする。</p><div class="media">  <img src="https://admin.zuuonline.com/media/image/332255" width="422" height="202" loading="lazy" alt="ギークグループ"></div><p>現在のギークグループは、</p><p>①リサーチ&デベロップメント（企画・原作開発）<br>②クラフト（制作）<br>③バリュー（価値化・収益化）<br>④リインベストメント（再投資）</p><p>という4つの機能を循環させるモデルへと進化しています。</p><p><strong>── 自社で権利を持つことで、収益構造も大きく変わりますね。</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　自分たちが生み出したものの付加価値を、自分たちでコントロールしたいのです。OEMだけでは、どうしても既存の枠組みの中に留まってしまう。リスクをとってでも自社IPを持つことで、アジア、そして世界へ打って出るチャンスが広がります。</p><h2 id="toc_h2-3">「感覚」に頼らず、「ロジック」で最高品質を生み出す</h2><p><strong>── 事業が拡大すると、制作物のクオリティ維持が課題になります。特にクリエイティブな領域では属人化しやすい印象がありますが、どのように品質を担保していますか？</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　おっしゃる通り、「個人のセンス」や「情熱」は大事です。しかし、それでは継続的な成長は望めません。そこで私たちは、制作工程に明確な基準とロジックを持ち込むことにしました。</p><p>具体的には、独自のデータサイエンス基盤の開発を進めており、ノウハウやスキルを分析・集約して社内共有しようとしています。今後はこのシステムの完成により、制作の土台となるスタッフィングやコスト管理は、全社員が一定のノウハウの基準をクリアできるようになります。</p><p><strong>── AI技術の進化についても聞かせてください。クリエイティブ業界への影響をどう見ていますか。</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　AIは強力なツールです。先ほど言及したデータサイエンス基盤と組み合わせて、制作工程管理の効率化において積極的に社内活用しています。しかし、AIが生成した画像や映像をそのまま世に出したり、クリエイティブに活用することはありません。</p><h2 id="toc_h2-4">世界を震撼させるブランドづくりは一代ではできない</h2><p><strong>── AIの活用やIP事業への転換など、先を見据えた手を打たれていますが、ギークピクチュアズの完成をどこに定めていますか。</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　私が経営者の間に会社が完成することはないと思っています。目指すべき比較対象としてよくディズニーを挙げるのですが、ウォルト・ディズニー・カンパニーは2023年に創立100周年を迎えました。その歴史と比べれば、私たちはまだ始まったばかりです。</p><p>世界を震撼させるようなブランドになるには、一代では足りません。だからこそ、私の役割は会社が進むべき方向性のみを明確に示すことだと考えています。「間違った方向には行くなよ、こっちを目指すんだ」という道標を残し、次の世代にバトンを渡す。私が関与できるのはそこまでです。</p><p><strong>── 自身がいなくなった後のことまで見据えていると。</strong></p><p><strong>小佐野</strong>　人生の時間は思っている以上に短いです。いつか終わりが来ることを意識すると、今日明日のことだけでなく、50年後、100年後にどうあるべきかが見えてきます。今、自分が正しいと信じ、やるべきだと感じることに全力を注ぐ。その積み重ねが、やがて未来の大きな成果につながると信じています。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>小佐野保（こさの　たもつ）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://geekpictures.co.jp/jp/" target="_blank" rel="noopener">株式会社ギークピクチュアズ</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役CEO</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3348" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ TVCMを中心とした映像制作において、圧倒的なクオリティと守備範囲の広さで異彩を放つ株式会社ギークピクチュアズ。2027年には創業から20年を迎える。TVCM制作にとどまらず、映画、アニメ、イベント、そして自社IPの開発まで、エンターテインメントのあらゆる領域を横断する同社は、いかにして急成長を遂げたのか。 その背景[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>シェア80％の座にあぐらをかかない。元三菱ケミカルのプロ経営者が挑む「日本精蝋」再成長への道筋</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3346</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<div class="media">  <img alt="日本精蝋株式会社" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/GzoRiKGSIWZghdCpAUsKRSaxCfihGoNL/37ae299a-7441-4a5c-b3ca-f7b81a13c280.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/GzoRiKGSIWZghdCpAUsKRSaxCfihGoNL/37ae299a-7441-4a5c-b3ca-f7b81a13c280.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/GzoRiKGSIWZghdCpAUsKRSaxCfihGoNL/37ae299a-7441-4a5c-b3ca-f7b81a13c280.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/GzoRiKGSIWZghdCpAUsKRSaxCfihGoNL/37ae299a-7441-4a5c-b3ca-f7b81a13c280.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/GzoRiKGSIWZghdCpAUsKRSaxCfihGoNL/37ae299a-7441-4a5c-b3ca-f7b81a13c280.jpg" width="600" height="400" loading="lazy"></div><p>国内ワックス市場で約80％という圧倒的なシェアを誇る日本精蝋。創業からまもなく100年を迎えようとするこの老舗企業は今、大きな変革のときを迎えている。</p><p>かつて三菱ケミカルで先端素材の指揮を執った瀧本丈平氏が社長に就任してから約1年半。外部から招かれた「プロ経営者」の目には、伝統ある独占企業の姿はどのように映ったのか。そして、脱炭素や原油事情の変化という荒波の中で、どのようなかじ取りを行おうとしているのだろうか──。</p><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">瀧本丈平（たきもと　じょうへい）── 代表取締役社長</div>      <div class="description">1961年、兵庫県生まれ。1984年、東京大学を卒業後、三菱化成（現・三菱ケミカルグループ）に入社し、法務・秘書業務を経て石油化学の事業企画に携わる。以降、化成品、樹脂、フィルム、エレクトロニクスケミカル、複合材、水処理、食品関連など幅広い領域で事業責任者を歴任。2023年に同グループを退社し、2024年日本精蝋に入社。同年7月より代表取締役社長に就任。素材・化学分野で培った豊富な事業経験をもとに、同社の成長と価値創出をけん引している。</div>  </div></div><div class="name-box">  <div class="inner">    <div class="name">日本精蝋株式会社</div>      <div class="description">2029年に創業100周年を迎えるワックス専業メーカー。石油精製メーカーから調達した原料をもとに、分離・精製・化学反応・配合までを自社で行い、用途や性能要求に応じた高付加価値ワックスを開発・製造している。タイヤ、トナー、蝋燭、接着剤、化粧品など幅広い産業分野で採用され、長年にわたり信頼を築いてきた。スペシャリティ・ワックスのグローバルリーダーとして、技術力を基盤に新たな価値創出に挑み続けている。<br>企業サイト：<a href="https://www.seiro.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.seiro.co.jp/</a></div>  </div></div><script type="text/javascript">function tocScroll(pid){  var targetElem = document.getElementById(pid);  targetElem && window.scrollTo( 0, targetElem.offsetTop);}</script><div class="article-index"><div class="article-index-heading"><h2 class="name">目次</h2></div><ol class="article-index-body"><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-1&#34;)">大手が撤退した「残り物」を磨き上げてつかんだ独占的地位</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-2&#34;)">「覚悟と自信の不足」こそが最大の危機だった</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-3&#34;)">「ライスワックス」に見出す高付加価値戦略</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-4&#34;)">財務体質の劇的改善とこれからの投資戦略</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-5&#34;)">社員が自信を取り戻した「対話」と「実績」</a></li><li class="item"><a class="title -lv1" onClick="tocScroll(&#34;toc_h2-6&#34;)">新炭素社会での存在意義</a></li></ol></div><h2 id="toc_h2-1">大手が撤退した「残り物」を磨き上げてつかんだ独占的地位</h2><p><strong>── 国内シェア80％という数字が示す通り、圧倒的な存在感がありますが、なぜこれほど長く独占的な地位を維持できたと分析していますか？</strong></p><p><strong>瀧本氏（以下、敬称略）</strong>　もともとワックスという製品は、大きな石油精製メーカーが原油からガソリンなどを分けるときに出てくる副産物でした。かつては石油メーカー自身が副産物として販売していました。</p><p>私たちは、そうした石油精製メーカーから、まだワックスになりきっていない原料を買ってきて、そこからきれいにワックスを取り出すことを専業としています。石油メーカーからすれば、自分たちが扱う膨大なエネルギー製品に比べると、ワックスは量が2桁も3桁も違うニッチな商売です。</p><p>しかも、「これができたから買ってください」という商売ではなく、顧客の細かい要望にあわせて作り込む必要があるため、量のわりにかなりの手間がかかります。</p><p>その手間を嫌った石油メーカーが少しずつ撤退していき、私たちがその商売を引き継ぐ形で残ってきました。原料からつながる最川上に位置しながら、ワックスを取り出す技術を磨き続けてきたこと。これが、国内ナンバーワン企業として生き残ってこられた理由だと考えています。</p><h2 id="toc_h2-2">「覚悟と自信の不足」こそが最大の危機だった</h2><p><strong>── 前職の三菱ケミカルのような巨大組織と比較して、日本精蝋ならではの課題や、カルチャーショックを感じた部分はありましたか。</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　やはり人の数が少ないため、どこかの部署でキーパーソンが働けなくなると、組織全体に大きな影響が出てしまう点は大きな違いです。</p><p>前職では人材の層が厚く、代わりはいくらでもいましたが、ここでは「個」の存在が強みでもあり、同時にリスクにもなっています。</p><p>また、専業メーカーであるため、ワックスという一つの製品がダメになれば会社そのものが立ち行かなくなります。三菱ケミカルのようにポートフォリオが分散されていれば、何かがダメになっても他でカバーできますが、私たちにはその逃げ場がありません。</p><p>したがって、今いるメンバーの一人一人が、逃げずに必死に頑張っていくしかないのですが、その覚悟と、そうすれば必ず勝てると言う自信が社員にあったか、入社当初はあまり感じられなかったかも知れません。</p><p><strong>── そうした環境の中で、どのような勝ち筋を描いてきましたか？</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　グローバル競争において、私たちのような古い業界の日本企業が「コスト」で戦うことは不可能です。日本の市場は小さく量で勝負できませんし、原料も持っておらず、労務費も決して安くはありません。</p><p>コストで勝てない以上、人（他社）と違うことをやるしかありません。製品のクオリティはもちろん、仕事のやり方全般において独自性を出すことです。ただ、何か新しいことを始めてうまくいっても、すぐに競合他社がまねをしてきます。同じことを続けていれば、すぐにその他大勢の中に埋没してしまいます。</p><p>ですから、毎日毎日、少しずつでも「違うこと」をし続けなければなりません。昨日より今日、今日より明日と、変化し続けることだけが、私たちが戦う唯一の方法だと考えています。</p><h2 id="toc_h2-3">「ライスワックス」に見出す高付加価値戦略</h2><p><strong>── 変化という点では、中期経営計画で「ライスワックス」（米ぬかろう）を柱の一つに掲げていますが、化学メーカーがバイオマスに取り組むというと、CSR（企業の社会的責任）的な側面が強いようにも見えます。収益の柱としての勝算はどう見ていますか。</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　確実に事業の太い柱になると手ごたえを感じています。ワックス市場全体で見ると、石油などの鉱物由来と植物由来が半々くらい存在します。私たちはこれまで鉱物由来を専業としてきましたが、この植物由来の分野を太くする必要があります。</p><p>ライスワックスは、既存の米油メーカーなどが副産物として扱っているケースも多いのですが、私たちは「ワックスのプロ」です。ワックス特有の扱いのコツや技術的知見においては、一日の長があります。私たちが本格的に参入することで、既存のライスワックス市場だけでなく、他の植物由来ワックスのシェアも獲得できると考えています。</p><p><strong>── 単なる代替品やエコ活動ではなく、技術力を活かした「攻め」の商材というわけですね。原料調達の面では、農家や精米所との連携などサプライチェーンの構築が難しそうなイメージがあります。</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　現状のマーケット規模であれば、調達に大きな障害はありません。米の生産量は膨大であり、そこから出る米ぬかも大量に存在します。私たちが目論見通り大成功して需要が爆発的に増えれば、次の調達先を考える必要がありますが、当面は原料は十分に手に入る環境です。</p><h2 id="toc_h2-4">財務体質の劇的改善とこれからの投資戦略</h2><p><strong>── 中期経営計画で掲げている「ROE（自己資本利益率）10%」は、現状からするとチャレンジングな目標に見えます。達成に向けた具体的なドライバーは何ですか。</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　大きく三つの要素があります。一つ目は先ほどお話ししたライスワックスを含む新製品群による利益率の向上です。新しい製品を出し続けることでしか、高い利益率は維持できません。</p><p>二つ目は海外展開です。国内シェアはすでに極めて高いため、これ以上の成長余地は限定的です。一方で海外市場は手つかずの状態に近く、私たちが日本で培った用途開発の提案を持って行くことで、高く評価して頂けると思っています。マーケットのポテンシャルは巨大であり、ここを攻めることで分子を大きくします。</p><p>三つ目はコスト構造の改革です。山口県周南市にある徳山工場は、当社のメイン工場ですが、設備の老朽化が進んでいます。これらをスクラップ・アンド・ビルドで刷新し、更に高品質の製品を生産することを可能にするとともに、省力化やエネルギー効率の改善を進めることで、コストダウンも図ります。</p><p><strong>── 設備投資には多額の資金が必要になります。資本政策について、M&Aやパートナー戦略なども含めてどのように考えていますか。</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　財務面に関しては、かなり盤石になってきました。数年前に経営が厳しくなった際、JIS（ジャパン・インダストリアル・ソリューションズ）から30億円の資本性劣後ローンを借りました。これは自己資本が薄くなったことへの対応でしたが、この10月ですでに半分の15億円を返済しています。残りの15億円も近いうちに返済できる見込みです。</p><p>この2年間でそれだけのキャッシュを生み出せたという事実が、私たちの収益力を証明しています。市況の追い風だけでなく、構造的に利益が出る体質に変わってきました。ですので、新たな投資のために無理なファイナンスをする必要はなく、資本政策について過度な心配はしていません。</p><h2 id="toc_h2-5">社員が自信を取り戻した「対話」と「実績」</h2><p><strong>── 構造改革を進める中で、現場の社員の意識を変えることに苦労する経営者は多いです。組織内のコミュニケーションを円滑にするために、どのような取り組みを？</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　就任前から全社員に向けて「気づいたこと」を話し、その後も就任100日目や決算のたびに、全社員200人強と直接対話する機会を設けてきました。徳山工場にも頻繁に足を運んでいます。</p><p>ただ、私の努力以上に大きかったのは、会社が一度存亡の危機を経験したことです。「今までのままではダメだ」という意識は、私が言うまでもなく社員の中にありました。</p><p>その上で、実際に改革を進めて黒字化し、給料などの待遇も少しずつ改善してきた。社員たちが「あ、こうやって変えていけば、なんとかなるんだ」と体感できたことが大きいです。</p><p>社外取締役の方からも「会社が明るくなった」と言われます。成功体験が自信を生み、さらに前向きな変化を受け入れる好循環が生まれています。</p><h2 id="toc_h2-6">新炭素社会での存在意義</h2><p><strong>── たとえば10年後、日本精蝋をどのような会社にしていたいですか。</strong></p><p><strong>瀧本</strong>　10年経っても変わってはいけないのは、「日本精蝋は高品質な製品を安定して届けてくれる会社だ」という評価です。これは私たちのDNAであり、絶対に守るべきものです。</p><p>その上で、高付加価値な製品を生み出し続ける会社でありたい。今日の高付加価値製品は、明日には汎用品になります。常に新しいものを生み出し続けることでしか、ブランドは維持できません。</p><p>ワックスは炭化水素でできています。世の中では「脱炭素」と言われますが、炭素そのものが不要になるわけではありません。人類社会にとって炭素源は必須であり、それが石油から植物や空気中のCO2などに置き換わるだけの話です。どのような炭素源の時代になっても、ワックスという素材はなくなりません。</p><p>新しい炭素社会の中で、ワックスを自在に操れる技術を持った会社は、世界でもそう多くはありません。私たちの存在価値は、これからますます高まるはずです。私たちは胸を張って「ワックスのグローバルリーダー」だと言える、そんな存在感のある企業を目指します。</p><dl>    <dt>氏名</dt>     <dd>瀧本丈平（たきもと　じょうへい）</dd>    <dt>社名</dt>     <dd><a href="https://www.seiro.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">日本精蝋株式会社</a></dd>    <dt>役職</dt>     <dd>代表取締役社長</dd>   </dl>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3346" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ 国内ワックス市場で約80％という圧倒的なシェアを誇る日本精蝋。創業からまもなく100年を迎えようとするこの老舗企業は今、大きな変革のときを迎えている。 かつて三菱ケミカルで先端素材の指揮を執った瀧本丈平氏が社長に就任してから約1年半。外部から招かれた「プロ経営者」の目には、伝統ある独占企業の姿はどのように映ったのか。[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
  </entry>
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    <title>波の力で海を電源化する 未利用エネルギーの将来性</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3331</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>四方を海に囲まれた日本で、膨大なポテンシャルを秘める海洋エネルギー。波の力に着目し、独自の浮体式波力発電の実用化を目指すスタートアップがある。巨大化する洋上風力とは異なるアプローチで、漁業との共生など、波力発電が切り拓く新たな経済圏の可能性について、起業家の挑戦を追った。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">中山繁生　Ｙｅｌｌｏｗ Ｄｕｃｋのプロフィール</h2><div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/jtdXTVfmxcYDpGDtIxTkxHmZPGHXehec/9cccc217-71df-440a-ad7d-770217d957a6.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/jtdXTVfmxcYDpGDtIxTkxHmZPGHXehec/9cccc217-71df-440a-ad7d-770217d957a6.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/jtdXTVfmxcYDpGDtIxTkxHmZPGHXehec/9cccc217-71df-440a-ad7d-770217d957a6.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/jtdXTVfmxcYDpGDtIxTkxHmZPGHXehec/9cccc217-71df-440a-ad7d-770217d957a6.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/jtdXTVfmxcYDpGDtIxTkxHmZPGHXehec/9cccc217-71df-440a-ad7d-770217d957a6.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="中山繁生・Ｙｅｌｌｏｗ Ｄｕｃｋ"><div class="caption">Ｙｅｌｌｏｗ Ｄｕｃｋ ＣＥＯ　中山繁生<br>なかやま・しげお　兵庫県出身。前職は行政書士。東日本大震災後の太陽光開発による環境破壊を機に、未利用エネルギーを独学で研究。独自の浮体式波力発電技術で2022年にＮＥＤＯ賞を受賞し、23年にＹｅｌｌｏｗ Ｄｕｃｋ（イエローダック）を設立。</div></div><h2 id="-">独自の浮体式技術で挑む 巨大エネルギー市場の開拓</h2><p>――　まずは、イエローダックの事業について教えてください。</p><p>中山　私たちは、「海を電源化する」という目標を掲げ、波力発電装置を開発しています。太陽光や風力と違い、波力発電はまだ決定的なプロダクトがなく、世界各国で最適な形を模索している黎明期です。当社も海外技術を検証し、日本の海に最適な形での実用化を進めています。</p><p>――　中山さんは元々、波力発電の専門家だったのでしょうか。</p><p>中山　いえ、前職は遺言書作成などを扱う行政書士でした。転機は東日本大震災です。国が再生可能エネルギーへと舵を切り、私の地元の山でもメガソーラーの開発が進みました。しかし、山を切り拓いて地肌が剥き出しになる光景を見て、「環境を破壊してエネルギーを作るのは本当に正しいのか」と疑問を抱きました。そこから、環境に負荷をかけない未利用エネルギーを独自に探し始めました。その過程で、常に揺れ続けている「波」という巨大なエネルギーに気付き、島国日本こそ取り組むべき事業だと確信したのです。</p><p>――　波力発電事業に参入している大手企業は少ない印象です。なぜ参入しないのでしょうか。</p><p>中山　過去の研究で「波力は海特有の過酷な環境によりコストが合わない」と見切りをつけられたのが1つ。海にインフラを築くには50年に一度の大波にも耐えうる性能が求められ、設備がオーバースペックになり導入コストが跳ね上がります。また、年間８センチも付着する海洋生物を取り除くメンテナンスコストも膨大です。さらに大きな理由は、国の方針が洋上風力に集中しており、大手企業でも波力への予算が付きにくい環境があるからです。</p><p>――　風力と比較して、波力にはどのような技術的優位性があるのでしょうか。</p><p>中山　洋上風力は、陸で成功した巨大な風車を、不安定な海に固定し、波風による揺れを厳密に抑え込まなければなりません。一方、私たちの波力発電はそもそも揺れることが前提です。自然の力を生かして利用するため、構造への負荷が少なく、コスト競争力を持たせやすい。洋上風力が事業採算性の壁に直面した際、海の再エネの選択肢がゼロになるリスクを回避するためにも、波力という代替手段は必要不可欠だと考えています。</p><h2 id="-">養殖の自動化から安全保障まで広がるマネタイズの道</h2><p>――　中山さんたちが開発を進めている発電機はどのようなものですか。</p><p>中山　ドーナツ型をした発電機の開発を進めています。</p><p>　そもそも波力発電の仕組みは、海面に浮かぶ発電機から海中に重りを垂らした構造になっています。波の力で重りを上下に連動させ、絶え間なく発電機を回し続けます。従来は上下動のみを利用していましたが、われわれが開発を進める発電機は上下動だけでなく、波による傾きも含め、発電機が動きさえすれば重りが連動し、無駄なく発電できるのが最大の特徴です。また、洋上風力のように海底に固定する構造が不要なため、海岸から少し離れると急激に水深が深くなる日本の地形に極めて適しています。</p><p>――　海上にどのくらいの規模の発電所を造る構想ですか。</p><p>中山　最終的には、２キロ四方の海域に１万台を並べて原発１基分に相当する大規模な発電所を造るポテンシャルがあります。ただ初期段階からそこは狙わず、まずは地元の海に小規模に配置し、地域で使う電力を地域で作る分散型の地産地消モデルから展開し、着実に実績と収益を積み上げていきます。</p><p>――　海を利用する上で、地元の漁業者との利害調整はどのように行いますか。</p><p>中山　そこが最大の強みです。当社の発電機は直径10メートルから20メートル程度とコンパクトで、漁船で曳船できます。気候変動による漁獲量減少で困窮する地元の漁師さんに、発電機の移動やメンテナンス業務を委託することで、彼らに新たな収入源を提供する「協業モデル」を構築します。</p><p>――　波力発電の電力を、漁業そのものに活用する構想もあると伺いました。</p><p>中山　沖合養殖への電力供給です。現在、海水温の上昇によって湾内での養殖が困難になり、沖合へ生け簀を移動させる必要性に迫られています。しかし沖合は波が荒く、頻繁に船を出して餌やりや管理を行うのは多大な燃料代と労力がかかります。そこで生け簀に波力発電を併設して、ＡＩによる自動給餌や遠隔監視を導入すれば、陸上からの完全リモート管理が可能になります。波力発電は、スマート漁業を実現するための必須インフラになる需要を秘めています。</p><p>――　他にも海上の電力需要を満たす用途はありますか。</p><p>中山　安全保障やデータ観測の領域で大きなビジネスチャンスがあります。現在、海上に浮かぶブイは太陽光パネルですが、塩の付着による発電力低下や頻繁なバッテリー交換がネックになっています。</p><p>　他社と進めている構想ですが、波力と海中ソナー技術を組み合わせれば、メンテナンスフリーで半永久的に海を監視し続けるブイが完成します。不審船の接近や魚群の動きなどをリアルタイムで把握できるようになり、防衛から気象データ販売まで多様なマネタイズが可能です。</p><p>――　実用化の目標時期と、そこへ向けた現在の課題を教えてください。</p><p>中山　２０３０年になる前には初期プロダクトの販売を開始し、そこから得たデータをもとに30年代中頃には大規模展開へ移行します。越えるべき壁は３つあります。１つ目は国の規制です。</p><p>　現在のエネルギー基本計画には波力発電の記載がないため、まずは国に働きかけて計画に明記させ、法整備を促す必要があります。２つ目は実証実験の環境です。日本では実験海域の許可を取るだけで１年近くかかり、開発の足枷です。そして３つ目が、マイナー領域ゆえの資金調達です。ここを突破するために、出資パートナーを強く求めています。</p><p>――　中山さんは、波力発電が普及した先の未来の景色をどう描いていますか。</p><p>中山　人類の活動領域が海へ広がる未来です。これまで海は漁業や航路といった通過点でしたが、海上に安定した自立電源があれば、長期居住や、海上農業が可能になり、新たな経済圏が生まれます。</p><p>　社名のイエローダックは、海上の安全を示す黄色とクリーンな電気の象徴です。黄色い発電機が日本の海に浮かび、新しい海のインフラを目指します。</p>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3331" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[四方を海に囲まれた日本で、膨大なポテンシャルを秘める海洋エネルギー。波の力に着目し、独自の浮体式波力発電の実用化を目指すスタートアップがある。巨大化する洋上風力とは異なるアプローチで、漁業との共生など、波力発電が切り拓く新たな経済圏の可能性について、起業家の挑戦を追った。（雑誌『経済界』2026年5月号より） 中山繁生[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>日本の海を巨大油田に変える 浮体式洋上風力</title>
    <updated>2026-04-06T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3330</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>ＡＩ化の進展により電力需要が急増するなか、四方を海に囲まれた日本には膨大な未利用エネルギーが眠っている。その鍵を握るのが「浮体式洋上風力発電」だ。商用化に向けた技術開発を主導する「ＦＬＯＷＲＡ」の寺﨑正勝理事長に、新産業創出の可能性と、国際的な連携枠組みの役割を聞いた。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">寺﨑正勝　浮体式洋上風力技術研究組合のプロフィール</h2><div class="media">  <img width="600" height="400" loading="lazy" alt="寺﨑正勝・FLOWRA" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/zWVmrSiXsqfxEXcMKVOXCCQbMmSjCTVJ/12c1931e-f291-45e5-8365-808019fbc774.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/zWVmrSiXsqfxEXcMKVOXCCQbMmSjCTVJ/12c1931e-f291-45e5-8365-808019fbc774.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/zWVmrSiXsqfxEXcMKVOXCCQbMmSjCTVJ/12c1931e-f291-45e5-8365-808019fbc774.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/zWVmrSiXsqfxEXcMKVOXCCQbMmSjCTVJ/12c1931e-f291-45e5-8365-808019fbc774.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/zWVmrSiXsqfxEXcMKVOXCCQbMmSjCTVJ/12c1931e-f291-45e5-8365-808019fbc774.jpg"><div class="caption">浮体式洋上風力技術研究組合理事長　寺﨑正勝<br>てらさき・まさかつ　1982年九州電力入社。九電みらいエナジー常務を経て2023年ＮＴＴアノードエナジー執行役員に就任。現在は浮体式洋上風力技術研究組合（ＦＬＯＷＲＡ）理事長を務める。再エネ開発の知見を生かし、浮体式洋上風力の商用化と技術標準化を主導する。</div></div><h2 id="-">ライバル企業が結集して共通課題を解決する</h2><p>――　はじめに「ＦＬＯＷＲＡ」の概要と目的を教えてください。</p><p>寺﨑　正式名称は「浮体式洋上風力技術研究組合」です。２０２４年３月に経済産業大臣の認可を受けて設立された非営利組織で、複数の企業が協力して共通の技術開発を行います。26年１月時点で、電力会社、ガス会社、商社など21社が正組合員として参画しています。加え、造船や建設、電線メーカーなど76社が共同研究パートナーとして名を連ねる「オールジャパン」の体制です。個別の企業では負いきれない技術的リスクとコストを業界全体で分担し、浮体式洋上風力の商用化を早い段階で実現することが目的です。</p><p>――　なぜ、日本においてこれほど大規模な組織が必要なのでしょうか。</p><p>寺﨑　カーボンニュートラル実現への期待に加え、日本の電力需要の大きな変化があります。過去の予測では人口減少に比例して需要も下がるとみられていましたが、ＡＩ化の進展に伴うデータセンターの増設などにより、産業用電力を中心に需要想定が反転しました。この膨大な需要を賄うため、日本の排他的経済水域（ＥＥＺ）に眠る未利用エネルギーへの期待が高まっています。しかし日本の海は海岸から離れると急峻な地形となります。水深50メートル程度までなら海底に土台を築く「着床式」が可能ですが、それより深い海域では構造物を浮かべる「浮体式」が不可欠です。水深が２００メートルや３００メートルとなれば、下から基礎を積むのは現実的ではないからです。</p><p>――　他の海洋エネルギーと比較した際の優位性はどこですか。</p><p>寺﨑　水は空気の８００倍の比重があり、波力や潮流発電は仕組みとして大きな出力が期待できますが、設置場所が海岸付近に限定される傾向にあり、景観上の問題や漁業との調整が難題となります。一方、浮体式洋上風力は沖合の風が安定している広い海域を利用できるため、設備利用率が40％から50％と高く、大量の電力を継続して生み出すことが可能です。いわば日本の周りに未利用の油田があるようなものです。</p><h2 id="-">国富循環の創出に向けた国際的な連携枠組み</h2><p>――　日本の製造業にどのような経済効果をもたらしますか。</p><p>寺﨑　設備コストの構造を見ると、風車本体は全体の約４分の１に過ぎません。浮体式の場合、土台となる浮体構造物が約２割を占めます。現状の風車本体は海外メーカーが主流ですが、浮体構造物は造船や金属加工といった日本の強みが直結する領域です。化石燃料を海外から買い続けるのではなく、国内で発電装置を作り、国内産業に資金が循環する構造を構築できます。これは国富を国内に留め、地域振興につなぐための重要な産業政策でもあります。</p><p>――　国際的な連携はどのような枠組みで動いているのでしょうか。</p><p>寺﨑　英国やデンマーク、ノルウェー、フランスなど欧州の主要国と連携協定を結んでいます。なかでも25年秋設立の国際的な研究開発枠組み「Ｔｈｅ Ｍｏｏｎｓｈｏｔ」に期待を寄せています。これは世界各国の技術者や研究者約60人が集い、共同研究を行うプロジェクトです。各国の研究機関や日本海事協会などの認証機関と連携し、技術開発や標準化を進めることが目的です。日本が有する技術のなかで世界のチョークポイントとなり得る特定の技術が国際標準となれば、日本企業が世界中に部品を出荷できるようになります。日本の技術で世界を牽引するため、この枠組みを活用しています。</p><p>――　40年までに15ＧＷという目標の実現性については。</p><p>寺﨑　15ＧＷは原子力発電所15基分に相当する膨大な量です。国はＥＥＺでの設置を可能にする法改正を行うなど、道筋を示しています。われわれは30年代の社会実装から逆算し、設計基準の策定、大量生産技術、大水深での係留技術、ダイナミックケーブル開発、遠洋での風況観測の５テーマに注力して要素技術の開発を進めています。</p><h2 id="-">制度を超えて情にかなう 地域共生の信念</h2><p>――　技術開発以外で、事業推進に困難な要素は何でしょうか。</p><p>寺﨑　地元の方々、特に漁業関係者との信頼関係構築です。海は地元の財産であり生計を立てる人々には死活問題です。制度上の権利を得ても地元の協力なしに事業は継続しません。発電所はできてからがスタートであり、地域との絆が不可欠です。私は「法にかなうのは当たり前、理にかなうのは当然。しかし、最後の段階で『情』にかなわなければならない」という信念を持っています。</p><p>―― 　地域住民との対話ではどのような姿勢を重視していますか。</p><p>寺﨑　法令順守や経済的合理性だけでは不十分で、地元の方々が「来てよかった」と思える心情的な納得を得るための対話と交流が不可欠です。九州電力時代に携わった潮流発電プロジェクトで、当初は訝しまれながらも実証に成功し、最終段階では地域の方々に「１日も長くやってほしい。応援するよ」と言っていただけた経験が支えになっています。</p><p>―― 　困難に挑み続ける寺﨑さんの原動力についてお聞かせください。</p><p>寺﨑　「夢」を持つことです。人間は夢に向かって行動します。「未来をこう変えたい」という強い思いが仕事の原動力です。浮体式洋上風力の社会実装も短期間では成し遂げられません。石に一滴ずつ水を垂らすように努力を続ければ、やがては穴が開くはずです。</p><p>――　今後の展望をお聞かせください。</p><p>寺﨑　次世代に環境と産業を残すため国際連携を生かし、日本を海洋エネルギー大国へ押し上げたいと考えています。ライバル同士が手を携える組織の挑戦は、日本の未来を拓くうねりになると確信しています。</p>]]></content>
    <published>2026-04-06T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3330" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[ＡＩ化の進展により電力需要が急増するなか、四方を海に囲まれた日本には膨大な未利用エネルギーが眠っている。その鍵を握るのが「浮体式洋上風力発電」だ。商用化に向けた技術開発を主導する「ＦＬＯＷＲＡ」の寺﨑正勝理事長に、新産業創出の可能性と、国際的な連携枠組みの役割を聞いた。（雑誌『経済界』2026年5月号より） 寺﨑正勝　[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
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    <title>資金・技術・情報で壁を突破 深海資源と脱炭素社会の実装へ</title>
    <updated>2026-04-03T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3329</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>今年２月、内閣府が進める南鳥島沖で世界初となるレアアース泥採鉱システム接続試験が成功し、日本の海洋開発に脚光が集まる。資源小国において、民間では背負いきれないリスクを担い、エネルギーの安定供給と脱炭素化に挑む独立行政法人が存在する。深海資源から資源外交、人材育成まで、同法人のトップに話を聞いた。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">髙原一郎　独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構のプロフィール</h2><div class="media">  <img alt="髙原一郎・JOGMEC" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/uPANaEqVByUvzCeTIyjYcnvrFVBJERYj/de5975ce-8bef-4111-9e88-b825ac1a28be.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/uPANaEqVByUvzCeTIyjYcnvrFVBJERYj/de5975ce-8bef-4111-9e88-b825ac1a28be.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/uPANaEqVByUvzCeTIyjYcnvrFVBJERYj/de5975ce-8bef-4111-9e88-b825ac1a28be.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/uPANaEqVByUvzCeTIyjYcnvrFVBJERYj/de5975ce-8bef-4111-9e88-b825ac1a28be.jpg 350w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/uPANaEqVByUvzCeTIyjYcnvrFVBJERYj/de5975ce-8bef-4111-9e88-b825ac1a28be.jpg" width="600" height="400" loading="lazy"><div class="caption">独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構理事長　髙原一郎<br>たかはら・いちろう　1956年生まれ。79年に通商産業省（現・経済産業省）へ入省。中小企業庁長官や資源エネルギー庁長官などを歴任。退官後は丸紅の副社長や副会長を務めた。2023年に独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構（JOGMEC）の理事長に就任。</div></div><h2 id="-">海洋資源開発と国際的な規則の形成</h2><p>――　エネルギー・金属鉱物資源機構（ＪＯＧＭＥＣ）とはどういう組織なのか、お聞かせください。</p><p>髙原　日本は石油や天然ガス、金属資源のほとんどを輸入に頼る資源小国です。資源やエネルギーの安定供給を確保する国の政策実施機関として事業を展開しています。</p><p>　具体的には、日本企業が行う資源の探鉱や開発事業を資金、技術、情報の面から支援しています。資源開発は巨額の投資と長期間を要し、民間１社ではリスクが大きすぎます。そこでわれわれが初期調査で有望な場所を探し、出資や債務保証で資金面のリスクを分担しています。民間が海外の資源開発に参入しやすいよう、呼び水の役割を果たしているのです。</p><p>　近年は地政学リスクの顕在化や脱炭素化への対応として新たなエネルギー分野へも役割を拡大しました。水素やアンモニア、二酸化炭素回収・貯留（ＣＣＳ）、洋上風力発電なども支援対象です。資源確保と脱炭素社会の構築という２つの目標を同時に追求しています。</p><p>――　今年２月、南鳥島沖でレアアース泥採鉱システム接続試験の成功が報道されました。この進展についてどうお考えですか。</p><p>髙原　あの事業は内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム（ＳＩＰ）で進められる国家事業ですが、日本全体で見れば大きな意味を持つと考えます。</p><p>　電気自動車等に不可欠なレアアース等の重要鉱物は外国への依存度が高く、供給途絶リスクを抱えています。これを自国の排他的経済水域（ＥＥＺ）内で確保する道筋がつくことは、他国の動向に左右されない資源の自律に直結します。資源小国日本にとって国家安全保障の希望となるのです。</p><p>　深海からの資源回収技術の確立は、日本の高い技術力を世界に示します。海洋開発を牽引することは日本の責務です。</p><p>――　国際的な規則作りも重要になります。</p><p>髙原　公海域の海洋鉱物資源については、国際海底機構（ＩＳＡ）で開発規則の策定議論が続いており、具体的な数値基準は未定です。</p><p>　環境保全と資源開発を両立する公正な規則作りにおいて、日本の役割は重大です。２０２４年には日本主導でワークショップを開催するなど貢献を行っています。規則が未整備だからこそ、技術力と経済力を背景に自らルール形成に関与していく気概が求められます。</p><p>――　事業分野では、どのような海洋資源開発が進展していますか。</p><p>髙原　海底熱水鉱床やコバルトリッチクラスト、メタンハイドレートなどの実用化を見据えた技術開発が進んでいます。</p><p>　沖縄近海に存在する海底熱水鉱床は、銅や亜鉛等を含む岩盤状の鉱体です。採掘機で破砕し海上に引き上げる高度なシステムが要求されますが、これまでに連続揚鉱試験に成功しています。リチウムイオン電池に不可欠な金属を含むコバルトリッチクラストは、海底の岩盤から鉱石を効率的に取る技術を開発中です。砂層型メタンハイドレートは、国内海域や米国アラスカ州陸上での産出試験を通じ、商業化に向けた取り組みを推進しています。</p><h2 id="-">信頼で結ぶ資源外交と脱炭素の実装</h2><p>――　脱炭素化の推進について、どのような事業が進んでいますか。</p><p>髙原　ＣＣＳについては、９つの先進的事業を選定し支援しています。国内外の海域へ輸送・貯留するプロジェクトであり、直近では年間３００億円規模の予算を確保して企業を後押しします。産業競争力を維持しつつ脱炭素社会へ移行するための重要な取り組みです。</p><p>　洋上風力発電では、国が初期調査を主導するセントラル方式の一環として風況や海底地盤調査を担っています。国がデータを一元的に取得・提供し、案件形成の効率化に貢献しています。24年10月には北海道の岩内町に連絡事務所を設置し、地域社会との信頼関係構築に注力しています。</p><p>　液化天然ガス（ＬＮＧ）の供給網におけるメタン排出削減に向けた取り組みも主導し、購入者と生産者が連携して排出管理を行う「ＣＬＥＡＮイニシアティブ」を構築しました。</p><p>――　資源獲得競争が激化する中、資源国との関係強化や人材育成も重要になるのではないでしょうか。</p><p>髙原　資源の安定確保と供給源の多角化を進める上で、日本の技術力と信頼性が強力な武器になります。相手国への技術移転や人材育成を通じてパートナーシップを築くことが資源外交の神髄です。</p><p>　専門性、現場経験、語学力を３本柱に、海外鉱山や国際機関等への出向を通じた育成を実施しています。</p><p>　ボツワナの地質リモートセンシングセンターでは、南部アフリカ諸国の技術者に探査技術を指導しています。資源国の技術者の受け入れは、長期的な人脈形成に直結します。</p><p>　また「ダイバーシティ宣言」を策定し、多様な職員が自由闊達に議論できる組織づくりを進めています。共に資源開発を担う人材の育成が安定供給の基盤になります。</p><p>――　有事の際のセーフティネットとしての機能についてもお聞かせください。</p><p>髙原　中東情勢の不透明化などリスクは絶えず存在します。われわれは石油や液化石油ガスの国家備蓄制度の担い手であり、全国15カ所の基地を統合管理し、有事に供給を担保する体制を整えています。石油備蓄は消費量の約１４７日分、石油ガス備蓄は輸入量の約53日分（25年３月末時点）を確保しています。24年度には緊急放出訓練を６回実施し機動性の向上に努めました。</p><p>　レアメタルの国家備蓄も担い、市場の要求に即した品目へ転換を実施しています。</p><p>　平時は産業支援や技術開発を行い、有事は安全保障の実行部隊となる二面性こそが求められる役割です。</p><p>　海洋資源開発の無限の可能性を次世代に知っていただきたい。技術と人材による自律と、外交による協調、そして備蓄。これらを高い次元で統合し海洋国家日本の未来を支えていく所存です。</p>]]></content>
    <published>2026-04-03T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3329" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[今年２月、内閣府が進める南鳥島沖で世界初となるレアアース泥採鉱システム接続試験が成功し、日本の海洋開発に脚光が集まる。資源小国において、民間では背負いきれないリスクを担い、エネルギーの安定供給と脱炭素化に挑む独立行政法人が存在する。深海資源から資源外交、人材育成まで、同法人のトップに話を聞いた。（雑誌『経済界』2026[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>豊かな海洋を守りつつ稼ぐためにいま日本に求められることとは</title>
    <updated>2026-04-03T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3328</id>
    <category>政治・経済</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>日本は四方を豊かな海洋に囲まれている島国だ。漁業をはじめ私たちは大いなる恩恵を受け続けている。しかし、わが国の海洋経済には諸問題が山積している。漁業従事者の高齢化。洋上での再生可能エネルギーの開発問題。深海に眠る海洋資源の商業化。こうした問題を解決するためにいま何が求められているのか。文＝ジャーナリスト／一木悠造（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">海洋経済　問題は山積 漁業人材は高齢化が深刻に</h2><p>　深刻さを増しているのが、漁業従事者の高齢化の問題だ。水産庁のまとめによると、２０２２年の時点で漁業従事者数は前の年より約４％減った約12万３１００人で年々減少傾向にあるという。そして漁業就業者全体に占める65歳以上の割合は増加傾向となっている。一方、39歳以下の割合も近年増加傾向となっている。漁業就業者数の総数が減少していっている中で、22年の新規漁業就業者数も１６９１人とこちらも右肩下がり。このうち、39歳以下の割合は約７割で、とりわけ従事者の中で若い世代の参入が多く占める傾向が続いているのは一筋の光明かもしれない。</p><p>　実際、各地で30代から40代の「ＤＸ漁業者」の活躍が目覚ましい。</p><p>　宮崎県日向市漁港に所属する髙田一人さん（46歳）は「ＤＸ漁師」でもある。ＩＴ企業などに勤務後、地元日向市にＵターン。日向漁協入りし大型定置網の従業員として６年間従事した後に独立し宮崎県では行われていなかった小型底定置網の操業を開始した。ＩＴに関わってきた知識などを生かして、漁業に水中ドローンを導入。水中の網の状態や魚の入網状況の確認、これらを生かした網の改良等によって１人で操業を行うための作業効率を向上させた。髙田さんは「漁業の魅力を広めたい」とＳＮＳなどを通じた地元漁業の発信にも余念がない。</p><h2 id="-">洋上風力発電計画の行く末 どう巻き返す？</h2><p>　昨年夏、洋上風力発電関係者に衝撃が走った。三菱商事などが秋田県沖と千葉県沖などで開発を進めていた洋上風力発電プロジェクトが事実上中断した。プロジェクト主体者の三菱商事が昨年８月27日、中西勝也社長が三菱商事本社で会見を開き、撤退の意志を表明したのだ。</p><p>　世界的なインフレで建設資材コストが急騰し売電価格が２倍になっても投資回収が困難な状況に陥り、将来の採算が合わないことなどを理由にした三菱商事にとってはまさに苦渋の決断だった。</p><p>　「採算の見通しの甘さなどが指摘されたが、第１ラウンド事業の撤退は正直ショック」（プロジェクト関係者）。第１ラウンド事業が頓挫したという事態に管轄の経産省もすぐに動く。物価高騰など想定外の事態に直面し事業途中でも計画の変更を柔軟に認める方針を決定。三菱商事が撤退した海域について、今年４月以降に新たな方針のもとで再公募が行われることになっている。政府がすばやく動いたのにはわけがあった。</p><p>　「再生可能エネルギーの一丁目一番地が実は洋上風力発電」（関係者）この言葉を裏付けるように政府は30年に10ＧＷ、40年までに30Ｇ〜45ＧＷの導入目標を掲げ、特に水深の深い日本海域に適した浮体式技術の商用化と、国内調達比率65％以上の達成を目指す方針を掲げている。</p><p>　洋上風力発電は陸地での風が少ない日本に適した発電事業だ。さらに洋上風力発電の部品数は数万点に上り、事業規模自体も大きいことからサプライチェーンへの経済波及効果が高いとされる。そして、日本各地での展開となるため、その地域の活性化にもつながるのだ。</p><p>　こうした流れを受けて、第１ラウンドの再公募、そして第２ラウンド、第３ラウンドと計画は予定通り進むとみられ、関連産業も盛況となる可能性が高く、わが国の海洋経済の光明である。</p><h2 id="-">国産レアアース調達へ 中流下流で巻き返し</h2><p>　日本のレアアース国産化の大きな第一歩となるかもしれない。今年１月半ばに、地球深部探査船「ちきゅう」が東京から約２千キロ離れた、の南鳥島沖に向けて出港。ＥＥＺ（排他的経済水域）海底６千メートルまで、ちきゅうがレアアース泥をくみ上げるためのパイプを伸ばし、複数個所からレアアース泥を回収した。</p><p>　「海底で連続してレアアース泥をくみ上げて船上に上げられるか、システムの接続試験が成功した。まずは第一歩だ」（プロジェクト関係者）　政府プロジェクトは産業に必要な量とされるレアアース泥の埋蔵規模の調査に始まり、実際に海底からレアアース泥を採掘するためのパイプの製造、深海３千メートル級での採掘実験などに通算約15年を費やし、ようやくここまで到達した。</p><p>　このレアアースプロジェクト、石破茂前首相が改めて表明しており、昨年11月の日本成長戦略会議の場では、就任したばかりの高市早苗首相も南鳥島の名を上げ、投資していくべき主要な項目に据えた。</p><p>　そうしたなか、１月６日に、中国が日本へのレアアース輸出を規制すると発表。レアアースショックとメディアを中心に大騒ぎとなったが、政府と民間企業は動じることがなかった。</p><p>　「２０１０年以降、代替策を模索し実行してきた」と語るのはレアアースを使うメーカー関係者。10年の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を機に当時、日中関係が一気に冷え込み関係するメーカーなどは大きな打撃を受けた。それもそのはず、中国はレアアースの埋蔵量が豊富で、採鉱から精錬業務に至るまで圧倒的シェアを持つレアアース大国として覇権を握っているからである。</p><p>　これをきっかけに「中国に頼りすぎずに、新たな納入先を開拓した」（別のメーカー関係者）。日本は官民が連携して「レアアース中国依存からの脱却」に一気に舵を切ることになったのだ。</p><p>　それから15年余り。本格的な日本のレアアース自給に向けたプロジェクトが動き出した。来年２月以降は、実際に南鳥島沖で1日当たり３５０トンのレアアース泥を採取する採算ベースの実証試験も始まるという。南鳥島産のレアアースが市場に広がるのは「早くて10年後」（関係者）とされているという。量産化に関して一層の前倒しをプロジェクトチームには期待したい。</p><p>　では、中国のレアアース覇権に日本はどう立ち向かっていくべきなのか。日本が勝ち筋を見いだせるのは、レアアース産業における一連の過程の「中流」から「下流」の部分とされている。中国は「上流」である採掘、精錬の部分から「中流」の製造の部分まで圧倒的な威力を誇っている。一方で採掘、精錬を中国をはじめとした他国に頼らざるを得ない日本は、中流から下流にまたがる「原料を加工、製造する過程が強み」（メーカー関係者）とされている。</p><p>　関東地方のあるメーカーは10年の中国レアアースショックを受けて、中国産レアアースを用いない磁石を開発することに成功した。試行錯誤を繰り返した末に、従来の磁石を用いた独自の技術を開発したことにより、レアアースのジスプロシウムを含んだネオジム磁石と呼ばれる永久磁石と同等の出力を出すことに成功したのだ。「日本のものづくりの誇りを少しでも発揮していけたらと思う」（メーカー幹部）。</p><p>　日本のものづくりの矜持が脱・中国レアアースを一層進め、中国一強の覇権に食い込む原動力となっていくことは間違いない。</p><div class="media">  <img width="600" height="330" loading="lazy" alt="深海底６０００メートルでのレアアース泥採掘の様子" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/192/YNacqBMmjDowDVpmMmZSsOHUjZcJwVVe/56be6851-bbc5-4566-814e-d7eccf5acf02.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/275/YNacqBMmjDowDVpmMmZSsOHUjZcJwVVe/56be6851-bbc5-4566-814e-d7eccf5acf02.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/330/YNacqBMmjDowDVpmMmZSsOHUjZcJwVVe/56be6851-bbc5-4566-814e-d7eccf5acf02.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/330/YNacqBMmjDowDVpmMmZSsOHUjZcJwVVe/56be6851-bbc5-4566-814e-d7eccf5acf02.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/330/YNacqBMmjDowDVpmMmZSsOHUjZcJwVVe/56be6851-bbc5-4566-814e-d7eccf5acf02.jpg"><div class="caption">深海底６０００メートルでのレアアース泥採掘の様子<br>©SIP/JAMSTE</div></div>]]></content>
    <published>2026-04-03T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3328" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[日本は四方を豊かな海洋に囲まれている島国だ。漁業をはじめ私たちは大いなる恩恵を受け続けている。しかし、わが国の海洋経済には諸問題が山積している。漁業従事者の高齢化。洋上での再生可能エネルギーの開発問題。深海に眠る海洋資源の商業化。こうした問題を解決するためにいま何が求められているのか。文＝ジャーナリスト／一木悠造（雑誌[&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
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    <title>技術で世界をつなぐ水素の道 海洋経済を牽引する一気通貫モデル</title>
    <updated>2026-04-02T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3327</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>脱炭素とエネルギー安保の要、水素。川崎重工は「つくる・はこぶ・ためる・つかう」を一気通貫で担う世界唯一のサプライチェーン構築に挑む。液化水素運搬船で海を越え、新たな動脈をどう築くのか。水素協議会前共同議長として世界を牽引した金花芳則会長に、海洋経済の役割と次世代への覚悟を聞いた。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">金花芳則　川崎重工業のプロフィール</h2><div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/kbyTsUoZUSeIPVzCpaswhIRVvYvIsBys/dc916a35-de43-46ce-b0bf-68dca266c395.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="金花芳則・川崎重工業" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/kbyTsUoZUSeIPVzCpaswhIRVvYvIsBys/dc916a35-de43-46ce-b0bf-68dca266c395.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/kbyTsUoZUSeIPVzCpaswhIRVvYvIsBys/dc916a35-de43-46ce-b0bf-68dca266c395.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/kbyTsUoZUSeIPVzCpaswhIRVvYvIsBys/dc916a35-de43-46ce-b0bf-68dca266c395.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/kbyTsUoZUSeIPVzCpaswhIRVvYvIsBys/dc916a35-de43-46ce-b0bf-68dca266c395.jpg 2048w"><div class="caption">川崎重工業会長　金花芳則<br>かねはな・よしのり　1954年兵庫県生まれ。76年大阪大学基礎工学部卒業、川崎重工業入社。車両カンパニープレジデントなどを経て、2016年代表取締役社長、20年6月より会長職。22年1月から2年半にわたり水素協議会共同議長を務め、世界の水素社会実現を牽引。</div></div><h2 id="-">技術の「掘り起こし」で挑む 世界初のサプライチェーン</h2><p>――　まず、川崎重工が水素に着目された経緯からお聞かせください。</p><p>金花　われわれが会社として水素に戦略的に取り組もうと決断したのは、15年前のことです。当時、社内のカンパニー横断で何ができるか検討した際のキーワードが「液化水素」でした。当社は50年以上前から種子島のロケット射場設備を手掛けており、燃料の液化水素を扱う技術を保有しています。さらに、石炭や天然ガスを改質して水素を「つくる」技術もあります。</p><p>　そして「はこぶ」技術です。当社は40年以上前に国内初のＬＮＧ（液化天然ガス）運搬船を建造しました。マイナス１６２℃のＬＮＧよりさらに低いマイナス２５３℃の液化水素を扱う極低温技術の蓄積もあります。これらを組み合わせれば、水素をつくって液化し、船で運び、タンクに貯め、エンジンでつかうところまで、一気通貫のサプライチェーンを１社で構築できると考えたのが始まりです。</p><p>―― 　15年前から、すでに脱炭素社会の到来を予見し、技術の棚卸しをされていたわけですね。</p><p>金花　そうです。水素を使えば脱炭素が可能になる。技術はすべて手元にある。ならば、世の中よりも一歩早く、川崎重工が脱炭素の世界をつくろうと決意しました。以来、歴代社長が社運を懸けて引き継ぎ、多額の投資を続けてきました。</p><p>　また、かなり早い段階から政府にも働きかけを行ってきました。その結果、日本は２０１７年に世界初の「水素基本戦略」を策定しました。これにはわれわれの働きかけも寄与しています。日本にはＬＮＧを扱ってきた技術の蓄積があり、国として水素を推進していくべきだと訴え続けてきたのです。</p><p>――　 政府との連携により、具体的なプロジェクトも進んでいます。</p><p>金花　国の支援を受け、５年前に液化水素運搬船「すいそ ふろんてぃあ」を建造しました。神戸に受け入れ基地をつくり、オーストラリアとの間を往復して、液化水素を大陸間で船で運べることを実証しました。これは世界初の快挙であり、日本はこの分野で世界をリードしています。</p><p>　現在はＧＩ（グリーンイノベーション）基金の採択を受け、商用スケールへの拡大を進めています。総額３千億円規模のプロジェクトで、積載量をパイロット船の75トンから約２５００トンへ、船体も２００メートル超の大型船にする計画です。30年には商用スケールでの水素供給を開始する予定です。</p><p>―― 　金花さんご自身も、国際的な枠組みの中でリーダーシップを発揮されています。</p><p>金花　日本の水素基本戦略が策定された17年、ダボス会議で「水素協議会」が発足しました。フランスのガスメーカー、エア・リキードやトヨタ自動車などが発起した、水素普及を目指すグローバル組織です。当社も創設メンバー13社の一角として参画しました。</p><p>　当初は理解が浅かった水素も、加盟企業が１５０社近くまで増えた今、世界的な潮流となりました。私は22年から共同議長を務め、世界各地で水素の重要性を訴えてきました。近年の世界的な水素ブームには、協議会の活動が大きく貢献しています。</p><p>　単なるプロモーションだけでなく、ＩＭＯ（国際海事機関）などと連携し、液化水素運搬の国際ルールや安全基準の策定にも深く関与しています。技術とルール、この両輪が揃って初めて、市場は動き出すのです。</p><h2 id="-">エネルギー安全保障の鍵を握る「海」と「船」</h2><div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/jfgGbwKjHNdQoYUKSGFiTxqebgZOsEvG/4626b56a-2f5f-4ec3-8657-2278b646b951.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="金花芳則・川崎重工業" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/jfgGbwKjHNdQoYUKSGFiTxqebgZOsEvG/4626b56a-2f5f-4ec3-8657-2278b646b951.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/jfgGbwKjHNdQoYUKSGFiTxqebgZOsEvG/4626b56a-2f5f-4ec3-8657-2278b646b951.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/jfgGbwKjHNdQoYUKSGFiTxqebgZOsEvG/4626b56a-2f5f-4ec3-8657-2278b646b951.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/jfgGbwKjHNdQoYUKSGFiTxqebgZOsEvG/4626b56a-2f5f-4ec3-8657-2278b646b951.jpg 2048w"></div><p>―― 　電気やガスなどさまざまなエネルギーがある中で、なぜ今、水素が必要なのでしょうか。</p><p>金花　大きな理由は2つあります。１つは脱炭素です。化石燃料を燃やせばＣＯ２が出ますが、再生可能エネルギーは天候に左右され安定しません。その補完として水素は極めて有効です。</p><p>　もう1つはエネルギー安全保障です。化石燃料の産出地は偏在していますが、水素は安価な再エネがあれば世界中でつくれます。しかし、日本のような需要地へ遠隔地から大量に運ぶには「海」が舞台になります。近隣であればパイプラインで運べますが、大陸間輸送には船しかありません。ＥＵの技術レポートでも、水素運搬のベストな媒体は液化水素だと評価されています。アンモニアは水素に戻す際にエネルギーロスが生じるためです。日本のエネルギー安全保障上、世界中から水素をつくり、液化して船で運ぶサプライチェーンを持つことは極めて重要なのです。</p><p>―― 　空輸、つまり飛行機で運ぶことは難しいのでしょうか。</p><p>金花　液化水素は、マイナス２５３℃という極低温ですから、断熱が非常に難しいのです。空気で断熱しようとすると、酸素や窒素が凍ってしまいます。そのため、われわれの船やタンクは魔法瓶のように二重構造にして間を真空にする「真空断熱」を採用しています。これを飛行機で行うのは重量や構造の面で非効率です。大量かつ効率的に運ぶには、やはり船による海上輸送が最適解なのです。</p><p>―― 　海を守り、活用するという点では、川崎重工はＡＵＶ（自律型無人潜水機）の開発も進めています。</p><p>金花　そうですね。私が社長時代に立ち上げたプロジェクトです。当時、北海などの海底パイプライン点検の莫大なコストを削減するため、母船からの遠隔操作を無人化できないかと考えたのが発端です。</p><p>　当社には潜水艦の建造技術とロボット技術があります。この2つを融合させ、ＡＵＶにロボットアームとセンサーを取り付け、自律的に亀裂などを検査するシステムを開発しました。現在ではその用途が広がり、船底の清掃や、着床式洋上風力発電のケーブル点検、さらにはレアアースの探査など、多岐にわたる海洋インフラの維持管理に活用できると考えています。</p><p>　特に海底ケーブルは通信や電力の要であり、これを守ることは経済安全保障の観点からも極めて重要です。人の手では届かない深海インフラをロボットで守る。これは海洋国家・日本の強靭化にも直結します。</p><p>―― 　洋上風力発電といえば、メンテナンスの課題も指摘されています。</p><p>金花　海の上に巨大な風車が林立する時代が来れば、点検や補修は大きな課題です。そこでわれわれが開発してきた無人ヘリコプター「Ｋ－ＲＡＣＥＲ」が貢献できると考えています。ドローンとは異なりオートバイのエンジンを搭載しているため、２００キログラムもの荷物を運ぶことができます。現在、北欧のスタートアップと協力し、風車のブレード（羽根）の前縁を修理するロボットをこの無人ヘリで運搬する実証実験を行っています。従来は人力で行っていた危険で高コストな作業を無人化する。こうした「ものづくり」の力が、海洋経済の現場を支えていきます。</p><h2 id="-">コストの壁を越え 次世代へ「つなぐ」責務</h2><p>―― 　30年の商用化に向けた最大のハードルは何でしょうか。</p><p>金花　やはりコストです。「鶏と卵」の関係で、大量に使えば安くなりますが、高いから使われない。このギャップを埋めるため、政府支援が不可欠です。日本ではＧＸ（グリーントランスフォーメーション）移行債を活用し、化石燃料との価格差を15年間支援する制度が始まりました。官民一体で取り組むことで、ユーザーが既存燃料と同じコスト感覚で使える環境を整うと考えています。</p><p>　同時に、世界ではカーボンプライシングの導入が進んでいます。欧州のＣＢＡＭ（国境炭素調整措置）や日本のＧＸ－ＥＴＳ（排出量取引制度）により、ＣＯ２排出にコストがかかるようになります。化石燃料の実質コストが上がり、技術革新で水素コストが下がれば、いずれ均衡します。欧州の製鉄業界などでは、すでにＣＯ２フリーへの移行が競争力の源泉になりつつあります。</p><p>―― 　水素の利用拡大には、大規模な需要創出が不可欠です。海洋経済の観点から、どのような分野での利用が期待されていますか。</p><p>金花　やはり発電と産業用エネルギーです。臨海部には製鉄所や化学プラント、発電所が集中しています。例えば製鉄業では、石炭の代わりに水素を使う「水素還元製鉄」への転換が急務です。当社はすでに水素専焼ガスタービンの技術も確立しており、海外から船で運ばれた大量の水素を、臨海部でそのままエネルギーとして使えます。</p><p>　港が単なる物流拠点から、クリーンエネルギーの供給拠点、いわゆる「カーボンニュートラルポート」へと変貌する。臨海コンビナートが脱炭素化されれば、そこから生み出される製品の国際競争力も高まります。港湾を起点とした産業構造の転換こそが、海洋経済における水素のダイナミズムだと考えています。</p><p>―― 　結果が出るまで長い時間を要するこの事業にあえて挑み続ける、メーカーとしての「覚悟」をお聞かせください。</p><p>金花　その根底にあるのは、やはり川崎重工という会社が持つ技術の独自性です。上流から下流まで、サプライチェーン全体を１社で構築できる企業は世界でも稀です。この強みを生かし、社会課題を解決することは、技術を持つメーカーとしての責務だと感じています。</p><p>　そして何より、未来への責任です。最近は異常気象が常態化し、危機感が薄れつつあるかもしれませんが、今の10代や、これから生まれてくる子供たちにとって、気候変動は生存に関わる深刻な問題です。彼らが大人になった時、地球が豊かな環境を保っていられるか。それは今を生きるわれわれの行動にかかっています。</p><p>　結果が出るのは50年先かもしれません。誰かが今、種をまかなければ未来は育たない。その先陣を切る覚悟を持って、この事業を完遂します。</p>]]></content>
    <published>2026-04-02T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3327" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[脱炭素とエネルギー安保の要、水素。川崎重工は「つくる・はこぶ・ためる・つかう」を一気通貫で担う世界唯一のサプライチェーン構築に挑む。液化水素運搬船で海を越え、新たな動脈をどう築くのか。水素協議会前共同議長として世界を牽引した金花芳則会長に、海洋経済の役割と次世代への覚悟を聞いた。（雑誌『経済界』2026年5月号より） [&#8230;]]]></summary>
    <author>
      <name>経済界編集部</name>
    </author>
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    <title>マルハニチロからＵｍｉｏｓへ「第三の創業」で挑む海洋変革</title>
    <updated>2026-04-02T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>世界最大級の水産企業が社名を変えた。マルハニチロ改め「Ｕｍｉｏｓ（ウミオス）」。気候変動や人口増によるタンパク質危機が迫る中、１４０年を超える歴史を持つ巨人は、いかにして持続可能な海洋経済（ブルーエコノミー）を構築するのか。新生Ｕｍｉｏｓを率いる池見賢社長に、第三の創業に懸ける決意を聞いた。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">池見 賢　Ｕｍｉｏｓのプロフィール</h2><div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/ZveuZqNzoGWEHqwdtuaFIusmjJuBJpWY/c1d204d2-3a6e-43ed-a05f-3c74a617d94b.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/ZveuZqNzoGWEHqwdtuaFIusmjJuBJpWY/c1d204d2-3a6e-43ed-a05f-3c74a617d94b.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/ZveuZqNzoGWEHqwdtuaFIusmjJuBJpWY/c1d204d2-3a6e-43ed-a05f-3c74a617d94b.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/ZveuZqNzoGWEHqwdtuaFIusmjJuBJpWY/c1d204d2-3a6e-43ed-a05f-3c74a617d94b.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/ZveuZqNzoGWEHqwdtuaFIusmjJuBJpWY/c1d204d2-3a6e-43ed-a05f-3c74a617d94b.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="池見賢・Umios"><div class="caption">Ｕｍｉｏｓ社長　池見 賢<br>いけみ・まさる　1957年兵庫県生まれ。81年京都大学農学部水産学科卒業、大洋漁業（旧マルハ）入社。タイの現地法人キングフィッシャー社長やマルハニチロ食品海外部長を経て、2020年4月より社長。26年3月Ｕｍｉｏｓへの社名変更を主導。4月1日に会長に就任する。</div></div><h2 id="-">伝統を受け継ぎ、挑む「真の統合」</h2><p>──　マルハニチロとしての経営統合から約20年。このタイミングで新社名「Ｕｍｉｏｓ」へとアイデンティティを一新する狙いをお聞かせください。</p><p>池見　私が社長に就任した２０２０年以降、パンデミックや地政学リスク、円安、インフレと、経営環境は激変しました。われわれは水産物の取扱数量で約１７０万トンと世界最大規模を誇ります。しかしもはや「規模」だけで勝てる時代ではありません。</p><p>　最大の課題は、事業基盤である「天然水産資源」の限界です。世界の魚の需要は人口増加とともに急増し、30年にはさらに１４００万トンの供給不足が予測されています。一方で、天然資源の約３割は枯渇状態にあり、これ以上の増産は不可能です。</p><p>　こうした中、単に魚を調達して売るだけでいいのか。魚は健康食として世界中で評価されています。ならば、われわれは魚を通じて「地球も人も健康にする」課題解決型の企業へ進化しなければなりません。新社名「Ｕｍｉｏｓ」には、ＤＮＡである「海（Ｕｍｉ）」と、ステークホルダーと共に「Ｏｎｅ」、社会課題を解決する「Ｓｏｌｕｔｉｏｎｓ」という意味を込めました。</p><p>　今や「寿司（Ｓｕｓｈｉ）」は世界共通語になりました。同様に、いつか「Ｕｍｉ」という言葉も世界中で通じるようにしたい。「Ｓｅａ」ではなく「Ｕｍｉ」と呼んでもらえるような、日本発のサステナブルな海洋文化を世界へ広げていく。これは創業１４６年目の「第三の創業」であり、「海洋経済のサステナビリティ（持続可能性）」をビジネスの核に据える変革なのです。</p><p>──　社名変更には、社内の意識改革という狙いもあったのでしょうか。</p><p>池見　非常に大きいです。もともとマルハ（旧大洋漁業）とニチロは、共に漁業会社としてスタートしました。かつては１千隻以上の船を持ち、世界中の海で自由に魚を獲っていました。</p><p>　しかし、１９７０年代後半の「２００海里水域」制定がすべてを変えました。他国の沿岸で自由に操業できなくなり、旧マルハは世界中から魚を買い付ける「トレーディング」や、現地企業との合弁による資源アクセスを選びました。一方の旧ニチロは、冷凍食品などの「加工事業」へ活路を見いだしました。</p><p>　つまり、同じルーツを持ちながら、一方は「商社・資源アクセス」、もう一方は「メーカー」という異なるＤＮＡを持つ企業へと進化して生き残ったのです。２００７年の統合後も、お互いの強みを伸ばす方針が壁となり、社内には縦割りが残っていました。システムも人事も別々で、真のシナジーが発揮できていなかった。そこに農薬混入事件などの危機対応が重なり、本質的な統合が先送りされてきました。しかし、今の激変する環境下で、過去の遺産には頼れません。伝統ある社名をあえて捨てることで、「過去との決別」と「真の融合」を宣言したのです。新本社をイノベーションの拠点である高輪ゲートウェイシティに移転したのも、ＪＲ東日本や東京大学、スタートアップ企業と交わり、社員の意識を根本から変えるためです。</p><h2 id="-">テクノロジーで拓く 海洋経済の未来</h2><p>──　海洋経済の持続可能性を担保するために、具体的にどのような技術革新を進めていますか。</p><p>池見　天然資源が増やせない以上、「養殖の高度化」と「代替タンパク質」がカギになります。しかし、養殖も気候変動の直撃を受けています。鹿児島でのブリ養殖では、海水温がかつての28度から34度近くまで上昇し、魚が餌を食べなくなる事態が起きています。</p><p>　そこでわれわれは、生簀（いけす）を沈下させて冷たい層で飼育する技術や、高水温に耐えうる品種「スギ（スズキ目）」の養殖開発などを進めています。また、気候変動や海洋汚染の影響を受けない「陸上養殖」にも注力しており、富山県入善町でアトランティックサーモンの陸上養殖施設を建設中で、29年頃の本格稼働を目指しています。</p><p>──　スタートアップとの連携による、新しい海洋資源の創出についても聞かせてください。</p><p>池見　「獲る・育てる」だけでなく、「創る」技術への投資です。一つは「細胞性水産物（培養魚肉）」です。シンガポールのＵｍａｍｉ　Ｂｉｏｗｏｒｋｓ社など複数のスタートアップと提携し、魚の細胞を培養して食料にする研究を進めています。特にクロマグロの培養に注力しており、将来的には天然資源に依存しない供給体制を目指します。</p><p>　もう一つは「微細藻類（も）」の活用です。魚に含まれるＤＨＡ（ドコサヘキサエン酸）は、実は魚が作っているのではなく、海中の藻類を食べることで蓄積されたものです。そこでわれわれは、海ではなく陸上のタンクで藻類そのものを大量培養し、そこから直接ＤＨＡを抽出する技術を持つ企業と協業しています。これにより、天然魚を消費することなく、健康機能成分を持続的に生産できます。</p><p>　さらに、従来、魚油由来のＤＨＡはその独特の臭いが課題でしたが、独自の「無臭化技術」により、パンや飲料など多様な食品への添加が可能になりました。将来的には、個人の体質や健康状態に合わせた展開も見据えています。</p><h2 id="-">資源国家として責任とルール形成</h2><p>──　国際イニシアチブ「ＳｅａＢＯＳ（シーボス）」での活動について教えてください。</p><p>池見　ＳｅａＢＯＳは、16年に発足した組織で、世界の大手水産企業６社と科学者が連携し、海洋の持続可能性を追求しています。われわれは設立メンバーとして参画し、当時の社長である伊藤滋が初代会長を務めるなど、日本企業として資源管理のルールメイキングを主導してきました。</p><p>　ここでは、ＩＵＵ漁業（違法・無報告・無規制漁業）の撲滅、強制労働の排除、抗菌剤使用の削減、海洋プラスチック問題などに取り組んでいます。日本は世界第６位の排他的経済水域（ＥＥＺ）を持つ海洋国家ですが、資源管理の面では欧米に後れを取っている側面があります。資源が枯渇すれば、水産業そのものが成立しません。</p><p>　科学的根拠に基づいた厳格な資源管理を行い、トレーサビリティ（追跡可能性）を確保する。これをグローバルスタンダードとして定着させることが、回り回って日本の水産業を守り、Ｕｍｉｏｓの競争優位性にもつながると確信しています。</p><p>　また、自然関連財務情報開示タスクフォース（ＴＮＦＤ）の枠組みに基づき、事業が自然資本に与える影響とリスクを開示することも進めています。「魚がいなくなれば、ビジネスも終わる」。この水産業特有のリスクと、それを守る活動の価値を、投資家や社会に対して定量的に示していく責任がわれわれにはあります。</p><p>──　海外事業の拡大も掲げています。グローバル市場における「Ｕｍｉｏｓ」の勝算はどこにありますか。</p><p>池見　私は入社５年目にソロモン諸島へ赴任し、その後タイのバンコクに９年と、計16年間の海外駐在経験があります。異文化の中でゼロからビジネスを立ち上げた経験から言えるのは、世界市場で勝つために必要なのは「資源へのアクセス権」と「現地化」だということです。</p><p>　人口減少が進む日本とは対照的に、世界の魚食需要は拡大の一途をたどっています。先ほどお話しした２００海里問題の際、われわれは海外企業との合弁事業という形で現地に入り込み、漁獲枠を確保する戦略をとりました。その遺産が今、アラスカのスケソウダラやオーストラリアのメロといった、国家管理された持続可能な「減らない資源」へのアクセス権として生きています。</p><p>　今後は、海外利益比率70％を目標に、各地域のニーズに合わせた加工・販売を強化します。「日本から輸出する」だけでなく、現地の資源を現地で加工し、現地で売る。そのための地域統括会社（リージョナルヘッドクォーター）を欧米やアジアに設置し、意思決定の現地化を進めています。本社主導ではなく、現場の市場を熟知した人間がスピード感を持って判断する体制こそが、グローバル競争を勝ち抜く鍵になります。</p><p>──　最後に、１００年後の海と食卓のために、Ｕｍｉｏｓはどう貢献していきますか。</p><p>池見　１００年先も、世界中の人々がおいしい魚を食べ続けられること。これがわれわれの使命です。そのためには、今ここで行動を変えなければなりません。</p><p>　天然資源の管理、養殖の高度化、そして新技術による代替タンパク質の創出。これらを「Ｏｎｅ Ｓｏｌｕｔｉｏｎ」として組み合わせ、海を守りながら食を供給する。社名は変わりましたが、創業以来のＤＮＡは変わりません。「Ｕｍｉｏｓ」という名が、持続可能な海洋経済の代名詞となるよう、全社一丸となって挑戦を続けていきます。    </p><div class="media">  <img src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/oYmnpkGDGfjVbdLugEyvjmSSJjtgrGRx/d034ee0f-98ef-4a2b-b212-1109c11d1134.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="池見賢・Umios" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/oYmnpkGDGfjVbdLugEyvjmSSJjtgrGRx/d034ee0f-98ef-4a2b-b212-1109c11d1134.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/oYmnpkGDGfjVbdLugEyvjmSSJjtgrGRx/d034ee0f-98ef-4a2b-b212-1109c11d1134.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/oYmnpkGDGfjVbdLugEyvjmSSJjtgrGRx/d034ee0f-98ef-4a2b-b212-1109c11d1134.jpg 2048w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/oYmnpkGDGfjVbdLugEyvjmSSJjtgrGRx/d034ee0f-98ef-4a2b-b212-1109c11d1134.jpg 350w"></div>]]></content>
    <published>2026-04-02T05:00:00+09:00</published>
    <link href="https://net.keizaikai.co.jp/archives/3326" rel="alternate" type="text/html"></link>
    <summary type="html"><![CDATA[世界最大級の水産企業が社名を変えた。マルハニチロ改め「Ｕｍｉｏｓ（ウミオス）」。気候変動や人口増によるタンパク質危機が迫る中、１４０年を超える歴史を持つ巨人は、いかにして持続可能な海洋経済（ブルーエコノミー）を構築するのか。新生Ｕｍｉｏｓを率いる池見賢社長に、第三の創業に懸ける決意を聞いた。（雑誌『経済界』2026年5[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>大阪・新世界に新店舗開店 地域をもっと元気にスーパー玉出の次なる戦略</title>
    <updated>2026-04-01T05:00:00+09:00</updated>
    <id>https://net.keizaikai.co.jp/archives/3323</id>
    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>主力の不動産業に加えてＭ＆Ａにより他業種展開し、大阪で有名な地域密着型スーパー「スーパー玉出」をグループ企業に持つアイセ・リアリティーグループ。昨年、会長となった湯本正基氏は「スーパー玉出」に注力し、地域の発展とともに飛躍を目指す。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">湯本正基　アイセ・リアリティーグループのプロフィール</h2><div class="media">  <img srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/PFeeOTHHiuszLdjEaMqYPCSveWqHZFTY/4ec2cdbc-6fa9-4e05-812f-f6aebc3daf35.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/PFeeOTHHiuszLdjEaMqYPCSveWqHZFTY/4ec2cdbc-6fa9-4e05-812f-f6aebc3daf35.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/PFeeOTHHiuszLdjEaMqYPCSveWqHZFTY/4ec2cdbc-6fa9-4e05-812f-f6aebc3daf35.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/PFeeOTHHiuszLdjEaMqYPCSveWqHZFTY/4ec2cdbc-6fa9-4e05-812f-f6aebc3daf35.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/PFeeOTHHiuszLdjEaMqYPCSveWqHZFTY/4ec2cdbc-6fa9-4e05-812f-f6aebc3daf35.jpg" width="600" height="400" loading="lazy" alt="湯本正基　アイセ・リアリティーグループ"><div class="caption">アイセ・リアリティーグループ会長　湯本正基<br>ゆもと まさき</div></div><p>昨年、アイセ・リアリティーグループは、社長の湯本正基氏が会長に、四栁洋氏が社長に就任し、経営体制を変更した。　</p><p>「当社のビジネスは銀行との融資交渉の比重が高く、過去に幾多の厳しい交渉を経験しました。とりわけ取引金融機関の了解の下で行われた『スーパー玉出』の買収案件への融資が、現玉出とは無関係な旧玉出代表者の逮捕後に手のひら返しで一斉に止まったことは今も忘れません。以降も続いた銀行との複雑な案件の交渉やコンプライアンス対応に一緒に取り組んできたのが新社長の四栁氏です。スーパー玉出の資金調達問題も解決のメドが立ったため、スーパー事業に集中できる新体制への移行を決断しました」と語る湯本氏。</p><p>Ｍ＆Ａの事例では、買収後に買収先のコンプライアンス違反の発覚はよくあることだが、スーパー玉出の場合は買収時の銀行の手のひら返しに加え、経験を買って中核に据えた銀行出身者による内部コンプライアンスの重大違反が発生していた。その違反発覚まで長い期間を要し、その間に収益が大幅に悪化していた。</p><p>「コンプライアンス問題を一つ一つ解決するごとに収益も改善していきました。そこで昨年は３店舗のリニューアルを進め、今年は３店舗を新規オープンします。その中でも特に面白いと思っているのが今年４月の大阪『新世界』への出店です。海外からのお客さまも多く、大阪有数の観光エリアへの食品スーパーの出店は当社が初めて。地域で人気の有名飲食店との関係性を深め、エリア一帯を一緒に盛り上げるのはもちろん、周辺住民の台所として『新世界経済圏』を支えていきたい」</p><p>新店舗にはミュージックや芸能関連、一般も含め利用可能なイベントスペースを設け、さまざまな地域密着の活動も応援していく事業を計画中だ。</p><p>「コンプライアンスで苦労する中で思ったことは『スーパー玉出』の現場の社員やパートさんの真面目さ。その真面目さに応えるためにも給与などの待遇面を良くしていきたい。実現にはもう少し時間がかかるかもしれませんが、できなければ実現できる別の会社へ運営を託すぐらいの覚悟で取り組んでいきます」</p><div class="tableWrap"><table><tr><th width="30%">設立</th><td>1987年3月19日</td></tr><tr><th>資本金</th><td>5,000万円</td></tr><tr><th>本社</th><td>東京都千代田区</td></tr><tr><th>事業内容</th><td>不動産関連、食品、ホテル、食品小売、物流、美容事業<br><a href="https://www.isereality.co.jp/" target="_blank" rel="noopener">https://www.isereality.co.jp/</a></td></tr></table></div>]]></content>
    <published>2026-04-01T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[主力の不動産業に加えてＭ＆Ａにより他業種展開し、大阪で有名な地域密着型スーパー「スーパー玉出」をグループ企業に持つアイセ・リアリティーグループ。昨年、会長となった湯本正基氏は「スーパー玉出」に注力し、地域の発展とともに飛躍を目指す。（雑誌『経済界』2026年5月号より） 湯本正基　アイセ・リアリティーグループのプロフィ[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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    <title>ベトナムオフショアで頭角 レガシーシステムを近代化する800人の技術者</title>
    <updated>2026-03-31T05:00:00+09:00</updated>
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    <category>企業・業界動向</category>
    <content type="html"><![CDATA[<p>ベトナムのオフショア開発事業で頭角を現すカオピーズ。ＤＸ推進やＩＴ人材不足が叫ばれるなか、大手ベンダーが手を出しづらい国内のレガシーシステム刷新やアプリ開発を数多く手掛けてきた。約８００人ものエンジニアがベトナムから日本のＤＸをサポートする。（雑誌『<a rel="noreferrer noopener" href="https://keizaikai.co.jp/category/magazine" target="_blank">経済界</a>』2026年5月号より）</p><h2 id="-">チン・コン・フアン　カオピーズのプロフィール</h2><div class="media">  <img height="400" loading="lazy" alt="チン・コン・フアン　カオピーズ" srcset="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/350/233/OQDBzZYiYuakXGpJFnElaKwvEsDpjXKN/26ca3464-c89c-4868-9f92-1171e3cdd8ae.jpg 350w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/500/333/OQDBzZYiYuakXGpJFnElaKwvEsDpjXKN/26ca3464-c89c-4868-9f92-1171e3cdd8ae.jpg 512w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/OQDBzZYiYuakXGpJFnElaKwvEsDpjXKN/26ca3464-c89c-4868-9f92-1171e3cdd8ae.jpg 1024w,https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/OQDBzZYiYuakXGpJFnElaKwvEsDpjXKN/26ca3464-c89c-4868-9f92-1171e3cdd8ae.jpg 2048w" src="https://prd-keizaikai-cdn.zuudev.com/600/400/OQDBzZYiYuakXGpJFnElaKwvEsDpjXKN/26ca3464-c89c-4868-9f92-1171e3cdd8ae.jpg" width="600"><div class="caption">カオピーズ代表取締役　チン・コン・フアン<br>TRINH CONG HUAN</div></div><p>創業者のチン・コン・フアン代表はハノイ工科大学出身。ＪＩＣＡによる日本向けＩＴ人材育成プロジェクトの１期生だ。ＩＴスキルと日本語を習得し、２０１１年東日本大震災直後に来日した。日本のＩＴ業界に身を置いて気付いたのはコボルなど古いプログラム言語で稼働を続けるレガシーシステムの多さだった。</p><p>「何十年も前に開発されたレガシーシステムは当時の担当者もおらず、ドキュメントもなく、何も分からない状態なのでベンダーも手を出したがりません。経営課題にＤＸを掲げ、ＡＩアプリを導入する企業も多いですが、肝心の経営システムが古いままでは連携や接続が不十分で、本来期待した性能を発揮できません」</p><p>14年、ハノイ工科大学出身の仲間３人と一緒にベトナムでカオピーズを設立。16年には国内営業拠点として日本法人を立ち上げた。強みは「スピード対応力」「如意なソリューション」「長期サポート体制」の「３Ｓ」だ。まず、プロトタイプのシステムを構築。最終的な製品をイメージした後、変更も含めてアジャイルに対応する。段階ごとの各フェーズに分けて収めるため、顧客は予算配分や途中経過を確認しやすい。稼働後も24時間３６５日体制で監視し、障害時も即時に対応する。</p><p>「開発力の源泉はベトナムにいる８００人ものエンジニアのリソースと彼らのハングリー精神です。常に新しいことへの挑戦を求めています。ベンダーが断りそうな困難なレガシーシステムの刷新もコードの解読から取り組みます。手間はかかりますが、だからこそやる価値があります。オフショア開発はコスト競争力も優位で、納期も短くすることが可能です」</p><p>評価は徐々に高まり、現在の顧客は２００社を超え、コンビニ大手や大手商社、学習塾大手なども名を連ねる。年間売上高は約20億円を超え、急成長を遂げた。今後はグローバル展開も加速させ、さらなる高みを目指す。</p><p>「シンガポールに拠点を構え、日本の品質をＡＰＡＣや英語圏へ広げて28年には売上高１００億円を目標に掲げています。日本国内のモダナイゼーションにも一層注力していきますので、ぜひご相談ください」 </p><div class="tableWrap"><table><tr><th width="30%">設立</th><td>2016年8月</td></tr><tr><th>資本金</th><td>5,000万円</td></tr><tr><th>売上高</th><td>20億円</td></tr><tr><th>本社</th><td>東京都豊島区</td></tr><tr><th>従業員数</th><td>70人</td></tr><tr><th>事業内容</th><td>オフショア開発事業、DXコンサルティング<br><a href="https://kaopiz.com/" target="_blank" rel="noopener">https://kaopiz.com/</a></td></tr></table></div>]]></content>
    <published>2026-03-31T05:00:00+09:00</published>
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    <summary type="html"><![CDATA[ベトナムのオフショア開発事業で頭角を現すカオピーズ。ＤＸ推進やＩＴ人材不足が叫ばれるなか、大手ベンダーが手を出しづらい国内のレガシーシステム刷新やアプリ開発を数多く手掛けてきた。約８００人ものエンジニアがベトナムから日本のＤＸをサポートする。（雑誌『経済界』2026年5月号より） チン・コン・フアン　カオピーズのプロフ[&#8230;]]]></summary>
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      <name>経済界編集部</name>
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