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「江戸しぐさ」の生まれた背景

江戸しぐさ

 「江戸しぐさ」のはじまりは、文化文政期、町人文化が発達し始めた頃にさかのぼります。江戸しぐさは、当時のビジネスリーダーである江戸商人が〝誇り〟として身に付けた「人の上に立つ者の生き方」が原点で、現代にも通じる、日本人が日本人らしく生きるための手立てでもあります。

 太田道灌が江戸城を築いた頃の江戸は、まだ芦が茂る手つかずの湿地帯で、寂しい漁村にすぎませんでした。そこに暮らす人たちは〝東夷(あずまえびす)〟と嘲られたほどの未開の地であった関東平野に、徳川家康は首都としての将来性を見いだしました。

 そして、開府のために大規模な土木工事を進め、侍や建設に従事する人たちの食料や着るものを調達するためにも、武士だけでなく町人の力も重要だったため、大阪は住吉辺りの商人をはじめ、伊勢商人、近江商人など、各地から1千人もの優秀な商人たちを呼び寄せ〝商いの町・江戸〟の土台を築きました。

 それから100年もたたないうちに、当時ニューヨークの前身ニューアムステルダムの人口が7万人、ロンドンが85万人という時代、江戸の町は100万人を超える世界有数の大都市にまで発展したのです。

 人口の内訳は武家と町方で半数ずつでしたが、住む面積は武家が圧倒的に広く、棒手振りから豪商まで、商人が8割を占めたといわれる町方は、人口密度が高くひしめきあって暮らしていました。出身地が違えば話す言葉や生活習慣、職業もさまざまな人々が、異文化のるつぼと化した狭い町で共に暮らし、一旗あげるとなると、軋轢やトラブルが起こるのは火を見るよりも明らか。

 この限られた環境の中で、〝どうしたら皆が気持ち良く稼ぎ、首都である江戸が栄えて、国が発展するだろうか!?〟

 それを、人の上に立ち、江戸をリードすべく商人の彼らが、常につむじを寄せ合っては考え、自らが目に見える〝しぐさ〟として、〝目つき、表情、ものの言い方、身のこなし〟に体現して示し、やがては江戸の町全体の生活哲学として浸透していったのです。

 これが、後に故・芝三光氏によって命名される「江戸しぐさ」のはじまりです。

 まずは、お得意さまを増やし繁盛を目指して懸命に働く。その商売繁盛の心得を、当時は「繁盛しぐさ」と言い、同時に、後継者育成にも力を入れるために、ビジネスシーンの処世術だけでなく、人生哲学にも心がおよぶ「商人(あきんど)しぐさ」が生まれたのです。当時の「江戸講」は、その研修の場。現代の講座や講演会に匹敵します。

 江戸しぐさの合理的で実践的な教えの数々は、現代に沿う分かりやすい言葉にして、今日まで口伝で継承されてきました。これから、ご一緒に、ひとつずつひも解いていきましょう。

 
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