経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

エレキとエンタの垣根をなくす「One Sony戦略」

ソニー本社の吹き抜けにつるされた70周年の垂れ幕

ソニー本社の吹き抜けにつるされた70周年の垂れ幕

消えてしまったソニープレミアム

「ソニー70周年のキーワードは感謝です。多くのステークホルダーに支えられて今日がある」(平井一夫社長)

ソニーは今年設立70年を迎えた。1946年5月、日本橋の白木屋(のちに東急百貨店となり、現在はコレド日本橋)の一角で産声を上げたソニーのその後の成長は、まさに神話企業に相応しいものだった。数々の画期的な商品を世の中に送り込み、市場を席捲していった。他社と同機能の商品であっても、ソニーの場合は高くても売れたことから「ソニープレミアム」といった言葉さえあった。ある程度年配の人間にとって、ソニーとは憧れの存在だった。

というような話を20代の若者に話しても、まるで関心を示さない。アップル製品に対する興味や関心はあっても、ソニー製品に対しては、他の電機メーカーと同じ程度の興味しかない。この20年の間にソニーはそんな存在になってしまった。何しろ少し前までは、エレクトロニクス部門は毎年赤字、それをエンターテインメント部門や金融部門の黒字で補填していた会社である。ヒット商品もほとんど出ていない。そんなソニーに憧れを持つはずがない。

それでも今のソニーは、長いトンネルから抜けようとしているように見える。前3月期の決算は売上高8兆1057億円、営業利益2941億円の増収増益。今期は円高やバッテリー事業売却に伴う減損や熊本地震の影響もあり減益となるが、それでも中期経営計画で示した、来期営業利益5千億円の目標は「チャレンジブルだが達成可能」(平井社長)だという。この状況に平井社長は、「完全復活とは言えないが方向性は間違っていない」と自信を深めている。

平井氏が2012年4月に社長兼CEOに就任して以来、ようやくその成果が出てきたようだ。

とはいえその道のりは容易ではなかった。就任直前の12年3月期の決算は、営業段階、最終段階とも赤字であり、最終赤字は4期連続だった。足を引っ張ったのがエレキ部門の赤字で、中でもテレビ事業は8期連続で赤字を垂れ流していた。

社長就任に際し、平井氏は「ソニーの本業であるエレキ事業を復活させ、13年3月期には黒字化する」ことをコミットメントとし、背水の陣でエレキの立て直しを宣言した。

ところが、このコミットメントは達成できなかった。そこで平井社長は役員賞与を返上するが、それでもエレキ部門の赤字は続いた。

ソニーの財務部門の経験者が振り返る。

「ソニーは70年間、販売を伸ばすことで利益を上げてきた。生産も販売もそれが前提の体制になっていた。市場が成長しているときはそれでよかったが、伸びが止まると、大量製造・販売のためのインフラ維持のコストが一気にのしかかる。この構造を変えることが必要だった」

この構造改革の試みは、平井氏が社長に就任する前から始まっていたという。平井氏もそれを引き継ぎ、人員削減や投資の見直しなどのリストラによって出血を止めようとした。しかしそれでも赤字は止まらない。もっと抜本的な対策が必要だった。

バイオの撤退とテレビの分社化

14年2月7日、ソニーは第3四半期決算を発表した。通常、ソニーの決算発表に社長は姿を見せないが、この日は平井氏が登壇し、ここでエレキの大改革を発表した。それが、パソコン事業の売却とテレビ事業の分社化だった。

ソニーのパソコン「バイオ」が発売されたのは1996年のこと。後発ながらスタイリッシュなデザインが話題を呼び、一定のシェアを確保していた。しかし実際には赤字が続いて、ソニーにとってはテレビと並ぶ厄介者になっており、株主の米ファンドからも売却を要求されていた。「パソコン事業を終息することは苦渋の決断だった」と当時、平井社長は語っていたが、エレキ復活のためにはやむを得ない選択だった。

同時にテレビ事業は分社化することで、一層の経営のスピードアップと責任の明確化を求めた。その結果、15年3月期にテレビは10期ぶりに黒字化を果たす。分社化の効果がさっそく出たことになる。この黒字は16年3月期も続いており、平井社長によれば「単に黒字になっただけでなく、収益に大きく貢献してくれている」。

もちろん、分社化しただけで黒字化するほど単純なものではない。平井社長は就任以来一貫して「シェアではなく利益を追求する」と言い続けている。「設立趣意書にも『いたずらに規模を追わず』と書いてある」と平井社長。しかし、一度染み付いた売上至上主義を変えるのはそう簡単なことではない。

平井氏が社長に就任した12年の段階では、当初、テレビの販売目標は4千万台だった。そこから数を追うことをやめた結果、昨年の販売台数はわずか1220万台。この販売数で利益を出すには、生産だけでなく、流通も含めた上流から下流まで一体の改革が必要だった。

現在テレビ事業を担当するソニービジュアルプロダクツの社長は高木一郎氏が務めているが、高木氏はコンスーマーAVセールス&マーケティング担当としてソニーの営業部門も統括している。これが大きいと平井社長は言う。

「昔は事業部と営業で意見の食い違いがあったが、高木が事業部のニーズと営業のニーズをバランスよくやってくれている」

1台でも多く売りたいという営業のニーズに応えて生産を重ねていては、在庫のリスクが高まる。在庫が増えれば、それを解消するため販売価格を下げるかインセンティブを増やさなければならず、収益を悪化させる。黒字化のためにはここにメスを入れる必要があり、実際、営業部門のサイズダウンなどのリストラも行っている。こうした施策の効果が出始めた時期と分社化のタイミングが一致したからこそ、分社初年度での黒字化が可能になったのだ。

全エレキ事業の分社化完了

こうした改革はテレビ事業にとどまらず、エレキのすべての事業で量から質への転換が行われた。分社化もこれまでに音響事業、半導体事業が独立、来年4月のカメラ事業の分社化で、エレキのすべての事業の分社化が完了する。

社内分社ではなく、独立会社として分社化することの意味は、平井社長のインタビューに詳しいが、これは平井社長、そして二人三脚で改革を進めてきた吉田憲一郎副社長の経歴も大きく影響している。

平井氏はソニー本体ではなく、当時は米CBSレコードとの合弁会社だったCBS・ソニーに入社する。その後、プレイステーション事業に携わることになり、06年にはソニー・コンピュータエンタテインメント社長となり、翌年にはCEOを兼務する。一方の吉田氏は、ソニーの財務部門を歩むが、00年にソネットに転じ05年にソネット社長に就任した。現在のソニーで代表権を持つ2人が揃って子会社の社長を務めている。その経験が、エレキの全事業の分社化という道へ進ませた。

社員が驚いた今春の役員人事

「One Sony」という言葉がある。平井氏が社長に就任して以来、一貫して言い続けていることだ。平井氏の前任のハワード・ストリンガー氏は、「Sony United」という言葉を使っていた。どちらも意味するところは同じである。部門間の壁をなくし、一体感を強め、ソニーとしての総合力を発揮していこうということだ。裏を返せば、ソニーはセクト間の壁が厚く(ストリンガー氏はこれを「サイロ化」と呼んだ)、お互いのことに無関心、自分の事業さえうまくいけばいいという雰囲気が漂っていた。

分社化によって各事業が独立すれば、むしろサイロ化が進むようにも思える。しかし実際は違うという。

「これまでエンタ部門や金融部門は別会社だったのに、エレキ部門は本体で行っていた。しかし今のエレキの分社化によって、すべてが子会社化となり、同じ兄弟になった」(ソニー幹部)

ソニーはエレキの会社と多くの人が思っている。これはソニー社員も同様だった。しかもエレキは本体、その他は別会社という体制が、エレキが上、その他が下という意識につながっていた。エレキの分社化はその意識を破壊する意味もあった。

さらに決定的だったのは今年4月の人事で、「平井改革の中でこの人事が一番インパクトがあった」と言う社員もいるほどだ。

4月1日付で、ゲーム&ネットワークス事業担当のアンドリュー・ハウス氏、映画・音楽事業担当のマイケル・リントン氏、AV機器事業を担当する高木一郎氏、携帯電話事業を担当する十時裕樹氏が揃って執行役に選ばれた。4氏はそれぞれ、事業会社のトップも務めている。「各会社のトップには本社の役員を兼務してもらった」と平井社長は言うが、ソニーの歴史の中で、事業会社のトップが本社の執行役を務めた例はほとんどない。しかもエレキ、エンタ、ゲームのトップがそれぞれ昇格した。平井社長は人事によってOne Sonyへの強い意思を示したことになる。

平井社長にとって、就任以来の宿題だったエレキの黒字化は、前3月期、ようやく達成できた。構造改革によってソニーの体力は確実に向上した。しかしOne Sonyの成果が出るのはこれからだ。エレキ、エンタのソニーならではの商品・サービスが出たとき、初めて「ソニー完全復活」と言えそうだ。

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