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落合陽一氏インタビュー「AI時代のアートと芸術活動」

落合陽一氏

機械学習を用いた画像解析によるイメージ生成など、AIはこれからの芸術活動にも影響を与えていきそうだ。人工知能がアーティストのクリエイティビティに資するとすれば、それはどのような形で実現されるのか。研究者、経営者、教育者という多様な顔を持ちながら自身もメディアアーティストとして制作を続ける落合陽一氏に話を聞いた。(経済界編集部)

落合陽一氏プロフィール

落合陽一

(おちあい・よういち)1987年生まれ、東京都出身。東京大学大学院学際情報学府博士課程を飛び級で終了。メディアアーティストとして情報技術と物理学を駆使した斬新な作品を制作し、国内外から高い評価を得る傍ら、筑波大学学長補佐・准教授・デジタルネイチャー推進戦略研究基盤基盤長、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授を兼務。企業経営者として、ピクシーダストテクノロジーズCEOの顔も持つ。

アートにおけるAIの創造性とは

―― 人工知能が創造性を発揮できるシチュエーションとは。

落合 まず元来、内的創造性の発露としてのアートには意義も目的もないと考えています。

作品が独立して存在することと、芸術文脈や手法的技術論、社会課題に対する芸術家の訴求や社会批評性といった意味を帯びることは全く別物です。作品の買い手や鑑賞者、批評家がいる社会構造の中で、作品が社会と照らし合わされた時に新たな観点や視座を生み出すことはあり得ますが。

そこでロボティクスやAI技術を活用して作品制作をすることは、身体が持つ「手癖」を用いてスケッチを描くのとは異なり、身体性を抜いた「統計性」を活用することに他なりません。

「創発」よりむしろ、ほぼ最初からゴールが見えている「最適化」とパターン出しなのです。アーティストに代わるような問題の枠組みに囚われない新接合を「創発」することとは話が異なります。

ただ、AIの強みとしてコストを掛けず、繰り返し試行錯誤が出来るという点が挙げられます。

試行錯誤を膨大に反復した結果として、人間の先入観から試みられなかった新しい組み合わせができて、結果としてユニークな形が出来るということはあり得ます。

しかし、それは微妙に現在我々が認識しているクリエイションとは異なるとは思います。もちろん人とAIがセットになればクリエイションの効率が上がることは間違いありませんが。

アートにおいてAIは人間の「手癖」を越えるのか

‐―― これからの時代、「手癖」は必要とされなくなると思いますか。

落合 自分自身、手先で実際の物を作ったり、加工したりすることが好きなので、手癖で出来る部分は手癖でやれば良いのではないかと思います。

僕が研究している「ホログラム」を伝統工芸で実現したものとして「魔鏡」がありますしね。今まで手癖で創っていたものをコンピュータの癖を用いて解像度高く正確に高度な計算で手掛けていくという話に過ぎません。

手癖では実現出来ない部分をコンピュータがサポートしているというだけの話であり、CADの構造計算が無ければ建築が出来ないように、システムによる試行錯誤のプロセスが早まった恩恵があるのは言うまでもありません。

昔は繰り返し建築模型を作っていたところを、現在ではコンピュータの中で最適化することで、形が出来るのですから。建築家のザハ・ハディドもスケッチの段階までは自分の脳で考えているものの、いざ実際に建てる段階になれば外部の演算、コンピュータによるCADは必須ですから。

AIの最適化計算によってコストダウンを実現し、作業負担が減り余剰時間を生み出せることは間違いありません。

とにかくAIの真価は、繰り返しの処理が何回でも出来る「最適化」の点だと思いますね。あとは限界費用の安いロボティクスをどう使うか。

AIなどのテクノロジーがアートを更新する可能性

 ―― 現代の作家の役割とは。

落合 AIなどの技術を使う事は道具の選択肢の一つに過ぎません。

自分自身、作品を創る時には最先端技術を用いる時もあれば、全く技術的なものを用いず手先で加工したものをつくることもあります。重要なのは作家の審美性による取捨選択です。

自分の審美眼にあわないものを世に出さないと決められるかどうかというのは、芸術家として非常に重要です。この審美眼に沿ってさえいれば、現代芸術の市場では手癖で自ら作品を創るにしても、あるいはAIで自動生成したものであっても、本質的な問題にはならないと思いますね。

審美性の内容ではなく、審美性があるか、ないかという点が肝になってきます。逆に広義の意味でアート性を更新することが芸術などだとしたら、アートを更新する技法はテクノロジーからしか出てこないかもしれません。

つくられた最初の新品の状態が一番価値があるとされた工業化時代と比べて、現在はポストものづくり社会です。

今は「工業社会」につくられて朽ちていくものの価値が上がっていくにはどうしたらいいか考えないといけない。つまり生産された後に情報によって付加価値が高まっていく社会です。

機能的には劣化しているはずなのに、劣化したものが味になって評価される社会は、「ブランド社会」とも言い換えられます。

作家や企業にとってこのブランディングは重要です。AIが最適化して出力したものにサインを書くだけで作品となるような時代ですから。

千利休だって箱書きしなければ茶器はそれなりの値段にしかならないかもしれないわけですしね。目の力とブランドが求められているのかもしれません。

落合陽一氏にとってAIは“タフなお弟子さん

落合陽一―― 審美性を担保するのは作家個人をおいて他にいないわけですから、AIもあくまでアーティストが使う道具に過ぎないわけですね。

落合 作家がお弟子さんと共同で作品を創っていて「この塗りはいいね」とかその都度判断して仕上げていきますが、AIの活用もそれと同じことだと思いますね。

相手が人間の場合、無茶な要求を出し続けてしまうと何をすれば良いのか分からなくなって精神が不調になってしまうかもしれないけど、AIの場合はそんなことはありませんよね。

その点AIはタフなお弟子さんです。作家のロボティクスが組み合わさっていれば創造性が向上するかもしれない。

また、僕は日頃のライフスタイルにおける「習慣」は重要だと思っています。それは欧米の現代アートとは異なり、日本のアートは日頃の所作と芸術が結合しているからです。

「侘び」「寂び」や茶道にも通底していますが、日常の所作そのものの中に美しさがあり、「美」がライフスタイルの中に完結しているのです。

ヨーロッパ的なAI技法による芸術文脈の構築より、僕は毎日の生活と仕事の中で、美と技の跳躍を繰り返し、今日も美しく一日を終えたいと思います。

インタビューを終えて

今回はAIとアートの関連性を中心に落合氏に語ってもらったが、「経営とAI」という観点から言えば、「AIを研究開発しながら、現場に最適化してソリューションをつくっていくことができる点が、ピクシーダストテクノロジーズという会社の強み」だという。

「メディアアーティスト、企業経営者、教育者とそれぞれの立場から見て並立しないような案件がもし出てきたときはどうするのか」とも尋ねてみたところ

「会社にいるときは経営的に合理的な判断しかしない。アーティストとしてはイエスでも経営者としてノーな案件は会社として扱わないが、その場合は仕事が僕個人に飛んでくることはある」

と落合氏は語った。

アッサリと言ってのけるが、落合陽一氏個人としても、経営者としても、研究者としても突出しているからこそなせる業で、どれか1つでも能力が中途半端ならこうはいくまい。

ちなみに、落合氏がリスペクトする経営者はエジソンとフォードだが、研究者としての色が濃かったエジソンより、ビジネスも成功させたフォードの方に自分の姿を重ね合わせているという。

アーティストや言論人としての異能が注目されることが多い落合氏だが、「経営者・落合陽一」としての手綱さばきにも注目したい。

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2018年03月06日 落合陽一に聞く「テクノロジーと近未来の日本像」

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