経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

化学素材産業の存在感が増している理由

榊原定征氏

化学産業の存在感が、かつてなく高まっている。汎用品が多く、原油価格に収益を左右されやすい石油化学(石化)事業への依存から脱却する一方、持ち前の技術力を生かして電子材料など高収益の製品を育て、事業構造の転換に成功しつつある。一般消費者向けのビジネスではないこともあり、世間の注目をそれほど集めてこなかったが、他の国内産業が国際競争力を失う中で、一気に黒子から主役へと躍り出ようとしている。

化学素材産業が成長する背景とは

経団連会長は2代続けて化学業界出身

「付加価値の高い製品へのシフトで生き残りを図っていくという、世界の流れとは違う努力を積み重ねた結果、全製造業で第2位を占める付加価値額になってきた」

2019年1月に東京都内のホテルで行われた日本化学工業協会(日化協)の新年賀詞交換会。淡輪敏会長(三井化学社長)は、ここ数年の化学産業の歩みを振り返りつつ、そう誇らしげにあいさつした。

総務省・経済産業省が行っている「経済センサス」を踏まえて作成された経済構造統計によると、2016年における化学産業の出荷額(プラスチック製品とゴム製品を含む)は42兆1270億円。全製造業中の約14%、輸送用機械器具に次ぐ第2位を占め、ここ10年はほぼ右肩上がりの成長を続けてきた。日本のお家芸と呼ばれたエレクトロニクス産業の没落とは対照的だ。

化学産業の躍進は、財界のトップ人事でも分かる。10年以降、故・米倉弘昌氏(住友化学元会長)、榊原定征氏(現東レ特別顧問)と2代続けて経団連会長が誕生。

経済同友会でも4月末まで三菱ケミカルホールディングス(HD)会長の小林喜光氏が代表幹事を務めた。米倉氏と小林氏は、異例となる財閥系からの就任だ。

榊原定征氏

榊原定征氏の経団連会長就任の背景には化学産業の躍進もあった

高付加価値素材が収益に貢献

好調の背景には、原油価格が低い水準で安定し、石化事業の採算が改善されたことが影響している。

しかし、高付加価値品の収益貢献も見逃せない。業界最大手の三菱ケミカルHDは、連結売上高の約3割を機能商品と呼ぶ高付加価値品で稼ぐ一方、石化の割合は高いシェアを持つアクリル樹脂原料「MMA」を入れても3割に満たなくなっている。

石化が売り上げの大半を占めていた時代は、横並びの体質が目立っていた。しかし近年はそうした体質が改められるとともに、他社にはまねできない「オンリーワン製品」の創出を競い合うようになっており、同じ総合化学メーカーでも事業は重複しなくなってきている。

三菱ケミカルHDは、傘下で食品包装フィルムや炭素繊維、薄型ディスプレー用フィルムなど多くの高付加価値品を手掛け、有望分野の光触媒で研究開発をリードしている。昭和電工は半導体などの製造に使う高純度ガスの世界トップメーカーで、鉄スクラップを原料とする電炉での製鉄に使う黒鉛電極にも強い。

高付加価素材がターゲットとする市場とは

自動車は高付加価値品の最大ターゲット

自動車は、こうした高付加価値品の最大のターゲットとなっている。

トヨタ自動車の豊田章男社長が「100年に一度の大変革時代を迎えた」と表現するように、電気自動車(EV)の普及に代表される電動化の波が一気に押し寄せ、素材レベルで軽量化のニーズが高まっている。自動運転車の普及をにらみ、カメラやセンサー、ディスプレー向けの素材開発も盛んだ。

軽くて強度が高いため、一部で鉄からの置き換えが進みつつある炭素繊維は、東レと帝人、三菱ケミカルHD傘下の三菱レイヨンが世界シェアの過半を握る。低燃費タイヤの原料に使う溶液重合法スチレンブタジエンゴム(S-SBR)は世界シェアトップの旭化成やJSRが強い。自動車向けの有望製品には、ほかにも耐熱性や強度に優れた高機能樹脂「エンジニアリングプラスチック(エンプラ)」などがある。

リチウムイオン電池における日本の優位性

日本は電子材料でも世界をリードしている。リチウムイオン二次電池の主要4部材といわれる正極材と負極材、セパレーター(絶縁材)、電解液はその代表的存在だ。中でもセパレーターは、中国勢が追い上げているが旭化成や東レなどの日本メーカーが過半のシェアを握り、技術的にも優位性を保っている。

リチウム電池は、液体の電解質で満たされた「プール」を、リチウムイオンが正極から負極、あるいはその逆方向へと移動することで充放電を行う。だが正極と負極が短絡しやすく、熱暴走や発火に至る恐れがあるため、安全対策を施さないと怖くて使えない。そのため正極と負極の間を、微細な穴をうがったシート状のセパレーターで仕切り、イオンを通すことでショートを防いでいる。

穴を開けるといっても、その構造や厚み、強度、表面形状のどれか一つでも条件を満たさなければ性能は著しく低下する。耐熱性などを高める後工程のコーティングも高い技術を必要とする。

旭化成や東レは、繊維事業で培った技術を応用しながら、課題を一つ一つ克服していった。旭化成は3月、日米の工場に300億円を投じてセパレーターの生産能力を18年度比で倍増させると発表したばかり。先端素材は、空洞化が進む国内生産の維持にも貢献している。

電子材料、ヘルスケアの分野も有望

電子材料では住友化学の攻勢も目立つ。同社は米テスラ製EVに搭載するリチウム電池向けにセパレーターを供給。液晶ディスプレーに使う偏光板でも強い。

そんな同社が特に期待しているのが、スマートフォンへの採用が広がる有機ELディスプレー向けの発光材料だ。

有機ELでは現在、真空装置内部で熱した発光材料を基板に付着させる「蒸着式」と呼ぶ製造法が主流となっており、赤、青、緑の3原色を塗り分けるのにメタルマスクと呼ぶ金属板を使っている。

これに対し、住友化学などが実用化を目指す「印刷式」は、インクジェットプリンターで基板に3色の発光材料を塗布して発光層を作る。真空装置やメタルマスクが不要になるため、コストを約3割も安くでき、画面の大型化も容易だ。住友化学は、日本の有機ELパネルメーカーであるJOLED(ジェイオーレッド)などに供給を始めている。

一方、ヘルスケアも各社が注目する分野だ。三井化学は、プラスチック製のメガネレンズ材料で世界トップのシェアを誇る。

メガネレンズは、1980年代前半まで大半がガラス製だった。樹脂製もあるにはあったが、光の屈折率が低すぎてガラス以上に分厚かった。三井化学はそんな欠点を克服する新素材を開発して87年に市場参入すると、一気に世界トップの座を奪った。同社は最近も、白内障などの原因になり得る短い波長の光を遮断できる素材を開発したばかりだ。

三井化学は、「爆買い」のターゲットとなっている紙おむつでも、東レや旭化成とともに素材の高機能不織布を供給している。

リーマンショックが高付加価値への転機

足下の業績が好調とはいえ、化学各社の経営はつねに順風満帆だったわけではない。むしろ原油価格の変動で収益が大きく変わる石化事業を抱えているため、安定しないことの方が多かった。2000年代以降も、石化で慢性的な供給過剰に陥っていたところにリーマンショックが直撃し、各社は軒並み赤字に陥った。

苦境から脱するには、設備の統廃合に踏み切るしかなかった。10年以降、石化製品の基礎原料であるエチレンの設備は、三菱ケミカルと旭化成が岡山県倉敷市の水島コンビナートにある設備を統合したほか、住友化学が国内生産から撤退するなどし、計3基も減らされた。これにより、収益力は確かに上向いた。

しかし海外に目を向けると、米ダウ・ケミカルと米デュポンが15年に経営統合を決めるなど、大手が合併や買収で相次ぎ経営規模を拡大。中国や中東では巨大プラントが相次ぎ立ち上がり、米国で生産が始まった安価なシェールガス由来の製品も脅威だ。いつかは苦戦する日が再び来るとみられ各社はもはや石化で海外と対等に戦うのは難しいとみている。

もっとも、石化の苦境は各社に事業構造を大胆に転換する必要性を自覚させ、高付加価値品を生み出す意味ではプラスに働いた。まさに必要は発明の母という言葉がふさわしい。

4月1日に就任した住友化学の岩田圭一社長は、就任前の2月に開いた会見で「課題は次世代を担う新規事業の育成」と強調した。岩田氏の発言は、規模の拡大より高付加価値品の育成による収益向上を重視する各社の姿勢を端的に示している。

幸い、各社はリチウム電池の生みの親でノーベル賞候補の吉野彰氏(旭化成名誉フェロー)に代表される優秀な研究者を社内に数多く抱えるほか、産学連携の伝統が残っている。性急に結果を求めず、長期的視野で研究に取り組む風土もある。住友化学は、有機EL発光材料の研究に約30年の歳月と1千億円以上の費用をかけたという。

最近は、これまでほとんど行っていなかった企業買収も駆使するようになっている。旭化成は15年、セパレーターメーカーの米ポリポア買収に同社で過去最大となる約2600億円の巨費を投じたことで、製品や技術の幅を広げることができた。

化学産業は、自動車や家電、医薬品や化粧品といった生活に身近な製品から、航空宇宙などの科学技術分野まで、あらゆる場面で素材を提供してきた。環境問題をはじめ、グローバルに解決しなければならない問題が急増する中、化学産業に寄せられる期待は大きくなる一方だ。

日本メーカーには、期待に応えるだけのポテンシャルがある。日本で危惧される少子高齢化も、考え方次第で「発明の母」になり得る。

かつて公害で批判の矢面に立たされた経験や、オイルショックなどの苦境から得た省エネなどの知見もある。

「経済、社会、環境の領域にまたがる『SDGs』の目標に対し、広く具体的なソリューションを提供できる唯一の産業。化学の力なくして持続可能な社会の実現はなしえない」

日化協の淡輪会長はそう胸を張る。

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