経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「過剰」の時代の経済学

榊原英資の「天下の正論」「巷の暴論」

経済学が意識するべき先進国に現れた3つの現象とは

 

フロンティアは失われ、モノがあふれている(写真:lmaginechina=時事)

品揃えが豊富な大型販売店は世界各地に。(写真:lmaginechina=時事)

 『成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか』(水野和夫・近藤康太郎著、徳間書店、2013年)の中で水野は「エコノミスト」について次のように述べている。

 「エコノミストがダメだなと思ったのが、98、99年ですかね。ある経産省の官僚と食事していて、『水野さん、来期のGDP成長率が何%なんて、そんな分析してちゃダメですよ』と言われた。わたしも、特にバブル崩壊後は、GDPがどうこうじゃなくて、日本はもっと大きな構造変化に巻き込まれているんだろうなぁと予感はしていた。3ヶ月後にGDPが、株価が、債権利回りがどうこうなんて、そんなことどっちでもいいんじゃないの、と内心思っていたんですね。日本が抱えている問題はもっと深い。そこからもう止めちゃったんです。」

 水野は21世紀に入って資本主義が16世紀以来の大転換期を迎えていると分析している。資本主義はフロンティアを次々と作り出し、「蒐集」をする時代から、「過剰」の時代に入ってきたという。フロンティアは失われ、少なくとも先進国では「モノ」があふれてきてしまった。そしてその結果、今までは見られなかった3つの現象が招来したというのである。

 「……一つは、金融経済の実体経済に対する圧倒的優位です。いわば、『犬の尻尾(金融経済)が頭(雇用などの実体経済)を振り回す』ようになりました。第二は、新興国の先進国に対する優位です。いわば『陸と海のたたかい』がはじまったことで資源価格の高騰時代を迎えたことになり、先進国にとっては交易条件の悪化で生産(実質GDP)ほどに所得(実質GDI)が伸びなくなりました。最後に、資本の労働に対する優位です。労働分配率の極端な低下にそれがあらわれています。」(水野和夫著『世界経済の大潮流』太田出版、12年、12ページ)

 

過剰の時代の経済学で評価・維持すべきものとは?

 

 フロンティア、つまり資本の拡張、投資機会が大きく減少し、利潤率・そして利子率が下がり、16世紀以来の「利子率革命」が進行しているというのが水野の分析のコアである。「経済学」はある意味で「不足」を対象とする学問だった。どこに不足があるのか、どこに成長の可能性があるのか、どうして成長率を高めるのか。こうした問いに答えるのが長い間経済学の課題だったということができるのだろう。エコノミストたちが来期のGDPに注目し、成長率をその分析の中心に据えたのもこうした時代にはむしろ当然のことであった。

 日本でも1960年代、下村治らを中心に高度成長政策に関する論争が展開されている。下村は日本経済の潜在成長力を高く評価し、池田勇人内閣のブレーンとして高度成長政策を政権の最重要課題に据えた。下村が指摘したように、この時期の日本は大変な成長の潜在力を持っていた。55年度から73年度の平均成長率は9・1%。60年度の成長率は12・0%にまでなっている。

 しかし、73年前後から日本経済は安定成長期に入り、74〜90年度の平均成長率は4・2%に下がってくる。そして、91年度から12年度の平均成長率は0・9%と1%を切るに至った。高度成長期から安定成長期を経て、日本は低成長期、水野の言う「成長のない社会」に入ってきたのである。12年の日本の1人当たり名目GDPは4万6707㌦と人口4千万人以上の先進大国では米国の5万1704㌦に次ぐナンバー2。しかも、日本の所得格差・資産格差は米国に比べてかなり低いので、恐らく、平均的日本人は平均的米国人より豊かだと思われる。これだけの豊かさを達成した国、しかも人口が減少している国で成長率がゼロに近くなるのは、むしろ当然のことなのだろう。

 前述したように日本は「不足」の時代から「過剰」の時代に入ってきた。そうなると、経済を分析する枠組みも変わって当然なのではないだろうか。

「過剰」の時代の経済学は、「成長」を指向するのではなく、「成熟」のメリットを評価し、これを維持することを目指すべきなのだろう。 (文中敬称略)

 
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