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「憲法論議は議員の国家観を示す場」―山尾志桜里(衆議院議員)

山尾志桜里(衆議院議員)

憲法改正を悲願とする安倍首相は、国民投票法改正や審議会での議論を経て2020年中に発議というシナリオを描いているとされる。これに対して野党は「安倍政権下での改憲議論は応じられない」と対決姿勢を示しているが、先の臨時国会で「自由な議論はするべきだ」と発言し野党内に物議を醸したのが立憲民主党の山尾志桜里衆議院議員。憲法をライフワークとして取り組んできた山尾氏の真意はどこにあるのか。また、山尾氏が最近取り組み始めた外交政策論の研究は、政権交代の野党結集の際の柱になる可能性も秘めている。Photo=幸田 森(『経済界』2020年2月号より転載

山尾志桜里氏プロフィール

山尾志桜里

(やまお・しおり)1974年生まれ。宮城県出身。東京大学法学部卒業後、2002年司法試験に合格。検察官として東京地検、千葉地検、名古屋地検・岡崎支部に勤務する。検察官退任後、09年民主党公認で衆議院初当選。法務委員会筆頭理事、民主党役員室次長などを経て、16年民進党政務調査会長。17年立憲民主党に入党。党憲法調査会事務局長、党「安定的な皇位継承を考える会」事務局長、法務委員会筆頭理事、憲法審査会委員、党政務調査会長代理などを務める。

憲法論議を行うのは与野党共に不自由な現状

―― 臨時国会での憲法論議の進め方についての発言が話題になったが。

山尾 国会の憲法審査会で、私は手続きだけじゃなく中身についても自由に議論すべきだと言いました。憲法はもちろん国民のものですが、みなさん実生活があって忙しい。政治に直接かかわったりじっくり考えたりする時間をどれだけ確保できるか。

一方で、議員は専門職として議員の仕事だけして歳費をもらって生きて行く。ならば、憲法についてはなにが課題で、どんな選択肢があって、それぞれにいかなるメリット、デメリットがあるかといったことを、憲法審査会で議論をして、国民に議論の素材を提供する。せめてそれぐらいの仕事はやろうよという意味だったんです。

―― 国会議員として当たり前のことを言ったと。

山尾 「自由に」と言ったのは、ものすごく不自由な今の状態の裏返しなんです。私が発言したことは、立憲民主党の公的見解には反していません。でも党の空気には反している。なぜなら深層にあるのは、安倍政権のもとで憲法の議論に乗っかって行ったら、コアな支援者はがっかりするよと。いま野党共闘で大事なところだから、政治家なんだから分かるよねっていうことなんですね。

一方、自民党もそうです。自由に討議とは言っていますが、結局自由討議の時間を安倍首相の改憲4項目を説明しましたという形式的実績づくりに利用する動機が透けて見える。どちらも不自由です。そうしたことを考えると、国民が求めている議論はもはや政党にはなくて、議員一人ひとりの中にあるんだと思います。議員が政党や支援者などのしがらみを離れて、この国の統治のあり方のどこに問題を感じ、どのように解決していきたいのか示していくことが、憲法論議です。せめて憲法審査会の場では、「全国民の代表者」である1人の国会議員として、自らの国家観を憲法に映し出し、真摯に語りあおう。それを国民だけでなく議員の皆さんにも伝えたかったんです。

―― 審査会のメンバーの反応は?

山尾 空気が乱されていましたね(笑)。後ろの傍聴席からも、左右の議員席からも、驚きであったり、反発であったり。でも共感も少なくなかったと思います。ほんとに複雑な反応があって、鈍感な私でさえ気付いた(笑)。でも、私は「自由に議論しよう」と言って驚く国会に驚きました。

リベラル野党というのは、自由な議論、多様な意見こそが強さだという正論を看板にしている以上、政党のガバナンスにおいても、その価値観を行動で見せていかなければいけません。一方、自民党が「多様性が大切」と言ってみても、国民はそこには期待してませんから。むしろ現実路線でまとまって政治を停滞させずにその場その場で対応してくれと、この期待に応えていけばよいわけです。リベラルを掲げて政治をするというのは、それだけ厳しい覚悟が問われるということですよね。

憲法9条改正の議論から逃げない

―― 憲法改正などの論議で何が柱だと考えるか?

山尾 私は憲法論議の中では、憲法9条と憲法裁判所が中核だと思います。憲法の役割で中心的なことは、国民意志で権力を統制することです。イメージしやすくいうと、三権分立の三角形が歪んだときに国民がどう修正するか。今まさにそうですが、内閣(行政)が1カ所だけ鋭角になっている、強くなって好き勝手やっているとか、国会と裁判所(司法)がへこんでいるとか。その三角形を国民の手の中でデザインするのが憲法だと私は思っています。

例えば、内閣の解散権を制約するとか、憲法改正に限らない国民投票の制度を考えるとか。あわせて、内閣の行政権が最も先鋭化するのが自衛権ですから、その統制という意味で憲法9条からは逃げられない。しかも、ルールだけ作ってもレフェリーがいないとダメなので、憲法裁判所の議論が大切です。

―― 安倍首相は9条改正にこだわっているがご自身の考えは。

山尾 安倍首相の自衛隊明記案、「自衛隊を書くだけ」案は、戦力と自衛隊の矛盾も解消しないし、違憲の疑いも払拭されないし、憲法上の歯止めもなくなる。そもそも、9条を改正するということは、戦後日本の本質的な問題と対峙し対米関係を再定義していく作業ですから、その覚悟がないならやめた方がいい。

9条には、日本は戦力を持たず交戦権は認めないと書いてある。でも、自衛隊が生まれ、個別的自衛権の一部行使が可能になり、外国の戦争にアメリカ兵を輸送することも許され、交戦権主体としてのPKOにも参加し、最後の最後は集団的自衛権も一部解除された。そういう状況を見ると、9条の建前で自衛権を抑え込んで行くという統制力が既に効果を持たなくなったという段階に入ってしまいました。

―― すると9条改正論議から逃げないということか。

山尾 まずは安全保障の議論から逃げないということです。安保法制の議論では、合憲・違憲の評価の対立が先鋭化して、中身の安全保障の議論、つまり集団的自衛権を解除することが本当に現在の日本の国益にかなうのかという議論はほとんどできていません。改めて、この観点で国民的議論を提起して、一定の方向性が見いだせたなら、次に、憲法にはどこまで書くべきなのかを検討するという、二段構えの作業をしないといけません。

私は、立憲的改憲として自分の9条案を提示しています。憲法9条に、安保法制前の自衛権の範囲、つまり旧三要件を明文化するものです。そしてこの範囲においては、自衛権は「戦力」であり「交戦権」の一部行使であることを正面から認めて、矛盾を正し、存在を認めた上で厳しく統制するという考えです。もちろんこれはたたき台なので、議論した上でよりよく磨き上げられるならありがたいと思っています。

山尾志桜里

「安全保障と憲法の議論から逃げない」と語る山尾氏

憲法裁判所が必要な理由

―― もう一つ挙げた憲法裁判所についてはどうか?

山尾 私はずっと憲法裁判所論者です。どんなふうに憲法を変えても、それを守らせる仕組みを作らないとだめ。日本では、最高裁判所の裁判官の人事は内閣が握っている。だから、裁判所は統治行為論を使って憲法判断から逃げるのです。とりわけ、内閣のふるまいについての違憲判断にはものすごく消極的です。だからこそ、公正に任命された裁判官で構成される憲法判断から逃げない裁判所を作るべきだと思います。

このテーマは、護憲・改憲の立場を超えて、憲法の中身に関係なく憲法を守らせる仕組みづくりとして議論できるはずです。そして、もし憲法裁判所が必要だとなれば、その仕組みづくりのために法律改正で対応できるのか憲法改正が必要なのかを吟味すればよい。本質的には、共産党から自民党まで乗れるテーマだと思います。

「外交は票にならない」は嘘

―― 安倍政権に対抗する政策として、外交を挙げているが。

山尾 「外交は継続性が大事」と言われますが、転換しなければならない局面もあります。そして外交方針の転換は、政権交代しないと本当に難しい。オバマ政権からトランプ政権に見るアメリカの路線変更に象徴されるように、内容の良し悪しは別として、政権交代は路線変更のトリガーになるのです。日本の本質的な問題は日米関係をいかに再定義して国家主権を確立するかということだと思います。自民党政権では日米関係を正常化していくことが難しいからこそ、野党が政権をとってやりますと打ち出すべきです。

集団的自衛権を一部解除するなら、日米関係再定義の最大のチャンスとすべきであったのに、第二次安倍政権はそうしなかった。むしろ、米軍と自衛隊との軍事的一体化を強める一方で、対米追随型の日本という国際社会の見方を完全に固定化してしまった。

集団的自衛権の一部解除という強いカードを切ったにもかかわらず、日米地位協定の交渉・改定を一歩も進めることができなかった政権に、もはや日米関係の再定義という戦後日本の課題は乗り越えられないと思います。これまでの信頼関係は継続しながらも、政権を変えて方針を変えるしかないんじゃないですか。旧三要件に絞られた個別的自衛権の範囲で自主防衛はむしろ強化する。

一方、一部解除された集団的自衛権は政権交代と共にいったん収納させてもらい、外国の戦争には参加しないことを改めて宣言する。他方、集団安全保障においては戦争・紛争後の平和構築の分野でお金も人も技術も投入して先導し、外国の戦争に参加しない中立性を最大限に生かした国際貢献を実行する。政権交代により実現する外交・安全保障の旗印として、明確に掲げるべきだと思います。

―― 安倍政権は長期政権の成果として外交の継続性と安定を挙げているが、むしろそれは逆ということか。

山尾 香港の問題もそうです。香港で自由と法治を求めて市民が戦っていて、それに行き過ぎた弾圧が加えられている。こんなときこそ、日本は人権国家としてメッセージを出すべきですが、現政権ではさまざまなしがらみが強すぎて打ち出せない。

あわせて、国際社会が日本に求める役割を考えると、戦争そのものの勝敗よりも、戦後の平和構築に成功するか失敗するかこそが本当の勝敗だという時代になっているとき、まさに平和構築での国際貢献を強く打ち出す。野党の側が、そうした説得的な外交方針を提示できたときに、政権運営の免許を国民に対して証明できると思います。「外交が票にならない」というのは嘘だと思っていて、国民は外交の重要性を知っています。必ず国民に届きます。

女性議員という枠を超えた“山尾志桜里らしさ”とは

―― 女性議員としての注目度も高いが。

山尾 最近思うのは、おじさんたちの期待に応える優等生で居続ければ女性議員は居心地がいいということですね。正直に言って、私もそうした優等生だったし(笑)、政権に対して野党の「モノ言う女性議員」という役割を果たしているかぎり、重宝されました。

ただ優等生の範疇を超えて、自分の頭で考えて、話し出して、行動し始めると、やはり永田町の男尊女卑という側面が見えてきますね。女性議員は女性政策以外のことを勉強して、活動したほうがいい。どうしても振られる仕事もインタビューも、子育て政策とかジェンダー政策にかたよりがちですが、その傾向に甘えて女性政策ばかりやっていると批判されにくいし楽なんですよね。つまり実力はつかない。男性も女性も関係なく、政治家として憲法も外交も経済もしっかりやってビジョンを打ち出す。そうありたいですね。

インタビューを終えて

枝野氏が立憲民主党発足前の民進党幹事長の頃、党内の山尾氏や辻元清美氏など女性議員との懇談で、議論でやり込められた枝野氏が黙り込んで頷いているシーンが度々あった。枝野氏いわく「議論しても敵いません。間違いなく初の女性首相は野党から出ますよ」。自民党の同じような会合では女性議員たちは盛んに男性ベテランに気を遣うが、野党の女性議員から強さや文化を感じたものだ。山尾氏は元検事。法律論から子育て・女性問題まで幅広く一家言ある。与野党対決や野党結集が大詰めを迎える中、「政策論議にこだわる姿勢」(本人談)を貫く女性議員としてどう存在感を示すか注目だ。(鈴木哲夫)

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