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「世界的映像機器メーカーが貫く顧客ファーストの精神」―グラント・ペティ(ブラックマジックデザインCEO)

グラント・ペティ(ブラックマジックデザインCEO)

 豪ブラックマジックデザイン社は、一般的な知名度は高くないが、世界中の映像制作関係者の間で高く評価されている機器メーカーだ。創業者のグラント・ペティ氏は、もともとテレビ業界でエンジニアの仕事に従事していたという経歴の持ち主。どんな問題意識から起業し、顧客にどんな価値を提供しようとしているのか。(文=吉田浩)

グラント・ペティ(ブラックマジックデザインCEO)プロフィール

グラント・ペティ(ブラックマジックデザインCEO)

1968年生まれ。オーストラリア出身。テレビ業界の技術者を経て2001年ブラックマジックデザインを創業。放送業界のクリエイター向けに高品質・低価格な製品開発を続け、現在は米国、日本、シンガポール、中国、英国など世界中に拠点を持つ企業に成長させる。

ブラックマジックデザイン創業の経緯

起業のきっかけは放送業界への疑問

 技術者出身の経営者は、ときに視野が狭くなりがちだ。「良いものをつくれば売れる」という信念が強すぎるあまり、真の顧客ニーズや本質的な問題解決から逸れていくといったケースは往々にして見られる。

 ブラックマジックデザインCEOのグラント・ペティ氏は、そんな技術者上がりの企業トップとは一線を画す。1を聞けば100が返ってくる思考の幅を持ち、物事を多面的に捉えている。「良いものをつくりたい」という想いは非常に強い。しかし、創業の動機となった「業界の矛盾点を解決する」「顧客が持つ真のクリエイティビティを開花させる」という軸をぶらさず、事業を成功に導いた。

 今や映像編集、ビデオスイッチャー、フィルムスキャナー、ディスクレコーダー、デジタルカメラなど、さまざまな製品を手掛けるようになったブラックマジックデザインだが、その歴史はテレビ業界のエンジニアだった同氏の素朴な疑問から始まった。

ブラックマジック社製品

世界中のクリエイターが愛用するブラックマジック社製品。(写真は「Pocket Cinema Camera」)

 「非常に奇妙な状況だった」と振り返る当時のテレビ業界の問題点とは、映像制作の過程が複雑で、誰も技術の全体像を把握していないことだった。クリエイティブのために本当に適切なコストを把握することが困難だったがゆえに、現場は業者が提示するままに高価な機器を使用するしかなかった。

 プロ仕様の専用機器はどれも購入するのが非常に困難なほど高価だったが、価格の根拠について周囲の誰も知らなかった。たとえば出版業界では、PCで処理できる安価な編集ソフトを使っているのに、放送業界特有の慣習によって高価な専用機器を購入せざるを得ない状況だった。

 「だから新しい技術を使って低価格なものを作ろうと考えたんです。当時使っていたのは大型コンピュータを用いたシステムでしたが、Macを導入することでコストダウンが図れると思いました」と、ペティ氏は語る。

資金調達の苦労で理解した既存ビジネスの矛盾

 映像編集者やソフトウェアエンジニアなどの仲間数名と独立したペティ氏は、まずMacに挿入して高品質な映像を取り込むためのキャプチャカードを製品化した。その後もしばらく、クリエイターが手軽に購入できる価格で使用できる製品の開発に没頭する。

 最初の一歩を踏み出したものの、数年間は苦しい経営が続いた。「業界を変えてビジネスの在り方をシンプルにしたい」という考えはなかなか周囲に理解されず、製品開発のための銀行融資も受けられなかった。

 手持ちのほとんどの資金を製品づくりのための電子部品購入に使い、入金があるとすぐに次の開発のために費やした。お金が入っては出ていく当時の状況を「ほとんどキャッシュフローマシンでした」と、ペティ氏はジョークを交じえてふり返る。

 「投資が得られなかったのは本当に苦しかったです。純粋にテレビ業界を変えたいと思っていたんですが、業界が資本集約型ビジネスであるだけでなく、他の多くのビジネスの世界においても欠陥があることを理解するのに時間がかかりました。ここオーストラリアでは私のような考えの人はほとんどいなかったので、自分のことを間違った国で間違った人間が間違ったことをやっているようにすら思えました。私が最も危惧するのは、何か新しいことをしようとしても、確固たる指標や過去の実績がなければ融資も世間的な承認も受けられないことです。でも、それでは新しいものは何も生まれません」と語る。

起業当初、自らの思いはなかなか受け入れられなかった
起業当初、自らの思いはなかなか受け入れられなかった

ブラックマジックデザインの理念と経営

クリエイターが創造性を発揮できるようビジネスを変革

 厳しい時期を経ながらもブラックマジックデザインの製品が支持を集めていったのは、映像に関するさまざまな領域の技術を俯瞰して、クリエイターが使いやすい製品を創造する着眼点を持っていたことが理由だ。

 「エンジニア時代はテレビの世界が大好きだったので、できるだけ多くのことを学びたいと思っていました。学べば学ぶほど、周囲の専門家たちのスキルや経験を理解できるようになるからです。私自身は単に技術を学びたいだけでしたが、創造的な人々とつながることは、非常にエキサイティングでした」

 そうした姿勢は、現在のブラックマジックデザインの製品によく表れている。たとえば人気商品であるビデオスイッチャー「ATEM Mini」。複数台のビデオカメラからの入力、画面切り替えなどが実行でき、高品質なライブ映像で実現できる上、PCやゲーム機との接続も可能だ。プロが使える商品でありながら、4万円を切る価格で提供している。

プロが使える高機能と低価格を実現した「ATEM Mini」
プロが使える高機能と低価格を実現した「ATEM Mini」

 また、2009年に買収した米da Vinci社の動画編集ソフト「DaVinci Resolve」は、もともとカラーコレクション(色彩補正)用にハリウッドの映画製作などに使われていたが、現在は映像、音声編集などの機能を統合し、無償版も提供していることから、一般ユーザーも気軽に手が出せるようになっている。

 実際、DaVinci Resolveは、無償版と有償版で機能面での差がほとんどない。そのため、目先の収益を考えるとかなりの大盤振る舞いにも見えるが、そこには「ユーザーの階層分類はテクノロジービジネスにそぐわない」という信念がある。

 「顧客を囲い込んで、強制的に支払いさせることもできるでしょうが、それは顧客の利益に反します。たとえばユーザーが失業などで月額料金を払い続けることが難しくなれば、それまでキャリアを積むためにやってきたこと全てが終了してしまいます。これ以上悲惨なことはありません。どんなライセンス契約にも縛られず、長期間使用することができれば、そうした心配はありません。私たちのビジネスモデルは、顧客であるクリエイターを成功させることです。実際に成功して利益を上げる人が増えるほど、実際にアップグレードしてより高価な製品を購入していただけます。それは非常に良い関係性だと捉えています」

M&Aは高い技術力と低い経営力の企業に着眼

 da Vinci社だけでなく、ブラックマジックデザインでは必要な技術を得るために、これまで何度か他社の買収を手掛けている。提携や買収の対象を見極めるポイントの一つとしてペティ氏は「良いエンジニアがいるにもかかわらず、経営が上手く行っていない会社」を挙げる。

 たとえば、2012年にフィルムスキャナーの老舗企業である英Cintel Internationalを買収したときのことだ。多くの人々は既にフィルムスキャニングの事業は終わっていると考えたが、ブラックマジックデザインでは、これからフィルムで撮影する人たちではなく、過去に撮影したフィルムをスキャンし直して復旧させたり、Ultra HDコンテンツとして配信したりするマーケットに着眼した。優れた技術を取り込んで自社でさらに進化させ、適切な市場に投入することで成功した一例だ。

 技術力が武器のブラックマジックデザインの最大の強みは何か。そう尋ねると「月並みかもしれませんが」と前置きしつつ、「やはり“人”ですね。実際そうなんです」とペティ氏は答える。

 「優秀な社員を多く抱えていますが、私の仕事で最も重要なことは、その優秀さを発揮できるようにすること。例えば日本支社にしても、私は社長の諸原を指揮するためにいるのではなく、サポートすることが仕事です。ある意味、ヒエラルキーが逆さまなのかもしれません。クリエイターが必要とするすべてのものを提供するために、とにかく挑戦し続けることが大事です。それで得られるものは直接的には知的財産や素晴らしいデザインなどですが、そうした仕事からもたらされる企業文化のようなものもあります」

 顧客であるクリエイターと向き合う姿勢と同じく、社内でも人材が力を発揮できるように努める。そのため、買収した企業の社員に対しても、自社のカラーを浸透させるために特別なことはしていないという。

 「秘訣みたいなものはなく、ひとたび製品開発を始めたらそこに集中するのみです。本当に良い製品ができて世の中に出すことができれば、それがエンジニアの新たな自信になりますから」

人材が力を発揮できる環境が競争力を生む
人材が力を発揮できる環境が競争力を生む

映像配信市場拡大で増えるビジネスチャンス

 個人によるユーチューブ配信や企業のオンラインミーティングなど、映像編集・配信のマーケットが世界中で拡大しているため、ブラックマジックデザインの商機も今後ますます拡大していく可能性が高い。たとえば日本でも、オンライン授業に同社の動画配信機器を導入する大学が出てくるなど、新たな顧客開拓への期待は高まる。

 「将来の予測はとても難しいですが、われわれが予想していなかった方面で製品が使われることもあり、変化し続けながら拡大する興味深いマーケットになっています」とペティ氏は語る。

 そうした現在の状況は、「最初にキャプチャカードを製品化したときから、ビジネスのプロではない普通の顧客が、自らビジネスを始めてほしいと思っていた」という同氏にとっては望ましいものだろう。 

 「今では学校の生徒が卒業するまでに、自分のユーチューブチャンネルで先生より多くのお金を稼ぐこともあるように、ビジネス参入に障壁はありません。ルールに従うだけでリスクを取らなければ多様性に欠け、ヒエラルキーが固定した世界になってしまいます。新しいことに挑戦して、考え方や文化を変えていってほしいと思っています」

 業界の常識を疑うことから始まった自身の挑戦を、顧客にも経験してほしい。ペティ氏の言葉には、そんなメッセージが込められているように思える。