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「困難でも夢をあきらめなかった だから今の自分があるんです」―岡野雅行(ガイナーレ鳥取代表取締役GM)

岡野雅行・ガイナーレ鳥取代表取締役GM

ゲストは「野人」こと、元サッカー日本代表FWの岡野雅行さん。現在はガイナーレ鳥取のGMを務めています。無名の一選手がプロになり、ワールドカップ出場を決める決勝ゴールを上げるまでの軌跡を振り返りつつ、これからのサッカー人生を語る、笑いのあふれる対談となりました。聞き手=佐藤有美 構成=大澤義幸 photo=萩野哲生(『経済界』2021年4月号より加筆・転載)

岡野雅行・ガイナーレ鳥取代表取締役GMプロフィール

岡野雅行・ガイナーレ鳥取代表取締役GM
(おかの・まさゆき)1972年横浜市生まれ。元サッカー日本代表。大学3年時に浦和レッドダイヤモンズ入団。仏W杯アジア最終予選で決勝ゴール。ヴィッセル神戸や海外リーグを経て、2009年ガイナーレ鳥取に移籍。13年現役引退、代表取締役GM就任。

無名の高校時代を経てフランスW杯出場を手に

佐藤 岡野さんと言えば、「野人」。現役時代、長髪をなびかせピッチを縦横無尽に走り回る姿が印象に残っています。フランスワールドカップ出場を決めた、1997年のアジア最終予選の決勝ゴール(「ジョホールバルの歓喜」)も記憶に鮮明です。スーツ姿でも当時の精悍さは変わりませんが、いつから野人なんですか?

岡野 浦和レッズで豪州キャンプに行く機会があり、成田空港に皆がスーツ姿で集合する中、僕だけTシャツに短パン姿だったんです。監督や先輩から「遊びじゃない!」と叱られていたときに、GKの土田尚史さんが「おまえ、野人みたいだな」と。同行記者がそれを拾って記事にしたのがきっかけです。

佐藤 100メートル10秒台の走力ではなく、見た目なんですね(笑)。

岡野 プレースタイルもありますが、ニックネームが野人化に拍車をかけましたね。連敗続きの浦和レッズでゴールを決めれば、翌日の新聞の見出しは「野人がレッズを救う」となり、試合中にぶつかった相手は重傷なのに自分は軽傷だったり。あるとき、キングカズこと三浦知良選手が、「俺はキング、ゴン(中山雅史さん)はゴンだから、野人のおまえは野人でいろ」と言ってくれて、野人として生きることを決めました。

佐藤 決意されたんですね(笑)。でも実力が伴わなければ定着しませんから、素質があったんですね。学生時代はサッカー三昧ですか?

岡野 中学時代はやんちゃで、高校は島根県の全寮制の日大の付属校に入学しました。そこは全国から札付きの不良が集まる、漫画『魁!! 男塾』のモデルとなった高校で、周りは毎日ケンカ、門限は17時、座禅の授業もありましたね。入りたかったサッカー部がなかったので、理事長に掛け合って創設し、部員募集をかけると翌日20人集まりました。

佐藤 すごい人気ですね。

岡野 練習で校外に出られるからです(笑)。ところが、近隣の高校は怖がってどこも練習試合を受けてくれません。ようやく見つかった高校とも、試合開始直後に大乱闘に。でも先輩も反省してくれて、皆で練習に真剣に取り組むようになり、1年半後には県ベスト4になって、県選抜も2人も出ました。

佐藤 すごいですね! 岡野さんは監督兼選手として高校で活躍し、大学でも注目度は高かったでしょう。

岡野 いえ、全く(笑)。日大サッカー部はエリート高校の出身者ばかりで、僕は洗濯係でした。それでも空き時間に一生懸命練習し、2年時にOBが「おまえは頑張ってるな」と、天皇杯のサブメンバーに選んでくれたんです。先輩や同期からねたまれましたが、その試合に交代出場して6点取ったことでレギュラーになり、大学選抜に入りました。3年時には天皇杯初戦で強豪の筑波大学と対戦し、僕が5人抜きして2点取り、まさかの勝利。夢だったJリーグの6チームからオファーが届き、浦和レッズに入団しました。どんな環境でもあきらめずにサッカーを続けてきてよかったと思った瞬間です。

佐藤 小さなチャンスをつかみ、結果を出した。努力の賜物ですね。その後、日本代表となり、「ジョホールバルの歓喜」に至るわけですが、あの大会を振り返っていかがですか?

岡野 地獄でしたね。アジア最終予選で苦戦し、マスコミや世間の批判にさらされました。加茂周監督が更迭され、岡田武史コーチが監督に就任しても勝てず、皆プレッシャーに泣き、胃薬が手放せない選手もいました。負ければ石を投げられる時代でしたから。

 プレーオフでイランと対戦し、僕はその延長戦で初出場しました。ヒデ(中田英寿)からのキラーパスを何度も外し、日本から来てくれた1万人のサポーターから怒声を浴び、もう帰国できないと観念しましたが、ヒデのシュートのこぼれ球が目の前に来て、スライディングシュートで押し込んだんです。頭が真っ白になりイランベンチに走り出していましたね。

佐藤 私も感動して叫んでいました。日本中の願いが込められた、サッカー史上に残るゴールでしたね。

J3からJ2昇格を目指すガイナーレ鳥取のGMに

佐藤 今はJリーグクラブのガイナーレ鳥取の代表取締役ゼネラルマネージャーに就任されています。

岡野 ガイナーレ鳥取は僕の現役最後のクラブで、引退時にJ2からJ3へと降格し、そのときに社長にGM就任を頼まれたんです。クラブ運営のためにスポンサーを探したり、講演やイベントなどPR活動をしながら、J2昇格を目指しています。限られた予算内で選手の獲得や育成を行うので大変は大変ですね。

佐藤 岡野さんがGMに就いて、新たな取り組みはされましたか?

岡野 地元の漁師さんと組み、クラブ運営費の寄付の返礼品として魚やカニが届くプロジェクトを開始し、その資金を元に国内外の有能な選手を獲得しました。県のPRになり、僕たちは選手を獲得でき、支援者も喜ぶプロジェクトなので、これは継続したいですね。

佐藤 地域活性につながりますね。

岡野 鳥取はサッカーが有名な地域ではありませんが、Jリーグのクラブがあること自体が素晴らしいんです。島根の高校のサッカー部も無名でしたが、見てくれる人はいました。ガイナーレ鳥取でも将来有望な選手と契約したり、若者を練習に参加させていますが、活躍すれば見てくれる人は必ずいます。そんな思いでクラブの強化を図っています。

佐藤 クラブづくりは高校時代の延長のようですね。岡野さんのセカンドキャリア、応援しています。

佐藤有美と岡野雅行
野人から一皮むけた岡野さんの活躍を期待しています(佐藤)