経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

格差はいかに生み出されるか

実践主義者の経済学

格差・貧富の差を生み出す政商の存在

 現在のミャンマーと米国には、共通点がある。国内の一部の産業で独占環境がつくられ、所得格差が拡大しているという点だ。

 筆者は今年の5月に取材でミャンマーに行ったが、同国の「所得格差」に驚愕してしまった。ミャンマーの格差は日本人には想像もつかない水準で、中国や南米とジニ係数で争えるほどに、国民の所得に開きが出ている。

 ヤンゴンの街を自動車で走ると、朽ち果てたマンションが密集する貧困地帯と、道路ひとつ挟んだところに「大豪邸」が建っているのを頻繁に見掛ける。日本では絶対にあり得ない規模の大豪邸で、豪奢な庭園に巨大なプールがあり、

「ここは、ビバリーヒルズか?」

 と思いたくなるほどなのだ。もっとも、ビバリーヒルズは「地域」として富豪やハリウッドスターなどの豪邸が集まっているわけで、貧困層と富裕層が隣り合わせで住んでいるわけではないだろうが。

 ミャンマーの「極端な所得格差」をもたらしたのは、何だろうか。実は、「政商」の存在だ。政商とは、政治家と結びついた企業家、投資家のことであり、法律や認可等で各種の「既得権益」を保有し、独占的、寡占的に「巨額の所得」を稼ぐ人々を意味している。

 ポイントは「政治と結び付き、既得権益を確保する」という部分になる。例えば、以前のミャンマーでは「輸入」が認可制だった(今も一部、認可制が残っている)。一般のミャンマー国民が勝手に外国から製品を輸入することはできず、政府(厳密には軍官僚)の許可が必要だったのである。

 軍官僚に取り入り(当然「賄賂」を使う)、ミャンマーへの製品輸入の権利を獲得した一部の政商が、独占的に輸入業を営むことで、巨万の富を築き上げたという話だ。何しろ、政府の認可がなければ輸入業を営めないため、政商は軍官僚と「うまくやる」ことで、いわゆる過剰利潤を獲得し放題になる。もちろん、認可を出した軍官僚のほうも、大いに個人としての富を増やす。

「選択肢がない」状況が格差を生み出す

 例として、ミャンマーへの中古車輸入ビジネスを考えよう。ちなみに、ミャンマーは恐らく日本を超えるほどに「日本車率」が高い国だ。

 公共交通機関が発達しておらず、民族資本の自動車企業が存在しないミャンマーでは、外国からの輸入中古車が経済やビジネスの必需品である。そういう意味で、ミャンマーはギリシャに似ている。ギリシャもまた、公共交通機関が貧弱で、国民車が存在しない(ギリシャ国内はドイツ車だらけだ)。

 日本の「中古車」に対する需要が大きいミャンマーで、中古車輸入を「独占」することができれば、これはもう「巨万の富」を築くことが可能になる。そして、軍事独裁のミャンマーでは、輸入を含むあらゆる経済活動が「認可制」だった(今は多少、緩和されたが)。結果的に、認可を下す「誰か」と結び付いた政商が、所得を独占することを可能とし、ミャンマーの所得格差は世界最高水準にまで開いてしまった。

 例えば、政府権力と結び付いたミャンマーの「政商」が、1万チャットの中古車を輸入し、国内市場において3万チャットで販売したとしよう(実際にはチャットで輸入はできない。また、中古車を購入するには最低1千万チャットが必要だが、話を簡単にするために1万チャットで輸入し、3万チャットで販売したものとする)

 1万チャットで輸入した製品を、ミャンマーの消費者に3万チャットで販売すると、政商の所得は2万チャットとなる(3万チャットではない)。政商はミャンマーにおける「中古車の輸入販売」ビジネスを独占しているため、輸入価格の2倍の所得(利益)という暴利をむさぼることができるわけだ。

 ミャンマー国内に自動車の需要がある限り、国民は政商に不当な利益を献上し続けなければならない。ミャンマー国民側に、別の販売者から中古車を購入するという選択肢はない。

 この「選択肢がない」状況こそが、政商側に巨額の利をもたらすのである。そして、政商の過剰利潤獲得を防止したい場合、政府が打つべき施策は「規制緩和」になる。中古車の輸入ビジネスを自由化し、市場競争を激化させることで、政商の過剰利潤が減り、国民が得をする。

格差は広がる 誰のための民営化、自由化か

 さて、昨今、米国を中心に盛んな「レント・シーキング」は、まさに上記の「競争がない環境」を実現することで、投資家や企業家に過大な富をもたらしている。

 レント・シーキングとは、「企業が独占利益や超過利益を獲得するためのロビー活動」という定義になる。

 特に、米国における公共サービスの民営化は、消費者側に選択肢がない状況でサービス価格引き上げを容易にし、「一般消費者」から「公共サービスに投資した企業や投資家」への所得移転を拡大した。結果的に、米国では所得格差が開いていった。

 厄介なのは、公共サービスの民営化によるレント・シーキングをもくろむ投資家や企業家が、「市場競争」や「規制緩和」をお題目として掲げることだ。「市場競争こそ重要だ」という彼らの口車に乗り、政府が公共サービスの民営化を実施すると、一部の投資家、企業家が独占的に所得を稼ぐ「市場競争がない環境」がつくり上げられてしまう。

 公共サービスに対するレント・シーキングの波は、現在、日本にも押し寄せてきている。

 現在の日本国民には電力や水道など、ライフラインの民営化や自由化を叫ぶ人がいたとき(大勢いる)、「これは果たして、誰のための民営化、自由化なのだろうか」と、落ち着いて検証することが求められている。 

 国民ではなく、投資家や企業家のレント・シーキングを実現する民営化だったとしたら、「市場競争」的に正しくても、国家としては間違った政策になるのだ。

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