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リコーの先端技術者が語る「研究開発リーダーに必要なこと」

太田善久・リコー先端技術研究所IDPS研究センター所長

インタビュー

インクジェットプリンターの研究開発に携わって30年になるリコーの太田善久氏は、4月1日付でリコーの先端技術研究所IDPS(※)研究センター所長に就任した。通勤時間もお風呂に入っているときも技術課題について考えていたという太田氏によれば、研究開発の成否を分けるのは、脳の耐久力が続く限り考え抜けるかどうかだという。聞き手=唐島明子 Photo=佐々木 伸(『経済界』2021年8月号より加筆・転載)

太田善久・リコー先端技術研究所IDPS研究センター所長プロフィール

太田善久・リコー先端技術研究所IDPS研究センター所長
(おおた・よしひさ)大学院修了後、1991年、リコーへ入社。同・中央研究所でインクジェット研究開発に従事。98年、インクジェットプリンター商品化、2004年リコージェルジェットプリンター商品化、15年インクジェット連帳機「RICOH Pro VC60000」商品化に携わる。21年4月より先端技術研究所IDPS研究センター所長兼RICOH Graphic Communications BU理事。

太田善久氏がリコーに入社した経緯

―― 太田さんはリコーに入社して30年です。なぜリコーに入社したのでしょうか。

太田 大学院では高分子材料の研究を行っていました。同じ研究室の仲間は化学材料メーカーへ行くことが多かったのですが、私は目に見える製品づくりをしているところがいいなと考えていました。

それでいろいろ企業をみていくなかで、リコーは目に見える製品を届けることができそうだったし、あと社員が気に入ったんです。リコーの社員は学生だった私の話でも親身になってすごく話を聞いてくれて。また人事や先輩方は、「リコーは自分の意思を自分で伝えていくことができる人にとっては、とても働きやすい会社だよ」と話してくれました。

私は自分の主張をするタイプでしたので、「この会社に入れば、自分のやりたいことを自分の責任でやっていくことができそうだな」と感じ、修士1年の初めにはリコーに入社しようと決めていました。当時はバブル絶頂期で、どの会社でも選べて入社できたような時代でしたけど。

インクジェットの研究一筋

―― 入社以来、インクジェット一筋だそうですね。

太田 入社してからの配属面談などでは、「将来リコーの柱になりそうな新しいことをぜひやらせてほしい」と一貫して言っていました。既存技術については先輩方が技術を培ってきていますので、そうではないところがいいと。すると、それまで私はインクジェットについて知らなかったのですが、インクジェットのキーのパーツであるヘッドの研究室に配属されました。

ヘッドはプリンターのコアとなるパーツですし、インクジェットは当時のデジタルプリンティングの主流だった電子写真という技術の代替になる可能性があると考えられていました。「私がやりたいと思ってたところに配属してくれたんだな」とポジティブに受け止めました。

―― プリンターにはいくつかの種類があります。インクジェットの他にも「レーザー」「ジェルジェット」などの方式をよく聞きますが、これらの違いを教えてください。

太田 大きく分けてインクジェットプリンターとレーザープリンターの2種類があります。

レーザーはかなり以前からあった技術で、トナーという粉の色材を、電気信号を使って直接、紙に接触させながら絵を作っていきます。昔ながらの活版印刷と同じように、紙に直接触れながら印刷する技術です。一方、インクジェットは文字通り、液体のインクを空中に飛ばして非接触で印刷するため、以前はノーコンタクトプリンティングとも呼ばれていました。ジェルジェットはインクの粘度を上げたものですね。今はレーザーとインク、両方の技術がそれぞれの特徴にあったところで活用されています。

―― インクジェットのメリットは何ですか。

太田 いくつかありますが、インクジェットは非接触でインクを飛ばすので印刷される側はデコボコでもよく、布でも何にでも印刷できるということはメリットの1つです。また印刷スピードが速く、レーザーよりインクジェットのほうが2、3倍以上速く印刷できます。

―― インクジェットは家庭用で遅い印象がありました。

太田 インクを噴射するプリントヘッドが非常に高価なため、家庭などで使う卓上のインクジェットプリンターは小さなヘッドを搭載し、何度も何度も紙の上を往復しながら印刷します。しかしプリントヘッドをたくさん並べれば、大きな面積を一気に印刷できます。

印刷会社など業務用で使われるプリンターで速度を求めるものはインクジェットが多くなっています。例えばダイレクトメールやクレジットカードの明細書などであれば毎分100~150メートルほどのスピードで印刷できます。

太田善久・リコー先端技術研究所IDPS研究センター所長

先端研究者が語るリーダー論

日本の会社の中のリーダーは中間管理職リーダーだった

―― これまで携わったプロジェクトの中で印象に残っているものはどのようなものですか。

太田 最も印象深いのは、2009年からプロジェクトリーダーを任された超高速インクジェット機のプロジェクトです。これは印刷会社で使われるような1台1億円以上するプリンターを開発するプロジェクトで、07年にリコーが買収した米IBMのプリンティング部門にいたメンバーの他、リコー、協業会社の3社から、企業文化も言語も違うメンバーが集まりました。

ものを作るには、技術的な研究開発も当然必要ですが、ポイントごとにリーダーとしていろんな判断を下さなければなりません。私は日本人で、それまでは日本のプロジェクトでリーダーを経験してきていましたが、元IBMのメンバーと技術論議をした時に「お前はリーダーなのに、こんなことも決められないのか」と言われたことがあり、これは一番衝撃的でした。

「日本の会社の中でのリーダーって、中間管理職リーダーだったのか」という気づきがあったんです。日本の会社のリーダーは、リーダーであっても上司に許可をもらわない限り決定できなかったり、ちょっと緩いというか甘さのようなものがあります。しかし欧米の人が考えるリーダーには、何かについて責任をもってやりきるみたいな気構えがあるんですよね。どこまで考えて、どう判断するかということに対する心構えが私にはなかったということに気づかされました。

自分の責任で答えるからには上司・関連部門も説得する

―― 「こんなことも決められないのか」と言われたら、ドキッとしそうです。

太田 ドキッともしますし、いろいろ考えさせられました。一人で日本からアメリカに乗り込み、プロジェクトリーダーとしてアメリカのメンバーたちと打ち合わせをしなければなりません。会議室に集まった15人くらいの現地メンバーに開発計画などを説明したとき、向こうの元プロジェクトリーダーだったような人から英語で質問されました。そしてそれに対して「いやその質問には今は答えられない」みたいな返事をしたら、「お前はリーダーのくせに答えられないのか」と言われたりして。

そこから少しずつ変えていきました。自分の責任で答えるところは答える。そして自分で答える以上、上司や関連部門を説得する責任も自分に発生する。そこの自覚をしていなかっただけです。

語弊があるかもしれませんが、要は「雇われリーダー」という感じだったところから、本当にそのプロジェクトをリードするんだという気構えができました。

―― アメリカのメンバーの反応も変わりましたか。

太田 リーダーとしての表現をするようになってから、彼らの私に対する見方はものすごく変わりましたね。かれこれ約10年間、去年までその仲間たちと一緒にプロジェクトをやりました。とても良い関係を作れて、今年4月1日付で研究所に異動になった時には、彼らがサプライズのオンライン飲み会を開いてくれました。

ちゃんと自分の意思で動くこと。そしてメンバーのことを考え、要所要所で判断を下す。そういうことをすれば、どんな国のメンバーとでもチームは作れるんだということを実感しました。

神頼みをやめて考え続ける

―― 研究開発を行う上で、大切にしていることはありますか。

太田 「事実や現象を真摯に受け止めて前へ進むこと」です。私たちが行っている研究開発では、自然科学の原理原則をもとに、いかに自分たちが制御したいようにものを動かすかがポイントです。自然科学的に起きるさまざまな現象は、人が意図的に変えようとしても変えられません。なのでそれを見ずに、自分の頭の中にある知識だけでいろいろ考えてはダメで、実物、現物をしっかり見る必要があります。

研究開発はとても大変で、壁に当たることの連続です。何度も実験をやり直します。若いころには「うまく成功してくれ」と神に願うこともありました。しかしある時、「うまくいってくれ」と願っている時はうまくいかないと気がつきました。結局、あるところまでしか考えないで、あとは運を天に任せるモードに入っているときは、物事をきちっと見通せていない時なんです。

―― 確かに、神頼みするときは思考が停止しているかもしれません。

太田 それに気づいてから祈るのはやめました。祈ってうまくいってもそれはたまたまですので、あとで品質的な甘さが出るなど何かが返ってきます。きっと何かちょっとした条件などが変わるとうまくいかなくなるという現象が起こり得ます。

あとやはり大変ですけど考え続けなければなりません。今の時代にこういうことを言うと怒られるかもしれませんが、技術課題にぶつかった時には、会社にいる時間はもちろん、帰宅途中でもお風呂に入りながらでもずっと考えている自分がいます。すると、髪を洗ったりしているときに、ふと見逃していた観点に気づくことがある。それで翌日に確認してみると、その通りだったなんてことはよくある。

脳の耐久力が続く限りどれだけ考え抜いてアウトプットに持っていけるか、胆力の大きさが研究開発の成否を分けると思います。私はプロジェクトのメンバーなどに対しても「脳の耐久力をつけろ」と伝えています。脳も筋力と同様、考え続けられる持久力や耐久力が必要です。

リフレッシュするにはいつもと違う脳を使う

―― 脳を鍛えたり、休ませたりするために何かしていますか。

太田 趣味などで脳をリフレッシュさせることも重要で、忙しいときほどかなり真剣に趣味をやります。趣味の時間は、体を動かすこと以上に、仕事で使っている脳とは違う部分を本気で使うことに意味があると思っています。

茶道やソフトテニスが趣味なのですが、中学から始めたテニスはずっと続けていて、全日本シニアなどの試合に出ています。「どうやったらこの相手に勝てるか」と真剣に考えると、いつもとは全く違う脳が働きます。それで再び仕事のことを考えたときには、「ああ、また新たな形で動き始めるんだな」と実感できます。

一方の茶道は、静や美の世界です。ある先生を紹介してもらう機会があり、それから始めましたが、そこでも今まで使ったことのない脳が使われていることに気づきました。先生の手伝いで奈良の薬師寺へ行き、着物を着て、そこで触れたものはすごく刺激的でした。仕事、テニス、茶道と3つあることで脳がうまく回る気がしています。

―― IDPS研究センターの所長に就任し、これからもリコーの研究開発に携わります。今後のプリンター事業にはどんな可能性が広がっていますか。

太田 この4月に着任したばかりで今まさに考えている最中ですが、さまざまな可能性があります。インクジェットのインクを噴射する技術はいろいろな応用がききます。

3Dプリントもほとんどインクジェットです。例えば、外側が固ければ中身は詰まっていなくてもよいものを作る場合、従来の方法では型取りや成型で中の材料も必要になりますが、インクジェットであれば中の材料はいりません。そうすると軽くなるので運搬のエネルギーは抑えられ、中の材料を節約できます。SDGsの環境対応にも刺さる技術です。

また最近では電気自動車などでも使われるであろう電池の材料を噴射できる製品を開発しています。それを使えば自動車の設計に合わせたオリジナルの形の電池を作れます。ほかにもバイオプリンティングの分野では、遺伝子検査のために、決まった数の細胞を試薬に入れるための技術としても活用され始めています。

持続可能な社会にも貢献するものを、まだたくさん生み出せます。研究センターではそういうところをしっかりやっていきたいです。