経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

レッドオーシャンのアパレル市場でkay meが成長し続ける理由

「エレガントだけど着ていて楽な仕事服」として、ワーキングウーマンの間で人気のアパレルブランド「kay me(ケイミー)」。レッドオーシャンと言われる市場で、全くの部外者による新規参入がなぜ成功したのか。創業者である毛見純子氏のストーリーには、成熟市場にチャレンジする経営者に必要な要素が詰まっている。(取材・文=吉田浩)

毛見純子・kay me代表兼リードデザイナープロフィール

毛見純子氏
(けみ・じゅんこ)大阪府出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ベネッセコーポレーションに入社。その後プライスウォーターハウスクーパース、ボストンコンサルティンググループで経営戦略コンサルティングに従事し、2007年12月にkay me 株式会社の前進となるコンサルティング会社を設立。事業戦略コンサルティング事業を手掛ける傍ら、2011年5月に女性向けアパレルブランドkay meを立ち上げる。

kay me立ち上げの経緯

大震災の日にアパレル事業立ち上げを決意

 人生においてバラバラだった体験のピースが何かのきっかけで繋がり、猛スピードで1つの方向に動き出す。毛見純子氏がkay meを立ち上げた話からは、まさにそんなイメージが思い浮かぶ。働く女性をメインターゲットに、東日本大震災の直後、2011年5月に誕生。従来なかった商品コンセプトと、ユーザーニーズを徹底的にすくい上げる姿勢で人気ブランドへと成長した。

kay me
ワーキングウーマンに人気のkay me

 毛見氏はベネッセコーポレーション、プライスウォーターハウスクーパース、ボストンコンサルティングでの勤務を経て、事業戦略コンサルタントとして独立。エネルギー企業やIT企業、製薬関連企業などをクライアントに抱え、華やかなキャリアを歩んできた。にもかかわらず、それまで全く縁のなかったアパレル業界、しかも経験のないモノづくりの分野で突如として新規事業立ち上げを決意した。

 「周囲からは在庫を抱えるビジネスを始めるなんて正気か?と言われました(笑)」と、本人は当時を振り返る。

 同業者も驚く決断をしたのは3.11が起きたまさにその夜だ。当日はコンサルタントとして地方のエネルギー会社で役員への最終報告を行うはずだったが、大地震の発生により予定は急遽キャンセル。クライアントから東京に帰るよう命じられ、徹夜続きで作成した資料が日の目を見ることはなかった

 「コンサルタントは顧客に余裕があるときには求められますが、生死が関わるような場面では帰っていいと言われてしまうほど軽い存在なのかと。それがショックでした」

 コンサルティングのような無形のビジネスではなく、有形なものを手掛けたい――そんな欲求が震災のショックも相まって一気に沸き上がった。では、なぜアパレルだったのか。実際のところ、洋服づくりで事業を興そうとは、この時まで一切考えたことはなかったという。

アパレル参入の背景にあった自身の体験とマーケット分析

 大胆な決断の伏線としてあったのは、まず日々何気なく感じていた働く女性の服に対する不満だ。毛見氏のようなワーキングウーマンの多くは、タイトフィットで伸縮性のない素材を使った仕事服を着用することで、肩こりや疲労に悩まされていた。さらに出張や会食、休日出勤も多いためクリーニングにもなかなか出せない。「仕事用でも着心地が良く、洗濯機で洗える服があればいいのに」―そんな思いを漠然と持っていたと話す。

 自身を含む、働く女性を幸せにしたいとの思いも常々持っていた。

 「会社員時代から女性マーケットに興味あったので、婚活パーティのようなイベントを開催したりしていたんです。一回の開催で何百人も集めて、イベントオーガナイザーみたいでしたね。でもバリバリ働いて人生で高い目標を持っているような女性はあまり男性に人気がなくて、だったら違う方向で支えたいなと考えていました」

 アパレル業界の持続可能性についても疑問を持っていた。百貨店は競うようにセールの前倒しを行い、メーカーは利益確保のために途上国などで生産しコストをできるだけ下げる。結果として、好きなブランドの素材が劣悪になったり、丈が短くなったりと、好ましくない状況が生まれているのをユーザーの立場から感じていた。

 さらに、戦略的な分析で勝算が見えたことだけが参入の理由ではないとも言う。

 「子どもの頃から体感的に伸びない服が嫌いでした。たとえばコーデュロイのパンツを買ってもらっても初日にわざと廊下で転んでみて、伸びない素材の服をどうしたら着なくて済むかを考えていました。体が洋服に閉じ込められる感覚が嫌いで、伸びない素材に徹底的に抵抗していたんです(笑)。それに、着るものは精神に影響するので、リラックスしているほうがいい仕事ができるんじゃないかと」

kay me
伸びる素材への渇望がkay meを生んだ

 また、本人はあまり意識したことがないと言うものの、毛見氏の祖母は呉服店を営んでおり、幼少期からその姿を見てきたことも影響したのかもしれない。こうして、自らの体験、働く女性への思い、マーケット分析、そして幼少期からの感覚と、さまざまな要素が一気に合致して生まれたのがkay meだった。

kay meに込めた思いと独自のポリシーとは

アパレル業界の常識の逆を行く

 理想の服を実現するにあたり、毛見氏はコンサル業務で培ったスキルを活かし、徹底的なマーケットリサーチを行った。大いに役立ったのは、会社員時代からさまざまな活動を通じて築いてきた働く女性たちのネットワークだ。仕事の合間に綴っていたブログにも、多くの女性読者がファンとしてついていた。事業立ち上げ前からこれら潜在顧客へのヒヤリングを通じて、「仕事用に着られるエレガントでかつ楽な服」のニーズが確実にあることが分かった。

 一方、仲間の協力を得て店舗へのリサーチを行い、ニーズに合致する商品が世の中にないことも確信した。「伸びる素材で仕事用に着られて、胸元がはだけていないワンピースで、なおかつ洗濯機で洗えて価格帯が2~4万円の服だけを取り扱っているブランドがあるかどうか調査したところ、ゼロでした」と、毛見氏は話す。

 理想の服を実現するために着目したのがジャージー素材である。着心地の快適さや肌触りの良さが特徴の素材で毛見氏も愛用していたが、既存の製品はデザインや素材が仕事向きでなかったり、洗濯機で洗えなかったりとちょうど良いものがなかった。そこで、毛見氏は工場を回りながらデザインを基に型紙を起こすパターン開発に始まり、ベース生地の開発、素材や糸の改良など、洋服づくりを一から学んでいった。

 事業を展開するにあたり、決めた方針がいくつかある。作った製品を売り切る、安売りセールは行わない、国内で生産する、流行を一切取り入れない――。これらは全て、アパレル産業が抱える課題解決を目指したものだ。

 前述のように、アパレル業界では大量生産と在庫をさばくためのセールが常態化し、そのしわ寄せが消費者に来ていた。工場も利益率が安定せず、職人が精魂込めて作った製品が安値で叩き売られる。国内工場を回って、その技術力や提案力のレベルの高さを実感していた毛見氏にとって、その状況は放置できないものだった。

 商品を売り切るために、ここでも実行したのが徹底的なヒヤリングだ。顧客の洋服サイズ、職業、職場での現在のポジションなど属性に関するアンケートと共に、複数のサンプルを見せて買うか買わないかの二択で回答を募る。その結果を基に、ある程度のロットが見込めた場合のみ生産に踏み切るようにし、消費者と生産者双方がメリットを享受できるようにした。

 流行を追わない方針も、大量生産と安売りを防ぐことにつながる。アパレル業界では、ミラノコレクションやパリコレクションなどに出席したデザイナーが翌年流行る色やデザインを指示し、メーカーがこぞってそれに追従する形が慣習化している。しかし、そこに消費者の視点は全くない。

 「アパレル業界は完全にサプライヤーロジックの世界なんです。流行った服は翌年着るともう恥ずかしかったりするし、速く回転させることで売り上げを増やす構図です。それを毎年繰り返すので、誰も得をしなません。それよりも着る人が一番素敵に見えることを追いかけようと思ったんです」

 ジャージー素材は耐久性が高く、ある程度の体型変化にも適応する。業界の慣習に流されない姿勢は、顧客に長く愛用してほしいという思いの反映である。

販売でも徹底的なマーケティングを実施

 当時はまだD2Cという言葉が浸透していなかったが、販売に関しては商品に込めたメッセージが分かりやすく伝わるよう、自社サイトを通じて消費者に直接商品を届ける方法で行うことにした。最初は費用をかけた広告宣伝を一切行わず、口コミで販売を拡大していった。かたや毛見氏はコンサル業も続けていたため、洋服の商談が入ると急いでお台場のオフィスから銀座のサロンに顔を出し、それが終わるとまたコンサルの仕事に戻っていくという忙しさだった。

 kay meの名が広く知れ渡ったのは、立ち上げから三カ月ほどの時期に都内の高級ホテルで開いたファッションショーがきっかけだった。この時もターゲット顧客である女性たちにヒヤリングを実施し、普段よく見るメディアについて回答を募ったところ、女性ファッション誌ではなく日経新聞やフェイスブックといったビジネスに関連するメディアが多数を占めた。そこで、ビジネス系のメディアを中心に招待し取材を受けると、記事を目にした百貨店のバイヤーから声が掛かるようになった。自らも積極的に営業し、話を聞いてくれそうな百貨店を開拓していった。

 「百貨店への出店はイニシャルコストが掛からないので、消費者に目にしてもらう機会を増やすことができます。ただ、セールをやらない方針は最初にお伝えするようにはしています」と、毛見氏は説明する。

消費者に直接メッセージを伝え続ける

 こうして創業以来、右肩上がりで成長してきたkay me。新型コロナ禍による売り上げへの影響は多少あったものの、新たな発見もあったという。

 「緊急事態宣言で人々が外出しなくなった影響はありましたが、家で洗えるジャージー素材の良さを再度見直してもらえました。玄関に入って服を全部脱いで洗濯機に放り込めるという点が評価されたんです。あとはオンラインミーティング用に、部屋で着られるけど見た目がしっかりしているという点も喜ばれました」

 コロナ禍で事業環境全体が悪化する中にあって、有名ブランドの撤退で立地条件の良い物件が取得しやすくなったのを機に7店舗を新設。現在は東京、横浜、大阪、京都、名古屋、福岡に12店舗を構え、それらの売り上げがオンライン販売とほぼ同程度にまで増えた。

 リアル店舗が増えたことで、メインターゲットである働く女性をはじめ、それ以外の層にも訴求効果が出ている。たとえば羽田空港の店舗では、たまたま搭乗前に店舗が目に留まり、後で検索して出張先の店舗に立ち寄る顧客もいるとのことだ。また、体を動かすことが多い楽器の演奏者や学校の先生、女性政治家など、さまざまな層に愛用者が広がっているという。

 D2Cマーケティングをいち早く取り入れて顧客の声を聞き、事業に反映してきたその取り組みは、結果として女性活躍やSDGsのトレンドを先取りするものにもなっている。

 「環境への配慮など、企業が消費者に自分たちの理念を伝え続ける必要性はこれからもっと増えてくくるでしょう。私たちが行っているD2Cの事業は、そこにしっかりはまるものだと思います」と語る毛見氏。創業から10年経った今も、震災の夜に抱いた初心はブレていない。