経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

第5回 賭け麻雀問題は賭博罪を構成し直すべき時期に -園田 寿

園田寿

【連載】刑法学者・園田 寿の企業と犯罪

企業の犯罪の事例の論点を法的な視点から掘り下げる本連載、今回は賭博罪です。最近では東京高検元検事長の賭け麻雀が問題となりました。しかし、世の中にはパチンコなどの合法的賭博が存在し、また賭博は自分の財産を自分で処分する行為であり、賭け麻雀をすると罪になるのは不合理です。サラリーマンにも身近な賭け麻雀を題材に、現代の賭博罪について解説していきます。(文=園田 寿)

園田寿氏のプロフィール

園田寿
(そのだ・ひさし)1952年生まれ。甲南大学名誉教授、刑法学者、元甲南大学法科大学院教授、元関西大学法学部教授。専門は刑事法。ネットワーク犯罪、児童ポルノ規制、被害者のない犯罪などを研究。主著に『情報社会と刑法』(成文堂)、『改正児童ポルノ禁止法を考える』(日本評論社、共編著)、『エロスと「わいせつ」のあいだ』(朝日新書、共著)など。YAHOO!ニュース個人のオーサーとしても活躍中。

東京高検元検事長の賭け麻雀問題から考える

 政治的にも社会的にもいろいろなことがありすぎて、東京高検元検事長の賭け麻雀が問題になったのがはるか昔のように錯覚しますが、わずか1年前のことです。法務省はこの麻雀賭博について、「もちろん許されるものではないが、社会の実情を見たところ必ずしも高額とは言えない」と述べていましたが、結局、元検事長は2021年3月に罰金20万円の略式命令を受けました。一緒に賭け麻雀をしていた新聞記者ら3人は不起訴となり、捜査は終結しています。

 元検事長が行っていたのは、月に1~2回程度、レートは「点ピン」と呼ばれる1,000点100円の賭け麻雀だったとのことです。私は麻雀をしませんので、これがどの程度かはよく分かりませんが、1回の勝ち負けが1人当たり数千円から2万円くらいということです。決して少額ではないものの、高額の賭け金が動いたとも言えないように思います。もちろん、犯罪を糾弾する者が刑法に違反するようなことをしていたという立場の問題はありますが、今回はこの事件を素材に賭博罪について考えてみたいと思います。

そもそも賭博罪とはどのような犯罪なのか?

 基本となる刑法の条文は第185条の単純賭博罪で、条文は「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する」と書かれています。ただし、コーヒーや弁当のように、その場で費消される物で少額の場合は賭博には当たりません(同条但し書き)。

 要するに、サイコロの目やトランプ、花札などの数といった偶然の事情によって金銭や財物の得喪を争うことが「賭博」です。

 しかし、保険が賭けから生まれたことは有名な話ですし、株も先物取引も不動産投資も、基本的にギャンブルの性格を持っています。未知なるもの、未来へと賭ける「射幸心」は資本主義の本質とも強く結び付いていると言えるでしょう。

 賭博罪が「射幸的犯罪」と呼ばれることから、学説には、射幸を望んで財物を賭け、財産上の被害を受けること、あるいは他人の本能的な弱さにつけ込んで財産的被害を及ぼすことが処罰されるのだとして、賭博罪を財産に対する罪に位置付けるものもありました。

 しかし賭博は、自分で自分の財産を処分する行為であり、窃盗や詐欺のように、他人の財産をその意思に反して奪うものではないので、財産の点からだけで賭博の犯罪性を説明することは困難です。

 一般的には、賭博を放置すると国民の勤労意欲が失われ、さらに賭金獲得や借金返済のために窃盗や強盗など他の犯罪が誘発されることになる(最判昭和25・11・22刑集4巻11号2,380頁)として、賭博罪は善良な風俗あるいは経済倫理や秩序に対する罪だと考えられています。

戦後、大きく変化した賭博に対する考え方

 終戦の年(1945年)の10月に政府によって「宝くじ」(1等は10万円)が発売され、都道府県や市町村主催で地方競馬・競輪が実施されることになったのが48年。それ以来、パチンコ店やいわゆる公営ギャンブルが国民に広くギャンブルの機会を提供してきました。ギャンブル産業は年間40兆円規模と言われた時期もあり、賭博罪の規定が「財産上の損害」や「勤労の美風」を守っているということには虚しさが伴います。

 このような刑法の理念と社会の現実との大きなギャップを前にして、かつて単純賭博の規定を刑法典から削除すべきだという意見が強力に主張されたことがあります。その背景には、個人主義や多様な価値観の共存を目指すダイバーシティの考え方、あるいは刑罰によって一定の道徳や倫理を国が国民に強制することを否定する考え方などがありました。これらの思想は現在も魅力を失っていないと思いますが、今では正面から賭博非犯罪化論が主張されることも少なくなりました。

 ところが、90年代後半にインターネットが流行し、風俗犯の問題がクローズアップされてきました。賭博行為は海外で行った場合には処罰されませんので、海外旅行中にカジノで遊んでも刑法の適用はありません。しかし、インターネットを通じて海外のカジノ・サイトにアクセスし、ギャンブルをした場合は、犯罪行為の一部が日本国内で行われたという理由で国内犯となり処罰されます。ギャンブルに対する考え方が国によって大きく異なるために、地球を覆う通信網と国内法である刑法との確執が表面化してきているのです。私は賭博罪を再考する時期に来ているのではないかと思っています。

 なお、賭博は秘密裏に行われる犯罪ですから、警察の検挙方針、つまり警察が賭博をどのように考えているかによってその犯罪数(検挙件数)が強く影響を受けます(このような統計上の犯罪数を能動的認知による犯罪数と言います)。例えば、戦前は「兵隊が外地で戦争しているのに、内地で博打を打つとは何事か!」ということで、警察が賭博の検挙に力を入れていた結果、賭博の検挙数は多いのですが、終戦を期に一挙にゼロに近づきます。最近では賭博罪の検挙件数は年間数十件程度です。

不合理を排除し、賭博罪を構成し直す時期に

 働いて手にした100万円で馬券を買うのは自由ですし、極端な話、燃やしても罪にはなりませんが、賭け麻雀をすると犯罪になるのは不合理ではないでしょうか。射幸心に不節操に流れるのがだめだと言っても、射幸心は不確実性を征服したいという人の本能的欲求に根差しますから、「ギャンブル=悪」という図式は短絡的です。

 ギャンブル依存の問題はありますが、それはアルコール依存やリストカットなどと同じ、医療や国民の保健衛生上の問題です。刑罰で対処しようとすることは根本的な問題を含んでいます。

 パチンコや公営ギャンブルなどの「合法的賭博」が存在するという法的現実、実際の検挙事例・検挙数は少なく、それは警察の検挙方針に左右され、しかし他方、賭博が暴力団の資金源となっている現実もあります。

 これらを考えると、単純賭博は非犯罪化を進め、違法な賭博経営を取り締まるという方向で、暴力団や八百長組織などの反社会的集団対策の一環として賭博罪を構成し直すべきではないかと思います。

 以前、人気漫画家が賭け麻雀で検挙されたことがありますし、一般のサラリーマンが賭け麻雀で検挙されたこともあります。仮に社員が検挙された場合、会社としては何らかの懲戒的な処分を科さざるを得なくなります。その時にこの記事のことを思い出していただければ幸いです。