経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

橋本 修 三井化学社長 バスのダイヤ作成から社長業まで引き出しの多さが身を助ける

橋本修・三井化学

化学メーカーは変革期にある。新型コロナウイルスの影響だけでなく、世界レベルで進む地球環境への配慮により事業環境は大きく変化を迫られる。そんな化学業界で、いち早くカーボン・ニュートラル実現の具体的な目標を掲げ、構造改革に挑むのが三井化学だ。橋本修社長に、人が成長するための秘訣を聞いた。(雑誌『経済界』2022年5月号より)

橋本修・三井化学
はしもと・おさむ 1963年東京都生まれ。北海道大学卒業後、87年に三井石油化学工業(現三井化学)入社。2014年経営企画部長、15年執行役員、17年常務執行役員ヘルスケア事業本部長、19年専務執行役員などを経て、20年4月社長に就任。

激変はコロナに限らない未知の領域を突き進む

―― 2020年4月、コロナ拡大下での社長就任でした。

橋本 まさに真っ只中で、事業も大きく影響を受けている最中でした。また、コロナ以外でも事業環境が大きく変化する節目での社長就任ということで、挑むべき課題は多岐にわたっています。

 例えば、温室効果ガス排出を実質ゼロにするカーボン・ニュートラルはその一つです。20年11月のG20サミットにおいて、当時の菅義偉首相が、50年までのカーボン・ニュートラル実現を目指すと表明したことを受け、世の中の雰囲気に一気にドライブがかかりました。当社も50年までの実現を目指すと、化学業界の中でいち早く掲げました。

 環境負荷の低減は、従来からESGの観点からも取り組んできましたが、近年はその他の課題と複合的に絡み始めたところに特徴があります。例えばプラスチック原料について、CO2由来のものから自然物への変更を検討する際に、その自然物由来の原料は児童労働によって得られたものではないかなど、人権尊重の観点でも責任が問われるわけです。

 また、環境負荷や人権への配慮をサプライチェーンすべてにわたって証明しようとすると、アナログではほぼ不可能です。となればデジタルシフトを加速させる必要があり、DXへの対応も急務です。これらはほんの一例ですが、激変する環境の中でお客さまや社会への責任を果たしていくためには、複合的な課題への対応が必須です。

 これまでビジネスを取り巻く環境変動というのは、欧米で起きた変化が5年、10年程度遅れて日本でも起きることが多かったです。例えば、日本企業は欧米の企業をいくつかピックアップして、それぞれの優れた取り組みから学び、自社の戦略を立てることができました。当社でも私が当時経営企画部長として立案に関わり16年に始動した25年までの長期経営計画「VISION2025」の策定では、実際にベンチマークする企業がありました。

 ところが今はグローバルで同時多発的に変化が起きています。もはやベンチマークする先行事例はなく、自分たちでゼロから立案し、実行しなければなりません。そこで15~20年先に当社のありたい姿を「化学の力で社会課題を解決し、多様な価値の創造を通して持続的に成長し続ける企業グループ」として定め、そこからバックキャストして30年までの長期経営計画「VISION2030」を策定しました。

―― 未知への挑戦ですね。

橋本 その通りです。先日、北京五輪を見ていたら、スノーボードハープパイプで金メダルを獲得した平野歩夢選手が「誰もいない道を行く。僕は、新しい物を作る側として唯一無二の物を作りたい」と言っていて大変感銘を受けました。ベンチマークはないしヒントもない、だけど何度も練習を重ねて素晴らしいパフォーマンスを生み出した。まさにあの境地です。

 そこで大事なのは、当社の人材育成の指針でもある「自主・自律・協働」という考え方です。ベンチマークのない時代ですから、自分たちの頭で考えることが欠かせません。社員に対しても、「自主・自律・協働」という基本軸の上で、どうすれば最もパフォーマンスが上がるのか考えてほしいと伝えています。

 実際に既に社員からの提案で変化は起きています。コロナ禍でテレワークが増えスーツを着ないで業務をする機会が増えました。そこで出社するときも服装は自由化していいのではないかという意見が出た。さっそく取り入れ、あとはTPOに合わせた個々人の判断に任せています。他にも副業の規定が変わりました。もともと禁止はしていませんでしたが、改めて明確なルールを定めました。変化の激しい時代ですから、社外の経験を通じて社員が成長すれば、必ず当社でもその経験は生きると考えています。

多様性こそが強みになる新たな価値を生み出す仕掛け

橋本修・三井化学2
橋本修・三井化学2

―― 社員それぞれで働き方に幅が生まれそうですね。

橋本 多様性はもともと三井化学の特徴です。1997年に、三井東圧化学と三井石油化学工業との合併があって三井化学は生まれました。その後も、合併や業界の再編を経験して今があります。外資系のメーカーが加わったこともあり、約1万8千人の社員のうち、4割程度は海外で働いています。こうした背景から実に多様な人材がいて、そのバックグラウンドを集積することでパフォーマンスを高めるのが当社の強みです。

 そうした多様性が最大限に発揮されるように人事施策にはこだわってきましたので、三井化学は社員に優しい会社ですねと言われることも多くあります。しかし、これは単なるきれいごとではありません。先ほど申し上げたようにカーボン・ニュートラルへの取り組みなど外部環境は大きく変わっています。加えて、今後はコーポレートガバナンスに対する要求水準や上場維持のルールも変わり、向き合うべきステークホルダーが増えていきます。さらに原料価格も金利も上がり、円安が進むということになればいわずもがなです。そういう事業環境の中で再投資し成長していくためには、かさんでいくコスト以上の価値を生み出すしかありません。ある意味ドライな視点で、個々人が自主性を持ち、新たな価値を作っていく必要があります。そのための人材育成です。

―― そういった時代において企業の成長、人の成長とは何でしょうか。

橋本 大事なのは今までと違うことに挑戦すること。これまでの延長ではない領域で目標を立て、仮説検証しながらトライしていく。組織も人も、この仮説検証の動作そのものが成長につながると思っています。

 だからこそ会社は社員の自主性を後押しする制度を増やしています。例えば社内の公募制度を拡充しました。さまざまな部署から出る公募に手を上げてマッチングが成立すれば、出し元の上司は拒否することができません。社員がそれまでの延長線上にはない経験を重ねられる制度は、今後も充実させていきます。

―― 橋本社長自身はどうやって自己研鑽を積んできたのでしょうか。

橋本 目標の立て方は大学時代のボート部での経験からヒントをつかみました。ボートは高校生の時に経験している人がほとんどいない競技です。多くの人が大学時代の4年間で一人前の選手を目指します。私は1年ごとの目標を決めて取り組みました。この発想で着実に成長することができた経験が、社会人になっても大きく影響しています。

 私が大卒で入社した当時、定年は60歳で、ビジネスマンとして40年あると考えました。ボート競技の経験に基づき、10年ずつに区切って目標を立てました。最初の10年は目の前の仕事を断らないで何でもやろう。次の10年は課長やグループリーダーとして、それまで学んだことを生かして挑戦をしよう。さらに次の10年は部長として、人にどうやって動いてもらうか考えよう。そして最後の10年は、後進をどう育てるか考える時期だ。そう決めてやってきました。

 それがどこまで成長に結びついたのか、自分では何とも言えませんが、振り返って、自分の中に多くの引き出しをつくれたことは役に立っていると思います。人生でさまざまな場面に出くわしたとき、最後は自分の経験がものを言う。それが全然仕事と関係ないことでもいいのです。だから最初に何でもやろうと決めた10年間では、工場で通勤バスのダイヤを組んだりもしましたよ(笑)。

 化学会社に入って何でバスのダイヤ組まなきゃいけないんだって普通は思うかもしれないけれど、それも仕事だと思って一生懸命やりましたし、運動会があれば着ぐるみにも入りました。グラウンドの白線も引きました。適当に済ませず真剣に取り組むことで、すべてが自分の経験になり、引き出しとなり役に立っています。セレンディピティと言うのかな、明確に記憶には残っていないとしても、それまで人生で積み上げてきた経験が、新しい課題に対応するときに結局どこかで生きてくる。自分の引き出しをいかに多く持っているか、それが大事だと思います。

時代は変わっても本質は不変。激変期こそ化学飛躍の時

―― それは今の時代でも変わらないですか。

橋本 変わらないでしょうね。もちろん時代は変わっています。特に今の20代は、就労意識が大きく違う。われわれ世代は一つの会社に入って、60歳、65歳まで勤め上げる、そういう世界観を持っています。でも今の若い世代は転職を苦にしない。むしろやりたいことが実現できるところはどこか、自分の能力を上げてくれる場はどこなのか、そういう発想で働く場所を選んでいます。

 私の息子の話をすると、新卒で勤めた会社を早々に退職し留学に行きました。そして戻ってきた後は、仕事をしながら仕事とは離れた資格も取ってさまざまな経験を積んで、目指す方向へ進んでいるようです。だからそういう世代ごとの人生観の違いを実感します、父としても(笑)。

 でも、やろうとしていることは一緒かなと思います。いろいろな経験値を融合しながら自分の引き出しを増やしていく。それを同じ会社で30年、40年やるのか、あるいは転職しながら身につけていくのか。それだけの違いなんですよね、きっと。

―― 新たな時代の三井化学は。

橋本 「VISION2030」で目指す姿ははっきりと打ち出したので、そこにむかって遮二無二まい進するのみです。目標は高いところにありますが、非現実的な夢物語というわけではありません。それをいかに早く達成できるか。それがポイントだと考えています。

 化学産業は石炭化学から始まって石油化学、そして今新たな潮流になろうとしている。化学という産業は、まさに変化の歴史です。だからこそその変化を乗り越えてきた当社は将来の社会課題を解決できる可能性を持っていると信じています。いくらかっこいいことを言っても実行しなくてはダメですから、進化する三井化学をぜひ見ていてください。