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急成長に資金不足の落とし穴黒字倒産を免れた起死回生策ーイントラスト 桑原 豊

桑原豊 イントラスト

入居者が家賃を滞納した時、代わりに家賃を払ってくれる家賃債務保証は大家にとって頼りになる存在だ。それを武器にイントラストは創業以来成長を続けてきた。しかし成長には落とし穴がある。桑原豊社長はいかにして乗り越えたのか。聞き手=松崎隆司 Photo=横溝 敦(雑誌『経済界』2022年6月号より)

桑原豊 イントラスト
桑原豊 イントラスト
くわばら・ゆたか 1958年生まれ。81年INA保険(現Chubb損害保険)入社、チューリッヒ保険を経て99年エム・ファースト社長。2006年イントラストを設立し代表取締役。取締役を経て13年から社長。

成長すればするほど「キャッシュが足りない」

―― 家賃債務保証などを行うイントラストですが、創業のころは苦難の連続だったそうですが。

桑原 お陰さまで今期は6期連続増収、8期連続増益の見通しとなっています。しかし2006年3月に創業したころは本当に大変でした。家賃債務保証ビジネスに注目し、知人の投資会社やビジネスパートナーなどとともにイントラストを設立したのですが、いざ創業してみると現実の厳しさを突き付けられました。必死に契約を集めても月10件がせいぜい。途方に暮れたこともありました。

―― なるほど。ところがその後事態は一変するわけですね。

桑原 07年2月に大手賃貸マンション管理会社、大和リビングにプレゼンをする機会を得たのです。大和リビングは賃貸物件数で60万戸、業界トップクラスです。そんな会社が創業間もない会社を相手にするなんて思いも寄りませんでしたが、11月に共同で開発した商品をリリースしたときには天にも昇る気持ちでした。

―― しかしこれが経営の存亡をかけるような危機的事態を引き起こすきっかけとなるわけですね。

桑原 家賃保証ビジネスというのは、利益はすぐに出るんですが、保証先が増えれば増えるほど、滞納も一定の割合で増加していきます。滞納家賃を一時立て替え払いするための現金も大量に必要になりますから現金が不足して経営難に追い込まれるところが多いのです。僕らが始めたころには400社あった同業者が今では30社程度しかないそうです。うちも当初はこれを受け止められるだけのインフラが整っていなかった。保証商品の宿命的ともいえる代位弁済(立替払い)が怒涛のように押し寄せ、急激な資金不足に見舞われました。

―― 会社を立ち上げたときにこうした問題については考えなかったのでしょうか。

桑原 正直申し上げましてまさか滞納でこれほど深刻な資金不足の問題になるとは思いませんでしたし、もっと簡単に資金回収できると思っていました。立て替えてもすぐに回収すればキャッシュは回るだろうからと。ところがボードにパソコンの映像を映して月次ごとの資金繰りをシミュレーションしていくうちに、億単位の資金不足になることが明らかになったのです。ところがその時はまだ数字の入力ミスなんじゃないかと思ったくらいです。しかし仲間たちと精査していくと、やはり巨額の資金不足になることが分かり、慌てて銀行などに追加資金の借り入れを申し入れました。

―― 資金不足で首が回らない状況に陥ったときにはどう対応したのですか。

桑原 当初は当時の親会社が増資を繰り返して資金を注入してくれていたのですが、「きりがない」という話になって自分たちで資金繰りをはじめたのです。

 ところが当時はリーマンショック直後で銀行は融資を貸し渋っていた時期です。メガバンクからは「ビジネスモデルは面白いが、融資は難しいです」と言われ、地銀から融資してもらえるのは2千万円程度。家を担保に出すなら3500万円貸してもいいという銀行もあったのですが、周囲からは「結局すぐに現金が枯渇して家を取られるだけだからやめろ」と言われて思いとどまったこともありました。半年間ぐらいは正直眠れない日々が続きました。さらに親会社からも「もうこれ以上株を持ち続けることはできないから売却したい」と言われました。

新スポンサーを自ら開拓、再建果たす

―― まさに「前門の虎、後門の狼」といった状態だったと思いますが、そうした厳しい状況の中からどのようにして活路を見いだされたのでしょうか。

桑原 まずは親会社に変わるスポンサーを探しました。そのとき頼ったのがプレステージ・インターナショナル社長の玉上(進一)さんでした。玉上さんとは外資系保険会社にいたころから30年以上の付き合いで、六本木の自宅の近所の喫茶店で支援をお願いしました。当時は既にプレステージ・インターナショナルは上場していましたから玉上さんはこのとき「私の一存では決められない。経営企画の人間に説明しておくので、その機会が持てるんだったら説明してやってほしい」という話でした。玉上さんも他の役員に事情を説明してくれ、役員会でプレゼンをすることになったのです。役員会は09年11月に開かれたんですが、取締役や監査役だけでなく、弁護士、会計士なども列席していました。役員会が開かれる直前、玉上さんは「私は桑原さんとは長い付き合いがあります。それで私情が入るといけませんのでこの場を退席します」と役員会をあとにされました。そこから約1時間以上かけて、私の会社の仕事の内容や今置かれている状況を包み隠さず話しました。そしてプレステージが機関決定をして元の親会社がもっていた株式を10年2月3日にすべて引き取り、事業立て直しの話になっていったわけです。

―― 役員会の中では厳しい質問もあったのではないですか。

桑原 役員会が終わってからですが弁護士から「プレステージが買収した場合に大和リビングとの取引が無くなってしまう恐れはないのか」との質問がありました。大和リビングとの取引はイントラストの生命線といってもいい。だからこの取引がなくなることは企業価値を大きく毀損してしまうことになる。「プレステージが買収後に大和リビングがイントラストを使い続けるという言質をどうやってとるのか」と質問され、「だったら書面で取ってきます」と言いました。

 しかし大和リビングにとってはイントラストがどこに買収されるのかどうかというのは全く関係のない話でそんな誓約書を出さなければならない義務もない。それでも大和リビングの社長のところにいって一筆もらってハンコを押してもらいました。もしあとのとき大和リビングの社長に協力していただけなければこの買収話は破綻していた可能性が高かったと思います。

不良債権処理では億単位の弁護士費用

―― 親会社の株式売却問題解決後、イントラストの経営再建はどうなったのでしょうか。

桑原 プレステージから2億円を貸付金として入金してもらい不良債権の処理を進めました。しかしインフラがまだ全然整備されていなかったのです。しかも不良債権が山ほどある。ここで不良債権とは何かというと、家賃を払わないで入居している人が山ほどいるわけです。退去してもらわないといつまでたっても不良債権が増えていってしまうわけです。ところが退去は家主さんや家主さんに委任を受けている弁護士でないと要請できない。われわれは家賃の保証をしているのでお金を返してくれとは言えますが、退去してくれとは言えない立場なのです。そこで弁護士に不良債権を移管するわけです。

 弁護士はわれわれの債権回収を要求するととともに家主に退去要請を求めるわけです。プレステージの支援前は弁護士を雇うお金もありませんでしたし、十分なノウハウもありませんでしたから結局きちんとした対応がとれませんでした。当時一番滞納している人で24カ月なんて人もいました。15カ月滞納なんて人もゴロゴロいました。向こうが「金は払えないよ」と言っているにもかかわらず貸し続けなければならない。そんな状況が続きました。しかしプレステージからの借り入れで不良債権を弁護士に移管し経営の健全化を図ったのです。600件くらい、金額にすると10億円以上の不良債権を移管しました。弁護士費用だけでも数億かかっています。それでもこうした不良債権を解消しなければ経営を続けることは難しかったのです。

―― 巨額の不良債権の処理に対して周囲はどう見ていたのでしょうか。

桑原 家主に退去要請してもらう必要があったので、弁護士の方から最大の家主である大和リビングさんにも委任状の要請をすると「本当にイントラストの経営は大丈夫なのか」という不安の声があがったようです。そこで担当者の方から面会の要請があり、「これほど大量の債権を弁護士に移管して大丈夫なのか」と聞かれました。私は「親会社が資金投入してくれたから不良債権を解消することができているのです。もう数カ月みてもらえば落ち着きますから」と説明しました。

 その後担当者に話を聞く機会があったのですがその担当者は社に戻ってから「あの会社はもうやばいから切れ」と散々周りから言われたそうです。しかし「桑原社長の言っていることは信用できそうだからもうちょっとだけ待ってみましょうよ」と言って社内を説得してくれたそうです。大和リビングにはチャンスをもらい、育ててもらい、窮地も救ってもらった。関係者には感謝しても感謝したりない思いです。

すべてをさらけ出してつかんだ信用

―― 窮地に追い込まれてもそこから脱することができたのはなぜなんでしょうか。

桑原 今までの人生で窮地に陥ったときに一生懸命思い悩んで踏ん張っていると、支援する人が現れ窮地を救ってくれたという経験が3、4回あります。大和リビングさんに対しても誠実に対応し、自分のことを良いことも悪いことも包み隠さず話をしてきました。営業手法でも良いことだけを言うようなやり方もありますが、私はあえてすべてをさらけだしました。窮地に追い込まれた時に正直、すべてをさらけ出すのは大きな賭けだと思います。それで取引を切られてしまうかもしれない。それでも私は隠すことよりもさらけ出すことを選んだ。それが幸いして信用してもらえる大きな要素になったのではないかと思っています。

―― 過去の失敗から学んだ教訓は。

桑原 数年間不良債権処理を進め、13年のグループ会議では予実会議では前年度の予算よりも利益の部分で大幅に上回った。そこからこの会社は収益を大きく伸ばすようになり、16年に東証マザーズ、17年には東証一部に上場した。その後会計方針の見直しなどで収益の増加は安定してきました。これまではキャッシュの不足で苦労し、臆病になっていましたが、上場し株主は成長を求めているわけですからキャッシュにレバレッジを利かせて有効に活用しながら収益を拡大していかなければならないんだと持っています。