経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

熱意と志で経営を加速 アミノ酸の新たな価値を創出する 味の素 藤江太郎

藤江太郎・味の素

アミノ酸技術の知見を生かし、世界100カ国以上に事業展開する味の素。創業時からの看板商品であるうま味調味料や食品事業の垣根を越えて、いまやアミノ酸技術を応用したヘルスケア製品や医薬事業に積極展開しつつ、さらに半導体基板に用いられる絶縁体フィルムなど電子材料領域でも利益を伸ばす。今年4月に社長に就任した藤江太郎氏に展望を聞いた。聞き手=金本景介 Photo=矢島泰輔(雑誌『経済界』2022年8月号より)

藤江太郎・味の素
藤江太郎 味の素社長CEO
ふじえ・たろう 1961年10月25日生まれ。京都大学農学部卒業、85年味の素入社。2008年中国食品事業部長、11年フィリピン味の素社長、15年ブラジル味の素社長、17年常務執行役員、21年執行役専務食品事業本部長を経て22年4月に社長就任。

顧客とともに変化し続ける組織再編のねらい

―― 今年3月期連結決算では半導体の電子材料領域が好調で100億円の増益、全体の事業利益は昨年比7%増の1209億円となりました。しかしウクライナ危機による原材料の高騰を受けて国内の調味料・食品領域では昨年よりも55億円減益で、ここがハードルになっています。

藤江 原料価格がもともと上がっているところで、ロシアのウクライナ侵攻がさらに追い打ちをかけました。商品の値上げはタイムリーに実施していますが、どうしても告知してから値上げを実現するまでにタイムラグがあります。そのために今は利益が一時的に芳しくありませんが、対策は講じているので、今年後半からは改善されるはずです。しかし、これだけ不透明な時代ですから、さらなる原材料の高騰があった場合のリスクシナリオも想定しています。

―― 世界100カ国以上で事業を展開しているため、地政学リスクをはじめ多くの不確定要素があります。

藤江 先行きが見えないVUCAの時代ですから、問題が起きた時にどれだけ迅速に対応することができるかがポイントだと思っています。そのためにも組織全体が常に進化をし続けることが大事です。社会やそこで生きる生活者の方は常に変化していますから、われわれもしっかりとそこについていく。この変化をしっかりと的確にとらえていくことが大事だとつくづく思っています。以前なら「この先の数年間はこういう風になりそうだ」という予想もそこまで大きく外れませんでした。現在は先行きが不透明で予測しにくい事業環境です。その一方でこの変化も「ピンチはチャンス」ととらえています。

―― アミノ酸技術を基にして新たな事業モデルを増やしていく柔軟な組織へと構造転換をしています。

藤江 前社長の西井の体制からそのまま受け継ぐことと、より深く進化させなければいけないこと、この2つがあります。まず、そのまま受け継ぐことは当社独自のASV(Ajinomoto Group Shared Value)経営という事業指針です。これは社会課題の解決と経済価値を生み出すことを両立させる経営です。ここはしっかりと受け継ぎます。そして、さらなる進化という点では変化のスピードアップを図っていきます。他のグローバル企業を見ても、とにかく意思決定が早い。そこで当社も経営のリーダーシップを強化し、判断と実行のスピードを上げていきます。

 具体的には昨年の6月に「監査役会設置会社」から「指名委員会等設置会社」に移行しました。これにより取締役会が会社全体の大きな方向性を決め、かつ執行役を監督する体制となりました。一方で、執行役は取締役会から権限を委譲されて、かなりの裁量を任せられるため、判断のスピードアップにつながります。

 さらに当社は「100日プラン」を策定し、執行役である経営会議のメンバーを中心にスタートしています。4月1日から100日間で取り組む重要な事項を優先順位をつけてロードマップを作成し、課題を洗い出しながら、選択と集中により経営のスピードアップに向けギアチェンジをしています。重点事業の成長を確実にしつつDXを活用した新たなビジネスモデルの創出も図ります。

―― 前社長の西井氏が会長に就かず特別顧問に就任とのことですが珍しいケースだと感じました。

藤江 私も驚きました。西井も「やはり社長が権限を持つのが良い姿だと思う」と会長就任を固辞したので、特別顧問という立場から支援をしてもらいます。取締役会議長も、今までは会長が務めていましたが、昨年6月からは東京都監査委員である社外取締役の岩田喜美枝氏が就任しました。つまり、会長がいなくても取締役会から大幅に権限移譲された執行役が社長を中心にワンチームとして経営にスピーディーに取り組むこの体制が、現時点ではベストという判断です。ただ制度上では会長職を排したわけではなく、必要になれば復活させるかもしれません。

食品から半導体材料まで アミノ酸の可能性を追求する

―― 味の素は、アミノ酸を通じて万人の健康の課題解決に貢献していくというパーパスからも分かるように、食をメインとした会社です。それがなぜ半導体材料の製造につながったのでしょうか。

藤江 当社のコアコンピタンスはアミノ酸の働きを知り尽くした上で、技術力により最大限活用していくことにあります。私も入社した時は「味の素」しか製造販売していないのかと素朴に思っていましたが、ここから派生し展開した製品やサービスは数多いです。

 「味の素ビルドアップフィルム(ABF)」もその一つです。これはパソコンの心臓部である高性能半導体(CPU)の絶縁材に使われています。この絶縁フィルムが開発される以前の絶縁体にはインク材が使われており、基板にマーガリンのように重ねて塗られる構造だったのですが、印刷ムラや溶剤の揮発という問題もあり改良が望まれていました。そこで当社のアミノ酸に関するノウハウを応用した絶縁性をもつエポキシ樹脂を使用した絶縁フィルムが開発されることになり、現在では世界のパソコンの層間絶縁材のほぼ100%のシェアを誇ります。これもアミノ酸にはいろいろな可能性があるということです。

 他には、例えば少量の血液中のアミノ酸の組成バランスで成人病や認知症リスクが分かる「アミノインデックス」というサービスも提供しています。さらには、その成人病を防ぐための食生活を提案したり、認知症を予防するアミノ酸サプリメントをご提供するなど、アミノ酸と食を融合させたビジネスを拡大させていく。アミノサイエンス事業の担当者を食品事業本部長に、食品事業本部担当者をアミノサイエンス事業本部長に就任させるなど、クロスファンクションの人事も実施しました。相乗効果を期待しています。

―― アミノ酸を用いた「医食同源」ですね。

藤江 当社には食をウェルネスにまでつなげる知見が豊富にあり、以前から「妥協なき栄養」という減塩と、タンパク質摂取を重点的に促す取り組みを進めています。当社の調味料や配合技術を活用した製品でタンパク質やアミノ酸を摂取してもらいながら、減塩の取り組みとしてはうま味成分であるグルタミン酸を活用するメニューを提供しています。世界に向けて各地域の食生活や文化に合わせた形でおいしく無理をしない形で健康になろうというアプローチをしており、マレーシアの老人ホームの減塩メニュー提供もそのひとつです。

 私の話をすれば、ブラジル味の素の社長だった2016年にはリオデジャネイロ五輪がありました。この時はJOC(日本オリンピック委員会)とタッグを組み日本選手の食事をサポートしました。それで分かったのは普段食べているような食事を試合前にしっかり食べ、いつも通りのコンディションで試合に臨むことで最も優れたパフォーマンスが発揮できるということです。そしてここで得たノウハウを元に「勝ち飯」メニューを作りウェブで公開しています。アミノ酸と栄養バランスの良い食事を通して生活者の方の栄養環境の改善を支えていきます。

成功ノウハウの活用 暗黙知から形式知へ

藤江太郎・味の素2
藤江太郎・味の素2

―― イノベーションのためには新規事業を育て拡大していくための継続的な努力が欠かせません。どのような取り組みをされていますか。

藤江 当社の近年の成長を見ると、電子材料やバイオファーマ(医薬品)事業が伸びています。特に循環器系疾患や、三大成人病、認知症などをアミノ酸の働きで改善するバイオファーマは電子材料に次ぐ成長ドライバーといっても過言ではありません。

 事業の発展段階には無から有を生み出す「0→1」、それを発展させる「1→10」段階、さらに「10→100」段階があります。当社はゼロから1を創るのは得意な会社です。例えば研究所で新しい素材を発見するとか、マーケティングで生活者の皆さまが好まれる新製品を見いだし、それを製品開発に結び付けていく。しかし「1→10」の段階は、まだまだ不十分な部分がある。この段階をより強めていこうというのが現在進めている事業改革の骨子です。この「1→10」を強化したら次は「10→100」ですが、既に調味料や栄養加工食品、冷凍食品はこれに成功しています。最近であれば電子材料がここに加えられます。ここに続くべく当社の将来を担う「1→10」の事業をしっかり後押しして発展させていきます。この10年でも事業モデルの変革を進めてきました。成功事例のいずれもが、アミノ酸の研究成果を技術力で応用する点にあり、さらに地域の特性を把握しながら製品を展開する現地適応力も培ってきました。この変革の型、つまり成功ノウハウを明文化する、いわゆる「暗黙知を形式知にする」ことを他の部門へも横展開していくことが重要だと考えています。

―― CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)を通して、培養肉の知見を持つスタートアップ投資にも取り組まれています。各分野の先端研究の知見を生かした事業化には将来の食料危機への備えや環境保護という観点からも可能性を感じます。

藤江 大豆を原料とした植物肉を開発するDAIZ社をはじめ優れた技術を持つスタートアップ企業と協働しています。サステナビリティへの貢献は当社の経営戦略の要です。そのため50年という近未来から逆算して、将来に向けて必要な道筋を考えています。なぜ植物肉かというと、例えば食肉が提供されるまでにはかなりのCO2が排出され、多量の水も必要になります。また将来的な食料危機においては世界的なタンパク質不足が懸念されます。その代替として植物肉のスタートアップと提携しています。

 当社の強みは培養肉や代替タンパク質の不自然な味や食感などを改良できる独自の設計技術にあります。「おいしさ」は、香りや味、食感の総合的な感覚ですが、この感覚を食品として素材化することができます。

サステナビリティを収益化し長期的に社会課題に取り組む

―― 見方によってはサステナビリティへの取り組みはビジネスと両立しづらい側面もあります。

藤江 環境負荷低減に向けた取り組みとしては、25年までにフードロスを半分にし、30年までには温室効果ガスの排出量を50%削減、プラスチック廃棄物をゼロにすることを目指します。

 外部の専門家の知見も取り入れながらこれらの施策を実行する取締役会の下部機関として「サステナビリティ諮問会議」を立ち上げました。現在、具体的取り組みを進めていますが、サステナビリティの成功のためにはコストを掛けて収益化を犠牲にするトレードオフから、経済的価値もしっかり生み出すトレードオンへの転換が必要です。

 例えば、タイでも「味の素」をつくっていますが、この原材料はタイの農家から買ったキャッサバ芋のでんぷんを使っています。これを発酵させてグルタミン酸ナトリウム、つまり「味の素」をつくりますが、その過程で副産物の液体ができる。ここにはアミノ酸など栄養分が多く残っていて、農地に戻してあげるとキャッサバ芋がよく育ちます。この循環プロジェクトを農家やタイ政府、研究者と共に進めていますが、いずれはトレードオンにする予定です。こうした活動に取り組む企業のブランド力がどの程度上がり、製品の購入につながるのかという実証実験を進めており、今後はインドネシアやベトナム、ヨーロッパなど他の地域でも試していきます。それぞれの土地に合わせて収益化につながるサステナビリティを広げていきます。

―― 近視眼的な収益追求のみに終始する企業の在り方が見直されてきています。長期的にどのように事業を展開されますか。

藤江 世界中の生活者に「幸せの素」をお届けし貢献していきます。他人のためにさまざまな献身をしている方はその本人が最も幸せそうに見えたという子どもの頃の原体験がありますが、これは当社の社会課題の解決の取り組みにも通じます。この利他の精神を私なりに社員に訴えかけていき、当社の「食と健康の課題解決」というパーパスを果たしていきます。これが達成できれば企業価値は後から必然的に向上します。

―― 企業の成長に必要なことは何でしょうか。

藤江 最も必要なのは熱意です。これがすべての原動力となり、それにより顧客からの支持が増えればブランド力も上がり、ひいては株価や売上や利益など経済価値につながります。私の役割はこれをスピード感を持って回していくことです。そのために大切なのが「志」と「熱」と「磨」この3つの言葉です。事業を進める上で志と熱意は不可欠です。しかし気合いだけでは物事を動かせず当然ながら前には進めません。そこで個人と組織の実力をしっかりと磨いていく。この3つの言葉で社会課題の解決と経済価値創出の好循環を回していきます。