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「肚」をつくったふたつのもの--近藤道生

近藤道生氏

 いつも絶やさぬ穏やかな表情からは、窺いしれぬ体験をしていた近藤道生氏。近藤氏の経営者として大事な「肚(はら)」はいかにつくられたのか。(2000年4月11日号)

近藤道生が25歳で一瞬観念したこととは

近藤道生

近藤道生(こんどう・みちたか)
(1920〜2010)神奈川県出身。東京帝国大学卒業後、大蔵省に入省後すぐに海軍に。戦後、大蔵省に復帰し銀行局長、国税庁長官を歴任。1975年に博報堂に社長として招かれ発展に寄与した。また、茶人としても有名であった。

 昭和20年9月2日、東京湾に浮かぶミズーリ号の上で、わが国の降伏調印式が行われた同じ日、インド洋上でも英艦隊旗艦ネルソン艦上で調印式が行われたことを知る人はあまり多くないでしょう。

 インド洋特有の真っ赤な夕焼けを背にして、衰えたりとはいえ大英帝国の誇る戦艦、巡洋艦、航空母艦、駆逐艦など数十隻の大艦隊が、静まりかえって浮かんでいました。海軍生活ほぼ3年になりますが、敵味方を通じてこんな大艦隊には初めてお目に掛かりました。まるで水平線全部を占めているようでした。わが方にはせいぜい掃海艇しか残っていません。

 司令官、幕僚ほか数名が乗って、横付けした旗艦ネルソンの3連装14インチ砲が馬鹿に威圧的に見えました。

 もし司令官が侮辱を受けたらと軍刀の柄を握り締めましたが、本当に抜くつもりだったことは確かです。「君辱めらるれば臣死す」という気概は、私のような気の弱いものでも当時としては、かなり当たり前の心情でした。

 甲板上で30数人の連合軍報道班員が群がり集まった時にも、今から考えるとドンキホーテ的ですが、大手を広げて阻止し、敗戦の将士をかばって記者らを追い払ってくれた英軍大佐の後ろ姿を、両手を合わせて拝みました。その後文官として長く務めましたが、ああいう純真な忠誠心で上司に接した場面は2度とありません。

 さて、いよいよペナン退去の日が来ました。対岸のバタワースに船で渡るのですが、乗船直前に旧敵兵の掠奪が始まりました。英陸軍はビルマで日本軍と激しい戦闘をしてきた直後なので、英海軍とは違って敵意剥き出しです。しばしばお互いの間で殺傷事件が起こりました。

 兵隊の私物ならともかく、医療品ほかみんなの生存のための必需品まで奪われかねない場面もありました。深夜その赤十字マークを付けた必需品の掠奪が始まった時のことです。英兵は若い中尉の指揮官ほか20人くらい。こちらは丸腰50人。

 咄嗟に私は箱を担いでいる日本兵のほうだけを向いて、大声で号令をかけ、その場を走り去らせました。2箱か3箱までは必死の気迫でうまく通過させましたが、次の箱はどうしても開けろといって止められました。私は担ぎ手の日本兵に近寄るなり、平手打ちのビンタを喰らわせ、早く行けと勧進帳を演じました。途端に激昂した英指揮官が自動小銃の銃口を私の腰にめり込ませて「ユー・ファッキング・バスタード!」と喚き始めました。一瞬観念しましたが、一切彼のほうを見ず、かなり長い時間、彼を無視し、日本兵だけを相手にした勧進帳をやっとの思いで演じ切ることができました。時に私は25歳でした。

 先祖や両親の加護を戦時中何度か痛感しましたが、この時もまさにそうでした。父から教わった宋の僧、祖元の「珍重す 大元三尺の剣 電光影裏 春風を斬る」の禅語を心の中で何度も唱えていました。元の兵に取り囲まれた祖元禅師と違って、大英帝国の自動小銃を腰にめり込まされた私は、顔面蒼白、脂汗を流していたことと思いますが。

近藤道生の精神の拠りどころとは

 やっとの思いで日本に帰還しましたが、街にあふれる娼婦の姿と歌謡曲「こんな女に誰がした」を聴いた時は、さすがに涙が止まりませんでした。その話をすると、今でも胸が熱くなります。その時は日本再興を誓ったもので、「こんな国に誰がした……」と泣けました。若い時は生意気なもので、自分ひとりで日本をしょっているような感じがあるんです。

 その歌が流れてくると、「僕が負けたから、こんなことに……」とまさに誇大妄想。歌手は菊池章子さんだったでしょうか。上手過ぎるんです。実感がこもり過ぎるんです。その度に泣けて仕方がありませんでした。

 経営者やリーダーが〝心を失った〟と言われますが、バブル経済の後始末もどうやらカタがついてきました。これからが経営者の真価を問われる時です。

 私の場合は「茶道」が精神的な拠り所であったと言えるかもしれません。

 茶禅一味という言葉があります。茶と禅は一体です。全否定からの出発です。

 ひとたび殺した五感がよみがえる時の清新溌剌の境地を尊びます。物欲の末路に来るバブルとは無縁です。

 常に否定を繰り返す心、形なき波動の飛び交うインターネット時代にもっともアジャスタブルではないでしょうか。禅や茶が無意識にかなり日常生活に溶け込んでいる日本人は、きっかけさえ与えられれば、これからの世界でぐんと存在感を増してくるはずです。

 

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