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森下一喜ガンホー社長が語るゲーム作りと「パズドラ」の次の一手

ガンホー社長 森下一喜氏

国内のスマートフォン普及台数の実に半分となる3200万ダウンロードを達成した「パズドラ」。2012年2月のリリース以降、瞬く間にブームが広がり、実際にゲームをしない人々にもその名前は浸透している。空前の大ヒットとなったこの作品の企画・開発を手掛けた森下一喜社長を直撃した。

森下一喜・ガンホー・オンライン・エンターテイメント社長CEOプロフィール

森下一喜

森下一喜(もりした・かずき)1973年生まれ。新潟県出身。ソフトウエア開発会社勤務などを経て、2000年ゲーム開発会社を創業。同社を解散した後の02年、ソフトバンクのグループ会社であるネットオークション会社からゼロベースで業態を変更、COOに就任。社名をガンホー・オンライン・エンターテイメントとし、オンラインゲーム開発を手掛ける。04年1月、同社社長に就任。

 

森下社長自ら企画・開発を主導して大ヒット

 

 「代表取締役社長CEO 企画開発部門統括エグゼクティブプロデューサー」

 スマートフォンゲーム「パズル&ドラゴンズ」を生み出した森下一喜・ガンホー・オンライン・エンターテイメント社長の名刺に書かれた肩書だ。

 今や国内のスマートフォン普及台数の実に半分となる3200万ダウンロードを達成した「パズドラ」。2012年2月のリリース以降、瞬く間にブームが広がり、実際にゲームをしない人々にもその名前は浸透している。空前の大ヒットとなったこの作品の企画・開発は、経営者である森下氏自ら主導した。

 会社経営と開発プロデューサーの二足のわらじを履くのには理由がある。ガンホーは02年の創業時に手掛けた韓国のオンラインゲーム「ラグナロクオンライン」の日本版がヒットし会社の規模が拡大、05年には大証ヘラクレスに上場も果たした。

 そのため、森下氏は経営の仕事に専念するようになったが、しばらく鳴かず飛ばずの状態が続いた。「面白いゲームが作りたい」。創業の原点に立ち返った森下氏は、再び開発の現場に戻ることを決意。これがパズドラの大ヒットにつながった。

 「一時期は何で駄目なのかと思いましたが、現場に任せた以上は仕方ないと思って口を出しませんでした。でも、結局は自分にすべての責任があって、自分が作りたいゲームを作るしかないと分かったんです。それで企画を自分でやり始めてからは、良いサイクルで回り出しました」と、森下氏は言う。

 経営者と現場のプレーヤーを兼務するのはさぞかし大変かと思いきや、「別に忙しいとは思っていないですね」とサラり。追われている悲壮感はない。純粋にゲーム作りが好きなのだ。社長室に置かれたカジュアルな大型テーブルを囲んで、現場の担当者と一緒に企画を話し合う。それもコンセプトだけ与えて後は現場任せではない。仕様書レベルまで口をはさむ。良いアイデアが浮かんだら、開発途中でもどんどん内容の変更を要求する。

 「マスターアップ(ソフトウエア開発の最終段階)寸前で、アイデアを思いつくこともあります。すごくいいことを思いついて僕がニヤっと笑ったら、プログラマーが嫌な顔をする(笑)。でも、思いついたのにやらないのは罪ですから。デザインを自分でやることもあるし、デバッグも自分でチェックして納得するまでやる。僕にとって、ゲームを作るのは息をするように当たり前のことですね」

 ゲーム作りの原点は、子どもが新しい遊びを思いつくようなものだと森下氏は言う。

 「例えば、子どもって鬼ごっこに違うルールを取り入れたりするじゃないですか。あれと同じで、どんな要素をゲームに取り入れたら面白いかを考えるんですよ」

 

森下一喜社長がゲーム会社を起業するまで

 

 これほどゲーム作りに没頭する森下氏だが、今に至る道は紆余曲折の連続だった。

 少年の頃はエポック社のカセットビジョンに始まり、ゲームウォッチ、ファミコンにも熱中した。親戚から譲り受けたパソコンを使って、自ら簡単なプログラミングにもトライした。だが、これは向いていないと思ってすぐに諦めた。

 そのほかにも、絵を描くことに興味を持ったり、プロスキーヤーになろうと思ったりもした。得意なことはいくつかあったが、それで食べていく自信はなかった。悶々とした学生生活を送る中、ふと、自分は人を喜ばせたり楽しませたりすることが好きだということに気付く。それで、子どものころから好きだったゲームの世界に飛び込んだ──というわけではなく、最初に選んだ職業は漫才師だった。

森下一喜 「高校を卒業する時に、先生からお前は車のセールスマンか漫才師にでもなれと言われたんです。漫才が好きだったし、お笑いブームでもあったので」

 結局、漫才師としては花開かず、6年続けた末にコンビは解散。フラフラしているわけにもいかず、手に職を付けるために内装工事の会社で働くことになる。

 ところが、通勤中に見掛けた同世代の若者たちが着ていたスーツがカッコイイ、という理由で転職を決意。選んだのはコンピューター関連会社の営業職だった。これも、「コンピューターって何かカッコイイ」という何ともシンプルな理由だった。

 「最初は全く知識がなくて、パソコンのセットアップの仕方も分かりませんでした。自分なりに必死に覚えて、営業訪問先はタウンページを開いて、関心のあるところに片っぱしから電話していったら、いつの間にか成績が上がってグループ長になって、よく分からないけど給料も上がっていきました。でも、何か違う。やっぱり、もっと人を楽しませることをしたいと思ったんです」

 人を楽しませることで自分が好きなもの──再度の自問でようやく出た結論がゲームの世界だった。未経験ではゲーム会社への転職は難しかったため、当時の同僚2人を誘って00年に起業。「無謀な計画で、何のロジックもなかったですね」と、森下氏は振り返る。

 「自分たちにしかできない革命的なことをやらなければ意味がない」。そんな意気込みでオンラインゲームの開発会社を立ち上げたが、時期が早過ぎた。

 当時はブロードバンドが普及しておらず、オンラインゲームを楽しめる環境ではなかった。最初こそ家庭用ゲーム機向けゲーム開発の請負いなどで順調だったが、やがて失速。一度会社を解散して、次の起業の準備中に、知人からの縁で、ソフトバンクのグループ会社を手伝っていた時に、オンラインゲームのビジネスにソフトバンクが興味があるという話になった。

 精算寸前だったこの会社を社名変更し、オンラインゲーム開発会社としてスタートしたのがガンホーである。

 

パズドラで成功したガンホーの次の一手とは

 

 パズドラの国内での新規ダウンロードが一服した今、次にどんな手を打つのか。

 「新たなユーザー獲得も必要ですが、既存のユーザーにもっと遊んでもらいたい。飽きさせず、休眠しているユーザーもまた遊んでもらえるように新しい遊びを追加していきます。他社と違って、僕らは単純な売り上げではなく、アクティブユーザーがどれだけいるかを重視している。ここが極めて重要です」

森下一喜 内容のグレードアップとともに考えているのが、「ワンソース・マルチユース」の戦略。13年12月には、ニンテンドー3DS用ソフト「パズドラZ」を発売。ターゲットは、スマホを持たない子どもたちだ。

 パッケージソフトであれば、スマホと違って親も安心して買い与えることができ、親子で遊ぶこともできる。「生涯顧客となってもらうための戦略」と森下氏は説明する。このほか、ゲームセンター向け対戦ゲーム、トレーディングカードゲームなどにも展開する。

 「例えば、『スーパーマリオブラザーズ』は世代を超えてずっと続いている。スマホだけで完結するのではなく、パズドラという遊びそのものを長く続けてもらって、1つのブランドとして育てたい」

 もともとパズドラは、自分たちのようなファミコン世代など、昔ゲームで遊んでいた世代に、もう一度ゲームの面白さを思い出してほしいという意図で作ったという。ベースには、自分たちの世代が楽しめるものを作るという森下氏の考えがあった。今は幅広い層に普及しているが、こうした予想外の展開が起きるのも、ゲーム作りの面白さだ。

 「面白いゲームを作っても、ヒットするかどうかは分かりません。しかし、そういう本質的なことをやるほうが僕は正しいと思います。もともと需要があるところに何かをするのは、あまり好きじゃない。需要のないところに需要を生み出す。オンラインゲームを最初やろうとした時も需要がないと言われたけど、作り出しました。スマホゲームもうまくいかないと言われましたが、新たな需要を作り出しました。僕たちが会社を始めて13年たちますが、結局いつも新しい市場を創ってきたんだと思います」

 もう、寄り道することはないのか。最後にこんな質問をぶつけてみると、森下氏はこう言い切った。

 「今の仕事が自分にとっての天職。創作意欲がなくなればやめないといけませんが、もう違う世界に行くことはないですね」

(文=本誌編集長/吉田浩 写真=幸田 森)

 
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