キューバ革命から半生記、長き断絶の時を越えて
国交を断絶して50年以上に渡り対立してきた米国とキューバが2014年12月17日、翌年1月から国交正常化に向けた交渉を始めると発表した。キューバからの多くの移民を抱えながら、国家間は、深刻な敵対関係を続けてきただけに、同日の報道番組は、このニュースで埋め尽くされた。
米国内の反応は、「歓迎ムード」一色と言える。キューバからの移民の中には、国交や支援がないために、母国に残した家族・親戚と離ればなれになったままという人は多い。また、友人の米国人ジャーナリストやカメラマンから、「取材なら入国しやすいから、一緒に行かないか」と誘われたこともある。政治的に国交が回復することで、両国の法律や規制が緩和され、行き来が自由になり、移民にとっての「断絶」の期間が終わりを告げることになる。
「キューバ孤立化」の政策に成果なし
オバマ大統領は同日、ホワイトハウスからのテレビ演説に臨んだ。

ニューヨーク市内にも数多くあるキューバ料理店(撮影/著者)
「過去50年間を振り返ると、対キューバ孤立化政策は効果を上げなかった。過去の足かせを取り除いていこう」と力強く呼びかけた。冷戦時代に悪化した両国間の歴史にとらわれ、移民を含めたキューバ人と米国人の双方の利益を損なってきたという反省にたったものだ。
キューバと米国の歴史を振り返ると、1959年に起きたキューバ革命で、革命軍が米国による傀儡政権を駆逐。この際、中・上流階級の市民の多くが米国に亡命した。フロリダ海峡をはさんで、わずか145キロメートルのところに米国があるからだ。
当時のソビエト連邦とキューバとの急接近も、冷戦の最中、米国がキューバへの敵視を強める理由となった。そして、62年には、「キューバ危機」が勃発。J・F・ケネディ前大統領は、キューバとの貿易を全面禁止し、経済制裁に踏み切った。また、ソ連がキューバにミサイル基地の建設とミサイルの搬入を計画していることが明らかになり、事態は核戦争寸前にまで至ったが、米ソの妥協で危機は回避された。
のちの03年には、米連邦下院が、米国人のキューバ訪問解禁の法案を可決し、人権団体やジャーナリスト、キューバ移民が入国できるようになった。しかし、それでも、キューバは、フィデル・カストロ国家評議会議長が率いる社会主義国家として、米市民の不信感を完全に拭うまでには至らなかった。
ネット普及で広がるキューバ民主化の可能性
今回の国交回復交渉の準備には、アルゼンチン出身のフランシスコ・ローマ法王が仲介役として、全面的に支援した。法王は、オバマ大統領とカストロ議長に書簡を送り、交渉を成功させるように促した。同時に、バチカンがホスト役になり、14年10月に2カ国間の具体的な詰めを行う会議を開いた。こうした法王の支援が実り、同年12月16日、オバマ大統領とカストロ議長が45分間に渡り、電話会談をして、国交回復交渉の発表にこぎ着けたわけだ。
しかし、反対意見がないわけではない。フロリダ州選出のマルコ・ルビオ上院議員は、早速記者会見を開き、「オバマ大統領の今回の決定は、嘘と錯覚に基づいたもので、間違っている。キューバ人とカストロ議長に、自由にモノを与えるのは危険だ」と痛烈に批判した。ルビオ議員は、16年の大統領選挙に共和党の候補として出馬するとされる有力議員。「キューバとの国交回復は、キューバ人のためにならず、カストロ議長にだけ有利だ」とする共和党を中心に、反対派の抵抗は続くとみられる。
一方、オバマ大統領は、今回の発表のため、慎重に準備を進めてきた。13年、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の葬儀で、カストロ議長と握手。また、側近のうち2人が10回以上、キューバ側と交渉を続けてきた。大統領として歴史に名を残したいオバマ氏にとって、国交正常化は、間違いなく2期目の最大の目標であり、うまく実現すれば最大の実績になるのは間違いない。
キューバにも大きな変化が訪れる。キューバで投獄されていた米国人人道支援家のアラン・グロス氏が晴れて送還されたが、彼はインターネットに接続できる衛星を使った通信機器を持ち込んだため、15年間の服役を言い渡されていた。現在、キューバにはインターネット接続環境がないに等しいが、インターネットのネットワークを作るための機器が今後、米国から輸出される。それによって、キューバ人が自由に情報にアクセスし、自分たちからも発信するようになれば、さらに民主化が進むだろう。米国とキューバの国交回復は、ほかの社会主義国家にも、大きな影響を与えていくのは間違いない。
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