経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

「技術がどんなに進歩しても、求められるのは「心に響く」コンテンツ」後藤 亘(東京メトロポリタンテレビジョン会長)

東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)は、1995年に東京エリアのテレビ局として開局したが受信可能な世帯の少なさや、経営の混乱から、すぐに立ち行かなくなった。開局から2年後、立て直しを任されたのが、エフエム東京を優良企業に育て上げた後藤亘氏。あれから20年、将来を模索するキー局をしり目に、MXテレビは快進撃を続けている。その裏には何があったのか、現在、会長を務める後藤亘氏に話を聞いた。聞き手=古賀寛明 Photo=山内信也

後藤 亘・東京メトロポリタンテレビジョン会長プロフィール

後藤 亘・東京メトロポリタンテレビジョン会長

ごとう・わたる 1933年、福島県生まれ。東北大学法学部を卒業後、東和映画、東海大学超短波放送局(FM東海)を経て、70年にエフエム東京に入社、89年に社長就任。97年から東京メトロポリタンテレビジョンの取締役社長を兼任し、エフエム東京では2005年に会長、現在は名誉相談役。TOKYO MXでは、取締役会長を経て、10年から代表権を持つ会長に就任。

TOKYO MX快進撃の裏のおおらかさ

―― 2015年度まで6期連続の増収で今期も順調のようですが、業績好調の要因は。

後藤 個人的には好調だなんて思っていないですよ。まだ、当然あるべき数字に至っていない。今の倍くらいの数字になるくらいの目標でしかるべきでね、まだまだですよ。

テレビメディアというのは、凋落がささやかれていますが、それほど衰退しているとは思いませんし、現在も価値の高いメディアです。しかし、うちは、その価値をまだ十分に表現していないということです。確かにキー局と比べれば小粒ですが、首都圏の中心部をカバーし、東京という国際都市のメディアであることを考えれば放送局の全国トップ10くらいには入りたい。それくらいのポテンシャルはあると思っています。

―― キー局がやらない施策、例えばマルチチャンネルを開始し、刺激的な番組も多い。元気の良さが目立っています。

後藤 まだまだ守る立場ではないですからね、小規模の集団が勝ち抜くためには攻めるしかないんです。汗かいて、知恵出して、働く者同士の輪を広げていかないとなりません。

制作陣に関しても、例えば「5時に夢中!」のプロデューサーは、とても元気がいいのですが、たとえ、「ちょっとやりすぎかな」と、思ったとしてもそういった言葉を一切かけないようにしています。経験からいっても、行動に制限を掛けるような言葉を経営者がひと言発しただけで、現場にグッとブレーキがかかるものなんです。その瞬間にエネルギーにもブレーキがかかる。だからこそ、のびのびやってもらう環境づくりが私の仕事なんです。

―― では、目指すところをどう設定しているのでしょうか。

後藤 目標の数字はあってしかるべきなんですが、経営の目標として売り上げを伸ばすというのは、結果論でありたいんですよ。

どういうことかと言いますと、例えば、東京のテレビ局なんですから、東京の伝統、歴史はもちろん、世界に向かって発信している東京という都市のエネルギーを発信する基地でありたいと思っているんです。これまでは国も経済最優先で来ましたが、成熟してしまったことで、簡単にモノが売れなくなってしまいました。

ただ、経済を支えているものは何かと考えれば、この歴史と文化です。これをもっとアピールすることができれば、結果的に経済も大きくしていくことになると思うんです。しかし、残念ながら、日本の文化予算は約1千億円と、欧米の先進国はもちろん、中国、韓国と比べても低い。先進国の観光客は、文化的な経験を求めています。だから、経済も、「売らんかな」ではなく、むしろ買って喜んでもらう、そういった発想が必要なんじゃないでしょうか。

そのためには、良い番組をつくって社会に貢献せねばなりませんから制作費が必要になってきます。ということは、売り上げも伸ばさなければならないわけです。それが、目指す姿ですから、最初に戻りますが、まだまだだと思っているんですよ。

たったひとりで乗り込むことになった理由

―― 会長は、1997年にエフエム東京から招かれましたが、当時のMXテレビは大赤字だったと思います。よく決断されましたね。

後藤 当時は、週刊誌にも、新聞にもMXテレビのことがよく出ていましたからね、同じ業界のことでしたから、ハッキリ言って「大変そうだなぁ」と思ってはいましたが、まさか、自分がそこの経営を引き受けることになるとは思ってもいませんでした。そんな時に、東海大学の松前重義先生の兄弟子のような存在だった徳間書店の徳間康快さんが、やって来られて、「社長を引き受けてくれ」って言うんです。

突然、そんなこと言われても、あの赤字ですからね、躊躇しておりましたら、「だから、お前に頼みに来たんだよ」と(笑)。今だから笑って言えますが、当時のMXテレビの会長で、商工会議所の会頭も務められた石川六郎さんの意を受けて、徳間さんは来られていたんです。

その後も、東映の岡田茂さんがやって来られて、また「やってくれんか」というのです。岡田さんのまわりにも、東映はもちろん、テレビ朝日などメディアが多くありましたからね、「他にいるでしょう」と言ったんですが、「なかなか、いないんだよ」と。結局、徳間さん、岡田さんに頼まれる格好で引き受けたわけです。それが97年4月の末でした。

―― 断りづらいお2人ですね(笑)。

後藤 そうそう(笑)。それで、エフエム東京に帰って、会社の役員に話をしたら、みな猛反対。何より、せっかく50年かけて大きく育ったエフエム東京までが巻き添えをくってしまいますよ、というんです。まぁ、その意見もよく分かりますから、恩師である松前先生の遺影の前に行きまして、自問自答しましたよ。そこで導き出した答えが、「エフエム東京からはひとりも連れて行かない」ということでした。たったひとりで行くことにすれば、たとえMXテレビが潰れても私だけの問題ですから、エフエム東京には何の迷惑もかけないわけですからね。

―― とはいえ、たったひとりでどうやって立て直していくんですか。

後藤 実際に、行ってみたら放送が分かる人があまりいませんでした。でも、エフエム東京から人は出せません。そこでエフエム東京のOBを呼んだんです。4、5人をスカウトしましてね、そうしたら、ひと肌ぬいでやると、来てくれました。

―― 社長を引き受けましたが、当時はアンテナの問題も足かせになっていたようですね。

後藤 当時、東京のキー局のアンテナはアナログのVHFで、一方、MXテレビはアナログでもUHFでしたから、わざわざ別にアンテナをつけなければ見られなかったわけです。既にNHKやキー局が5つ見られますから、たとえコンテンツにお金を注いだとしても、正直ムダになると判断しました。ただ、03年には地上波のデジタル化間違いなしと思っていましたから、そこで一気呵成の勝負に出る、そういう考えでした。

それまでは我慢の道。利益よりも、むしろ破産しないように、少なくなったお金をどう使うかといった考えで、言うならば極端な守りの経営だったわけです。

ところが、それによって社風があまり冒険しない文化になってしまったんです。あらためて、経営は難しいものだと思いましたよ。実際、攻めにいったときに守りの社風が足を引っ張りましたからね。仕方なかったとはいえ後悔しました。ただ、先ほど申した「5時に夢中!」のプロデューサーのように、守り一辺倒に染まらなかった者もいましたからね。彼みたいな社員が増えればもっと元気な会社になるはずです。

また、当時は東京という拠点を考えれば報道にいちばん興味がありましたが、そういったものは抑えなければならないと、自分で呑み込みました。と、いうのも報道には予算がかかりますからね。ただ、これからは報道に関して立ち位置を明快にしていかねばと思っています。

放送と通信の融合は「テレビ」を変える

TOKYO MX

人気番組となった「5時に夢中!」

―― では、今後は報道に本腰を入れていくということでしょうか。

後藤 現在でも20~30人(協力会社を含む)の報道部隊でやっていますが、なかなかダイナミックな取材はできていません。ですが、今後の放送と通信が融合する時代を考えれば、変化は間違いなく起こってきます。その時、放送メディアとして個性をどう出していくか、捨てるものは捨て、何処にフォーカスするか、といったことを報道を含めて、あらためて考えよう、それが今年の当社のテーマになっています。

私は今後、中世の都市国家じゃないですが、都市間交流が活発になるのではないと思っています。欧州であればロンドンやパリ、ミュンヘンなどが、北米ですとニューヨークなど3、4カ所くらいでしょうか、そして日本であれば東京でしょう。そういった大都市のエネルギーが拡大していく時代を想定すれば、国際都市東京でのテレビジョンの視点、座標軸が見えてくるのではないだろうかと思うのです。逆にそういった視点を持たなければ埋もれてしまう、そう考えています。

既にニューヨークでは、出勤前にニューヨーカーが見ているのは、大手のネットワーク局ではなく、「NY1」という、報道専門のケーブルテレビです。MXとも04年から姉妹局提携して深い交流があります。

ネット時代における放送と通信の融合という観点で見れば、仕事の段取りひとつでも学ぶべきところは多い。何より、あちらでは地上波であるとか、CATVだとか、衛星、ネットといった伝送路は全く関係なくなっています。大事なものはコンテンツなんです。

―― 日本も変わりますか。

後藤 当社でも15年から、「エムキャス」というアプリを使った動画配信を行っています。地上波では東京圏のみでしか見られない番組も、インターネットを通じれば全国で見られるようになったわけです。これも放送と通信の融合です。20年前であれば、当時の郵政省も簡単に認めなかったと思いますが、時代の変化から関係官庁も後押ししてくださっています。

テレビ局自体も今後は、地方の放送局を中心に変化せざるを得ないでしょうね。かつては、キー局に対して地方局が少なかったですから、番組を選ぶことのできる地方局のほうが強かったわけです。ところが、BSが登場し、その後インターネット時代になると、ネットワークを持たない局が自由に動けるようなりました。ネットワークが少ない局はBSをうまく利用しています。

一方、全国にネットワークを持つ局は、衛星放送を手にしても地方局との関係から同じものを地上波で流すわけにはいきません。いまだ衛星放送を再放送的な立ち位置でしか使えていないわけです。

しかしながら、ネット時代が進めば、キー局もBSに本格的にエネルギーをかけざるを得なくなるはずです。そうなると、番組を独自につくっていなかった地方局は疲弊するでしょうね。

私は、それが20年から25年にかけての変化だととらえています。

―― 放送局が生き残るために必要なことは、何でしょうか。

後藤 人間というのは、例えば絵画の本を買ったとしても好きな絵画しか見ませんからね。ですからこれからの多チャンネル時代にたとえ200の番組があったとしても、人間はそんなにいろんな番組を見ることはありません。

そこにビジネスチャンスがあると思います。人間は、しょせん一度にひとつの番組しか見られないのです。だったら、その選ばれる番組とは何か、時代に関係なく、求められるテーマはあると思っています。

それは心にどう響くか、ということです。それがコンテンツの砦でしょう。結局、一千年前の「源氏物語」における男女の恋物語は、現代でも色あせていないんですよ。

囲碁はAIに負けましたが、それは多くの名人の何千通りの棋譜がコンピューターの中に入っているからで、総情報量では、人間はAIに到底敵いはしません。でも、人間の心は別です。人に感動を与え、涙を流し、心から笑う。こうした番組は人間にしかつくれませんし、普遍的なものなんです。

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