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日本橋の首都高地下化計画と国際金融都市構想 

日本橋を覆う首都高速道路

江戸のシンボルともいうべき日本橋の上には、今も首都高速道路が走っている。長年、景観を取り戻すべく要望が出されていたが、ようやく国と東京都は共同で具体的な検討に入ると発表した。なぜ今、日本橋を覆う首都高速の地下化計画は動き出したのだろうか。文=古賀寛明 Photo:佐藤元樹

長年訴え続けられた「日本橋」を覆う首都高景観問題

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日本橋を覆う首都高速道路

 日本橋を覆っていた首都高速道路を地下化する具体的な検討が始まっている。石井啓一国土交通大臣は、7月21日の定例会見で、「老朽化した首都高速の更新にとどまらない、魅力ある都市景観の再生のため、東京都などと協力して首都高速の地下化に取り組む」と発表した。

 日本橋周辺の街づくりと連携するため、真っ先に検討されるのは、日本橋の上を通る都心環状線の竹橋と江戸橋の両ジャンクション間の約2.9キロメートル部分だとみられる。また、どんなに早くても事業の着工は東京オリンピック以降であるということなので、オリンピック開催を空の見える日本橋で迎えることはない。

 1911年、明治の終わりに架けられた石造りの2連アーチ橋である現在の日本橋は、1603年、徳川家康が初めて架けた木造の日本橋から数えて19代目、もしくは20代目といわれる。重要文化財にも指定されているこの橋は、両端を守る青銅製の獅子や都を守るとされる麒麟が装飾され、首都を代表するにふさわしい橋である。そして、橋の中央には青銅製の日本国道路元標が埋められており、江戸時代には東海道など五街道の、現在も国道7本の起点となっている。

 しかし、1964年、東京オリンピックに向けて首都高速が早急に整備される中で、用地買収の手間を省くために、川の上を首都高速が覆うようになった。神田川から分離し隅田川に注ぎ込む日本橋川も、その頭上のほとんどを道路で覆われている。

 高度成長、モータリゼーションの世の中を支えた首都高速であったが、首都東京の顔である日本橋の景観を嘆く声は多く、例えば「名橋日本橋保存会」などは発足が五輪からわずか3年後の67年と、50年以上も日本橋の空を求め続けており、近年では2006年に、当時の小泉純一郎首相の呼び掛けによって「日本橋に空を取り戻す会」が、街、川、道を一体的に整備する案を提言。12年にも有識者による同様の提言が行われるなど、長年にわたって日本橋の空を求める声は上がっていた。

首都高の老朽化と国際金融都市構想の追い風

 今回、ようやく日本橋を東京の象徴として取り戻すと動き始めたのだが、では、なぜこのタイミングとなったのだろうか。

 これまで何度も首都高速の地下化が叫ばれ、誰もが「賛成」としながらも実行できなかったのは、道路を地下へもっていく資金を手当てできなかった、ということに尽きる。

 過去の試算によれば、地下化するにはだいたい4千億~5千億円掛かるといわれている。かつて、その膨大な金額に当時の石原慎太郎都知事は、首都高速を移動できないのなら日本橋をほかの場所に移動すればよいと言ったくらいだ。その是非はともかく、景観を取り戻したいという地元住民をはじめとする熱意があっても、その金額を手当てするのは難しかった。

 ところが近年、首都高速道路の老朽化という問題が起こってきた。現在、首都高速全体の約3割に当たる100キロメートルほどが、供用から既に40年以上がたち、50年以上たっている道路も少なくない。3年前の14年には首都高速の大規模な更新計画が発表されており、羽田線、渋谷線とともに、日本橋の上を走る都心環状線の竹橋・江戸橋の両ジャンクション間も更新計画の中に入っていた。

 既に50年以上がたっている竹橋、江戸橋間の道路には、構造物全体に疲労亀裂、コンクリートの床版にもひび割れが入っており、その改修事業費は1412億円にも上るとされていた。ただし、この数字はあくまで現状の川の上にある首都高速を補強、改修する金額であって、仮に地下化を行う場合、この金額ではとても賄いきれない。地下化の事業費用を5千億円と考えれば、3600億円ほど足りない計算になる。費用負担をしなければならない首都高速道路にとっても、余計な出費にすんなりと応じる理由はない。

 しかし、首都高速の老朽化の上に、東京都が国家戦略特区を利用して進める国際金融都市構想という追い風が吹いた。小池百合子・東京都知事が進める国際金融都市構想とは、20年度までに、先端ITを用いた「フィンテック」企業や、資産運用などを行う外資系企業など約40社を東京に誘致していく構想で、永代通りをメインストリートに大手町から日本橋・兜町に至る地域を中心に進めていこうとしている。つまり、この東京をアジアナンバーワンの金融センターにし、そしてその中核地域を日本橋周辺地域が担い、そのシンボルとして日本橋を復活させようということになったのだ。

 小池都知事も7月21日の会見で「首都高速の地下化によって、国際金融都市のふさわしい品格のある都市景観の形成、それから歴史、文化、さらには水辺を生かした日本橋の顔をつくっていく」と述べ、江戸文化の象徴を取り戻すことが、国際金融都市の顔をつくることになると明言している。だが、仮に国際金融都市を目指し、日本橋をその象徴と考えていようとも、東京都が首都高速道路や国の負担分以外の金額すべてを負担するとは考えられない。ではどこから、さらなる資金を引き出すのだろうか。

日本橋付近の再開発により取り戻す水上都市

 その期待を持たれているのが現在、活発な再開発事業を行っている民間事業者。容積率の緩和など事業者にメリットを与える見返りに、国や都は地下化への負担協力を得ていこうともくろんでいる。今後、国や東京都、首都高速道路、そして民間とどのような分担にしていくのか話し合いが始まっていくとみられる。

 ただし、日本橋付近が変わることは単に都市の象徴となるだけでなく、東京全体の印象を変える可能性もある。それが川の存在だ。

 現在、大規模な再開発が日本橋川沿いに同時並行的に始まろうとしている。日本橋を中心に上流から見ていくと、日本銀行近くの常盤橋街区では、三菱地所が390メートルの日本一高いオフィスビルの建設を予定しており、日本橋を下った鎧橋付近では、東京証券取引所のビルを所有する平和不動産が、中央区と連携し東証付近の兜町一帯の再開発を予定している。

 その第1弾となるビルは地上15階の複合ビルで、20年度の完成を目指しており、こちらは既に容積率緩和が予定されている。また、国際金融都市を目指す上で外国人が住みやすい環境整備も行われ、サービスアパートメントやインターナショナルスクールの誘致も検討する。

 さらに日本橋近辺も大きく変わる。南詰にある1930年建築の野村証券日本橋本社とその周辺は、三井不動産と野村不動産が共同で287メートルの高層のオフィスビルを中心とした街づくりを21年に着工し、25年の完成を目指す。野村ビルを美術館やレストランに利用することで歴史的建造物を残す一方、高級ホテルの誘致も行い、働くだけでない複合的な街づくりを計画する。

 もし、これらの地域をコンパクトにつなげられるならばロンドンの金融街シティのようになり、国際金融都市構想の地の利といった面では有利になる。そして、それを実現させるのが船だ。

 川を利用すればこの3つの街区は驚くほど近く、地上よりも密になる。大手町も日銀も日本橋川でつながっており、MICE拠点化を行うお台場など臨海副都心とも船でつながる。

 また、既に東京都は羽田空港と都心を船で結ぶ実証実験を行っているため、文字通り日本橋が街の玄関口となるかもしれない。この動きを後押しするかのように、日本橋の再開発計画の中にはボートの発着場もつくられる予定だ。もし仮にボートや船を日常的な移動手段、交通機関として活用できれば、ベネチアのような魅力的な水上都市となるのは間違いない。

 しかも、それはかつてあった都市の記憶を取り戻すことでもある。徳川家康は日本橋北詰に魚河岸をつくったのを皮切りに、商業地を設け江戸経済の中心地にした。日銀は金座の跡地に建てられていることからも、日本橋が経済の中心地だったことが分かる。その後、明治へと時代が変わり、渋沢栄一翁は日本橋、兜町を金融の街にするべく、第一国立銀行(現・みずほ銀行)、東証をつくった。さらに川に面した自邸をつくったことで、明治維新の都市づくりもまた日本橋川から始まっている。日本橋の空を取り戻すには莫大な金額が掛かるが、江戸や明治期の東京が持っていたポテンシャルを取り戻すことでもある。家康、渋沢、そして今、水辺を利用した国際金融都市が誕生する。それは東京が三度目の水の都へと変わることでもある。

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