経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

小田健太郎・アイリッジ社長が語る「独立準備」「起業」「経営者としての意識」

圧倒的に稼げる人とそうでない人との違いは何なのか。事業における成功と失敗の分かれ道はどこにあるのか。本シリーズでは、幾多の修羅場をくぐりぬけてきた企業経営者たちを直撃し、成功者としての「原点」に迫っていく。

小田健太郎・アイリッジ社長プロフィール

小田健太郎・アイリッジ社長

(おだ・けんたろう)慶応義塾大学経済学部卒業後、NTTデータを経て、ボストン・コンサルティング・グループ入社。モバイル業界を中心に、事業戦略、新規サービス立ち上げコンサルティングを多数実施。2008年アイリッジを創業し、代表取締役社長に就任。2015年東証マザーズに上場。

就職時から起業を意識していた小田健太郎・アイリッジ社長

江上 小田社長は起業する前、NTTデータに勤めていたそうですが。

小田 大学卒業後、5年間勤務して製造業向けシステムの営業を担当していました。

江上 もともと起業志向は強かったんでしょうか?

小田 父親が住宅建築会社の創業経営者だったので、自分にとって経営者が一番身近な職業でした。ただ、将来起業しようと真剣に思い始めたのは、大学時代に就職を考え出した時ですね。今は学生でも起業する人がたくさんいますが、当時の自分はそこまではあまり考えていなくて、まずどこかに就職したほうがいいかなと。ちょうどインターネットが伸びだした時期だったので、IT業界が良いと思ってNTTデータに就職しました。

江上 NTTデータに務めた後は?

小田 ボストンコンサルティングに転職しました。社会人になって5年経っていたので、そろそろ起業しようかなとも思ったのですが、せっかくなので他の世界も見てみたいと考えたからです。コンサルタントという職業が、世の中に認知され始めたタイミングだったこともあります。

江上 なるほど。ボスコンではどんな仕事をされていたのですか?

小田 モバイルインターネット業界のコンサルタントとして、新しいサービスづくりのお手伝いなどをやっていました。そこで身に付けた知識や人脈が、起業してからも役立ちましたね。そこでまた5年勤めた後に独立しました。

江上 読者の中にも独立志望の人は数多くいると思いますが、小田社長はサラリーマン時代から意識して経営を学ぼうとしていたのでしょうか。

小田 当時はサラリーマンをやっているうちに起業のネタも見つかるだろうと思っていたんです。でも、結局見つからずに32歳になってしまったので、あと数年いて30代後半になると起業は苦しくなると思って会社を辞めました。ここで一歩踏み出さないと一生起業しないだろうなと。何をするかは、辞めてから考えることにしました。

サラリーマン時代もいつかは起業したいと思っていたので、身に付いたことは多かった気がします。NTTデータ時代の5年のうち4年間は子会社に出向していたのですが、行きたいかどうかと聞かれてすぐに手を挙げました。大企業の場合、多くの社員は本体に残りたいと答えるでしょうが、私は起業を考えていたのでそちらのほうが学べることが多いと思ったんです。

江上 私が開いている起業塾では「フィルター」という言葉を使っているのですが、モノを見る視点を養うことは重要ですね。たとえば、懇意にさせていただいているアースホールディングスの国分利治社長は、町を歩くときでも常に出店できる場所かどうかを意識して見ているということです。

小田健太郎・アイリッジ社長の会社員時代から起業まで

江上 NTTデータの子会社時代に苦労したことはありますか?

小田 新しくできた会社だったので、事業の立上げや組織づくりを苦労しながら体験できたことは良い経験でした。事業立ち上げの苦労や、組織作りの中での不満などを、一番下の立場からでしたが、見ることができました。経営者になった今だからこそ理解できることもあって、参考にしている部分は多々あります。

江上 ボスコン時代はいかがでしたか?

小田 経営を学ぶという目的で入ったので、やはり、その意識を持っていたのが大きいですね。大企業相手のコンサルが中心だったので、大企業における意思決定や、そこにいたるプロセスなどなどを学ぶことができました。コンサルタントとして、顧客企業の新入社員から社長まで、さまざまなレイヤーの方と接することができたのも大きかったです。資金調達を含めた会社を成長させる手法や、大企業に提案する際にどのようなステップで行えば良いかといったこと、あとは常に物事を「ヒト、モノ、カネ」で考える視点が持てるようになりました。

江上 起業されたときは完全に1人で?

小田 スタートは私1人でした。コンサル時代にモバイルインターネット事業が伸びていた時期だったので、そこで何かやろうと考えて、一人で試行錯誤しました。とにかく企画書をたくさんつくって、昔の縁でいろんな人に提案していきましたが、半年くらいは一人で、収入はほぼゼロでしたね。

そうしているうちに、企業のいろんな情報を携帯の待ち受け画面にプッシュ通知でで出すというアイデアを面白いと思っていただける企業が現れました。従来、そうした情報はメールで提供されていたのですが、送られた方が開封しないと見ていただけません。待ち受け画面に出したら絶対見てくれるので、それをサービス化することになりました。クライアントが見つかったので、サービスを開発するために知人の紹介でエンジニアに出会いました。そうして仲間を集めだしたのは、起業して半年後ですね。

起業前に必要な4つの資源と信用貯金をつくる大切さ

江上 最初の仕事が取れるまでの間は辛くなかったですか?

小田 1人のときはそれほどでもなかったのですが、仲間が増えて給料を払わなければならなくなってからのほうが辛かったですね。

江上1年目は何人ぐらい採用したのですか?

小田 すぐ4人まで増えました。私は営業や企画を担当して、あとはエンジニアメンバーがサービス開発を担当していました。幸い、僕が1人でやっている会社に来てくれるような方はベンチャー魂に溢れていたので、メンバーとはあまりマインド面のギャップを感じることはなかったです。

江上 結局土台が大事なんでしょうね。私は著書の中で、4つの資源という言い方をしているのですが、「人脈」「お金」「時間」「世の中に何かを生み出すスキル」という資産を、独立前にしっかりつくって、「信用貯金」をつくっておくことが大事だと思うんです。紹介で良いエンジニアが集まったというのは、小田社長が信用貯金を積み立てていたからではないかと。ちなみに、1年目の売上はどれくらいでしたか?

小田 数百万円程度だったと記憶しています。資本金は早々になくなったので、私個人の貯金を会社に貸し付けて、基本は全部持ち出し。創業して2年間くらいは、受託開発やコンサルの下請けをやって日銭を稼ぎながらやっていました。

江上 サラリーマン時代に、独立資金は結構貯めていたのでしょうか?

小田 起業できる程度の資金は貯めていましたね。特に、ボスコン時代は他人の3倍働いて2倍給料もらうという感じでやっていたので。

江上 「3倍働いて2倍給料もらう」というのは良い言葉ですね。

小田健太郎・アイリッジ社長が語る業績を飛躍的に伸ばすポイント

小田健太郎・アイリッジ社長

「人の3倍働いて2倍給料をもらう」という意識で働いていたという小田健太郎氏

江上 今度私は、起業のPDCAという本を書く予定なんですが、やはり起業するには準備がすごく大事で、どんな準備をしたかで成否が決まるということを書こうと思っています。小田社長はサラリーマン時代にきちんと目標を定めて、資金も貯めて、顧客への提案能力も養って、きちんとステップを踏んでいるなと思いました。そうした経験を基に、今のメンバーの方々にはどんな指導をされているんでしょうか。

小田 実は、そこは自分で相対的に弱い部分だと思っていて、会社員時代は小規模チームのマネージャーみたいな感じだったので、見ていたのはせいぜい3~4人のチームだったんです。今は70人のチームを率いているのですが、その規模のマネージメントは過去に経験していないので、学びながらやっていますし、今後人数が増えた時も同様だと思ってます。もし、100人規模、1,000人規模のマネージメントを過去に経験していたら、もっとうまくできるんじゃないかと思っています。

江上 なるほど。では、業績が飛躍的に伸びたポイントを教えていただけますか?

小田 いち早く、スマートフォンに目を付けた時だと思います。スマホが世に出てきたのはちょうどわれわれの創業と同じくらいの時期だったんですが、当時は日本でスマホは流行らないと言われていました。日本のガラケーのほうが先を行っていて、ガラケービジネスで上手くいっている人たちが多かったからです。

でも、われわれはベンチャーですから、新しいものに活路を見出すしかありませんでした。そうしているうちに、2010年ぐらいになって、大方の予想を覆してスマホがすごく成長しだしました。われわれは、既にスマホ対応の技術開発をしていたため、優位に立てたんです。創業3年目には、ベンチャーキャピタルから数千万円の資金調達を行い、さらなる成長の準備をしました。

江上 東証マザーズへの上場が2015年でしたね。

小田 そうです。資金調達して4年ぐらいで上場できたので、順調なほうだと思います。以前に比べて、今はベンチャーキャピタルからの資金調達がしやすくなっていますが、当時はリーマンショックの影響が残っていたので大変でした。

江上 そこは、ボストン・コンサルティング時代のプレゼン力が生きたということでしょうか。

小田 そうかもしれません。ボスコンに勤めていなかったら、プライベートカンパニーとしてコツコツやっていた可能性もありますが、資金調達によって会社を成長させられることを知っていましたから。

幸運を呼び込むための準備をしていた小田健太郎氏

江上 上場後に苦労したことはありますか?

小田 上場までは割と順調でした。われわれのビジネスであるO2Oの概念は、資金調達した時点ではまだ世の中に知られていませんでした。われわれがやっていることに、世間が後追いで注目してくれるようになったんです。幸運なことに、その流れにうまく乗ることができ、「業界のリーディングカンパニー」と言えるようになりました。

江上 運の重要性は松下幸之助さんも言っていますね。運が良くなる人は、目標設定をしっかりやったり、きちんとステップを踏んだりといった部分で共通点があると思うんですが、幸運を呼び込んで成功するためのポイントを小田社長は押さえている気がします。

小田 確かに運もあったと思いますが、運を上手くつかめる準備をしていたということが大きいと思います。いろんな挑戦をする中で、一番顧客からのニーズが強いものを手掛けて、資金調達をして成長するための準備をして、そこにフォローの風が吹いた、という感じですね。

経営の観点から常に「ヒト、モノ、カネ」ということは意識していて、初めはまず資金を貯めておき、次に企画をいろいろと提案する中で引きが強い事業を見付けて、人を採用して、上手く行きだしたら成長するための資金調達と、タイミングによって次に何をしなければいけないかということはいつも考えています。

江上 いち早く事業の芽を見つけるのに、何かコツはあるんでしょうか。

小田 われわれが手掛けるのはB to Bの領域なので、顧客企業のマーケティング担当者にいろんなことを提案していくと、「こういうのが欲しい」という声がいくつか出てきます。感覚的には、3人が欲しいと言うものがあればゴーですね。アンテナをたくさん持って、ニーズがあるところに上手く突っ込んでいけました。

小田健太郎・アイリッジ社長の信念とは

江上治と小田健太郎

江上 現在の業績はどうなっていますか?

小田 前期の売上高は約15億円で、今期は20億円を目標にしています。

江上 経営計画は創業当初から作っていたのでしょうか。

小田 ベンチャーキャピタルから資金調達するときに初めて作りました。経営計画については思い通りにいかないこともありますが、つくったほうが将来成長している姿を経営者がリアルにイメージできるという良さはあります。

江上 私は『年収1億円人生計画』という本の中で、人生計画書を作ることを推奨しているのですが、成功する人は自分の人生計画と会社の人生計画を両方のバランスよく持っています。

小田 たとえば、単に「お金持ちになりたい」というのと、「50歳で1億円持っていたい」というのでは、後者の方がリアリティがあるので実現できる可能性が高いでしょうね。経営計画についても同じではないでしょうか。

江上 最後に読者へのメッセージとして、起業するうえで大事なこととこれから飛躍するためのポイントを。

小田 起業で一番大事なのは、やはり「思い」の部分でしょうね。初めは困難しかなくてもそこを乗り越えると成功確率はグッと上がります。困難を乗り越えるための強い意志を持っていれば、どんなやり方でも上手くいくのではないでしょうか。人の成長は、知識と経験の掛け算だと思いますが、特に経験の占める割合が多いと思います。どれだけ沢山の成功と失敗を経験できたかが重要です。私自身、会社経営を始めてからは全部が挑戦なので、いろんな経験が積めていると思います。

事業を作るということは、世の中に価値を作る一つの形です。経営者として新しい事業を作り続けていくことを楽しんでいきたいと考えています。

(えがみ・おさむ)1億円倶楽部主幹・オフィシャルインテグレート代表取締役。1967年生まれ。年収1億円超の顧客を50人以上抱えるFP。大手損保会社、外資系保険会社の代理店支援営業の新規開拓分野で全国1位を4回受賞、最短・最年少でマネージャーに昇格し、独立。著書に16万部突破『年収1億円思考』他多数。

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