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アリナミンや本社を売却した武田薬品に何が起こっているのか

「アリナミン」と言えば、もっとも知名度の高い大衆薬のひとつであり、武田薬品工業の代名詞でもある。そのアリナミンを、武田薬品が売却した。それだけでなく同社は本社や研究所など1年間で1兆円の事業や資産を売却した。一体何が起こっているのか。文=ジャーナリスト/大竹史郎(『経済界』2020年12月号月号より加筆・転載)

巨額買収で財務が悪化した武田薬品の現状

大衆薬部門の売却を急ぐ

 国内最大手の製薬企業・武田薬品が今年8月、「アリナミン」や「ベンザ」などの有名ブランドを抱える大衆薬事業子会社・武田コンシューマーヘルスケア(TCHC)の売却を発表した。

 昨年の6兆円を超える巨額買収で財務状態が急速に悪化した武田薬品は、成長投資の対象から外れた非中核事業や資産の売却を急ピッチで進め、負債圧縮を急いでいる。戦後、アリナミンの大ヒットで同社の礎となった大衆薬事業の売却は、その集大成だと目されている。

 しかし9月以降も非中核事業の売却が続く一方で、国内医療用医薬品事業部門では営業要員(MR)のリストラが始まった。米国中心のグローバル展開をめざすクリストフ・ウェバー社長にとって、かつて無類の強さを誇った営業部門を擁する国内医療用事業は、もはや聖域ではない。

 「負債込みで2400億円は上首尾だ。ウェバー社長は、もっと高く売れるはずだと踏んでいたのかもしれないが……」

 ある外資系証券アナリストはそう指摘する。武田薬品は8月24日、米投資ファンドのブラックストーン・グループに、大衆薬の事業子会社であるTCHCを譲渡すると発表した。その額約2400億円。純有利子負債などを除いた正味の評価額は2千億円弱となる。

シェアを落とし続けた大衆薬部門

 もともとは武田薬品本体の大衆薬事業部門だったTCHCだが、2016年4月に分社化(営業開始は翌17年4月)された時点で、売却は既定路線と見られていた。

 昨年来、大衆薬最大手の大正製薬ホールディングスを含む複数の譲渡先候補の名前とともに、TCHCの評価額として4千億円という数字が流布していたのも、武田側が希望売却額を既成事実化したかったからだと考えるのが自然である。

 もっとも、この金額は吹っ掛けすぎだ。そもそもTCHCが17年4月に営業を開始してから3年、その間、インバウンド需要で都市部のドラッグストアが活況を呈していたにもかかわらず、同社は売上高を2割程度落としている。

 大衆薬市場におけるプレゼンスはかつてのライバルであった大正製薬に大きく水を空けられ、現在ではシェア6位程度まで低下しているのが実情だ。20年3月期の成績は売上高609億円、大正製薬の半分以下にとどまる。

グローバルブランド化を志向するウェバー流経営と武田薬品のこれから

1兆円の事業・資産を売却し国内研究所や本社も手放す

 約70年の歴史を持ち、日本では圧倒的な知名度を誇るアリナミンブランドだが、これをファンドに売り渡したということは、創業一族などとのしがらみのない外国人社長にとって、儲からない非効率資産のひとつにすぎなかったということだ。

 ウェバー社長には、日本人社員の心情を無視してでもキャッシュをかき集めなければならない事情がある。

 昨年1月、6兆円を超える超大型買収でアイルランドのシャイアーを手に入れた武田薬品は、一気に世界トップテンの製薬企業にのし上がった。しかし、その代償として有利子負債が5兆円以上に膨らみ、財務的には相当な無理を重ねている。

 シャイアー買収を強行したウェバー社長は、長谷川閑史前社長の後継候補として14年4月に英グラクソ・スミスクラインから一本釣りで入社以降、経営幹部は欧米メガファーマの出身者で固めた。

 同年6月には社長に就任したが、当初から志向していたのは、米国中心に利益率の高い医療用医薬品をグローバル展開するビジネスモデルだ。重点領域はグループ売上高の4分の3を占めるがんや希少疾患、消化器疾患などを適応とする付加価値の高い新薬であり、これに当てはまらない循環器や代謝性疾患用薬、そして大衆薬は「ノンコア資産」として早くから事業撤退する可能性を仄めかしてきた。

創業家を忖度しないドライな経営判断

 実際、同社の事業・資産売却の動きは迅速だった。シャイアー統合から半年と間を置かず、19年5月にドライアイ治療薬をスイスのノバルティスに最大5500億円程度で売却することを発表。その後の1年間で、アフリカや中近東、東欧・ロシア、南米などで手掛けていた大衆薬事業や製造施設などを200億~800億円程度で切り売りする中規模ディールを次々とまとめ上げた。20年3月期決算が発表された5月の段階で、現金化したノンコア資産は累計8千億円以上に達していた。

 負債圧縮のために換金した資産のなかには、総工費1470億円をかけて11年に完成させたものの創薬実績がなかった湘南研究所(湘南アイパーク)や、武田薬品創業の地である道修町の大阪本社ビルの売却代金も含まれる。アフリカや南米といった依然として地政学的リスクは高いが成長が見込まれる未成熟市場での事業資産を目先の現金のために手放したことは、長期的な成長戦略として賛否が分かれるところだ。

 しかし、名ばかりで実のない、国内最大規模の創薬拠点やかつての本社まで売り払うあたり、日本人社員や議決権ベースでの発言権を失った創業家のノスタルジーなど忖度しない、ウェバー流の発露と言える。

 こうしたドライな経営判断は、ウェバー社長と同じくフランス国籍を持ち、18年に金融商品取引法違反容疑で逮捕されながらも、保釈中の昨年12月にレバノンへと劇的な海外逃亡を成功させた日産自動車元社長のカルロス・ゴーン氏を彷彿とさせる。

武田を待ち構える困難なミッション

 それはともかく、当面の利益を生み出しそうもない非中核事業や非効率な資産はすべて、巨額借金の返済原資に換金してしまおう、というのがウェバー経営の一貫した方針である。大衆薬事業の2400億円での譲渡は、アリナミンという看板ブランドを手放す象徴的意味合いだけでなく、1兆円の資産売却目標というキー・マイルストーン達成の総仕上げという意味も持つ。

 かつての同族経営時代は無借金経営で知られたものの、長谷川前社長時代に手掛けた2度の大型買収に2兆円を費やした武田薬品は、シャイアー買収後1年を経て、依然として4兆円を超える有利子負債を抱えている。21年3月期予想の売上高は3兆2500億円、当期利益は920億円にすぎず、本業の儲けだけでレバレッジ低下に向けたキャッシュの捻出は難しい状況だ。

 実際、武田薬品はブラックストーンへの大衆薬事業の譲渡発表後も手を緩めることなく非中核事業の切り売りを続けており、9月には欧州とカナダで販売していた医療用医薬品の一部製品群をおよそ600億円でドイツの企業に譲渡。手術時の止血に用いる組織接着パッチ剤も400億円超の金額で米国企業に譲り渡しており、1兆円目標の達成から1カ月もたたないうちに、1千億円程度のキャッシュを上積みした。

 新薬の研究開発に10年以上を要する製薬業界では、ひとつの新薬の製品化に成功すると、特許権をはじめとする知的財産権保護制度で保証される10~15年程度の市場独占期間内に投資を回収し、次の有望新薬に資金を投じるサイクルが一般的だ。

 武田薬品は米国市場での主力製品のひとつである抗がん剤「ベルケイド」や血圧降下剤「アジルバ」、シャイアー買収で獲得した注意欠陥多動障害治療薬「ビバンセ」の特許期限を今後5年以内に迎える。

 したがって当面の正念場は、このマイナス影響を、現在最も売り上げの大きい炎症性腸疾患治療剤「エンティビオ」や新たな抗がん剤などの投入でカバーし、成長軌道を保つことである。しかし、向こう10年のスパンで見ると、エンティビオも26年頃に市場独占期間を失い、安価なジェネリック製品に市場を奪われる見通しだ。

 同社は前述したエンティビオなどの既存製品の売上最大化、新薬パイプラインの着実な製品化という、製薬企業が一般に抱える経営課題に加え、血液由来のタンパク質から医薬品を作る血漿分画製剤ビジネスなど、シャイアー買収で獲得した製品やフランチャイズビジネスを遅滞なく武田本体に取り込むという、困難なミッションが控える。

さらなるリストラも加速か

 こうした流れのなかで、同社が進めようとしているのが、国内医療用医薬品部門の再編だ。今年7月、国内営業部門で早期退職と転職支援プログラムを実施することが発表され、8月にはその対象社員が、30歳以上で勤続3年以上となることも示された。

 不要なのはウェバー社長に「ノンコア事業」と名指しされた大衆薬事業だけではない。本業であるはずの国内医療用医薬品事業においても、その将来を担う若手を含め、人員過剰だと認識されているのだ。

 売却した湘南研究所での自社創薬がうまくいかず、他社の新薬候補を買収によって会社ごと取り込むことで成長につなげてきた同社は、かつて得意としていた血圧降下剤や糖尿病治療薬といった循環器・代謝疾患領域を、非中核分野に分類したことは前述のとおりである。

 今後こうした分野では新薬投入が止まり、製品フランチャイズは維持できない見通しであることから、現在2100人を擁する国内の営業要員も、いずれ大幅削減となる可能性が指摘されている。あるいはこれらの非中核製品群ごと他社に売却し、現金化を試みる可能性もゼロではない。

 一方、6月に公表された有価証券報告書で、ウェバー社長の報酬が総額20億7300万円、前年度より3億円あまり増えたことが明らかになっている。この報酬額は、武田薬品より売り上げ、利益率などの経営指標で遥かに好成績をあげている、ほかの欧米メガファーマCEO職と比べても遜色のない金額だ。

 ウェバー経営の方向性から考えて、10年後の武田薬品は、東京に本社登記を残したまま、実質的な事業の軸足は、ほかの多くの欧米製薬企業と同じように米国に移している公算が大である。そのときウェバー社長自身は、より格上のメガファーマCEO職に転じているかもしれない。

 だが好事魔多し。ウェバー社長が望み通りの米国エクソダスを果たすまでに、ゴーン氏のような醜聞にまみれないことを祈るばかりだ。