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清水信次・ライフコーポレーション会長インタビュー「経営者に必要なのは“己の器”を見極めること」

清水信次氏

カリスマ性の高い経営者ほど後継者選びには苦労するものだが、ライフコーポレーションの清水信次会長もその1人だ。1982年には一度弟に社長の座を譲るが、経営方針をめぐる考え方の違いから、再び自ら第一線に復帰。その後、運命的に出会った三菱商事の岩崎高治氏を若くして社長に大抜擢し、周囲を驚かせた。後継者選びにあたって清水氏は何を考え、どんな苦悩があったのか。

清水信次氏プロフィール

清水信次

清水信次(しみず・のぶつぐ)1926年生まれ。三重県出身。大阪貿易学校卒業後、陸軍に入隊。45年に復員後、清水商店を設立。56年清水實業(現ライフコーポレーション)を設立し社長に就任。61年に豊中店(大阪府)を皮切りにチェーン展開し、全国242店舗(2014年4月時点)年商約5300億円を誇る日本最大のスーパーマーケットチェーンに育て上げる。現在、ライフコーポレーション会長兼CEOの他、日本チェーンストア協会会長、日韓協力協会理事長など、公職も多く務める。

 

清水信次氏の後継者選びはどのように行われたか

 

一度退任した社長職に復帰した理由

-- 清水会長は1982年に一度社長を退きましたが、間もなく復帰されました。当時はどんな心境だったのでしょうか。

清水 61年にライフの1号店を開店して以来事業を拡大し、71年には大阪に12店舗、東京にも店舗を出すようになり、82年には大阪証券取引所2部に上場することになりました。僕はその頃、日本チェーンストア協会や日本バナナ輸入組合などの会長職を引き受けて多忙になったので、それまで一緒にやってきた弟の三夫に社長を譲って、役割分担をすることにしました。

 最初はうまくいっていたけれど、バブル経済に突入し、三夫社長はバナナやこんにゃくを売って数円の利益を稼ぐよりも、財テクで大きくお金を動かすほうに傾斜していきました。さらに、中国への進出や同業他社の株を買って合従連衡を組む計画を立て、銀行と数十億円単位の融資交渉をしていました。

 僕のように、戦後のヤミ市から叩き上げで実物経済を相手にしてきた人間からすれば危なっかしく感じられたのですが、やはり肝心の店舗運営がほったらかしになっていました。財テクや合従連衡は王道ではない、と社長に忠告してもなかなか聞き入れなかったため、自分が社長に復帰して一から見直しをやりました。財テクから撤退したり、同業他社株の処分をしたりするのに2年ほどかかりましたが、何とかバブルの崩壊には間に合いました。

岩崎高治氏と初対面で感じた天啓

 その後、もう一度社長をやりながら、自分自身のキャパシティーを計算してみました。それで、ライフのトップとしての自分の器の限界は100店舗、売り上げで言えば2500億円前後だと思ったのです。それ以上は自分の能力が及ばないから、誰か社長をやれる人がいないといけないという考えは常に頭の隅に置いていました。しかし、正社員とパート・アルバイトさんを含めて合計1万人近くの従業員を統括できる人材は、社内には見当たりませんでした。

-- その後、現社長の岩崎さんと出会うわけですね。

清水 当時から三菱商事と一緒に仕事をしていましたが、たまたま英国に出張した時に、リバプールのプリンセスという飲料・缶詰メーカーに出向されていた岩崎さんが出迎えてくれました。彼が運転する車に乗り、途中で地元のスーパーなどに立ち寄って、その間20分ぐらいです。岩崎さんの立ち居振る舞いを見ていて、「この人が日本に帰ってきたら、ライフに来てもらって一緒に仕事がしたい」と。天啓というか、インスピレーションのようなものがありました。

-- 感覚的なものだったと。

清水 彼のどこが良いというより、全体像から感じました。そこで、東京に戻ってから三菱商事の槙原稔会長(当時)や佐々木幹夫社長(同)などに相談して、ぜひ岩崎さんと一緒に仕事したいとお願いしました。3週間ぐらい後に返事があって、「岩崎さんはあと2年は現地に必要なので戻すことはできないが、どうしてもライフに人材が必要なら、三菱商事からふさわしい人間を送ります」と言われました。それなら2年待つから、岩崎さんをぜひウチに出してくれと頼んだのです。

 

清水信次

清水信次氏が考える経営者の条件とは

 

経営者として必要な要素を兼ね備えた岩崎氏

-- 岩崎さんを社長にしようと決めたのはいつごろですか。

清水 三菱商事からの受け入れは2年おきに3回更新までできるようになっていましたが、その間、岩崎さんには店舗、商品開発、人事などいろいろと経験してもらいました。決めたのは、3回目の更新をして1年くらいたったころです。4回目の更新はないという話でしたが、岩崎さんを社長として迎えたいからもう1期伸ばしてもらえないかと、三菱商事に交渉したのです。

 三菱商事は最初、本人がまだ39歳だからと難色を示しましたが、万が一岩崎さんが社長になって何か問題が起きるようなら、会長で創業者の私が全責任を持つと約束しました。それで再検討してもらい、最終的には本人が承知すればOKという返事を頂いたのです。ありがたいことに、この人選は100%に近い成功でした。岩崎社長になってから、会社の業績が伸びて事業基盤も強くなりましたから。

-- 岩崎社長の最大の長所を挙げるとしたら何ですか。

清水 経営トップに必要な要素は3つあります。手腕・力量が十分であること、次に識見が備わっていること、そして最も重要なのが人徳があることです。岩崎さんにはそれらが自然体で備わっている。経営のやり方もトップダウンでなく下からの積み上げで、懇切丁寧に中身を検討してから実行に移しています。

 僕らは戦争に負けてヤミ市の露店商から闘って進んできた野武士集団でしたが、そのまま突っ走って自滅した人たちはたくさんいます。政治家で言えば、田中角栄さんなどはいい例。流通業界でも同じです。戦後の焼け野原のような悲惨なところから事業を起こして成功するのは野武士集団ですが、世の中が成熟してくると、正規軍の将校でないとできないことが出てきます。自分が変われないなら、外から正規軍の将校を連れて来るしかありません。人間には器量というものがあって、それを超えたら破滅します。多くの人が、この見分けがつかないのです。

経営者に大事な4つの条件

-- 岩崎社長の器量をどう見ていますか。

清水 人間には成長できる人とできない人がいます。本人に成長する能力があれば、器量も大きくなりますが、これはよほどの例外です。例えば、織田信長ほどの人でも自分の器量を超えたところで明智光秀に討たれたし、豊臣秀吉のように草履取りから天下を取った人も自分の器量を超えて朝鮮出兵して自滅してしまった。徳川家康は自分の器量を心得ていたから、天下を取った後250年も幕府が続いた。

 大体の場合、潰れる会社はトップが己を知らない。大事なのは「己を知る」「足るを知る」「留まるを知る」「物事には必ず終わりが来ると知る」こと。それを熟知していれば身を滅ぼしたり会社を滅ぼしたりすることはありません。岩崎さんはまだ49歳。僕らが手も及ばなかった成長を続けていますし、この先もっと成長する余地があると思います。

(聞き手=本誌編集長・吉田浩 写真=森モーリー鷹博)

 

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