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野田一夫・日本総合研究所会長が語る師弟関係

野田一夫氏

野田一夫・日本総合研究所会長プロフィール

 

野田一夫

野田一夫(のだ・かずお)1927年生まれ。52年東京大学社会学科卒業後、3年間同大学大学院特別研究生。55年立教大学に赴任し、助教授を経て65年に教授。多摩大学など3大学の初代学長、日本総合研究所初代所長、ニュービジネス協議会初代理事長などを歴任。

 

師弟関係は人生の貴重な教訓を学んだときに自然に生まれる

 

 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」、--漱石の『草枕』の冒頭の一文ですね……。やたら専門用語を使う学者の抽象的定義より、はるかに的確に人間関係の本質を説明してくれていると思いませんか? 

 人間関係は、〝利〟でつながるものと〝情〟でつながるものに大別できます。

 売買とか貸借、時には上司と部下とかの関係は基本的には前者であり、師弟関係は親子とか恋愛などの関係とともに基本的には後者に入れられます。

 ただし、〝師弟関係〟という表現は、学校時代に先生と生徒・学生だったという、それだけの関係ではありませんよね……。

 ある若者が学校時代にある先生から、授業またはそれら以外の場で人生上の貴重な教訓を学んだ場合に自然に生まれた敬愛の念が、〝師〟という語で表現されます。ですから、学校時代の先生ではなくても、人は何かの機会にその後の人生上での貴重な教訓を与えてくれた人を、ごく自然に〝人生の師〟と呼ぶのです。

 望外の幸せですが僕は、昔からたくさんの若い起業家から〝人生の師〟と呼ばれてきました……。お世辞と言いたくありませんから、すべて心からの親愛感の表現だと考えています(笑)。

 

孫正義氏が「人生の師」と仰いだ野田一夫氏

 

 ある雑誌で孫(正義)さんが僕を「人生の志を教えて下さった人生の師」と言いました。

 僕はよく記憶していませんが、孫さんが誰かと一緒に赤坂のオフィスに初めてやってきた時の30年も昔の想い出でしょう。当時孫さんは九州から上京し、どこかのビルの小さな1室を借りて新事業の計画を練っていたらしく、社員もたしか2人しかいなかったとのことでした。

 ただ、さすがにその頃から、既に孫さんは心中に途方もない夢を描いていたようでしたが、当時も今も日本では、そういう状況の青年の夢を真面目に聞いてくれる大人は〝変人〟しかいません。

 どうやら僕は幸い典型的な変人の1人に生まれ育ったらしく、昔も今も、青年の夢を聞いては、人生の先輩ぶって「単なる夢ではだめだぞ、夢は少年・少女の願望にすぎない。願望を成就するためには、夢を〝志〟と呼ぶ強い〝決意〟にし、それを常時自分自身に言い聞かせるだけでなく、機会あるごとに他人にも堂々と述べるべきだ……」といった説教をぶってきたのです。

 ところが、この間久しぶりに孫さんに会った時、「有利子負債が9兆円になりました……」とあっさり言われて、帰途、あんなすごい人物に、30年前とはいえ、偉そうなことを言った自分をさすがに反省しましたね(笑)。

 

野田一夫「大学改革」に全力投球した野田一夫氏の人生

 

 87歳になった今、また4つ目の大学創設責任者を務めようとしています。僕にとって大学がよほど気の合った世界だったのかと問われると、実は、全くそうではなかったのです。

 敗戦で「航空技師になろう」という少年時代からの一途な夢が破れた上に理系から文系に転じて大学生になってからは、日本の大学の文系の教育の低調さに異常に憤慨しましたね。

 ですから、思いもよらず大学教授の人生を歩むことになって以来〝大学改革〟を人生目標として全力を投入しつづけてきました。僕のロマンチシズムの晩年の発露だと自負していますが、改革者には当然安らかな人生は望むべくもなかったですね……。

 ただし僕は、この歳にしては考えられないほど充実した日々を送っています。大学教授としての半世紀を振り返ってみて、僕は2つの理由から、人生に心から満足してきたからです。

 1つは、言葉の真の意味での〝師弟関係〟をとことん享受できたことです。

 元来僕は若者好きでしたから、講義やゼミには力が入りました。特にゼミでは、わが子のように接したゼミ生の総数はいつしか軽く1千人を超え、その多くとは今も親密な関係が続いています。中には既に立派な経営者になって僕を喜ばせる教え子も少なくありません。このように、大学教員という仕事は、思いがけず、殊のほか僕に向いていましたね。

 もう1つは、積極的な学外活動。大学教授は〝勤め人〟とはいえ、普通の会社員なんかと違い、講義やゼミのない週日と春・夏・冬の長期休日といった時間的特権があります。

 大学教員の多くはその間、成果はともかく研究室とか自宅の机に向かって読書や物書きなどに没頭しているのでしょうが、物理的にも心理的にも暗い〝象牙の塔〟が嫌いな僕は、若いうちから都心の赤坂に個人事務所を開いて、産業界や官界の先輩や友人たちと交友を保ち、また執筆や出演活動でマスコミと接触しながら、大学教授としての自分の研究・教育領域である〝企業経営〟の現実からは常時離れない努力を続けてきたつもりです。

 

野田一夫氏にとって「無上の勉強の機会」とは

 

 ニュービジネス協議会が発足し、初代理事長に就任したのも、僕が昔も今も自分のオフィスを若い無名の起業家にできる限り開放するとともに、時間の許す限り彼らとの会話を最大の楽しみにしてきたからでしょう。 

 経営の実績のある彼らと話すことは、企業経営を専攻する僕にとって無上の勉強の機会でした。むしろ彼らから僕が学ぶことのほうが多かったのですが、年齢と場の提供者であったが故に、〝起業家のメンター〟などという望外な評価まで頂戴して恐縮したものです。

 外国人の友人はピーター・ドラッカーが最初です。1959年に彼が初来日した時、18歳も年上の彼に、「プロフェッサー」と呼び掛けたら、にっこり笑って、「ピーターと呼んでください。僕もカズオと呼んでいいですか?」というやり取りからです。

 彼は、ヨーロッパから米国へやってきた自分の経験から、年齢・地位を問わず親しい者同士はそれぞれ愛称で呼ぶ米国の良き習慣を教えてくれたばかりか、たくさんの米国の友人を僕に紹介もしてくれました。国籍や地位や年齢を問わず、実に幅広い人間関係を築けたわが人生を振り返り、彼に感謝しています。

 こうして、大学では学生、特に多くのゼミ生たち、大学外では経営者、特に多くの若き起業家の方たちと、少なくとも、外部から見て〝師弟関係〟と言われるような利害抜きの濃きそして熱き人間関係をつくりあげることのできたわが人生に、心から満足しています。(談)

 
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