経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

ロスでの成功を捨てハワイでメディアを立ち上げた理由― 小林一三(日刊サンハワイオーナー)前編

イゲット千恵子氏

成熟社会を迎え、子どもの教育、就職、働き方など、さまざまな面において、これまでのやり方が機能しなくなってきた日本。難病を抱えながら息子とともにハワイに移住し、事業家として成功を収めたイゲット千恵子氏が、これからの日本人に必要な、世界で生き抜く知恵と人生を豊かに送る方法について、ハワイのキーパーソンと語りつくす。

小林一三PHOTO2

(こばやし・いちぞう)1960年生まれ、兵庫県出身。中学卒業後、海上自衛隊少年術科学校に入学。その後ロサンゼルスに渡り、サンドウィッチの販売、自動車関係、不動産オーナーなどを経て、2003年ハワイ日刊サンの仕事を開始。06年に同紙のオーナーとなり現在に至る。英語版の日本情報誌『WASABI』も発刊。

日刊サンハワイオーナー 小林一三の初めてのセールス経験

イゲット 小林さんがハワイにたどり着いた経緯を教えてください。

小林 ハワイに住み始めたのは15年前ですね。それまでは、ロサンゼルスに1982年から住んでいました。当時は何をしたら良いか分からなかったから、英語でも勉強して、日本に帰ったら仕事があるだろうと思っていました。

イゲット 当時は、海外留学する男性はあまりいなかったと思いますが。

小林 まあ、その走りでしょうね。英語学校に1年半くらいいました。

イゲット 当時はまだドル高でしたよね。

小林 1ドル250円くらいだったと思います。

イゲット 日本にいた頃、自衛隊に所属していたというのも面白い経歴ですね。

小林 何か変わったことがやりたかったのと、1日も早く家から出たかったのも自衛隊に入った理由です。海上自衛隊少年術科学校というところで、中学を出てからそこに4年間いました。給料はもらえるし、食事も出るし、寮もあるから、これで自立できると思ったんです。卒業後は護衛艦勤務だったんですが、私の場合は日本の周辺をぐるぐる回って、遠洋航海には行けませんでした。

でも、やはり外国に行きたかったんですね。横須賀の艦に乗っていたので、米軍の施設が使えて、ステーキもワインもすごく安い。私は神戸で育ったので、周りに外国人が多かったというのも、外国に憧れていた理由です。

イゲット 英語を勉強した後は、ロスでは何をしていたんですか?

小林 アルバイトですね。最初は、学校の人が紹介してくれたリカーストアで1年働きました。その後、日系人の先生に「お金を稼ぎたいならセールスマンになれ」と言われて、ローカル新聞の求人欄に載っていたレインボーキッチンというサンドウィッチ屋さんの行商を始めました。エリアを貰って、サンドウィッチを車に詰めて、一軒ずつオフィスを回って売り歩く仕事です。

イゲット 材料を自分で詰めて売り歩くんですか?

小林 商品を自分オーダーして仕入れるんですが、売れ残っても店に返せる品と返せない品があるんですよ。返品できないのは利益が大きい商品。もう34年前くらいの話です。

イゲット それが初めてのセールス経験なんですね。仕事は面白かったですか?

小林 そうですね。でも、私たちの時代は宵越しの金は持たない風潮でしたから、日銭はすぐになくなって月末には家賃の支払いに困ったりもしました。そうしていたら日本からたまたまロスに来た産経新聞の関係者の方から「小林君、サンドウィッチなんて売ってたら駄目だぞ」と言われて、ロスオリンピックでサンケイスポーツのドライバーをさせてもらったんです。それが最初の新聞とのかかわりでしたね。ちょうどその後、ロスで日刊サンが刊行することになり、面接に行っていくよう勧められて、広告のセールスマンになったという経緯です。

イゲット 周囲に可愛がられていたんですね。日刊サンのオーナーはどんな方でしたか?

小林 オーナーは東大出で、お父さんが戦艦ヤマトの技術者だったという人で、いろいろ可愛がってもらいました。

ロスでの成功を捨てた日本人の感覚とハワイでの仕事のきっかけ

イゲット それまでとは違うメディアの仕事に就いて、いかがでしたか?

小林 実はそこには1年間しかしなかったんです。良いお客さんもいて、勉強の意味では面白かったのですが、当時はまだ24歳で、組織のコマみたいな感じであまり面白くないなと。それで、学校に行くと理由をつけて辞めました。でも、その後も日刊サンの社長や昔のリカーストアのオーナーが、いろんな人を紹介してくれました。

イゲット 辞めた後も紹介があったのは、信頼関係が築けていたからなんでしょうね。

小林 ラッキーでしたね。リカーストアのオーナーから「日本から車を買いに来る奴がいるから面倒見てやってくれないか」という話が入って、そこから車関係の仕事に入っていくことになりました。最初に買ってくれたのが、フェラーリとジャガーのレーシングカーで、代金が2台で22万ドルくらい。それで、売り手に値下げ交渉をするよう頼まれて成功すると、1万ドルの手数料が入りました。それだけもらえたら嬉しいですよね。その後、フェラーリ、ロールスロイス、ベンツ、アストンマーチンなど、いろんな車を買い付ける仕事を行っていました。新聞社のオーナーからも買い手を紹介されたり、ハーレーダビッドソンのパーツ販売のビジネスを譲ってもらったりもしました。

イゲット 楽しいお仕事だったようですね。

小林 でも、それも辞めてしまったんです。理由は、こんなに簡単にお金を稼いだらバチが当たると思ったから。日本人の感覚では、ブローカーは所詮ダメな奴とどうしても思われてしまうのが嫌でした。

イゲット 日本では、「汗水流して働くのが美徳」みたいな考えがありますからね。

小林 染みついている感覚があるから、ブローカーをやってもアメリカ人には勝てないですからね。それがストレスになって、辞めようと決意しました。その時、たまたまロスの日刊サンの社長が、ハワイでも発刊を考えていると言うから「じゃあ自分にやらせてよ」と頼んだんです。最初は断られましたが、直前になって彼のパートナーがキャンセルしてしまって、結局私がやることになりました。話が決まったのが03年1月くらいですぐに、ハワイにやって来ました。

イゲット ハワイには、全く生活ベースがない状態で来たんですか?

小林 そうですね。でもハワイは嫌いじゃなかったし、ずっと独り者だったので、すんなりと来れました。

イゲット ハワイにはほかの新聞もあったので後発になると思うんですが、広告営業も全部自分でイチから始めたのですか?

小林 そうですね。「自分のようなよそ者が受け入れられるかな」とも少しは考えましたが、そこはあまり気にしなかったです。(後編に続く

ChiekoEggedDSC_3145(いげっと・ちえこ)(Beauti Therapy LLC社長)。大学卒業後、外資系企業勤務を経てネイルサロンを開業。14年前にハワイに移住し、5年前に起業。敏感肌専門のエステサロン、化粧品会社、美容スクール、通販サイト経営、セミナー、講演活動、教育移住コンサルタントなどをしながら世界を周り、バイリンガルの子供を国際ビジネスマンに育成中。2017年4月『経営者を育てハワイの親 労働者を育てる日本の親』(経済界)を上梓。

 

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