成熟社会を迎え、子どもの教育、就職、働き方など、さまざまな面において、これまでのやり方が機能しなくなってきた日本。難病を抱えながら息子とともにハワイに移住し、事業家として成功を収めたイゲット千恵子氏が、これからの日本人に必要な、世界で生き抜く知恵と人生を豊かに送る方法について、ハワイのキーパーソンと語りつくす。
青木恵子氏プロフィール
青木恵子氏が毛皮ビジネスを始めた経緯
イゲット 恵子さんはどのような経緯でハワイに来られたのですか?
青木 ハワイ大学の中にある英語学校に通うためにハワイに来ました。ハワイには3年いて、その前にサンフランシスコに2年ぐらいいました。
イゲット 毛皮の販売はどのような経緯で始めたのですか。
青木 1990年にニューヨークに居た時ですが、当時アメリカ経済は不景気で、毛皮の販売が落ち込んでいました。でも、日本はバブルだから高いものを買ってくれたんです。それで毛皮協会に雇われて、毛皮の展示会の時に日本のバイヤーの方や小売店の方がいたので、協会の通訳としてブースで毛皮を説明したり、質問に答えたりしていたんです。
そこで知り合った日本の毛皮販売店の方に、アメリカで1万ドルの商品が日本では7倍の値段で売れていると聞いて、これはもう自分でやるしかないと。
若くてエネルギーいっぱいだったから、毛皮屋さんを尋ねて「私が直接売るから商品を貸してくれ」と頼みました。20社くらい行ってそのうちの半分くらいは断られたんですが、11社から5着ずつ借りて日本に持って帰りました。でも、借りているだけなので、サンプルを売らずに契約だけ取って持って帰るんです。「高いものなので特別オーダーします」みたいに上手いことを言って。まさか持って帰らなきゃいけないってことは言えないですから(笑)。
並行輸入の毛皮が日本で売れまくる
イゲット 苦労した点などはありますか?
青木 カルネというシステムがあるんですが、ペーパーワーク(書類)が重要だったんです。その時付けていた名札とペーパーがマッチしていなくて、商品を運ぶフライトの許可が下りなかったんです。で、「毛皮はどこにあるんですか?」って言ったら「倉庫街にあります」と。
イゲット ニューヨークの?
青木 それでタクシーに乗って向かったんですが、タクシーが私を下ろすとすぐに帰ってしまって。その時、黒人の番兵みたいな人が倉庫を開けてくれて、50着全部のペーパーを朝まで全部書き直して無事に飛んだんです。
イゲット 度胸がありますよね。
青木 そんな感じでスタートしたビジネスだったんですが、その体験はテレビでドラマ化されたんですよ。
イゲット その当時、日本はバブルで女子大生も毛皮を着ていた時代ですよね。
青木 その時に価格を1.9倍にしました。例えば100万円のものなら190万円で売りました。初めてのビジネスでしたがどんどんオーダーがきて、結果5千万円ぶんぐらい売れました。
イゲット すごい!(笑)。20代だったんですよね?
青木 毛皮の並行輸入はたぶん私が初めてやったんじゃないかと思います。アイデアですね。でも、毛皮というものは1着か2着買ったら、3着目はあんまり買わないので、そこが残念ではありました。
ワンダーブラのヒットを仕掛け、コンサルタントとして活躍
イゲット その後手掛けたワンダーブラは日本で大ヒットしましたね。
青木 テレビを見ていると、歌手が下着のような服で踊っていて「すごいなアメリカって、歌手がこんな下着で踊ってるんだ」と思ったのがきっかけです。日本の下着はワコールとトリンプが主力メーカーで、可愛いデザインのものばかりでした。なので、そろそろセクシーな下着が日本に入っても良いんじゃないかと思ったんです。「見せる下着」というコンセプトを作ってワンダーブラを売り始めたんですが、大ヒットしてとりあえず上手くいきました。1992年から販売をスタートして、4、5年間はすごく売れていましたね。
でも、オフィスに行くと下着の山みたいになっていて「もう少し優雅な仕事がしたいな」とも感じていました。当時、たまたま私が持って行く商品がとてもヒットしていたので、政府からお声が掛かって「ニューヨークの地場産業を育てる」という目的で、コンサルタントとして本土がレコメンデューションしてくれました。そこで、スペインの政府のコンサルタントと初めて会ったんですね。
スペインも日本でプロモーションしたいということだったので、スパニッシュフェアなどを4年間手掛けました。日本のプレスや日本の新聞社の人をスペインのマジョルカ島などに連れて行き、産業を日本に紹介する仕事でした。
ロッキー青木氏との出会い
イゲット ロッキー青木さんとはコンサルタントとして出会ったのですか。
青木 海外にベニハナが進出するようになってから、ベニハナのコンサルタントとして知り合いました。ある時、中国の営業権を、ロッキーさんが韓国の男性にあげたんですね。20年ほど前、その韓国の方が中国に行ったんですが、中国の情勢が解らなかったみたいで、お金が途中でなくなってしまったんです。それでロッキーさんに「ベニハナと一緒に中国でジョイントベンチャーやりましょう」と言ってきました。
そこは北京で、私はロッキーさんに「中国はこれから多分大きなマーケットになりますよ。その人がもしできない人だったら営業権を返して貰ったらどうですか?」と提案しました。その時ロッキーさんに中国に詳しいのかと尋ねられたので、彼を説得して上海に連れて行きました。それで「ワオ、チャイナ!」って感動して、考えが変わったみたいです。
次に北京に行ったんですが、韓国人とジョイントベンチャーにするはずの店舗に行くと河原に歌舞伎座みたいな感じの立派な建物だけが出来ていて、中入ったら空っぽ、外側だけ作ってお金が無くなっちゃったみたいなんです。ロッキーさんってすごく人が良くてノーと言えない日本人の典型だったので、帰国する朝「ジョイントベンチャーできない」ってやっと先方に言ったんです。そんな経緯を通じて、ロッキーさんと親しくなりました。
青木恵子氏によるベニハナの経営方針
イゲット 経営者として重視している事や、経営方針を教えてください。
青木 ロッキーさんの考えたエンターテインメントレストラン、コアの部分は絶対変えちゃいけないと思っています。お客様の目の前で料理をして、パフォーマンスを見せながら食べていただくということは55年前にアメリカで始めましたが、時代や場所に合わせてやり方を変えています。
例えばインドでお店をオープンした時は、ビーフは駄目なのでラムやチキンを使ったり、初めてベジテーブルを作ったりました。本当のベジタリアンは同じお皿、スパチュラ、鉄板を使うのも嫌がるからです。
鉄板焼きのレストランにも流行があって、ヘルシー志向やベジタブル、豆腐ステーキ、シーフードを増やすといった、それなりのマーケティングをしています。海外のベニハナに関しては、昔からのメニューは絶対に入りますが、ローカルの食材を必ず入れるように言っています。
イゲット スタッフのトレーニングやシフトなどはどのように行っているのですか。
青木 マニュアル化されているので、思ったよりも簡単です、ロッキーさんの考えたアメリカンドリームですね。55年前、いろんな所からサンダル履きで出稼ぎに来ていた人たちをトレーニングして、革靴を履かせてあげたいという思いがあったようです。
イゲット 最初は食器を片づける人から始まって最後はシェフになるという感じですか。
青木 そうです、みんな夜練習してね。シェフのジョークまでマニュアル化してあります。「シェフ、どこから来たの?」って聞くと「I’m from kitchen」って言うように。お皿の持って行きかた、お皿の片付けかたなども全部マニュアル化してあります。そういう意味で、ロッキーさんは天才かもしれません。
ベニハナの今後の事業展開と日本人ビジネスマンへのアドバイス
イゲット 今後の事業の展開などを教えてください。
青木 ロッキーさんが亡くなる前に私に言ったことですが、ベニハナが世界中に広がるようにこれからも頑張っていきたいです。
イゲット 今度新しい国に展開する予定は?
青木 メキシコは建設中、エジプト、ナイアガラフォールのカナダなど、新しいベニハナがいろんな国に出来ています。
イゲット 日本のレストランオーナーさんも、これから海外に目を向けられていくと思うんですよね。
青木 ニューヨークにも日本からも続々と人が来ていますね。でもニューヨークでは毎月、150店舗は閉まってしまいますね。
イゲット 人件費も高いですよね。
青木 保険も家賃も高いじゃないですか。発展途上国のほうが人件費、保険も安いし良いですよね。あと、1番ビジネスで難しいのはモラルの違い。そういう点では、フランチャイズ方式なら現地の人たちがやる訳ですから良いですね。
イゲット 日本人のビジネスマンに向けて、何かアドバイスをお願いします。
青木 いろんな観念を捨てた方が良いですね。日本で成功している人ほど日本を基準にして考えてしまいます。逆に頭を白くして入ってきたほうが「アメリカ人ってこういうのが好きなんだ」と、すんなり入って上手くいくんだと思います。
美味しい懐石料理なども、海外ではあまりうまくいっていません。日本のお寿司屋さんにしても、邪道なアボカドを入れたりとか天ぷらロールをつくったりして成功しているところもあります。日本人みたいに舌が繊細じゃないから、味が薄く感じてしまうのだと思います。アメリカで成功しているお寿司屋さんでも、こちらの人は甘いのが好きだから醤油の中にみりんを入れたりしてます。
イゲット 今後の夢は?
青木 今、ニューヨークで「5番街トーク」っていうラジオ番組をやっているんですよ。5番街からファッション・経済・政治などの情報を発信する内容で、日本のゲスト、芸能人を呼んでインタビューしています。その他にアンチエイジングなどの話題も発信したいと考えています。
イゲット しばらくはニューヨークに住み続けるのですか。
青木 ニューヨークに来て約30年になりますが、ニューヨークの良い所は世界中のメディアがいることです。ニューヨークで1番のレストランになると、世界中の雑誌が書きますので。でも歳をとると自分の生まれた場所が恋しくなりますね。ですから、日本でも何かできる事がないかと考えています。
(いげっと・ちえこ)(Beauti Therapy LLC社長)。大学卒業後、外資系企業勤務を経てネイルサロンを開業。14年前にハワイに移住し、5年前に起業。敏感肌専門のエステサロン、化粧品会社、美容スクール、通販サイト経営、セミナー、講演活動、教育移住コンサルタントなどをしながら世界を周り、バイリンガルの子供を国際ビジネスマンに育成中。2017年4月『経営者を育てハワイの親 労働者を育てる日本の親』(経済界)を上梓。
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