多い日で1日6万本を売り上げる高級「生」食パン専門店「乃が美」が、一大ブームを巻き起こしている。見据えるのは目の前の売り上げではなく、焼かなくてもみみまでおいしい食パンが食卓に並ぶ100年先の光景だ。(『経済界』2020年4月号より転載)
2013年に大阪で第1号店である総本店をオープン以降、選ばれた少数精鋭で運営し、こだわりの品質を生み出さなければ出店はしないという方針を掲げてきた。乃が美の「生」食パンとして愛され続けるために一貫した独自のコンセプトを徹底している。
失敗の逆を行けばいいそんな発想が起点に
阪上社長は新卒でスーパーの惣菜売り場を経験し、後に居酒屋、携帯電話ショップなどを経営した。焼肉店の経営では、お客さまが喜ぶだろうとギリギリの安価で提供していたが、日本各地でBSEが発生、やむなく展開していた店を次々に閉めるという苦しい経験を味わう。お客さまのために自身を犠牲にしてきたことが、結局は自らの首を絞めることになった。そこで阪上社長が考えたのは、まず自分たちの幸福度を上げることがお客さまの幸せにもつながっているということ。そのためには、価格が上がっても自分たちが自信を持って展開できる商品で、しっかりと支持されることが必要だ。例えば300年続く老舗は、決して商品や価格に妥協していないはずだ。
乃が美の「生」食パンは、阪上社長の人生経験が結集して生まれた商品だ。祖父は米屋で、跡を継ぐことはなかったが、パンに目を向けることはタブーだと思っていた。だが見渡すと、米屋は潰れているがパン屋は街中にたくさん残っていることに気づいた。
ご縁で会長を務めていた大阪プロレスで定期的に慰問していた老人ホームで話を聞くと、おじいちゃん、おばあちゃんの楽しみは笑うことと食べることだという。ふと目をやると、パンのみみだけが残された朝食の風景――。それを見てひらめいた。「みみまで柔らかい、みんなが毎日食べたくなる食パンをつくろう!」。
今までにない商品を生み出すためには、みみは硬くて捨てられてしまうものという概念と自らの失敗を真逆に捉えたことで、「生」食パンへの道が開けた。
素人だから叶えられた究極の理想の食パン
阪上社長は、パンについては全くの素人だった。「周りから『絶対に無理』『食パンに800円も出さない』と否定されながらも頑張った」と語る。商品開発には飲食店時代の社員に入ってもらった。最高級の素材を使えば最高級の食パンができる。しかし阪上社長が求めたのは、日本人が喜ぶ柔らかさと甘さに加え、「生」食パンの所以(ゆえん)であるみみまでとろける口どけだった。これには小麦粉の微細さがカギを握った。多くの小麦粉を試して、本場のカナダ産に出合った。すべては素材の組み合わせだ。あらゆる材料を掛け合わせて、最高の黄金比率を割り出す挑戦はオープン前日まで続いた。「世に長く残っている食品には、また食べたくなる何かがある」との思いから開発にこだわり抜き、2年の歳月を費やした。
完成した自信の原料ミックスは全店で同じものを使用し、6年経った現在も変えておらず、メニューを増やすこともない。味が生命線だから、定期的に全店の品質チェックを徹底している。
食べ続けてもらうために絶対にブレてはいけない!
品質への自負は立地にも表れている。通常なら大阪の繁華街である梅田や難波に出店するところを、あえて住宅街の上本町を選んだのは、自信を持ってお客さまにご賞味いただけるはずという確信があったから。香川のうどんも、田舎の決してオシャレとは言えない製麺所に、全国からおいしいうどんを求めて人が集まる。「これが本当の商売だ!」との確信もあった。
総本店でもある1号店オープン当初は全く売れなかった。今までの常識では理解されるはずもない。しかし阪上社長は何一つ方針を変えることはなかった。商品に自信があったからだ。とにかく食べてもらうために軽自動車で売りに回ったこともある。お店には口コミなどで次第に人が訪れ、行列が出来始めると、テレビや雑誌に取り上げられ一気に広まった。
今やおじいちゃん、おばあちゃんから子どもたちにまで親しまれ、年商100億円以上に。阪上社長は高級食パンブームを 「おいしい食パンの市場を広げてくれたことはとてもありがたい」と見ている。流行でなく、新しいカテゴリーとして日本人の食文化に溶け込みたいというビジョンが阪上社長にある。絶対に本物だけが生き残るはずだ。同社は今が地固めのときだという。社員と共に、乃が美に携わる幸せを感じながら、今日も食卓に幸せを届けている。