経営者コミュニティ「経済界倶楽部」

業績絶好調の業務スーパー2代目は元製薬会社の研究者

神戸物産と聞いても知らない人が多いかもしれないが、業務スーパーと言えば多くの人が知っている。FC展開で店舗数も増えており、間もなく1千店の大台を迎える。この業務スーパーを率いるのが2代目社長の沼田博和氏。製薬会社の研究者から転じて父の後を継ぎ、独自のビジネスモデルを進化させている。聞き手=関 慎夫(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)

インタビュー

沼田博和・神戸物産社長プロフィール

沼田博和・神戸物産社長
(ぬまた・ひろかず) 1980年兵庫県生まれ。京都薬科大学大学院修士課程を修了し大正製薬に入社、研究職に就く。2009年、父が創業した神戸物産に転じ11年取締役、12年に社長に就任した。

テレビに紹介され上がった業務スーパーの知名度

―― 最近、業務スーパーは毎週のようにテレビ番組で取り上げられています。反響はいかがですか。

沼田 もともと関西発祥ですから、関西での知名度はそれなりにありましたが、北海道や九州では、業務スーパーを知らない方が多かった。でもテレビやSNSのお陰で、今では多くの方に知ってもらえるようになりました。

 数年前に関西地方でアンケート調査を行ったのですが、90%台後半の方が、業務スーパーをご存じでした。ところがその中で業務スーパーを利用したことがある人は半分しかいません。ですからこの残り半分の方たちに、業務スーパーの魅力をどう伝えていくかが自分たちにとっての課題だと考えていました。テレビなどのお陰で、かなりカバーできたように感じています。

―― 現在、店舗数が922店舗(4月末現在)。この半年間だけでも40店舗以上増えています。業績も好調で、先日発表された中間決算でも純利益が34%増え、100億円の大台に乗りました。

沼田 店舗数が増えたのに加えコロナ禍で内食需要が高まったのが業績に反映されています。でもまだまだ伸ばす余地はあると思います。

―― 店舗数が増えるのと比例するように、M&Aによって食品メーカーを次々とグループに加えています。

沼田 もともと創業者(父・沼田昭二氏)の時代に製販一体というビジネスモデルがつくられました。自分たちで食品を開発・製造しそれを店舗で販売するスタイルです。その場合、もっとも効率的なのは、少品種大量生産です。極端に言うとひとつの品物しか作っていない工場が一番無駄がなくコストもかからない。ですから安く販売することができる。でも昔は販売先が少なく、業務スーパー1号店が誕生した2000年当時は中国・大連の1工場しかありませんでした。

 それが08年頃には500店舗にまで増えたことに加え、リーマンショックで案件が多くなってきたこともあり、M&Aによるグループづくりに取り組み始めました。お客さまの欲しい商品をお客さまの欲しがる価格で、自分たちで作る。なおかつその販売網として全国に500店舗が既に存在していることで、少品種大量生産という理想的な生産体制が組めるようになり、M&Aを進めていきました。

―― セブン-イレブンもPB製品に力を入れていますが、あくまでメーカーに製造を委託しています。工場を持つとなると財務的にも負担になります。

沼田 メーカーさんの協力を得ながら一緒に取り組むという生産方法はわれわれも行っています。ただ、本当にギリギリのところでの戦いをするには、工場の経営にまで入り込み、工場のリスクも自分たちのリスクとしてとらえていく。これによってお客さまにとって一番魅力的な価格で販売できると考えています。

製販一体経営とFC展開はセット

―― なぜこのような製販一体ビジネスが生まれたのですか。

沼田 「泥仕合」をしないためです。ナショナルブランドの場合、売れ行きを左右するのは価格です。隣のスーパーより1円高い安いというようなことを利益を削ってやっている。これを半永久的に続けることはできません。

 規模があればナショナルブランドを安く仕入れることはできますが、創業者が業務スーパー以前に経営していたスーパーマーケットは薄利多売で、私の記憶の中にはとても繁盛していた店ですが、生鮮品で上げた利益をナショナルブランドの価格を下げるのに使っていたというのが実際のところでした。

 これではビジネスを拡大するにも限界がある。そこで自ら製品を開発・製造し販売する製販一体へと舵を切りました。これを効率的に進めるには、販路の拡大が不可欠です。でも自己資本で店舗を拡大するのはむずかしい。そこでFCによる店舗展開で増やしていくという今の形が出来上がりました。つまり製販一体とFC展開をセットに成長してきました。

―― 一般的なFCチェーンの場合、直営店が一定割合あり、それ以外がFCです。ところが業務スーパーの直営店はわずか2店舗です。

沼田 私たちはあくまで本部機能に特化しています。いいものをお客さまにできるだけ安く提供するにはどうするか。そのための仕組みを模索していき、今の形にたどりついた。その意味で、従来のスーパーマーケットという業態には全くこだわっていなかった。だからこそ他にはないビジネスモデルが誕生したのだと思います。

業務スーパー

理系脳でつくられた業務スーパーのレイアウト

―― 創業者がスーパーマーケット1号店を開いたのは沼田さんが1歳の時です。いわば家業のスーパーマーケットとともに育っていったわけですが、大学は薬学部に進んでいます。親の後を継ごうとは考えていなかったのですか。

沼田 本当に小さい頃は何となく継ぐんだろうなと思っていたようですが、途中から父から継がなくていいと言われるようになり、受験の時も自分のやりたいことをしなさい、と言われました。そこで薬学の道を選びました。

―― その後、大学院を出て大正製薬で研究職についています。それなのになぜ、後を継ぐ気になったのですが。

沼田 大学時代、京都で暮らしていたのですが、下宿先から通えるところに業務スーパーができました。その店は、学生の目から見ても面白い商品がいっぱいで、一顧客として普通に使っていました。

 大正製薬にいたときも近くに業務スーパーがあって、実家に帰省した時、父といろんな話をする。するとそのビジネスモデルが独特で面白いものだと分かってくる。大正製薬の仕事は楽しく、やりがいもありました。しかし、目の前に急成長中の面白いビジネスがあり、そこに加わることができるチャンスがあった。ちょうど、関西に帰ることも考えていたので、私から父に入社したいと伝えました。

―― 創業者は喜んだでしょう。

沼田 会社に入ることを伝えた時は淡々としていました。でもあとから取引先の方などに聞くと「自分で好きなことをやれと言ったけれど、継いでくれそうにないというのは結構寂しかった」と酒を飲みながらこぼしていたそうですからね。

―― 創業者は会社からは完全に離れ別の事業をやっているそうですね。

沼田 退職してからもう4年ぐらいたちますね。

―― 一番学んだものは何ですか。

沼田 考え方ですね。業務スーパーというのは、思った以上に理系的な考えでつくられています。例えば陳列ひとつとっても、きちんとした理由があり、いろんな仕掛けがされています。動線の無駄がないよう考えられていたり、通路の幅もちゃんと計算されています。そしてそれが販管費にも関係してくる。そういう経営的な視点で店頭をつくりあげていっています。こういう考え方は参考にしています。

 それと創業者を見ていてトップダウン型経営の強みをものすごく感じます。物事を決めるとみんなが一斉にその方向を向く。でもこれは創業者だからできることです。ですから私自身はトップダウンにはこだわってなくて、むしろボトムアップを推奨しています。

 代替わりして一番考えたのも、いかに各部署から意見を吸い上げるかです。でも黙っていたのでは意見は出てこない。ですからできるだけコミュニケーションをとるようにして、これまで社内で眠っていた意見をくみ取るようにしています。

バトンタッチの際に父から言われた言葉

―― 沼田さんのやることに創業者が反対することはないですか。

沼田 父は私のことを博和君と呼ぶのですが、バトンを渡された時は「博和君の好きなようにやってくれ」と言われました。「博和君の決めたことに従うから」と。しかも部長以上の主要なメンバーを集めて「来月、社長交代するけれど、自分と博和君の意見が分かれた時は博和君のいうことを聞きなさい」と言ってくれました。この言葉があったから社員も随分とやりやすかったんじゃないですか。

 他のファミリー経営の会社では、社長になってからも父親に怒られているという話も聞きますし、その結果、会長派と社長派に社内が分かれることもあるようですが、当社ではありませんでした。

―― 今でも創業者には勝てないと思うところはありますか。

沼田 たくさんありますよ。創業者の場合、何をするにも早かった。というより、走りながら考えていた。それでいて担当者よりも深く考えている。その意味で研究者っぽいところがあります。今は業務スーパーと違う全く新しいビジネスをやっていますが、以前からやっている社員よりはるかに詳しくなっています。そういった早さや深さはとても大事だと思いますし、参考にしていく必要があると感じています。