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「家業」から「企業」へと変革した和菓子屋8代目の視点―細田 眞(榮太樓總本鋪社長)

飴や金鍔で有名な榮太樓總本鋪は、江戸後期の1818年から200年以上続く老舗の和菓子店だ。現在の社長は8代目の細田眞氏。社長に就任したのは2008年だが、同社で働き始めたのは1983年、それから約40年たった。その間、細田氏は榮太樓總本鋪の何を守り、時代に合わせてどう変化させてきたのか。聞き手=唐島明子 Photo=山内信也(『経済界』2021年9月号より加筆・転載)

細田 眞・榮太樓總本鋪社長プロフィール

細田 眞・榮太樓總本鋪社長
(ほそだ・まこと)1954年、東京都生まれ。慶應義塾大学商学部卒業後、日本郵船勤務を経て、83年から榮太樓總本鋪に入社。2008年に8代目社長に就任。

日本郵船から榮太樓に戻って考えたこと

―― 細田社長は榮太樓總本鋪の家に長男として生まれました。いつ頃から継ぐことを考えていましたか。

細田 幼い頃、自分の中では使命感はあまりなく、特に意識はしていませんでした。継いでほしいと父から言われた記憶もありません。しかし大学を卒業してから日本郵船に入社したときには、いずれは榮太樓に戻るだろうと自分では思っていました。

―― 日本郵船を選んだ理由は。

細田 後継ぎでよくあるのは、銀行や商社ですよね。実家の商売に近い仕事を教えてもらったり、銀行であれば何年間かおあずかりしましょうみたいな。そういう話が私にもありましたが、自分としてはいずれ戻るにしても、社会人としてどうあるべきかを榮太樓とは全く違うところで勉強したいと思っていました。それで貿易立国である日本の基幹産業の一つでもある船会社を選びました。

―― 日本郵船で約5年勤めましたが、そこでの経験は榮太樓の経営に生きていますか。

細田 組織で仕事をするという意味では勉強になりました。会社は一人ではできません。飴を一つ作るにしても何人もの手がかかって作られて、それが販売へ行き、お店で売られる。

 それで榮太樓に戻ってから考えたのは、当時の榮太樓はいい意味でも悪い意味でも家業でしたが、家業から企業になっていかなければならないということです。組織にはいろんな人の力が必要なのだから、社員の意見を聞いて、組織としてみんなの力を使っていく必要があるだろうと。

社員の意見を聞く組織へ変化

―― 榮太樓に戻って約40年、社長になってから13年たちます。家業から企業に変わりましたか。

細田 私自身はだいぶ変わったと思っています。日本郵船から榮太樓に戻ってしばらくしてから、工場の責任者になり、工場で働いていた社員から「これはどうしましょうか」と質問を受けました。

 その時、私が「あなたはどう考えますか」と聞いたら、その社員が意外そうな顔をしたんです。そんな質問を今まで受けたことがなかったと。でもその社員が「私だったらこう考えます」と答えたので、「だったらそのように進めてください」と話した経験があって。「そうか、今まではそういうことがなかったんだな」というのを感じ、強く印象に残っています。

 工場の責任者になったとはいえ、当時の私は菓子製造に関しては素人でした。そんな人間の言うことを聞くなんて、おかしいんじゃないかなと思っていました。

―― それで社員が自分の意見を言う文化が醸成されていったのですね。

細田 「とにかく自分の意見を持ってくるように」というのは盛んに言っていました。

 あと工場では、現場の人たちとのコミュニケーションを徹底的に取りました。毎週、部長さんや課長さんとかを集めて1~2時間のミーティングを開き、お互いの業務の話をするんです。ミーティングを始めたのは、私が何も知らないから教えてもらおうと思ったからです(笑)。

 しかし、そういう機会ができて、部長さん同士、課長さん同士がそれまで以上に話をするようになると、お互い融通するようになりました。今では、「この時期はちょっと人が余ってるからあっちに行ってもらおう」とか、そういうことが当たり前にできるようなっています。

女性社員が活躍する環境

―― 自分がいろいろ教えてもらおうと始めたミーティングをきっかけに、社員同士のコミュニケーションも活発になった。

細田 そうですね。その他の変化としては、30年前の工場には女性社員がほとんどいませんでしたが、今は工場にいる約120人の正社員の半分以上が女性です。

―― 女性が増えるきっかけがあったのでしょうか。

細田 女性にもっと活躍してもらわないとダメだ、男女のバランスを変えようと思っていました。私が工場に行ったばかりのころは、職人の世界は男性社会でしたが、そういう考え方で作っているものは決して良くないと考えていたんです。

 しかし今では女性の職人さんが多くなりました。私たちの工場に、「飴を作りたい」と入ってきた女性がいます。飴を作る職場は、熱いし重いものを持つし、結構つらい。女性には向かないだろうなと思っていましたが、自分で作りたいという話だったので、「それならどんどんやれ」と、やってもらっています。

 はじめのころは男性職人たちからの反発もありました。しかし年月とともに、そういう考えを持っている人たちからの世代交代も進み、だんだん変わっていきました。

―― 以前、女性社員が企画した新商品について、榮太樓の経営陣が「売れるわけがない。ダメだ」と却下しようとしたけれど、その社員が「私が責任を取る」と押し切り、実際に販売したことがあるそうですね。

細田 それは棒付きのポップキャンディの話ですね。私が榮太樓に戻ってからだいぶたってからのことですが、そういうことを言えるようになってきたんですよね。「こんなのは売れるわけがない」と当時社長だった現在の会長が断言していましたが、「いや、絶対売ります」と社員から言われて、売り出したら本当に売れてしまいました(笑)。

販路開拓で始めた新ブランド

―― 榮太樓は近年、その商品ラインアップを強化しています。2007年以降には新しいブランドが4つ、「あめやえいたろう」「にほんばしえいたろう」「東京ピーセン」「からだにえいたろう」を立ち上げました。

細田 私が社長になる前は百貨店の商売が中心でしたが、そこに行き詰まりが出てきていました。それで今から25年くらい前でしょうか、新しい販路を開拓するために黒蜜飴を開発し、問屋さんを通じた商売を本格的に始めました。

 しばらくすると、販路展開を考えるうえではブランドが1つだけだと限界がありそうだということが分かってきた。「榮太樓からこのような商品を出していいのかな」と躊躇してしまう。作り手にとっても売り手にとっても無理が出てくるので、だったら新しいブランドを作りましょうということになりました。

―― 手広く展開することに対する懸念はありませんでしたか。

細田 リスクは増えますよね。在庫も抱えますし、手間もかかります。そういう意味では軌道に乗るまでは不安はあります。

 しかし新しく立ち上げたブランドの商品展開はかなり絞っています。また、仮にそのブランドが失敗したら、それだけやめてしまえばいい。やめたら元に戻るだけですし、新しいことに挑戦しやすくなりました。色んな市場にチャレンジしていこうという気持ちも生まれました。

オーナー家だからこその思い

―― 商品展開を増やす一方で、榮太樓總本鋪の伝統として守っている軸のようなものはありますか。

細田 飴であれば、飴の歯ざわり、噛みごこち。また餡子であれば素材の味が生きていて口溶けがいいこと。ただ、その表現方法や売り方は時代に合わせて変わっていいと思います。

―― 時代に応じて商品は変えながらも、飴の質、餡子の質は守る。

細田 そうですね。皆さんは飴をなめることが多いと思いますが、私たちは癖なのか、噛んでしまいます。そうすると、その歯ざわり、噛み心地で飴の質がよく分かるんです。

 噛んだときにカリッと割れるというか、硬くてもろい飴を作りたい。それは原料が良くて、温度がしっかり上がらないとできません。市販の飴には、水飴の量が最も多くて、次に砂糖、そして香料が少しというものもありますが、そういう飴はカリッとなりません。しかし榮太樓としては、その歯ざわりを大事にしたいと考えています。

―― 榮太樓の事業は、これまで細田家が継承してきています。ファミリー経営のメリット、デメリットについてはどう考えていますか。

細田 オーナー家が継承していくことが本当にいいのかは常に疑問としてあると思いますが、私がどうかは別として、継ぐにふさわしい人がいればその人がつなげていく。それで変に揉めたりすることがなければ、会社としてある程度は順調に進むのではないでしょうか。

 ただ、榮太樓の社員たちが小学生、中学生だった頃には、「榮太樓の飴」なんて知りませんよね。でも私たちにとっては、生まれたときからそこにあるものです。それをずっと見て、食べて、育ち、育てられてきた。そこは違うかもしれません。しかし、それも結果ですね。結果的に世襲になっていると思ったらいいのではないでしょうか。

―― 今後の榮太樓についてです。細田眞社長の父親の恕夫氏を継いだ前社長は恕夫氏のいとこの治氏。そして眞社長の後継者ということで現在副社長をしているのが治氏の長男の将己氏です。細田社長にはご子息もいますが、お家騒動は大丈夫そうですか。

細田 考えたことがなかったな(笑)。今までお家騒動はないし、のれん分けしたこともありません。後継者を決めるには本人の意思もありますが、年齢もあったと思います。私の父と前社長は17歳離れていて、前社長から私は10歳違い、継いでいくにはちょうどいい。

 ケンカをしたことはありませんが、こういう会社ですからケンカなんてしたらおしまいですよね。そういう思いはあります。